第69部:歌姫の覚醒(フォノン・バレット)
【音になった女神】
遥か昔、地上には「怒れる巨人」が闊歩し、炎の雨が降り注いでいた。人々は逃げ惑い、剣で戦おうとしたが、巨人の怒りは増すばかりだった。
慈悲の女神アムリタは、武器を持たなかった。彼女は戦うことよりも、巨人の怒りによる痛みを悲しんだ。
彼女は竪琴を手に取り、荒ぶる巨人の前で歌い始めた。
彼女の歌声は、冷たい風となり、炎を鎮めた。
彼女の涙は、透明な雨となり、大地を冷やした。
巨人が眠りにつくまで、アムリタは七日七晩歌い続けた。
やがて彼女の喉は枯れ、その肉体は透き通り、最後には形を失ってしまった。
女神は
世界中の空気に溶け込み、見えない「音の波」となって、今も人々を包み込む
だから、私たちが歌う時、それは女神の体(空気)を震わせ、その「守る力」を借りているのだ。
「……イメージして」
ピュティアの声が、ルカの脳内で響く。
「空気の粒を。音の波を。あなたの歌で、世界を震わせるんだ」
ルカは、震える指先でギターの弦に触れた。
血と鉄の匂いが充満する地獄のような狂宴の会場。目の前には、スズを甚ぶる不死身のミノタウロス、ハチ・アマルガム・ノックス。
逃げ場はない。助けも来ない。
(私が、やるしかない)
セントラルシティの神官がルカは慈悲の神だといっていた その時から 聖書をよんで 歌にしていた、古い神話が鮮明に浮かび上がる。 『慈悲と音楽の女神アムリタ』。 剣を持たず、歌声だけで巨人の怒りを鎮めた女神。彼女は最後に肉体を捨て、世界を守る「透明な音」そのものになったという。
(女神様は、音になって空気の中にいる。私の声で、その体を震わせるの……!)
ルカは大きく息を吸い込んだ。
肺の中に、戦場の熱気と共に、無数の「空気の粒」が入ってくるのを感じた。
そして、最初のコードをかき鳴らした。
ジャラァン……!
その音は、狂気のマーチが支配していた会場の空気を、一瞬にして塗り替えた。 澄み渡るようなアコースティックの響き。
ハチが、ピクリと耳を動かし、スズへの攻撃の手を止めて振り返る。
「ああん? なんだその、間の抜けた音は」
ルカは歌い始めた。
最初は小さく、震える声で。しかし、歌詞が進むにつれて、それは確固たる「力」を帯びていく。
『暗い空を 見上げないで』
『泥の中で 泣かないで』
ルカの視界が変わる。
ピュティアのサポートか、それとも「指輪」の力か。
空間に漂う無数の塵や、空気の分子の一つ一つが、光の粒子のように見え始めた。自分の声帯から発せられた音が、波紋となってそれらを押しのけ、伝播していく様がハッキリと見える。
『私が あなたの盾になる』
『私が あなたの風になる』
「うるさいんだよ、ハエが!」
ハチが苛立ちを露わにし、足元に転がっていた石造りの柱の破片を拾い上げた。
ブンッ、と唸りを上げて、ルカに向かって豪速で投げつける。
「ルカッ!!」
スズが叫び、身を起こそうとするが、間に合わない。
しかし、ルカは歌うのをやめなかった。
逃げない。目を閉じ、強く念じる。
(守って! 空気の壁!)
『銀の雨 降り注げ』
『怒れる火を 鎮めたまえ』
歌声のボリュームが、物理的な圧力へと変換される。
ルカの目の前の空気が、密度を増して凝固したかのように振動した。
ドォォン!
飛来した巨大な瓦礫は、ルカの数メートル手前で「見えない壁」に激突したかのように粉砕された。
パラパラと、砂になって足元に落ちる。
「な……ッ!?」
ハチが目を見開き、スズもまた、信じられないものを見る目でルカを見つめた。
魔法ではない。物理現象だ。
高密度の音波振動が、物体を破壊したのだ。
ルカは目を開けた。指先が熱い。ギターが、まるで自分の腕の延長のように脈打っている。
(できる……! 私の声が、届いてる!)
ピュティアのホログラムが、ルカの隣でニヤリと笑った。
「そう。音子のバリアだ。……さあ、次はどうする? 女神様は、ただ守るだけかい?」
ルカは首を振った。
神話の女神は、巨人を眠らせた。でも、この怪物は眠らない。
なら、押し返す。
ルカはコードを変えた。短調の、激しいストロークへ。
(イメージするのは……弾丸。空気を突き抜ける、見えない矢!)
