巻き込まれ少女、出会う。2,初めてのお使い2
無言のまま、星の手を引いて歩いていたマオが、不意に足を止め、壁際に寄る。
手を引かれている星も、一緒になって壁際に寄るが、意味が分からず、後ろを歩いていて、今現在、横にお座りをしている狼に、問い掛けるような視線を向ける。無言で、首を傾げられた。
狼の背に貼りついているラビも、同じように首を傾げている。
「あの、マオさん?」
「……誰か、来ます」
来ちゃマズイの? という突っ込みを星がする前に、マオの言葉通り、進行方向から、かなり急ぎ足らしい足音が聞こえてくる。
星は知らなかったが、今歩いている通路は、使用人などは使う事が出来ない特殊な通路だった。つまり、ここで会う=かなりの地位の人間という図式なのだ。
「まだここにいたのか!?」
突然現れた人物からの、突然の怒声に、ビクッと肩を揺らした星は、咄嗟にマオの背後に姿を隠す。
「……どうも」
明らかに適当な挨拶をし、深々と頭を下げるマオを忌々しげに睨んでいたのは、金茶の髪に青の瞳を持つ、精悍な見た目の青年だ。
「何をモタモタしてるんだ。――そいつは兄上が連れて来た女だな」
「……はい」
青年――シウォーグの確認に、マオは無感情に頷く。と、今度は複数の女性の声が、通路の先から聞こえてくる。
「ちっ、影、少し先で適当に誤魔化せ」
舌打ちをしたシウォーグは、有無を言わせず、マオに命令し、自らはマオの背後にいた星の体を引き寄せる。
「少し、黙って、大人しくしていろ」
目を見張って固まる小柄な少女に、シウォーグは幾分か柔らかく囁いて、自らの背中を廊下側に向け、柱の陰に身を隠す。
隠すとは言っても、遠くから認識出来ないだけであって、傍を通れば、普通に目に入ってしまうが、小柄な星はシウォーグの体に隠され、僅かに艶やかな黒髪が見えるだけになった。
「……了解」
シウォーグの体勢から、何をしたいかを察したのか、マオは無愛想に呟き、仲睦まじい恋人達のような二人から離れて待機する。
マオの待機している場所から、少し先は曲がり角になっており、そちらから声は近付いてくる。この通路は脇道や、途中に隠れる場所はなく、会いたくなければ引き返すしかないが、明らかに間に合うタイミングではない。
ユナフォードの影であるマオは、星の立場をしっかりと理解し、主であるユナフォードが何を望んでいるかを考え、シウォーグの指示に従った。
「うふふ、皆様、愛し子様にお会い出来て、感動してましたわ」
「私、祈るとかよく分からないんですが、上手く出来てましたか?」
「ええ! もちろんですわ」
「良かったです。これからも、頑張ります」
聞こえてきた会話で、マオは女性達の正体に気付き、珍しくため息を吐く。
曲がり角から、二人の女性と、一人の騎士が現れる。
一人は『世界の愛し子』の詩織、もう一人はその侍女であるレベッカ。騎士は、クロトではなく、何処と無くチャラい印象のある青年だ。
三人は同時にマオに気付き、三人三様な反応をする。
詩織は、初対面の青年の姿に首を傾げるが、面食い疑惑のある詩織らしく、整った顔立ちの青年に興味津々だ。
チャラい騎士は、へぇ、と短く声を洩らし、物珍しげに青年を眺める。
レベッカは、一番顕著な反応を示す。嫌な物を見たとばかりに顔をしかめる。
「あの、貴方は?」
「駄目ですわ! こんな汚れた者と話しては、愛し子様が、汚れますわ!」
マオに話し掛けようとする詩織を、レベッカは険しい顔で止め、詩織を守るようにマオとの間に割って入る。
「あー、影だよな? あんた。こんな所で、何を?」
「……見張りを」
嫌悪感も露わなレベッカにマオと会話する気はなく、仕方がないとばかりに問い掛けてきたチャラい騎士に、簡潔に答えたマオは、無表情のまま、意味ありげな視線を、背後の柱の陰にチラリと投げる。
それを追った騎士は、楽しげにニヤニヤとした笑顔になる。
「へぇ、珍しいな。お盛んな事で」
「どういう意味ですの? わたくしにも、分かるように……」
食って掛かってきたレベッカに、騎士はニヤニヤとした笑みのまま無言で、柱の陰から覗く、逞しい背中を示す。
「まあ!」
「……シウォーグ、様?」
驚いて言葉を無くすレベッカ。詩織は、見覚えのある背中に、思わず相手の名前を呼ぶ。
そこで、さも今気づきましたとばかりに、シウォーグが腕の中に誰かを囲ったまま、顔だけを向け、色気の滲んだ顔でニヤリと笑う。
「無粋だな。……さっさと、行け。それとも、他人の情事を見るのが趣味か?」
明らかな嘲りを含んだ声音に、詩織とレベッカの頬が血の色に染まる。
こんな所でイチャついてるのが悪い、という当たり前な突っ込みも出来ず、
「ごめんなさい!」
「お邪魔しましたわ!」
と、勢い良く謝罪し、真っ赤になった二人は早足でその場から遠ざかる。
「ごゆっくり」
一人だけ余裕で返した騎士は、焦る事なく早足の二人を追って、ゆったりと歩いていった。
「行ったようだな」
三人分の足音が遠ざり、横目で姿も見えない事を確認したシウォーグは、腕の中に囲っていた星を解放する。
「助けてくれて、ありがとうございます」
声だけしか聞こえなかったが、聞き覚えのある少女の声を聞き、星は目の前の青年が、自分を助けるために来てくれた事を理解していた。
