第四話 世界の観測者
国家管理局。契約者監視部門。
そこでは今、異常事態が発生していた。
「また消えた!」
「三件目です! 契約者データが、また黒塗りに!」
「システムエラーじゃない……これは、観測不能だ!」
モニターの前で、職員たちが叫んでいる。
部門長の柳瀬は、眉間に皺を寄せながら画面を睨んでいた。
「状況を説明しろ」
「はい。昨日から、契約者データベースに異常が発生しています」
若い職員が、震える声で報告する。
「登録されているはずの契約者が、突然観測不能になる。名前、年齢、契約内容、全てが黒塗りに変わります」
「原因は?」
「不明です。ハッキングの形跡もない。システムエラーでもない」
「では、何だ」
「それが……」
職員が、言葉に詰まる。
「観測そのものが、拒絶されているとしか……」
「馬鹿な」
柳瀬が、吐き捨てる。
「観測拒絶など、ありえん。契約者は全て、契約を通じて国家に管理されている」
「しかし――」
その時、モニターが全て消えた。真っ暗な画面。そして――一行だけ、文字が浮かび上がる。
【観測不能領域、拡大中】
「なんだ、これは……」
柳瀬が、モニターに触れる。その瞬間――画面が割れた。いや、割れたわけではない。ヒビが入ったように見えたが、触ると何もない。
「部門長! こちらも!」
他のモニターも、次々と同じ現象を起こしている。まるで、世界そのものにヒビが入っているように。
「……まさか」
柳瀬が、青ざめる。
「これは、世界法則の崩壊……?」
同じ頃。ダンジョン管理局。
そこでも、異常が報告されていた。
「第七区のダンジョンが、消失しました!」
「消失だと!?」
局長の神宮寺が、立ち上がる。
「詳細を!」
「はい。昨夜、第七区の小規模ダンジョンが突然消失。ゲートも閉鎖されました」
「原因は?」
「不明です。ただ……」
職員が、タブレットを神宮寺に見せる。
「最後に観測された映像です」
画面には、ダンジョン内部が映っていた。そして――何かが、核を握り潰している。
人型。だが、観測カメラには正確に映っていない。まるで、映像がノイズで歪んでいるように。
「これは……」
「観測不能個体、と推定されます」
「観測不能……」
神宮寺が、眉をひそめる。
「契約者か?」
「いいえ。契約者データベースに該当なし。未登録の存在です」
「未登録だと?」
ありえない。契約者は全て、国家に登録される。未登録の契約者など、存在しない。
「では、何者だ」
「それが……」
職員が、別の画面を表示する。そこには、一人の青年が映っていた。
「この人物が、観測不能個体と共に目撃されています」
「名前は?」
「空木恒一。二十三歳。契約適性検査、三度とも不合格」
「契約者ではない……?」
「はい。一般市民です」
神宮寺が、画面を凝視する。
平凡な顔立ち。特別な特徴もない。だが――その目には、何かがあった。諦めではない。希望でもない。それは――
「……この男、何か知っているな」
神宮寺が、呟く。
「すぐに確保しろ」
「はい!」
一方、その頃。俺――空木恒一は、コンビニでバイトをしていた。
「いらっしゃいませー」
レジを打ちながら、客に笑顔を向ける。普通の日常。昨日、ダンジョンで核を破壊したことなど、嘘のように。
「恒一、休憩行っていいぞ」
店長が声をかけてくる。
「はい、ありがとうございます」
バックヤードに入り、椅子に座る。缶コーヒーを開けて、一口飲む。
「……ふう」
『疲れたか』
影から、シアの声が聞こえる。
「まあな。昨日、色々あったし」
『寝不足か』
「いや、よく眠れた。お前がいたから」
『……そうか』
シアの声が、僅かに柔らかくなった気がする。
「なあ、シア」
『何だ』
「今日は、何もない日になるといいな」
『そうだな』
だが――その願いは、叶わなかった。
バックヤードのドアが、開いた。
「空木恒一さん、いますか?」
そこには、黒いスーツを着た男たちが立っていた。三人。全員、冷たい目をしている。
「……誰ですか?」
