巻き込まれ少女、出会う。序章 はじめまして 2
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数時間経ち、朝日が部屋に射し込み、体内時計バッチリな星は、ゆるゆると目を開けて体を起こし、自分の前に広がった光景に、寝惚け眼で首を捻る。
「……どちらさま?」
星の声に、一晩中侵入者を睨み続けていた二匹が、弾かれたように振り返る。
もちろん、星が誰何の声をかけたのは目の前の二匹ではなく、その向こうで椅子に腰掛けて眠っている、金髪の麗人だ。
「どろぼう……?」
どうする? と言いたげな二匹の視線を受け、震える声で呟いた星は、音を立てないよう、そろそろと、ベッドの上を這うように動き出す。
そんな星の苦労を嘲笑うかのように、椅子に腰掛けていた青年が、緩慢な動作で目を開ける。
「ん……? 朝、か」
ベッド上の星の瞳と、欠伸混じりで呟いた青年の真っ青な瞳がバッチリと合い、部屋の空気が凍る。
先に動いたのは星だ。唇を戦慄かせ、息を吸い込む。
「いやいや、ちょっと待ってくれないか?」
一瞬遅れて正気に戻った青年は、椅子から腰を浮かせ、引きつった笑顔で星を落ち着かせようとする。
「来ないで!」
怯えきった星には、逆効果だったようだ。
ベッドに座り込んで半泣きになった星は、青年を睨んだまま、後ろ手で武器になる物を探す。
最初、手探りで触れたのは、書斎から持ち出した分厚い本。星は、即座に手を離し、次の武器を探す。本好きには、本を投げる事が出来なかったらしい。
次に星の手に触れたのは、ふかふかした枕だ。今度は、躊躇わず、枕を掴んで、身構える。
持っている武器はともかく無駄に気合が入った視線と、殺意のある二匹の視線を受け、青年は降参とばかりに両手を挙げる。
「ほら、私は丸腰だ。何もしないから、話を聞いてくれ」
じとーっ、と音がしそうな三対の目に晒され、青年は苦笑して、自らの耳に触れる。そこには、青い色をした石が付いたイヤリングが輝いている。
「何なら、ノウルを呼ぼう。私は、ノウルの友人なんだ」
ノウルの名前を聞いた瞬間、星の我慢の糸が切れたのか、手から枕が落ち、黒目がちの大きな瞳に水の膜が張る。
青年の言葉で、獅子はやっと青年を思い出したらしく、殺意は消えたが、代わりに、泣かせたな、と今度は敵意に満ちた視線を向ける。
殺意が抑えられなかったのは、ラビだ。獅子の制止を振り切り、青年の脛に鋭い蹴りを喰らわし、その勢いのまま、今にも泣き出しそうな星の元へと跳ね戻る。
「っ……!」
言葉もなく蹴られた脛を押さえる青年に、ラビは可愛らしい顔には不似合いな、ざまぁ、という表情を浮かべるが、星に擦り寄った瞬間、その顔は愛らしい水晶ウサギ、そのものへと変わっていた。
「確かに、これは痛いな。ノウルの言っていた通り……」
「俺が、どうした?」
感心したように呟いた青年の語尾に被せるように、入り口の方から冷気を纏った声が響く。そこにいたのは、イケメン魔術師こと、この屋敷の主である、ノウル、その人だった。
あちゃー、と天を仰いだ青年に、チラ、と冷ややかな視線を向けてから、ノウルは真っ直ぐにベッドへ向かった。
空気の読めるラビは、常ならノウルに一蹴り入れるところを我慢し、場所を譲る。
「セイ、大丈夫だったか? 俺が来たから、もう大丈夫だぞ?」
私は君の友人なんだが、という弱々しい突っ込みをスルーし、ノウルはベッドに膝で乗り上げ、腕を広げる。
「のーる、おかえり……」
混乱しきった頭で、挨拶だけは反射的に出たらしく、辿々しく言いながら、星は倒れ込むようにノウルの胸に飛び込む。
「ただいま、セイ。……怖かったな、すまない」
震えている小さな体に、ノウルは痛みを堪えるような表情で、ギュッと抱き締める。
ノウルの匂いに安心したのか、星はノウルの上着を掴んで顔を埋めると、時々しゃくり上げ、肩を揺らしている。
ラビは背後から星に寄り添うと、泣かないで、とばかりに、ポンポンとふわふわな前足で星の背中を叩く。
「で、貴方はここで、一体何を?」
美形が怒ると怖い、の通説通り、ノウルは歴戦の騎士でも逃げ出しそうな顔で、手持ち無沙汰な様子の青年を振り返る。
「ユナフォード様?」
星の髪を愛しげに撫でながら、冷えきった視線を向けてくる器用なノウルに、ユナフォードと呼ばれた青年は、再び降参と両手を挙げる。
「久々にノウルと飲みたくて来たんだよ。君が、泊まり番なのを忘れてたんだ、わざとじゃない」
「……セイの部屋にいたのは?」
やっと涙が止まり、星は安心しきった表情で、ノウルの顔を下から見つめていたが、自分の名前が聞こえ、上着を掴む手に力がこもる。
「明かりが点いていたから、気になってね。そうしたら、ノウルが話してた子がいるし、護衛してた子達に睨まれて動けなくなるし」
