第六話 世界の裏側
影の中は、暗かった。
いや、暗いという表現すら正しくない。光も闇もない、概念そのものが存在しない空間。まるで、世界が生まれる前の虚無。呼吸をしているのか、心臓が動いているのか、それすらも分からない。自分という存在が、曖昧になっていく感覚。
「ここは……」
「影の狭間です」
グレンの声だけが、はっきりと聞こえる。
「世界と世界の間。観測されない者だけが通れる道。ここを通れば、距離も時間も関係ない。一瞬で、地球の裏側にだって行ける」
足元には、何もない。だが、歩ける。重力もない。だが、浮くこともない。上下左右の感覚すら、曖昧になっていく。まるで、水の中を歩いているような、いや、それとも違う。全てが、不確定。世界の法則が、通用しない。
『……お前……どこにいる……』
影から、シアの声。不安が滲んでいる。
「すぐそこだ。手を伸ばせば届く」
そう言って、自分の影に手を触れる。冷たい。いや、温かい。感覚が、混乱している。
『……そうか……この空間、距離の感覚が狂う……お前の声は聞こえるが、どこにいるのか分からない……』
「大丈夫だ。俺はここにいる。お前もここにいる」
『……ああ……』
シアの声が、少し落ち着く。
グレンは、こちらとシアのやり取りを聞いていた。
「配下との絆、強いですね。この空間で、配下と意思疎通できる主は少ない」
「絆……?」
「ええ。配下とは、主の意思に応えるもの。主の命令を実行し、主の望みを叶える。だが同時に――主もまた、配下の意思に応える。配下の不安を察し、配下の痛みを感じる。それが、真の絆です。一方通行では、成り立ちません。契約とは違う、もっと深い繋がり」
グレンの声に、哀しみが混じる。
「お前の配下は、どうだったんだ?」
「……素晴らしい方でした。強く、優しく、そして誰よりも勇敢だった」
沈黙。長い沈黙。
「だからこそ、その方が亡くなった今も、私はその意思を継いでいる。この庇護所を守り、新しい主を導く。それが、私に残された使命です」
それ以上は、聞けなかった。グレンの声に、深い哀しみがあったから。主を失った配下の、癒えない傷。
しばらく歩くと――歩いているという感覚すらないが――前方に光が見えた。いや、光ではない。それは空間の裂け目だった。虚無に開いた、出口。そこから、僅かに灰色の光が漏れている。
「着きましたよ」
グレンの手が、裂け目に触れる。すると、それがゆっくりと大きく開いた。まるで、カーテンを開けるように。いや、世界の境界を開いているような。
「こちらへ。足元に気をつけて。この先は、重力の向きが不安定です」
後に続いて、裂け目をくぐった。
その先には――想像を絶する光景が広がっていた。
「なんだ、ここ……」
広大な空間。いや、空間というより――世界そのもの。天井はない。壁もない。ただ、無限に続く灰色の大地。地平線まで、何もない。空は――空もない。ただ、灰色の霧のようなものが、漂っているだけ。太陽もない。月もない。星もない。光源が見当たらないのに、なぜか明るい。
そして、その中央に――巨大な建造物があった。
塔のような、神殿のような、城のような。人工物だが、どこか歪んでいる。直線のはずの柱が、僅かに曲がっている。水平のはずの床が、傾いている。まるで、世界の法則を無視して建てられたように。エッシャーの絵画のような、不可能な構造。見ているだけで、目が回る。脳が、理解を拒否する。
「ようこそ」
グレンの声に、誇りが混じる。
「世界の裏側へ」
「世界の裏側……」
言葉を反芻する。世界の、裏側。
「ええ。ここは、世界が観測を諦めた場所。観測の外側。法則の外側。契約システムが機能しない、唯一の領域です」
建造物を指差す。その指の先に、歪んだ塔。
「あそこが、"庇護所"です」
「庇護所?」
