第63部:桃源郷の覚醒と指名手配
地底世界に存在する湯治場、『桃源郷』。 巨大な地下空洞を利用したこの場所は、人工天蓋に描かれた「偽りの青空」と、絶えず湧き出る温泉の湯けむりに包まれ、外界の退廃から切り離されたような穏やかな空気が流れていた。 優作は、この場所で『再起動』にむけて日々を過ごしていた。
朝の覚醒と二つの首
人工天蓋に描かれた「偽りの青空」は、まだ夜明け前の冷たい光を放っている。地底世界の湯治場、『桃源郷』。その旅館の裏手にある苔むした石段を、優作は荒い息を吐きながら駆け上がっていた。
「ハァッ、ハァッ……」
四〇歳の不摂生な肉体が、ランニングの負荷に耐える。しかし、その足運びは、もはや義務感ではない。そこには、明確な推進力だけが伴っていた。
(優作の心肺機能は効率的とは言えない。だが、動く。過去の『無力感』に縛られていた頃とは違う。この負荷こそが、前に進むためのリズムだ)
優作の足元には、白い狐のコハルが静かに並走していた。金色の瞳は優作のペースを乱すことなく、ただ静かに寄り添う。
優作がジョギングを終え、旅館の食堂の暖簾をくぐると、湯気が満ちていた。彼は、いつもの席で粥を啜りながら、無意識のうちに壁の掲示板に目を向けた。
彼の肩のあたりに、光の粒子が集まり、手のひらサイズの妖精の姿形をとったピュティアが現れる。
「おや、優作。朝からお疲れ様だね! いい汗かいてるよ!」
ピュティアは無邪気な笑顔で優作を励ます。
優作の視線が、掲示板の1枚の貼り紙に固定される。豪華な装飾が施された、国家の公文書だ。
【国家転覆罪による指名手配】
容疑者:ハチ(Hachi)
罪状:国家転覆の首謀、重要施設の破壊
懸賞金:金貨 一〇〇〇枚
優作は、粥を持つ手を止め、冷や汗をかいた(一度目の衝撃)。
「ハチか……あいつ、崖から落ちたくらいじゃ死なないのは分かっていたが、国家転覆罪とは、随分と大きく出たものだ」
迷う優作の頬を、ピュティアが小さな手でつついた。
『えー、優作ったら! ハチのこと気になっていたんでしょ? うう-んどんしたものかね、 しらんとこで大出世しちゃっているけど!』
優作はピュティアの言葉に気を取られながらも、指名手配書のすぐ隣に貼られた、もう一枚の貼り紙を見て、二度目の衝撃を受ける。
【情報提供依頼】
人物:ユ・ウ・サ・ク なる人物の情報求む。
特徴:異界のごとき服装、四十代男性
有力情報:金貨 五〇枚
「(……ユウサク。やはり、俺の事か)」
優作の脳裏に、オルフェウスで狂ったハチが『ユウサク』と譫言のように呟いて暴れていた光景が蘇る。
「(あれは、俺がハチの憎悪を増幅させたのか? それとも……)」
自分の名が、この地底世界で『狩られる対象』として認知され始めている。
優作は、その『ユウサク』の情報が次の旅路の鍵を握る可能性を分析し、俄然、情報収集へ動く動機付けとなった。
さらにその隣には、『ハチ討伐隊募集』の貼り紙もあった。実技テストあり、チームで討伐し懸賞金を山分けする形式だ。
優作は、金貨一〇〇〇枚という数字と、自分に向けられた五〇枚という数字を見比べ、重いため息をついた。
パート2:スズの「一〇〇回の戦い」
昼。優作は、旅館の裏にある庭園へ向かった。
そこでは、スズが腕を組んで待っていた。
旅の道中、竜族の金貨が備品に替わるにつれ、優作は金銭の限界点を冷静に分析していた。ハチの懸賞金は、その分析を裏付ける『金策の手段』として優作の思考を占め始めていたが、まずは目の前の『訓練』だ。
「優作。今日は素振り一〇〇回だ」
スズの指示は簡潔だった。
優作は木刀を構える。昨日スズが指摘した『目的意識』を探りながら振る。
(……剣筋の精度。筋力の増強。そして……過去の『暴力』への恐怖から解き放たれるための『力』をこの木刀に込める……!)