伏せ目がちになりながらも、きちんと礼を言われ、シウォーグはバツが悪そうに頬を掻く。
「いや、おれの方こそ、すまなかった」
壁際で置物のフリをしていた狼を呼び寄せ、お利口さん、と誉めていた星は、シウォーグの言葉の意味が分からず、キョトンとした表情で首を傾げる。
「おれの事が、分からないのか?」
真剣な表情で問われ、星は黒目がちの瞳をゆっくりと瞬かせ、おずおずとシウォーグの顔を見上げる。励ますように、ラビが星の足をぽふぽふ叩いている。
金茶の髪の、精悍な顔つき。鋭いが、綺麗な色の青の瞳。何処か既視感を覚え、星はその感覚を辿る。
「…………あ、デンカさんの、弟さん、とか」
「誰だよ、それは……」
予想外の答えに、ガクッと転けそうになったシウォーグに、気配なく背後に立ったマオがポツリと口を開いた。
「……合ってます。デンカさんは、ユナフォード様です」
「マオさんがいっぱい喋った!」
「驚く所はそこなのか? つーか、何で兄上を妙な名前で読んでるんだよ」
見た目に反して真面目なシウォーグは、律儀に返し、胡乱げな眼差しを星に向ける。
「ノウルが、そう呼んでたから?」
「いやいや、それは、殿下だろ?」
「合ってるよね?」
会話が噛み合わず、星は助けを求めるように、気配なく佇むマオにチラリと視線を向ける。
「……とりあえず、落ち着くべき、かと」
もっともな意見を無表情のまま、ポツリと呟くマオに、星とシウォーグは、顔を見合わせる。
「そう、だな。おれは、シウォーグ。お前が、デンカさんと呼ぶ、ユナフォードの弟だ。……おれは『世界の愛し子』を召喚する場にいた」
冷静になり、ガシ、と頭を掻いたシウォーグは、改めて星と向き直り、痛みを堪えるような顔で自己紹介をする。
「……あ、きらきらしてた人」
綺麗な泉の傍。チラリと窺った視界の中で、きらきらと輝いていた髪を思い出し、星は納得とばかりに頷く。
「あの、私は、星です。星・柊。巻き込まれです」
今更ながら、ペコリと頭を下げて自己紹介した星に、シウォーグは複雑そうな表情を浮かべる。
「――本当に、女なんだな。悪かった、あの時は、男だと思ってた。言い訳でしかないが」
「まあ、詩織さんと違って、色気がない私も、悪かった、です。あと、無事でしたし、アラン君のおかげで、そんなに、恨んでませんから」
シウォーグの懺悔に、星は少しだけ、はにかんだ笑みを浮かべ、ポツポツと答えながら、ゆっくりと首を横に振って見せる。
「……確かに、愛し子程、色気はないな」
シウォーグは、星の言葉を確認するように、星を頭から爪先までしっかりと見つめ、真面目な顔でポツリと呟く。
「納得されると、ちょっと複雑……」
うぅ、と呻くと、荷物で自らの胸元を隠し、星はシウォーグから視線を外す。
「兄上から訊いたが、ノウルの所へ行くんだろう? 俺も一緒に行くからな」
「決定事項?」
「……では」
「マオさんは、そのまま行きますか」
シウォーグは星の答えを聞かずに同行を宣言し、マオは去るのかと思わせつつ、先程と同じように星の手を握って歩き出す。
我が道を行く二人に連れられ歩いていく星と離れないよう、ラビを乗せた狼が続いていく。
「そう言えば、さっきの、金髪くるくるな子、マオさんが汚れてるって言ってたけど……」
マオのひんやりとした手を握りながら、星は誰にともなく、ポツリと呟く。その口調は、かなり不服そうだ。
「金髪くるくる? あー、レベッカだな。あれは、貴族の娘の典型だ。獣人嫌いで、恩恵に預かる癖に影の存在を嫌がる。で、『世界の愛し子』を崇拝してる」
星の例えに、シウォーグは、ふん、鼻で笑うと、レベッカの言葉を振り払うように、ひらひら、と手を振る。
「……事実」
言われた本人は、気にした風もなく、無表情で頷く。
「事実だけど、マオさんが汚れてるなら、それは、誰かが被るべき泥を被ったから。あえて、汚れ役をしたから」
星は一人言のように、さらに言葉を紡いでいく。
「それを知ろうともしない人が、一方的汚れてるって言うのが、私は、個人的に嫌」
マオは無表情のまま、不思議な物を見るように、チラと星を振り返り、シウォーグは面白そうに目を細めている。
「まあ、考え方も感じ方も、人それぞれだから、押しつける気はないけど」
あそこまであからさまなのは正直ムカつく、と唇を尖らせた星に、堪えきれなくなったのか、シウォーグが、はは、と声を上げて笑う。
「本当に、人見知りなだけで、意外に強気なんだな、セイ」
「……同意」
マオも、星をチラ見しながら、小さく頷いている。
「そう、かな? 私は、ただ自分で見た物を信じたいだけ、だよ? レベッカさん、本人に言う度胸は、あんまりないし」
小首を傾げた星は、僅かに微笑んで、自らの手を掴んでいるマオの手を見つめ、確かめるようにギュッと力を込める。
「セイの目から見た、こいつはどうだ?」
繋がれたままの手を見下ろし、ニヤリと笑いながら訊ねるシウォーグ。
マオも、無表情ながら、どこかそわそわと星の答えを待っている。
二人分の期待に満ちた眼差しに、星はコテンと首を傾げて出した答えは。
「――意外とお茶目な黒猫さん?」
「あ?」
「……え?」
予想外だったらしい。