「観測されない者たちが集まる場所。契約に選ばれなかった者、世界に拒絶された者、契約に失敗して異形化しかけた者、契約を拒否して逃げてきた者。そして――配下を持つ者たちが、身を寄せる場所です。ここでなら、世界に見つからない。国家にも、ギルドにも、契約者たちにも」
こちらを見る。その目は、真剣だ。
「配下を持つ者は、世界中で恐らく二十人ほど。その半数が、ここにいます」
「そんなに少ないのか」
「配下を得ること自体、奇跡に近い。あなたのように、偶然配下を得た者。または――意図的に、配下を生み出した者」
歩き出す。灰色の大地を踏みしめる。固い。だが、土ではない。石でもない。金属でもない。何か、別の物質。この世界には存在しない、物質。
「意図的に……?」
「配下は、本来自然発生するものではありません。極めて稀な現象です。世界のバグ、エラー、矛盾。それが具現化したもの」
足音が、奇妙に響く。まるで、地面の下に巨大な空洞があるような。
「あなたの場合は、世界のエラーによって偶然生まれた。奇跡に近い。契約適性がないこと、ダンジョンブレイクに巻き込まれたこと、死の淵で世界に認識されなかったこと。全てが重なって、シアが生まれた。だが――配下を意図的に生み出す技術も、存在します。禁忌とされていますが」
「技術……どんな?」
「モンスターの核を使う方法。人間の魂を捻じ曲げる方法。契約の逆流を利用する方法。死者の魂を縛る方法。様々です。どれも、非人道的で、危険で、そして――効果は不安定です」
建造物に近づく。その巨大さに、圧倒される。近づけば近づくほど、その異常さが際立つ。
「庇護所には、その技術を持つ者もいる。気をつけてください。彼らは、あなたの配下を狙うかもしれません」
「狙う……?」
「自然発生型の配下は、極めて貴重です。研究対象として。配下がどう生まれるのか、どう機能するのか、どう制御するのか。それを知りたがる者は、多い。中には、配下を解体してまで研究しようとする者もいます」
ゾッとする。シアを、解体。
「そんなこと、させない」
「ええ。だから、気をつけてください。ここは安全ですが、完全ではない。庇護所の中にも、危険な者はいます」
建造物の前まで来ると、その異常さが実感できた。高さは、百メートルはあるだろう。いや、もっとあるかもしれない。遠近感が、狂っている。幅も、同じくらい。だが、窓はない。ドアもない。ただ、滑らかな壁が続いているだけ。壁の表面には、無数の文字が刻まれている。読めない文字。人間の言語ではない。もっと古い、原初の言語。
「どうやって入るんだ?」
「こうします」
壁に手を触れる。すると――壁の一部が、霧のように消えた。溶けたわけではない。蒸発したわけでもない。存在そのものが、消えた。
「入り口は、認識した者にのみ開く。観測されない者にのみ、見える。世界に認識されている者は、この壁を壁としか認識できない。だが、我々には――扉が見える」
中に入る。後を追った。
内部は――意外と普通だった。いや、一見普通に見えた。
廊下があり、部屋があり、照明がある。まるで、普通のビルのように。だが、よく見ると違う。廊下は、微妙に傾いている。部屋のドアは、全て同じ形だが、大きさが違う。照明の光は白くない。青白く、冷たい。そして、時折、明滅する。
歩いている人々は――普通ではなかった。
全身に刺青を入れた男。筋骨隆々とした体。だが、その刺青は動いている。蠢いている。まるで、生きているかのように。蛇のような刺青が、腕を這い上がる。
片目が光る女。もう片方の目は、普通の人間の目。だが、光る目からは、時折火花が散る。バチバチと音を立てて。その女は、壁に手をついて息をしている。苦しそうに。
影から触手を生やす子供。十歳くらいだろうか。その影からは、無数の黒い触手が伸びている。壁を這い、天井を這い、床を這う。まるで、影そのものが生きているかのように。
皆、何かしらの異常を抱えていた。契約の失敗か、異形化の途中か、あるいは――別の何か。世界に拒絶された者たち。観測から外れた者たち。