じっとしてたら寝てたよ、と悪びれた様子のないユナフォードに、ノウルは深々とため息を吐き、不思議そうに見上げてくる星の頬に触れる。
「あれが、前に俺が話した殿下だ。悪気はない方なんだ。許してくれるか?」
涙に濡れた星の頬を拭ってやりながら、ノウルは苦々しい表情で、苦笑を浮かべたユナフォードを指差して問いかける。
「……実害は無かったから、今回は許すけど。でも、次は許さないよ?」
冗談めかせ、そう言うと、星はスンと鼻を啜り、赤くなった目でユナフォードを軽く睨む。
「私も、もう蹴られたくはないから、寝室に忍び込んだりはしないよ」
星の可愛らしい威嚇にではなく、その背後から般若のような顔で睨んでいるラビと、未だに冷たい視線を向けてくるノウルに向けて言うと、ユナフォードは大きく体を伸ばす。その後、握り拳で、自らの腰をトントンと叩いている。
さすがに、一晩椅子で寝ていた為、体が固まったらしい。
金髪の麗人に似合わない、老人のような仕草に、ノウルの腕に抱かれて安心していた星の表情が、ふにゃ、と笑み崩れる。
「……笑った」
その顔を目撃したユナフォードは、惚けた顔でポツリと何かを言いかけるが、ラビの射殺しそうな視線に、口をつぐんで、何も言ってないよ、とアピールをしている。と、恐慌状態から完全に回復したらしい星が、ノウルと手を繋いで、ユナフォードに歩み寄る。
星は、僅かに怯えの残った様子でユナフォードを見ていたが、朝日を浴びて、キラキラと輝いているユナフォードの髪に、綺麗、と呟いて目を細めた。
「蜂蜜みたいで、美味しそう……」
は? と固まる大人二人を他所に、切り替えの早い星は、うっとりとユナフォードの髪を見つめ、何かを思い付いたのか、急に顔を輝かせる。
「今日のパンケーキ、甘いのでも良い?」
「あ、ああ、セイの好きにしてくれ」
くいくい、と繋いだ手を引いて問う星に、ノウルは蕩けるような笑みを浮かべて頷く。
「えぇと、デンカさんも、甘いの平気なんだよね?」
「私も、食べて良いのか?」
「んー、びっくりさせられたけど、デンカさんは、ノウルのお友達だから? ご飯は、みんなで食べた方が美味しいし」
誘ってもらえるとは思わず、驚いて自らを指差したユナフォードに、星は黒目がちの瞳を向けて、コクリと頷いて見せる。
その星の瞳に、嘘の色はない。嘘の色はないが、泣いたせいで、水分が残る長いまつ毛に気付いた瞬間、ユナフォードは何かを堪えるように、手で顔を覆う。
「……デンカさん?」
「大丈夫、自らの行いを、心の底から反省してるんだ」
そのまま、ふらふらと歩き出したユナフォードを、小首を傾げて見送った星だったが、ノウルの友人なんだから迷わないか、と納得し、何故か拗ねた表情をしたノウルを連れてキッチンへ向かう。その後ろを獅子と、その獅子に跨がったラビが悠然とついていく。
「生クリームに、アイスを乗っけて、今日は蜂蜜も大サービス〜」
泣いたせいで、僅かに掠れた声で、適当な鼻歌を歌いながら、綺麗に焼き上がったパンケーキに、星がトッピングをしていく。
「卵は、ふわふわのチーズオムレツ、手作りケチャップ添えで。サラダは、マヨネーズで、ささっと、和えて〜」
ふんふん、と楽しげに歌いながら、星の手は三人分の朝食と、二匹分の食餌を手早く仕上げていく。
星が出来上がった品をお盆に乗せ、足元のラビに摘まみ食いをさせていると、獅子に呼ばれたノウルと、獅子に急き立てられるようにしてユナフォードがキッチンへ姿を現した。
「ノウル、デンカさん、運ぶの手伝って?」
タイミングバッチリな獅子の頭を撫でて誉めてから、星は、獅子が連れてきた二人に、それぞれお盆を持たせる。
星の手にも、人数分のミルクティー風に入れた、見た目緑茶、味が紅茶なお茶が入ったカップが並んだお盆がある。
「……まあ、自分で食う分ぐらい、運ばないとな」
固まっているユナフォードに向かい、ニヤリと笑って見せたノウルは、自分が持たされたお盆を手に、先に行った星を追う。
「これが、パンケーキ、か? あー、蜂蜜はこれに使ったんだな」
くん、と鼻を動かし、特徴のある甘い香りに、ユナフォードは青の瞳を細め、慎重な足取りで歩き出す。
ユナフォードは、普段座れば食事が出て来る生活なので、自らの食べる分とはいえ、新鮮な気分で運んでいたが、ふと視界に入ってくる金髪に、頬を染めて視線をさ迷わせる。
「蜂蜜みたい、か」
思い出したのは、真夜中に見た、何の気負いもない無垢な表情を浮かべた少女の姿だ。
「後で、もう一度、きちんと謝るべきだな」
一人頷いたユナフォードだったが――。
「美味い……」
初めて食べた星の食事に胃袋をガッツリ掴まれ、謝るどころか、自分の名前の訂正すら出来ずに帰る事になった。
第2部スタートです。
どれぐらいになるか分かりませんが、よろしくお願いします。
登場人物紹介入れようか、まだ悩んでます。