一〇〇回の素振りを終え、汗だくで肩で息をする優作に、スズは刀を納めたまま問いかけた。
「一〇〇回の素振りで、貴様は何を考えて振った?」
優作は、正直に答えた。
「剣筋の精度、筋力の増強……そして、実戦での『自衛』のイメージです」
スズは優作の顔を真正面から見据えた。その瞳には、失望に近い厳しさがあった。
「だから貴様はダメなのだ」
スズの言葉は、まるで優作の『批評眼』を叩き割る鉈のようだ。「剣をただ振って強くなれるとでも思ったか? 剣筋の精度? 筋力の増強? それは剣を持つ『目的』ではない。それはただの『手段の確認作業』だ」
彼女は続けた。「何を目指して振るのだ? 誰を、いつ、どのように斬るのか。その『選択』を定めているか?」
スズは、優作に言葉で返す隙を与えず、自身が持っていた日本刀を抜き放った。
「私の素振りを見ていろ」
スズは静かに構える。前には誰もいない。
湯けむりが流れる静寂の中、彼女は半歩前に出た。
と同時に、一閃。振る。
ヒュッ、と空気が裂ける音がした。
優作は息を飲んだ。最初は、ただ美しい一振りだと思った。スズの素振りに目を見張っていた
十回、二十回と繰り返されるうちに、優作の視界に、あり得ない『残像』が浮かび上がる。
一振りの残像。それは、刀を振り下ろす瞬間のスズと、彼女の目の前でその剣を避ける間もなく両断された竜族の戦士の姿だった。次の残像。スズは居合切りのような速さで、優作にしか見えない二人の刺客を同時に斬り伏せていた。
さらに次の残像。スズは後方に下がる動作と共に刀を払い、三人の敵の急所を的確に突いていた。
優作は、息をすることすら忘れ、その光景を貪るように見つめた。
スズの素振りは、単なる形稽古ではない。それは、「一〇〇回の戦闘」そのもののシミュレーションであり、一〇〇通りの『生と死の選択』の実行だった。
彼女は、素振りをするたびに、実際に敵を殺し、生き延びているのだ。
優作が、この一〇〇回の「観戦」を終えた時、彼の心は、自身が持つ『空手の暴力』がいかに『稚拙な自衛の手段』であったかという、新たな敗北感と、強烈な憧憬に満たされていた。
「(これが……『本物』か)」
スズは、一言も優作に発することなく、刀を納め、優作の木刀を拾い上げた。彼女はそのまま、湯治場に併設された鍛冶屋の方へと歩いていく。まだ、武器の手入れに気が済まない部分があるらしい。
ルカは庭園の片隅で、ピュティアとギターの弦を調整していた。優作の修行風景とは対照的に、ここでは音波の「物理の秘密」が解き明かされようとしている。
「ねえ、ピュティア。この『音の弾丸』を撃つ訓練、難しいよ」ルカは眉をひそめた。「ルカの頭じゃ、音の粒がどうやって空気を突き抜けるのか、うまくイメージできないんだもん! 竜族の鱗を貫くなんて、神様の魔法みたいだよ!」
ルカの鼻先で、妖精姿のピュティアが、くるりと一回転した。
『指輪の振動と、ギターの共鳴周波数を合わせるんだ!』
ピュティアは、ルカのギターの弦を指差した。
『そうさ、それがキミの『絶対制約』だよ。音子の指輪が魔法じゃないってことは、キミが一番知ってるでしょ?』
ピュティアは、ルカの目の前に、光の粒子でできた見えない鎖のようなものを幻視させた。それは、旅館の食堂から庭園の端まで、空中にゆるく繋がれているように見えた。
『音はね、ルカ。空気の分子が、隣の分子を押して、また押されて、その運動がリレーみたいに伝わっていくんだ。それはまるで、この「見えない鎖」が静かに振動を伝えている**ようなものだよ』
ルカは、その揺らめく鎖の幻視を真剣に見つめた。
『キミが弦を弾く(エネルギーを与える)と、鎖の一番手前が揺れる。それが波なんだ。でも、キミが撃ちたい「弾丸」は、違う』
