巻き込まれ少女の異世界生活 幕間 『世界の愛し子』1
終章に向けて、ちょっと書きたかった事を。詩織さんの扱いが、まあ、な感じですが、仕様です。
少しでも読みやすいよう分割してあります。病んでるように見える方がいますが、病んでる訳ではない、筈です。
幕間,『世界の愛し子』
『世界の愛し子』とは。
世界に愛され、選ばれてこの世界に喚ばれた者。
その感情は、時に天候にすら影響したという。愛し子が怒れば、空も怒り、雷が地上に降り注ぎ、悲しめば、空も悲しんで雨を降らせた。
『世界の愛し子』が幸福を感じ、温かな気持ちで暮らせば、世界は穏やかで、人々の暮らしは平穏に包まれた。
『世界の愛し子』が祈り願えば、世界はその様に変遷していく。
『世界の愛し子』が、愛しく思い、祈りを向けた相手には、世界が加護を与え、その身を守ったという。――それでも、人は死んでしまう。
ある時、愛しい人を亡くしてしまった『世界の愛し子』がいた。嘆き哀しみ、世界を怨み、『世界の愛し子』が叫ぶと、世界は大いに荒れて、荒んでいった。それは、『世界の愛し子』が亡くなるまで、続いた。
そんな『世界の愛し子』と共にあるのが、国を守る聖なる獣である。
長命な聖獣は、『世界の愛し子』の良き友とし、長き時間を共にする。
『世界の愛し子』は――。
「愛し子様、そろそろでございます」
侍女のサマンサからそう恭しく声をかけられ、ソファに腰かけていた詩織は、膝の上で開いていた本を閉じ、緊張した面持ちで頷く。本は異世界の文字で書かれていたが、詩織は問題無く読む事が出来ていた。
「……たくさん、いらっしゃるみたいですね」
控えの間の中にいても聞こえる歓声に、詩織は胸に手を宛てて、深呼吸を繰り返す。
これから、彼女は『世界の愛し子』として、広場に集まった民衆に、バルコニーから顔見せをするのだ。
昨日の今日だというのに、街の外からも民衆は集まり、広場に入りきれず、溢れていた。
先程、星とシェーナが巻き込まれたのは、そこへ向かおうとする人間の流れだった。
「皆様、愛し子様にお会い出来るのを楽しみにしてるんですわ」
そう我が事のように喜色満面で言うのは、レベッカだ。
「そうですよ!」
拳を握り、レベッカに激しく同意するのは、犬の獣人のティナ。その脇で、無言で頷くのは、ピアだ。
この四人が、詩織専従の侍女だった。
「そうよね、私、頑張ります」
励まされ、詩織はぎこちないながらも微笑んで頷き、膝上の本を撫でる。
「そろそろ、迎えが来る頃だと……」
そうサマンサが言いかけると、タイミング良く扉がノックされ、一番近くにいたピアが応対する。
扉の向こうから応えた声に、詩織以外の四人は意外そうな表情で視線を交わし合う。
四人の反応が理解出来ず、詩織はソファに座ったまま、首を傾げている。と、ゆっくりと扉が開き、現れた人物を見た瞬間、詩織は息をする事を忘れる。
そこにいたのは、澄んだ紫色の瞳を持ち、美しい銀の髪を緩く編んで背中に垂らした、長身の美丈夫。正装姿が嫌味な程に似合っている。
「『世界の愛し子』の準備は出来たか?」
問い掛ける青年の声は不機嫌そうだが、その声の美しさを損なう事はない。
見た目も綺麗なら、声も綺麗。そう青年を評したのは星だったが、詩織も全く同じ事を思っていた。
青年――ノウルは、不機嫌さを隠さないまま、グルリと部屋を見渡し、何故かピアで視線を留める。
実はノウルは『世界の愛し子』の見た目を全く知らなかった。知っているのは、星からの情報のみ。星より背が高く、星より肉付きが良く、他人は星より美人だと言う、等々、全て星を基準にしていた。