「ここにいる人々は、全員観測されていません」
グレンの声が、小さくなる。周囲に聞こえないように。
「契約適性がなかった者、契約に失敗した者、契約を拒否した者。契約の代償に耐えられず、異形化しかけた者。様々です。皆、行き場を失ってここに来た」
「彼らは……生きていけるのか?」
「ここでなら。外では、生きられない。観測されない者は、社会に参加できない。仕事もできない。食料も買えない。存在しないのと、同じです」
すれ違う人々の目を見た。皆、虚ろだった。希望がない。未来がない。ただ、生きているだけ。
「そして――配下を持つ者。彼らは、この庇護所でも特別な存在です」
ある部屋の前で、立ち止まる。ドアには、何も書かれていない。だが、他のドアとは違う。材質が違う。もっと、重厚な。
「配下を持つということは、世界の法則を踏み越えたということ。契約システムの外側に立ったということ。彼らは、希望です。世界を変えられるかもしれない、唯一の存在」
ドアをノックする。コンコン、と軽く。だが、その音は、妙に響く。
「リディア、いますか? 新しい方をお連れしました」
沈黙。長い沈黙。そして――
「……入れ」
低い女性の声。だが、力強い。威圧感がある。
ドアを開ける。
部屋の中には、一人の女性がいた。三十代後半くらいだろうか。長い黒髪を後ろで束ねている。鋭い目つき。傷だらけの腕。顔にも、一本の傷。首から肩にかけて、火傷の痕。戦士、だと直感する。それも、相当の戦場を潜り抜けてきた。
そして――その背後に、"何か"がいた。
人型。だが、全身が氷のように透明で、青白く光っている。まるで、氷の彫刻が動いているような。いや、氷ではない。もっと、別の何か。この世界には存在しない、物質。
「配下……?」
「ああ」
女性――リディアが、立ち上がる。椅子が、軋む。重い音。
「私の配下、セリス」
透明な人型が、僅かに頭を下げる。動きは、滑らか。だが、どこか機械的。感情が、感じられない。
「初めまして」
透き通った声。まるで、風鈴のような。クリスタルのような。だが、温度がない。感情がない。
「あなたが、新しい主ですか」
「主……俺が?」
「ええ」
リディアが、こちらを見る。その目は、値踏みするような。敵意はない。だが、警戒はある。
「グレンから聞いている。お前は、配下に名前をつけた。それも、世界の軋みに抗って。名前をつけるということは、配下に役割を与えるということ。世界が拒絶することを、強引に押し通したということ」
「はい……」
「そして、配下は一度消えたが、戻ってきた。今も、お前の影にいる。配下の再生。それは、主と配下の絆が強い証拠」
こちらの影を見る。鋭い視線。まるで、影の中を見透かすような。
「今も、そこにいるんだろう?」
『――――』
影が、僅かに蠢く。シアが、反応している。警戒している。
「出てこい。ここは安全だ。世界の観測は届かない。国家の監視もない。お前を傷つける者は、いない」
リディアの声には、命令口調ではない。だが、有無を言わせない何かがある。圧力。存在感。
『……本当に……?』
シアの声。まだ弱い。不安が滲んでいる。
「ああ。私が保証する。私の名において」
リディアの目が、真剣になる。
『……分かった……出る……』
影が大きく歪み、そこからシアが――這い出してきた。だが、完全な姿ではない。半透明で、輪郭が曖昧。まるで、幽霊のように。ホログラムのように。光が透けて見える。
「シア……」
『すまない……まだ、完全には……体が、安定しない……力も、戻っていない……』
シアの声には、悔しさがある。自分の弱さへの、苛立ち。
「いや、無理するな」
近づく。シアに手を伸ばす。触れられるか、不安だったが――手が、触れた。冷たい。まるで、氷に触れているような。だが、確かにそこにいる。存在している。
「ゆっくりでいい。焦らなくていい。お前が戻ってきてくれただけで、十分だ」