「国家管理局の者です」
男の一人が、身分証を見せる。
「あなたに、少し話を聞きたい」
「話?」
「はい。任意同行を求めます」
任意同行。つまり――拒否できない、ということだ。
「……分かりました」
俺は、立ち上がった。
『どうする』
影から、シアの声。
(まだ何もするな。様子を見る)
心の中で、シアに伝える。シアとは、言葉を使わなくても意思疎通ができる。便利だが、少し怖い能力だ。
「では、来てください」
男たちに連れられて、外に出る。黒い車が、待っていた。
車は、市の中心部にある高層ビルへと向かった。
国家管理局本部。契約者を管理する、この国の中枢。
ビルの地下に、連れて行かれる。取調室のような部屋。机と椅子だけの、殺風景な空間。
「座ってください」
俺は、椅子に座った。男たちは、部屋を出ていく。残されたのは、俺だけ。いや――
『私もいる』
影から、シアの声。
(分かってる。でも、まだ出るな)
『了解した』
しばらくして、ドアが開いた。入ってきたのは、五十代くらいの男。スーツを着て、鋭い目をしている。
「初めまして。私は、ダンジョン管理局局長の神宮寺です」
男が、俺の前に座る。
「あなたが、空木恒一さんですね」
「はい」
「単刀直入に聞きます」
神宮寺が、タブレットを俺に見せる。そこには――昨日のダンジョン内部の映像が映っていた。シアが、核を握り潰している場面。
「これ、あなたですね」
「……いえ」
「嘘をつかないでください」
神宮寺が、別の映像を見せる。今度は、ダンジョン外。俺とシアが、野良ゲートに入る場面が映っていた。
「監視カメラに、あなたが映っています」
「……」
否定できない。
「あなたは、契約者ではない。にも関わらず、ダンジョンに侵入した」
「そして、核を破壊した」
神宮寺が、身を乗り出す。
「どうやって、やったんです?」
「……答える義務は?」
「ありません。ですが――」
神宮寺が、冷たく笑う。
「あなたは今、違法ダンジョン侵入の容疑をかけられています」
「契約者以外のダンジョン侵入は、重罪です」
「最悪、懲役十年」
十年。それは――人生が終わる。
「答えてください。あなたは、どうやってダンジョンに侵入し、核を破壊したんです?」
「……」
俺は、黙った。答えられない。シアのことを、話すわけにはいかない。
「答えないなら、こちらにも考えがあります」
神宮寺が、立ち上がる。
「あなたを、精密検査にかける」
「精密検査?」
「契約適性の再検査です。もしかしたら、あなたには隠れた適性があるのかもしれない」
「そして――」
神宮寺が、ドアに向かう。
「もし適性があれば、強制契約の対象になります」
「強制契約……?」
「国家が、あなたに契約を強制する。拒否権はありません」
それは――魂を、国家に売り渡すということだ。
「冗談じゃ――」
その時。部屋の照明が、消えた。真っ暗闇。
「なんだ!?」
神宮寺が、叫ぶ。
「停電か!? 誰か!」
だが、返事はない。そして――俺の影が、蠢いた。
『もう、いいか』
シアの声。怒りを含んだ、低い声。
「シア、待て」
『待てない』
影から、シアが現れた。部屋の中に、突然現れた人型。神宮寺が、後ずさる。
「な、なんだ……お前は……」
『お前は、この男を傷つけようとした』
シアが、神宮寺に近づく。
『それは、許されない』
「待て! 俺は何もされてない!」
俺が叫ぶ。だが、シアは止まらない。
『お前は、この男の魂を奪おうとした』
『それは――』
シアが、神宮寺の首を掴む。
『死に値する』
「やめろ! シア!」
俺が、シアに飛びつく。
「殺すな! 人を殺すなって、約束しただろ!」
『だが――』
「約束だ!」
シアが、動きを止める。長い沈黙。そして――
『……分かった』
シアが、神宮寺を放す。神宮寺は、床に倒れ込んだ。
「は……はあ……はあ……」
荒い息。顔は、恐怖で歪んでいる。
「お前……何者だ……」
『――――』
シアは答えず、俺の隣に立つ。
「行くぞ」
『どこへ』