それに照らし合わせた結果、目を止めたのがピアだ。ノウルの中で、日本人の髪色に関する情報は無かったので、単純に見た目の年齢と、顔で決めていた。そこで、服装を見て判断しない辺り、ノウルの興味の無さが垣間見える。
服装を見れば、ドレスの詩織と、使用人の制服を着た四人で、見分けは簡単な筈だ。
「準備が出来てるなら行くぞ」
そんな簡単な見分けすら間違う程に、ノウルはやる気が無かった。
「私は侍女です。愛し子様は、あちらです」
ピアの方も動じる事無く冷静に詩織を示し、ノウルに向けて頭を下げる。
ピアに続くように、他の三人も深々と頭を下げ、ノウルの前に道を開ける。が、ノウルはそれを無視するように、入り口から動こうとしない。
「俺は、バルコニーまでの護衛だ」
言外にエスコートはしない、と告げたノウルは、冷たい表情でチラリと詩織を見やってから、緩慢な動作で背を向ける。
全身で興味が無いと訴えるノウルに、その美貌に見惚れていた詩織の表情が、クシャリと歪む。
すぐにその表情を、穏やかな柔らかい微笑みへ戻した詩織は、膝上の本をテーブルに置いて、立ち上がる。
「さあ行きましょう? 早くしないと、挨拶忘れちゃいそうですから」
気まずい空気を追い払うよう、わざとらしく明るく振る舞う詩織に、侍女達もピア以外、笑顔を作り、それぞれ動き出す。
結局、一人で立ち上がった詩織は、気品溢れる歩き方で、ノウルの傍へ寄ると、優雅な礼を披露する。
「初めまして、今日はよろしくお願いいたします」
美少女からの完璧ともいえる笑顔付きの挨拶に、普通の感性を持つ人間なら大なり小なり心動かされただろう。
しかし、ここに心動かされない人間が一人。
「……行くぞ、ついて来い」
そう告げるノウルは、眉一つ動かさず、詩織をチラリと視界に入れると、そのまま歩き出す。
「はい!」
ビシッと返事をした詩織は、かろうじて、歩く速度だけは気を使っているらしいノウルの背中を追う。
侍女達も遅れず、しっかり詩織に付き従って歩いている。
「ねぇ、サマンサ。あの、男の人って……」
バルコニーまでの道すがら、詩織は傍らを歩くサマンサに問い掛ける。
「あの方は、ノウル・ティーラ様でございます。この国の魔術師の筆頭でいらっしゃいます」
「ノウル、様……」
うっとりした表情でノウルの名前を呟いた詩織は、誰にも気付かれないよう、口元を歪めた。
●
バルコニーの前で待ち構えていたのは、第二王子のシウォーグだ。
「さあ、出番だ。お前は、挨拶をして、後は笑っていろ」
ニヤリと笑って告げたシウォーグは、詩織の手を取り、バルコニーへと躊躇い無く足を進める。
詩織がバルコニーから見えた瞬間、広場に集まった民衆からは、悲鳴に近い歓声が上がる。
「『世界の愛し子』万歳!」
「愛し子様! ご加護を!」
「愛し子様ー! お美しいです!」
一途に向けられる声に、緊張を忘れた詩織は頬を染めて、柔らかい笑みを浮かべる。
シウォーグは、手を離し、詩織だけを一歩前に進ませる。
そこには、国王夫妻が立ち、詩織――『世界の愛し子』を待っていた。
護衛と飾り用であるノウルは、バルコニーの端に目立たないよう控えているが、元々人目を惹くので、控えている感は少ない。
それはさておき、国王夫妻に挟まれバルコニーに立った詩織は、シウォーグに言われた通り、微笑みを浮かべ、広場を見下ろしている。
「――こちらが、今代の『世界の愛し子』だ。皆の者、良く見知っておいてくれ」
そう良く通る声で訴える、茶色の髪に青色の瞳の、柔和な中年男性が、この国の王で。