『……ああ……ありがとう……恒一……』
シアの声に、安堵が混じる。体が、僅かに濃くなる。感情が、存在を強化している。
リディアは、シアを見て頷く。満足そうに。
「なるほど。配下の再生途中か。存在が薄い。だが、消えてはいない。主との絆が、繋ぎ止めている」
「再生……できるんですか?」
「できる。配下は、主が生きている限り何度でも蘇る。それが、配下の特性だ。契約者が死ねば契約も消える。だが、配下は違う。主が生きていれば、配下は戻る」
セリスを見る。透明な配下。その体も、よく見ると完全ではない。所々、欠けている。ヒビが入っている。
「私のセリスも、三度死んだ。だが、三度とも戻ってきた。時間はかかったが。一度目は三日、二度目は一週間、三度目は一ヶ月」
「三度も……どんな戦いを……」
「一度目は、深層ダンジョンで核と戦った時。核に取り込まれ、内側から破壊された。二度目は、異形の群れに囲まれた時。私を逃がすために、囮になった。三度目は――」
リディアの目が、暗くなる。憎しみが、滲む。
「人間に、殺された」
「人間に……?」
「配下を持つ者は、恐れられる。時に、敵視される。契約システムの外側にいる者、世界の法則を踏み越えた者。そんな存在を、許せない者もいる」
リディアの声が、冷たくなる。氷のように。
「配下を研究したいという者もいる。配下を奪いたいという者もいる。そして――配下を、殺したいという者もいる。恐怖から。嫉妬から。あるいは、正義感から」
真剣な表情になる。傷だらけの顔。その傷は、戦いの痕。人間との、戦いの痕。
「だが、戻る度に弱くなる」
「弱く……?」
「ああ。セリスは、最初はもっと強かった。一撃で、深層モンスターを倒せた。だが今は――」
セリスを見る。透明な配下は、何も言わない。ただ、じっと立っているだけ。表情もない。
「半分以下だ。攻撃力も、防御力も、速度も。全てが、劣化している」
こちらを見る。
「配下は不死ではない。死ぬ度に、その存在は薄くなっていく。魂が、削られていく。力が、失われていく。いずれは――完全に、消える。二度と、戻らない。主が生きていても、戻れない」
シアを見た。シアも、こちらを見ている。不安そうな目。恐怖が、ある。
「……何度まで、戻れるんですか? 限界は?」
「分からない」
リディアが、首を振る。
「配下によって違う。五回で消える者もいれば、十回戻る者もいる。記録では、二十回戻った配下もいたらしい。だが、それも不確かな情報だ」
「だが――」
こちらを見る。その目は、厳しい。だが、優しさもある。
「できるだけ、死なせるな。一度の死は、取り返しがつかない。配下は、貴重だ。お前の一部だ。失えば、お前も傷つく」
「……はい」
その時、ドアが勢いよく開いた。バン、と大きな音を立てて。
「リディア、新入りが来たって本当か? どんな奴? 強いの? 弱いの? 配下は何体?」
入ってきたのは、若い男だった。二十代前半くらい。金髪で、派手な服装。軽薄そうな笑みを浮かべている。チャラチャラしている。
「噂通り、本当にいるじゃん。へえ、普通っぽい顔してんな。もっとイカツイ奴かと思った」
男が、こちらに近づく。距離が、近い。パーソナルスペースを、侵してくる。
「初めまして。俺はレオ。配下持ちの先輩ってわけ。よろしくな、新人。分からないことあったら、何でも聞いてくれよ」
「あ、ああ……空木恒一です」
「空木ね。覚えた。いい名前じゃん。で、配下は? どこにいるの?」
周囲を見回す。きょろきょろと。落ち着きがない。
「見えないんだけど。隠れてんの?」
『ここだ』
シアが、声を出す。低い声。警戒している。威嚇している。
レオは、シアを見て――笑った。声を出して。腹を抱えて。
「うわ、マジで半透明じゃん! 幽霊みたい! ていうか、幽霊だろこれ! 死にかけてる? ああ、一回死んだんだっけ? 弱っ!」
『……黙れ』