『叫べ 祈りの歌声よ』
『鋼の肌を 貫け』
ルカが叫ぶように歌うと同時に、ギターのヘッドをハチに向けた。
空気の分子が一直線に整列し、超高圧の衝撃波となって射出される。
【音響弾】
ドシュッ!!
鋭い破裂音と共に、ハチの巨体が後方へ弾き飛ばされた。
「ぐオッ!?」
ハチの分厚い胸板が、まるで巨大なハンマーで殴られたように凹み、そこから放射状に皮膚が裂ける。
再生する端から、見えない弾丸が次々と着弾する。
ドシュッ、ドシュッ、ドシュッ!
「ガ、アアアッ!?」
ハチが体勢を崩し、膝をついた。
その隙を見逃すスズではない。
「ハッ……! 最高だぞ、ルカ!」
スズは血を吐きながらも、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。
「お前のその伴奏があれば、私はいくらでも踊れる!」
スズが駆ける。
音の弾幕に晒され、身動きが取れないハチの懐へ。
「フィナーレだ、化け物!」
スズの刀が閃き、ルカの歌声が轟く。
地獄の狂宴は、いまや二人の少女の独壇場へと変わろうとしていた。
――はずだった。
「フィナーレ、だと?」
スズの刃がハチの首を捉えようとした瞬間、ハチの身体が爆発的に膨張した。
「ぐぅ、ぅぅおおおッ!!」
バキバキバキッ!
骨が砕け、再構築される湿った音が会場に響き渡る。
ハチの傷口が瞬く間に塞がるどころか、そこから新たな肉が盛り上がり、巨体がさらにひと回り大きくなっていく。
「な……!?」
スズが驚愕に目を見開き、バックステップで距離を取る。
ハチの変貌は止まらない。
それは牛の姿から、冒涜的な「異形」への変態だった。
背中の筋肉が裂け、そこから新たな二本の「腕」が生え出る。そして、これまで腕だった部位がねじれて肥大化し、太い「前足」へと変わっていく。
四本足の巨大な獣。
その肩口から、さらに二本の腕が生えている悪夢のような姿。
そして極め付けは、かつて首があった場所には、ハチの人間の顔が埋め込まれるように生え、本来の牛の頭部は、胴体の根元――股間のあたりへと移動していた。
人間と牛をミキサーにかけて、デタラメに繋ぎ合わせたような醜悪な姿。
ピュティアが、心底嫌そうな声を漏らした。
「うわぁ……。趣味悪いねえ、あれ」
ルカの顔から血の気が引く。
「うそ……あんなの、どうやって……」
「ルカ! 手を休めちゃだめだ!」
スズが叫ぶが、ルカの声は恐怖で震え、音子の出力が乱れる。
「ま、まだまだ倒せない……何とか撤退を考えないと……!」
ルカが後退ろうとした、その刹那だった。
ドォン!
空気を裂く音と共に、ハチの巨体が消失したかのような速度で動いた。
四本足による爆発的な突進。
「しまッ――」
スズが反応する間もなく、新たに生えた背中の腕が、スズの体を鷲掴みにした。
「がはッ……!」
「捕まえたぞ、売女」
ハチの「人間の顔」がニタリと笑う。
スズは空中に持ち上げられ、身動きが取れない。ハチのもう一本の腕――その太い人差し指が、スズの舞踏衣装の胸元にかけられた。
ビリィッ!!
布が裂ける音が響く。
スズの豊かな乳房が、無惨にも剥き出しにされた。
「や、やめろ……ッ!」
スズが抵抗しようともがくが、巨人の握力は万力のように骨をきしませる。
「美しいな。だが、味はどうかな?」
ハチは、スズを掴んだ腕をゆっくりと引き下ろした。
スズの体は、空中の高い位置から、ハチの異形の下半身――その股間にある「牛の頭」の目の前へと運ばれる。
牛の頭が、鼻息荒く口を開き、その長く、粘液にまみれた舌を伸ばした。
ザリッ。
醜悪な舌が、スズの白い肌を下から舐め上げる。
「あ……ぅ……!」
スズの顔が、痛みと屈辱で歪む。
絶対的な暴力と、生理的な嫌悪感が、誇り高い踊り子の心をへし折ろうとしていた。