「『世界の愛し子』は世界からの預かり者です。どうか慈しみ、敬い、共に生きましょう」
柔らかくたおやかな声で宣言するのは、銀色の美しい髪を持つ長身の美女。彼女が、この国の正妃だ。
国王夫妻の挨拶が終わり、詩織は集まった民衆に向け、スカートの端を持ち上げ、貴婦人の礼を披露する。
再び、悲鳴のような歓声が上がり、鎮まるのを待って、詩織はゆっくりと口を開く。
「世界に招かれ、この世界に参りました。私が、今代の『世界の愛し子』でございます。至らぬ身ですが、この国、ひいてはこの世界の為、生きていけたらと思います。よろしくお願いいたします」
早口にならないよう、ゆっくりと。詩織は、それだけを意識して、叩き込まれた挨拶を披露する。口元は、自然と微笑んでいた。
三度起こる歓声。これで、『世界の愛し子』のお披露目は終わり、国王の一言で詩織も奥へと戻る筈だった。
そこに、新たな人影が現れるまでは……。
「すまないな、もう少しだけ、話を聞いてもらえるかな?」
その人物を見た瞬間、詩織は本日二回目の、息をするのを忘れる、という状態に陥る。それでも、何とか笑顔は消えていない。
輝くような金色の髪と、澄んだ青の瞳を持つ、美し過ぎる青年の登場に、広場に集まった民衆は、詩織が登場した時と同じぐらいの歓声を上げる。
「ふふ、ありがとう。……父上、シウォーグ、場を借ります」
手を振って民衆に応え、青年は驚いている国王とシウォーグに小声で謝罪する。
「兄上?」「ユナフォード?」
国王とシウォーグから同時に呼ばれ、青年――第一王子ユナフォードは、悪戯っぽく笑いながら、バルコニーの端まで歩く。
「『世界の愛し子』が現れたのは、知っての通りだが、今回も、巻き込まれがいる!」
初耳だったのか、国王夫妻の視線は、シウォーグに向かう。
思い当たる節があるシウォーグは、バツが悪いのか、二人の視線から逃れるように、顔を背けている。
その間にも、ユナフォードは、話を続ける。
「ただ、今回の巻き込まれは、『世界の愛し子』と何の関係もない、赤の他人だ。巻き込まれた人物に接触しても、『世界の愛し子』に繋ぎになる事は有り得ない。本人も『世界の愛し子』と関わりになるつもりはないそうだ。皆もそのように対応してやってくれないか?」
この通りだ、と頭を下げたユナフォードに、集まった民衆から悲鳴が上がる。
「ユナフォード様!? お止めください!」
控えていた従者が、泣きそうな表情でユナフォードを止めるのを呆然と見つめ、シウォーグは魂が抜けたような表情を浮かべていた。
「兄上、何で、兄上がそこまで……」
「色々あるんだ。……父上、後は頼みました」
今にも泣きそうな従者を連れたユナフォードは、魂が抜けそうな表情の弟に気付き、呆れたように嘆息し、そちらも一緒に回収する。
「愛し子、貴女もなるべく巻き込まれに関わらないで欲しい。保護した相手が、過保護なんだ」
困惑しながらも、笑顔を浮かべ続けている詩織に向け、完璧な笑顔を浮かべて言葉をかけたユナフォードは、従者と弟を連れてバルコニーから姿を消す。
すれ違う瞬間、ユナフォードから意味ありげな視線を向けられ、ノウルは僅かに口の端を上げて返す。
星といる時は、蕩けるような笑みを大盤振る舞いしていたノウルだが、実はノウルの笑顔はかなり貴重だった。今も、笑った? ぐらいの笑顔で、何人もの女性のため息を誘っている。
詩織も、その一人だった。だが、彼女は立場上、ため息を吐く事も、あまり余所見をする事も出来ず、ユナフォードが引き起こした事態を治める王の横で、柔らかく微笑み続けていた。