シアが、レオを睨む。だが、レオは気にしていない。むしろ、面白そうに。楽しそうに。
「まあまあ、怒るなって。事実じゃん。俺も配下持ちだから、気持ちは分かるよ。配下が弱いと、恥ずかしいよな。主の面目丸潰れ」
『貴様……!』
シアが、前に出ようとする。だが、体がふらつく。力が、入らない。
「シア、やめろ」
シアの肩を掴む。冷たい。氷のように。
「相手にするな。無駄だ」
『だが、こいつは……!』
「いいから」
シアを見る。その目には、怒りがある。だが、それ以上に――悔しさがある。自分の無力さへの、悔しさ。
レオは、それを見て肩をすくめる。全く悪びれずに。
「ま、俺の配下見せてやるよ。お前のよりは、マシだから。比べ物にならないくらい」
指を鳴らす。パチン、と乾いた音。
すると――天井から、"何か"が降りてきた。
蜘蛛のような脚。八本。人の顔。歪んだ笑みを浮かべている。無数の目。赤く光っている。口からは、よだれが垂れている。緑色の、粘液。
「これが、俺の配下。アラクネ。可愛いだろ?」
「……モンスター?」
「そう見えるだろ? でも違う。これ、人工配下。俺が作った」
レオが、アラクネの頭を撫でる。愛おしそうに。アラクネは、何の反応も示さない。ただ、じっとしているだけ。人形のように。
「こいつは、俺が意図的に生み出した配下だ。モンスターの核を使ってな。中層ダンジョンのアラクネ型モンスターの核を三つ、人間の魂を一つ、それに俺の血を混ぜて――まあ、色々やって作った。難しかったぜ」
こちらを見る。その目には、自信がある。優越感がある。
「お前の配下は、自然発生型だろ? 羨ましいな。レアだし。でも、弱いよな。使えなさそう」
「羨ましい……?」
「自然発生型は、主との絆が強い。命令しなくても動くし、主の意思を汲み取る。テレパシーみたいなもんだろ? 便利だよな。羨ましいわマジで」
「だが、人工型は――」
アラクネを見る。その目には、何もない。虚無。
「絆が、弱い。命令しないと動かない。主の意思も理解しない。ただの道具。ロボットみたいなもん」
アラクネは、何も言わない。ただ、じっとレオを見ているだけ。まるで、人形のように。魂がないように。
「でも、人工型には利点もある」
笑う。軽薄な笑み。自信に満ちた笑み。
「壊れても、また作れる。素材さえあればな。核と魂、それに血。それがあれば、何体でも作れる。便利だろ?」
「……それって、配下じゃないんじゃないか? ただのモンスターを操ってるだけじゃ……」
「そうかもな」
レオが、肩をすくめる。全く気にしていない様子。むしろ、誇らしげに。
「でも、力は本物だ。戦えるし、使える。深層ダンジョンにも潜れる。それで十分だろ? 配下なんて、所詮道具なんだから。使えればいい。強ければいい。それ以外、何が必要だ?」
『お前は……』
シアが、レオを睨む。怒りを込めて。殺意すら、込めて。
『配下の意味を、理解していない』
「意味? んなもん、知らねえよ」
レオが、シアを見る。馬鹿にしたように。嘲笑するように。
「配下は、道具だ。使えればいい。強ければいい。それだけだ。お前みたいに、主に気を使わせる配下とか、最悪だろ。足手まといじゃん。いない方がマシ」
『――――』
シアが、何か言おうとする。だが、それを止めた。
「やめろ、シア」
『だが、こいつは……! 配下を侮辱している……!』
「いいから。相手にするな」
レオを見る。その目には、軽蔑がある。だが、それを表に出さないようにする。無駄な争いは、避けたい。
「あんたの考えは、あんたの自由だ」
「でも、俺はそうは思わない。配下は、道具じゃない。仲間だ」
「ふーん」
レオが、興味なさそうに言う。鼻で笑う。馬鹿にしたように。
「まあ、好きにすれば? どうせ、すぐに分かるさ。現実ってやつがな」
「何が?」
「配下を道具として扱わないと――」
ドアに向かう。アラクネも、それに続く。機械的な動き。命令されたロボットのような。