ピュティアは、鎖の一番手前の部分を、小さなホログラムの手で強く握りしめる仕草をした。
『キミがイメージすべきは、鎖全体を静かに揺らすことじゃない。キミの歌声のエネルギーを、この鎖の一点に全て、全て、すべて集中させて、その一粒(分子)を、槍みたいに、一気に、遠くへ向かって強く押し出すイメージだよ!』
『鎖全体を波のように揺らさず、最初のひと粒(分子)の運動量だけを極限まで高めて、他の分子に次々と衝突させていく――それが、音の粒で物質を貫くってことさ』
ルカは目をつむり、ギターをそっと弾いた。彼女の表情が真剣になる。鎖を、槍として握りしめるように。
『ルカ、その非論理的でアナログな試行錯誤、きっと素晴らしい音になるよ! 頑張ってね!』
『音子の指輪』の性能を試しているのだ。ルカの『表現』は、優作の『葛藤』とは別の次元で、この世界を切り拓こうとしていた。
パート3:金銭と葛藤、そして夜の歌
夕食前。 優作は、討伐隊の募集をかけていた兵士の詰所を、建物の陰から遠巻きに観察していた。優作が遠目から見たところ、募集をかけているのは、湯治に来ていた他国の兵士らしかった。彼らはあまり強そうには見えず、優作の分析では、「使い捨ての捨て駒にされるのがオチだろう」という結論となった。 (勝算はあるか? ゲオルグの戦闘を参考にすれば、遠目から『爆発の指輪』を使えばいけるだろう。だが……) 優作の脳内で、金銭と生命の天秤が揺れる。 「(気が進まない。仲間の協力が必要だが、スズやルカを危険に晒したくない。しかも、金のために命を危険に晒すのか?)」
そして、ハチの存在。
「(音楽の夢に夢見て、テロリストになった彼を救う義務があるだろうか?)」優作は自問する。「(日本では、夢だと言って働かず、くすぶって生涯孤独に死んでいく奴は沢山いた。彼らが皆、怪物になったわけじゃない。夢とともに怪物になったら、それはもう『裁き』を受けるべきではないか……)」
優作は、なかなか踏ん切りがつかなかった。
夜。旅館の自室。
部屋には、湯治場特有の木の香りと、温泉の湿気が立ち込めていた。ランプの薄明かりが、優作、スズ、ルカの顔に、濃い陰影を落としている。
重苦しい空気の中、スズは腕組みをしたまま、優作をまっすぐ見据えた。その瞳に、迷いは微塵もない。
「竜族から奪った金貨銀貨銅貨が、ほぼ残っていない」 スズは悪びれもせず、淡々と、事実だけを告げた。優作一行の武器、馬車の幌の防水加工、スズの刀の手入れ用品など、旅の備品に全財産を費やしたのだ。
優作は、その決定的な宣告に、息を詰まらせた。
「は、はい? 明日の宿代は……? まさか、食事代もないのか?」
自身の冷静な分析で金銭の限界点を予測していた優作だったが、それが今この瞬間に訪れたという決定的な現実に直面し、四十歳の中年男の顔に、明日の生活への純粋な狼狽が浮かんだ。宿代を踏み倒すわけにはいかない。
その瞬間、ルカがギターを掴んで立ち上がった。
「大丈夫! 私に任せて!」
ルカは快活に笑い、部屋を飛び出した。「おい、ルカ!?」
ルカはそのまま旅館の食堂へ駆け下り、店主に交渉を始めた。
優作は二階の手すりからその様子を見下ろしながら思った。(チップじゃどうにもならないだろう……。今の客はみんな疲れている)
ルカは、食堂の隅に設けられた小さなステージに上がり、深呼吸をした。右手には『音子の指輪』が輝き、左手でギターをかき鳴らす。彼女の歌声は、最初こそ控えめだったが、すぐに旅館の木の天井に響き渡る。
彼女が歌い始めたのは、今朝、ピュティアと訓練したばかりの、彼女自身の境遇を歌った歌だった。
フォノン・リレー! 音の弾丸を撃ち込め
愛も、夢も、痛みも、全部乗っけて
ドミノを倒せ! 世界を貫いてみせるよ!
