巻き込まれ少女、暗躍す。6,暗雲からの波乱
いつもより、少し長めです。
誤字、脱字ありましたら、ご指摘いただけると嬉しいです。
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6,暗雲からの波乱
「あら、甘くて良い匂いですわね」
身支度を整え、客であるジュラルドの元へとやって来たアンナは、部屋へ漂う匂いに、色っぽい仕草で首を傾げて見せる。
「ん、食べるかい?」
ベッドへ寝転がり、行儀悪くドーナツを食べていたジュラルドは、悪戯っぽく笑いながら、ドーナツの皿を差し出す。
「……この揚げ菓子」
特徴的な丸く穴の開いた揚げ菓子を確認した瞬間、アンナの表情が明らかに強張る。
その動揺を一瞬で艶めいた笑みで隠し、アンナはジュラルドへ甘えるようにしなだれかかる。
「いただきますわ」
うふふ、と笑いながら、アンナは遠慮無くドーナツを摘み、口紅の塗られた唇でドーナツを招き入れる。
「まあ、美味しいですわね。これは、何処で?」
「白々しいね。これは、君達が楽しみにしていたんだろ?」
「……まさか、奥へ行かれたのですか?」
「特に止められてはいないからね。ちょうど、一仕事終えた黒髪の子が、これを揚げてたよ」
狐と狸の化かし合い。まさに、そんな雰囲気で話しながら、ジュラルドが摘まみ上げるのは、先程から話題に上がるドーナツだ。
「揚げ終わったら、部屋へ来てくれるって」
「……え?」
ジュラルドの言葉の意味が分からず、アンナは思わず素で返してしまう。
「あの子が、そう言いましたの?」
「うん。あ、大丈夫、ちゃんと君の相手もするからね」
不安そうなアンナに、ジュラルドは無邪気に笑いながら言い、アンナの体へ手を這わせていく。
アンナの不安を勘違いしたらしい。
そこへ――。
コンコン、と軽いノックの音が響く。
「もう来たみたいだね」
「……っ」
息を止めるアンナを他所に、ジュラルドは無邪気にドアへ向かって、どうぞ、と声をかける。
躊躇なく部屋へと入って来たのは、一人の女性。その髪は、確かに緩く波打つ黒色だ。
「ご指名ありがとうございます。サーシャです」
「もう、サーシャ、驚かせないで……」
その姿を見た瞬間、アンナは一瞬表情に困惑を滲ませるが、すぐにおっとりと笑い、軽く責めるように入って来た相手へ訴える。
「え? 何であたしが来たら驚くんですか、酷いなあ」
サーシャと名乗った女性は、アンナからの扱いに、拗ねたように唇を尖らせながらも、ベッドへと近づいていく。
その足が唐突に止まる。ジュラルドからの、あまりに冷めた視線で。
「ねぇ、僕は君を呼んではいないけど……?」
「え、あの、黒髪の娼婦をご所望だと言われて、来たんですが……」
あれぇ? と馬鹿っぽく小首を傾げたサーシャは、窺うような視線をジュラルドへ向ける。
「僕が声をかけたのは、別の子だよ」
「ですが、うちの娼婦で黒髪なのは、あたしだけですけど……」
埒があかないやり取りに、ジュラルドは笑みを消して、不機嫌そうに髪を掻き乱す。
「……多分、ジュラルド様がお声をかけたのは、手伝いに来ている子ですわ。あの子は、娼婦ではありませんし、自分がそういう目で見られている事を知らない子ですから、何か勘違いをしてしまったんですわ。どうか、お許しを……」
「あ、そういう事……。あたしからも、お願いします! アンナと二人でサービスしますから」
おっとりとしたアンナ。
ハキハキとしたサーシャ。
好対照な二人は、口々にそう言うと、両側からジュラルドの腕を取る。
「そこまでして、どうして手伝い程度の少女を庇うんだい?」
「あの子が、貴族の方からの預かり者だからですわ」
「そうそう。行儀見習いしたいからって、無理矢理連れて来られたの」
不審げなジュラルドへ、アンナとサーシャは、用意していた言い訳を淀み無く口にする。
この言い訳は、全ての娼婦、雑用係の少年にまで浸透し、口裏を合わせてある。
対ジュラルド用言い訳だが、ちょろちょろしている星を見かけたお客様から問われた時にも、この言い訳は使われていた。
全てが嘘ではなく、少しの真実が含まれたそれは、信憑性が高く、さすがのジュラルドも納得してしまう。
「……ああ、そういう事か。てっきり、魔性の子なのかと思ったよ。幼い外見で男を惑わし、無垢なフリをした」
「まあ、そんな訳はないですわ」
「そうそう。本当に、あの子は幼いの」