「お前が、死ぬってことがな。この世界、甘くないから。綺麗事じゃ、生き延びられない。配下を大事にしすぎて死んだ奴、何人も見てきたからな」
レオとアラクネが、部屋を出ていく。ドアが、閉まる。バタン、と重い音。
部屋に、沈黙が流れる。重い空気。息苦しい。
リディアが、ため息をついた。深く、長く。疲れたように。
「あいつは、ああいう奴だ。気にするな。口は悪いが、悪人ではない」
「……はい」
だが、気になる。レオの言葉。配下を道具として扱わないと、死ぬ。それは、本当なのか。配下を守ろうとすれば、主が死ぬ。それが、この世界の現実なのか。
「だが」
リディアの声が、厳しくなる。
「あいつの言うことも、一理ある。残酷だが、事実だ」
こちらを見る。真剣な目。戦士の目。
「配下を守ろうとすれば、お前が危険に晒される。お前が死ねば、配下も消える。全てが、無駄になる」
「配下を道具として使えば、お前は生き延びられる。お前が生きれば、配下も生き続ける。たとえ、配下が何度死んでも」
セリスを見る。透明な配下。傷だらけの配下。
「どちらを選ぶかは、お前次第だ。正解はない。どちらも、正しい。どちらも、間違っている」
シアを見た。シアも、こちらを見ている。不安そうな目。恐怖が、ある。自分が、足手まといになるのではないか。そんな恐怖。
「俺は――」
シアの手を取る。冷たい手。氷のような手。だが、確かにそこにある。存在している。生きている。
「シアを、道具にはしない」
『……恒一……』
シアの声が、震える。
「お前は、俺の仲間だ。友達だ。家族だ。道具じゃない。命令で動く人形じゃない」
「だから――」
シアを見る。その目を、真っ直ぐ見る。逃げずに。
「一緒に、生きていこう。どんなことがあっても。お前を守る。お前も、俺を守ってくれ」
『……ああ』
シアが、微笑む。今まで見たことのない、穏やかな笑みだった。優しい笑み。安心した笑み。
『一緒に、生きよう。お前が死ぬまで、私は消えない。お前を、守り続ける』
シアの体が、僅かに濃くなる。感情が、存在を強化している。絆が、力になっている
リディアは、それを見て頷いた。満足そうに。嬉しそうに。
「……いい絆だ。本物の絆だ。レオには、理解できないだろうが」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い」
立ち上がる。椅子を引く音。ギィ、と軋む。
「お前には、まだやるべきことがある。これからが、本番だ。今までは、序章に過ぎない」
「やるべきこと?」
「ああ」
窓の外を見る。灰色の世界。何もない世界。
「世界は、三ヶ月以内に崩壊する」
その言葉に、心臓が止まりそうになる。
「三ヶ月……?」
「ああ。契約システムが、限界に達している。世界が、魂を食い潰している。このままでは、世界そのものが崩壊する。人類も、モンスターも、全てが消える」
リディアの声に、絶望はない。ただ、事実を述べているだけ。
「それを止めるには――」
こちらを見る。その目には、希望がある。微かな、だが確かな希望。
「お前が、七人の配下を集めなければならない」
「七人……?」
「ああ。七人の配下が揃った時――世界は、選択を放棄する。崩壊も、延命も、どちらも選ばない。第三の道が、開ける」
静かに、だが確信を持って言う。
「世界が選択を放棄した時、お前が世界を導く。お前が、新しい世界を作る」
「選択を放棄……それって、どういう……」
「世界は今、二つの道を選ぼうとしている」
説明し始める。ゆっくりと、丁寧に。まるで、子供に教えるように。
「一つは、契約システムを維持し続ける道。人類に力を与え続け、ダンジョンと戦い続ける。だが、それは世界の崩壊を早める。魂が、枯渇する。世界が、空っぽになる」
「もう一つは、契約システムを放棄する道。人類から力を奪い、ダンジョンを消す。だが、それは人類の滅亡を意味する。力なき人間は、生き延びられない。文明が、崩壊する」