「ここから出る」
俺は、ドアに向かった。だが、ドアは開かない。ロックされている。
「開かないな」
『壊す』
「待て。別の方法が――」
その時、部屋全体が揺れた。いや、揺れたのではない。空間が、歪んだ。
そして――金色の光が、降り注いだ。
「これは……」
『来たか』
シアが、構える。
光の中から、"それ"が現れた。
人型。だが、人ではない。光の翼を持ち、表情のない顔で――俺たちを見下ろしている。
天使型。世界の観測者。
『――警告』
声が、頭に響く。
『未定義座標、空木恒一』
『お前の存在は、世界秩序の例外である』
『これ以上の逸脱行為は、世界崩壊を招く』
「世界崩壊……?」
『お前が、配下に名前を与えた』
『それにより、世界の観測精度が低下した』
『このまま放置すれば――』
天使型が、手を広げる。
『世界は、お前を観測できなくなる』
「観測できなくなる……それの、何が問題なんだ?」
『世界は、観測によって成立している』
『観測できないものは、存在しないものと同義だ』
『だが――』
天使型が、シアを見る。
『お前の配下は、明確に存在している』
『観測できないのに、存在している』
『それは、矛盾だ』
「矛盾……」
『矛盾は、世界を壊す』
天使型が、俺に手を伸ばす。
『故に、排除する』
その瞬間――シアが、天使型の前に立った。
『触れるな』
低い、殺意を含んだ声。
『この男に触れる者は、全て殺す』
『――お前にも、それは不可能だ』
天使型が、無感情に答える。
『私は、世界そのものだ』
『お前では、傷つけることすらできない』
『そうか』
シアが――笑った。初めて見る、獰猛な笑み。
『なら、試してみるか』
次の瞬間。シアと天使型が、激突した。
ドゴォォォォンッ!!
衝撃波が、部屋全体を吹き飛ばす。壁が崩れ、天井が落ち、床が割れる。
「うわああああ!?」
俺は、吹き飛ばされた。だが――落ちる前に、何かが俺を掴んだ。シアの腕だ。
シアは片手で俺を抱え、もう片手で天使型と戦っている。
『逃げろ!』
「でも――」
『いい! 私が時間を稼ぐ!』
シアが、俺を放り投げた。
宙を舞う。着地――する前に、影が俺を包み込んだ。そして――気づけば、俺は外にいた。
ビルの前。背後では、ビルが揺れている。中で、シアと天使型が戦っているのだろう。
「シア……!」
戻ろうとした時。ビルが――崩れ始めた。上層階から、ガラガラと崩壊していく。
「まさか……」
そして――ビルの屋上から、二つの影が飛び出した。シアと、天使型。
空中で激突し、また吹き飛ばされる。シアが、地面に着地する。全身、傷だらけだった。
「シア!」
駆け寄る。
『大丈夫だ……まだ、戦える……』
「無理するな!」
『無理ではない……ただ――』
シアが、天使型を睨む。
『あれは、強い……』
天使型が、ゆっくりと降りてくる。無傷だった。
『配下、シア。お前は強い』
『だが、世界には勝てない』
『諦めろ』
「諦める……だと……?」
俺は、前に出た。
「ふざけるな!」
『――――』
天使型が、俺を見る。
「俺は、諦めない!」
「契約に選ばれなくても!」
「世界に拒絶されても!」
「俺は、生きてやる!」
『……無意味だ』
天使型が、再び手を伸ばす。
『お前の意思は、世界には届かない』
『なぜなら――』
金色の光が、俺を包む。
『世界は、お前を観測していないからだ』
光が、強くなる。体が、痺れる。
これは――消される。存在を、消される。
「くそ……」
その時。シアが、俺の前に立った。満身創痍の体で。
『――お前は、この男に触れるな』
シアが、天使型を睨む。
『私が、守る』
『無駄だ』
『無駄でも、やる』
シアが、構える。
『それが――』
シアが、俺を振り返る。その目には――決意があった。
『配下の、意味だ』
そして――シアが、再び天使型に飛びかかった。
だが、その攻撃は――届かなかった。天使型の放った光が、シアを貫いた。
「シアァァァッ!!」
俺の叫びが、夜空に響いた。