バツが悪そうなジュラルドに、アンナとサーシャは、ころころと楽しげな笑い声で合いの手を入れる。
百戦錬磨な娼婦らしく、二人はジュラルドに気付かれないよう視線を交わし合うと、両側からジュラルドへ艶やかな笑みで迫った。
「せっかくいらしたのに、あたくし達の相手をしてくださらないのかしら」
「そうですよ。あたし達二人が揃うなんて、贅沢なんですよ?」
ジュラルドの興味を、星から自分達へと移す為、アンナとサーシャは、まさに体を張って行動へ移す。
「へぇ、それは楽しみだよ」
そう呟き、最後のドーナツを口へと放り込んだジュラルドは、色気の溢れる笑みを浮かべると、意識を自らの両側の娼婦達へ移し、その頬へ甘ったるい口付けを贈った。
「まあ……、あの子ったら、そんな事を?」
数時間後、全裸のジュラルドを真ん中にしてベッドへ腰掛け、その話を聞いたアンナは、口元を手で覆い、驚きを隠さず呟く。
「うん。けど、君達の話を聞く限り、あの子は、部屋の掃除でも頼まれたと思ったんだろうね」
「多分、間違いないですよ。あの子、自分が性の対象になるっていう意識がゼロで、困っちゃいますよ。この間だって……」
「サーシャ、駄目ですわ」
最低限の下着だけ身に纏った姿で、腰に手を宛てて憤慨するサーシャだったが、その言葉をジュラルドを挟んだ反対側からアンナが静かに遮る。
「あ、ごめんなさい!」
失言を謝罪して、てへっと笑ったサーシャは、時計を見ると、慌てた様子で脱いだままだったドレスをそそくさと着込み始める。
「あたし、次のお客様がお待ちだから、行かないと……っ」
開けっ広げな台詞を口にし、サーシャはジュラルドへペコリと頭を下げる。
「構わないよ。僕の方こそ、人違いで呼びつけて悪かったね」
ジュラルドはそんなサーシャへ鷹揚に応じ、逆に何処かバツが悪そうな顔をすると、サーシャへ数枚の硬貨を握らせようとする。
「お詫びに、これで何か買うといい」
「え!? いただけませんって! ジュラルド様みたいな、イイ男に呼ばれるなら、大歓迎ですよ」
あはは、と笑って、やんわりとジュラルドの手を退けたサーシャは、未だにジュラルドへ腰を抱かれている同僚へと目配せし、バタバタと元気良く部屋を後にする。
「……あんな娼婦もいるんだね」
「ええ。騒がしいのはお嫌でしたかしら?」
感心した様子のジュラルドに、アンナは計算し尽くされた美しい所作で小首を傾げ、不安げを装って問いかける。しかし、それは明らかに、ジュラルドが不快に思っていない事を理解しての仕草だ。
「いや、たまにはいいかな。楽しかったよ」
実際、ジュラルドもくく、と喉を鳴らして笑い、不快ではない事を示す。
「それは、良かったですわ。でも、本当に、わたくしと彼女が揃うなんて、滅多に無いことですわ」
うふふ、と上機嫌なジュラルドへ笑顔で追随したアンナは、甘えるようにジュラルドの逞しい胸に寄りかかる。
「サーシャは、人気なのかな? その口ぶりだと……」
「ええ、人気ですわ。あたくしとサーシャを一緒に買ったら……騎士様でも、一ヶ月のお給料が飛ぶかもしれませんわ」
アンナは頬に手を宛て、可愛らしく首を傾げると、悪戯っぽく笑いながら、冗談めかせて答える。
「おや、大変だ。僕の財布も軽くなってしまうな」
芝居がかった大袈裟な仕草で驚いて見せたジュラルドは、ニコニコと笑いながら、先程サーシャへ渡そうとした硬貨を手の中で遊ばせている。
「まあ! それは困りますわ。ジュラルド様にお会い出来ないなんて、皆寂しがりますわ」
ジュラルドの言葉を聞いたアンナは、わざとらしく口元を手で覆いながら半音高い声を上げて驚いてから、発言通り寂しげな表情を浮かべてみせる。
「……君達と話してると、自分が好かれてると勘違いしそうだね」
アンナの自然な表情に、ジュラルドは苦笑しながら、自嘲気味に呟いて、戯れるようにアンナの髪を梳いている。
「あら、お疑いですの? 女性の扱いが上手い良い男を、嫌い理由なんて一つもありませんわ」
若干、金払いも良いですから、という副音声が聞こえるが、おっとりと微笑むアンナ。
「僕も、君達のそういう所は好きだよ。分かりやすくて……」
「うふふ、ありがとうございます」
「んー、体動かしたら、またお腹空いちゃったな」
「すぐ何かご用意させますわ」
鍛えあげられた腹筋を撫でて空腹を訴えるジュラルドに、先程までの気だるそうな雰囲気が嘘だったようにキビキビと動き出す。