「どちらを選んでも――」
窓の外を見る。灰色の空。終わりゆく世界。
「世界は、崩壊する。人類は、終わる。何も、残らない」
「なら……どうすれば……」
「だから、第三の道が必要だ」
こちらを見る。その目は、真剣だ。だが、希望に満ちている。
「世界に、選択させない道。世界が選ぶ前に、お前が世界を変える。お前が、新しいシステムを作る。契約でもない、放棄でもない、第三の道を」
「それが――」
肩に手を置く。力強く。温かく。
「お前の、役目だ。お前にしか、できない。配下を持つ者にしか、できない」
その言葉の重さを、感じた。世界に、選択させない。世界を、変える。そんなこと、本当にできるのか。俺みたいな、ただの契約適性なしの人間に。
『恒一』
シアが、手を握る。冷たい手。だが、温かく感じる。
『お前が、決めろ』
「決める……?」
『ああ』
シアの目を見る。その目には、信頼がある。絶対的な信頼。
『お前が、この世界をどうしたいのか。どんな世界を作りたいのか。それを、決めろ。私は、お前の選択に従う。お前が望む世界を、一緒に作る』
「でも、俺には……そんな力も、知識も……世界を変えるなんて……」
『お前には、私がいる』
シアが、微笑む。自信に満ちた笑み。
『そして、これから――仲間が、増える。お前を支える者たちが、集まる』
窓の外を見る。
『七人の配下。お前と共に歩む者たち。お前の意思を共有する者たち』
こちらを見る。その目が、光る。青白く。
『その全てが揃った時――お前は、世界を変えられる。世界を、救える。新しい世界を、作れる』
シアの言葉を聞いて――決意が固まった。
「分かった」
立ち上がる。拳を握る。
「七人の配下を、集める」
「そして――」
窓の外を見た。灰色の世界。崩壊しつつある世界。だが、まだ終わっていない。まだ、間に合う。
「この世界を、変えてやる。俺の手で。シアと一緒に」
リディアは、それを聞いて微笑んだ。力強く。誇らしげに。
「いい目だ。生き延びられる目だ。世界を変えられる目だ」
「さあ、グレン。こいつを、"あの人"のところへ連れて行け。カインが待っている」
「分かりました」
グレンが、手を差し伸べる。
「空木さん。これから、本当の戦いが始まります」
「本当の戦い……?」
「ええ」
真剣な表情になる。今までで、一番厳しい顔。一番、恐ろしい顔。
「配下を集める旅。それは、命懸けです。死ぬかもしれない。いや、死ぬ確率の方が高い。配下候補は、全員が危険な存在です。モンスター、異形化した人間、世界の例外。どれも、一歩間違えればあなたを殺す」
こちらを見る。その目には、心配がある。
「覚悟は、ありますか? 死ぬ覚悟が」
シアを見た。シアが、頷く。一緒に、行こう。そう言っている。
「ああ」
グレンの手を握った。強く。
「やってやるよ。死ぬ気でな。いや、死なないけどな」
「では、参りましょう」
歩き出す。廊下へ。
後を追う。シアも、隣を歩く。まだ半透明だが、確かにそこにいる。
廊下を歩きながら、考えていた。七人の配下。それが揃えば、世界を変えられる。だが――それは、どれほど困難な道なんだろう。どれほどの犠牲が、必要なんだろう。どれほどの痛みを、味わうんだろう。
『恒一』
シアが、手を握る。冷たい手。だが、確かな手。
『大丈夫だ。お前なら、できる。お前は、強い。心が、強い』
「……ああ」
前を向いた。グレンの背中を見た。
これから、何が待っているのか分からない。だが――シアがいる。それだけで、進める。どんな困難が待っていても、シアと一緒なら乗り越えられる。そう、信じている。信じるしかない。
グレンが、また巨大な扉の前で止まる。さっきよりも、もっと大きな扉。もっと、荘厳な扉。
「この先に、カインがいます」
深呼吸する。心臓が、早く打つ。
「準備は、いいですか?」
「ああ」
扉が、開く。
そして――新しい試練が、始まる。