そのまま、ジュラルドが止める間もなく、さっさと身支度を済ませたアンナは、部屋を出ていってしまう。
「……さすが、体力あるね」
その背を見送ったジュラルドは、一人残された部屋の中、あはは、と声を上げて笑いながら、心底感心したように呟きを溢していた。
時間は少し戻り、一仕事終えたサーシャは、アンナを部屋に残して、一人廊下を歩いていた。
その表情は、先程までのちょっとお馬鹿な明るい娼婦、ではない。
周囲を睥睨する瞳は鋭く、先程の姿しか知らない人間が見たら、まるで別人だ。
ドレスの裾を颯爽と捌いてサーシャが向かうのは、娼婦達の控え室だ。
「入ります」
発する声も、表情と同じく硬質に変えたサーシャは、歩いてきた勢いのまま、控え室のドアを開けて中へ入る。
「サーシャ! 大丈夫? 怒鳴られたりしなかった?」
「アンナは? 大丈夫なの?」
「あ、セイちゃんは、保護してあるから、大丈夫よ!」
サーシャの姿を確認した娼婦達は、口々に言いながら、ソファから立ち上がってサーシャを囲む。
その足元では、ラビも一緒になり、何事かを訴えている。と言うか、怒っているらしい。
「あたしなら大丈夫です。アンナも、そんなヘマはしないです。……あの野郎、もし、セイちゃんがあのまま来たら、ナニする気だったんでしょうか」
冷ややかに吐き捨てるサーシャ。
こちらがサーシャの素なのか、他の娼婦達は全く動じていない。
「本当にセイちゃんを呼びつけてたのね!」
「何考えてるのかしら!」
「あの、もう一人の要注意人物と一緒に、出禁にしたいわ!」
それより、サーシャの言葉を聞き、柳眉を吊り上げ、部屋にいる全員が、「そうよ」と唱和して怒りを隠さない。
やはり、今度もラビも一緒に怒っている。その顔には、もう、可愛らしさの欠片もない。
「もう一人はともかく、ジュラルド様の方は、まだ何もしていないですから、無理でしょう」
冷静に答えるサーシャだが、体の脇で握られ、小さく震える拳は、その激情を示している。
「……とりあえず、これ以上、ジュラルド様がセイちゃんへ接触しないよう、全員総出で阻止しましょう。セイちゃん本人には、お客様と話さないよう、あたしが優しく言い聞かせますから」
サーシャの言葉に、娼婦達は大きく頷いて、全員が同意を示す。
「もう一人の方は、近々出禁にしてもらいます。……証拠は、ほぼ揃いましたから」
そう一人呟くサーシャは、美しく、毒のある微笑みを浮かべていた。
そんな話し合いがされている中、
「……サーシャさんが来るって話だったけど」
今は使われていない客室で、一人サーシャを待つ星の姿があった。
「ラビも連れてくれば良かった」
僅かに埃臭い薄暗い部屋の中で、星がポツリと呟く。
それが聞こえた訳ではないだろうが、ガチャリと何の前触れもなくドアが開く。
「あ、サーシャさん?」
パッと黒目がちの瞳を輝かせてドアを見やり、その名を口にした星だったが、徐々にその表情が困惑に染まる。
「……お客様?」
逆光の中、佇む見覚えのある姿に、星は不思議そうにポツリと洩らし、小首を傾げる。
そんな星に、逆光で表情を窺わせない相手は、ゆっくりと近寄っていく。
十分後、ラビを抱えたサーシャが、星を待たせている部屋を訪れるが、そこはすでにもぬけの殻。
「ここで待っていてと言った筈ですが……」
ため息を吐いて、サーシャが苛立たしげな言葉を洩らすが、その表情は仕方がない子、と言わんばかりだ。
と、不意に表情を強張らせたラビが、サーシャの腕から飛び降り、ソファの下へと潜り込む。
「ラビ?」
訝しむサーシャを無視し、プリプリとしたお尻を揺らしながらソファの下へ頭を突っ込んでいたラビは、すぐに何かをくわえ、戻って来る。
「掃除は行き届いてる筈ですけど……」
見落としですか、と苦みのある笑みを浮かべて呟くサーシャだったが、ラビが差し出した物を確認した瞬間、その表情が劇的に変わる。
「まさか、そんな……っ」
ラビがソファの下から引っ張り出したのは、ピンク色の花が付いた特徴的な髪飾り。
それは、この娼館の女主人であるアウラの愛用品で、今は星へと贈られ、その黒髪を飾っていた。
つまり、意味する事は……。
「セイちゃんが、拐われた?」
自らへ確認するように呟くサーシャの声が、静まり返った部屋へ虚しく落ちた。
ラビが心配そうに見やる窓の外では、夕闇が迫ろうとしていた。
波乱の中、次回へ続きます。