ルカの天真爛漫な歌声が、**『音子の指輪』と共鳴すると、食堂の空気は一変した。
沈んでいた湯治客たちの顔が上がり、その瞳に『活気』が戻る。彼らは、ルカの歌声が持つ非論理的で強力な「生命力」に引き寄せられていた。
曲が終わる頃には、客たちは割れるような喝采を送り、おひねりが雨のようにルカの足元に降り注いでいた。
優作は呆然とした。
「(……ルカは、自身の『目的(歌)』で、現実の『金銭問題』を解決した……)」
優作は、己の『卑怯さ』や『分析』が、この世界の過酷な現実を前にいかに無力かを思い知らされた。
ルカのおかげで、宿代と食費は当座凌げるだろう。だが、それは根本的な解決ではない。ハチの懸賞金一〇〇〇枚。そして、自分に向けられた五〇枚の懸賞金。葛藤は消えるどころか、より強く、彼の心を占めることになった。
パート4:作戦会議と翌朝の衝撃
ルカの演奏が終わった後、三人は自室で食事をしながら作戦会議を始めた。
(優作の告白:裏切りからの卒業)
優作は、ルカが演奏で稼いだチップの袋をテーブルの中央に置き、スズ、ルカ、そしてピュティアをまっすぐ見据えた。彼の言葉は、もはや「リーダー」の報告ではなく、「裏切り者」の懺悔だった。
「……悪い。まずは俺から話す。全部、正直に話す」
優作は、まず「金銭の現実」から入った。竜族の金貨は尽き、明日の宿代すら危うい。これはチームの問題だ。だが、優作が本当に話したいのは、その先の「個人の罪」だった。
優作は、張り紙の指名手配書を頭の中で再現しながら、言葉を絞り出した。
「ハチだ。懸賞金は一〇〇〇枚。だが、問題は金じゃない。あいつは、**『夢とともに怪物になった俺の鏡』だ。俺は、アイツがテロリストになっても、どこか『裁かれるべきではない』**と願う自分がいた」
彼は、息を詰めた。
「だが、同時に、『あんな怪物になる前に、誰かが裁きを下すべきだった』とも思う。……そして、その『裁き』を、俺が下す資格があるのか? 俺は、過去、自分より弱い人間を裏切って生きてきた。そんな俺が、ハチを『救う義務』があるのか、それとも『裁く権利』があるのか――その二つで、俺は昨夜からずっと揺れていた」
そして、優作はもう一枚の貼り紙を指差した。
「さらに、俺の情報提供依頼だ。『ユウサク』。これは、俺個人の問題だ。ハチを追うなら、俺自身が『標的』となり、お前たちを危険に晒すことになる」
優作は、過去の人生で誰にも打ち明けられなかった、金、命、倫理、そして自己嫌悪という四つの重荷を、初めて仲間の前に全て投げ出した。彼の告白は、単なる情報共有ではなく、「この荷物を共有する仲間を、俺は裏切らない」という、人生を賭けた誓いだった。
優作は、食堂で見た二枚の貼り紙、ハチの巨額の懸賞金と、「ユウサク」の情報提供を求める貼り紙、そして彼自身の葛藤(ハチが鏡であること)を全て開示した。
「……これが、俺が集めた情報と、俺たちの現状だ」
彼が遠目から観察した討伐隊の弱さや、懸賞金のリスクを説明した。スズは静かに耳を傾け、ルカは心配そうな顔でピュティアの妖精を見つめている。
優作は、ハチの現状について、湯治客から得た最新の情報を付け加えた。 情報収集: ハチは、崖に落とされるまえ、最後には3メートルほどの化け物になりさがり、自己再生能力でまた強く大きくなって、町を支配しているだろう。彼の欲望は、優作を抹殺することと、マエストロになることの間で揺れ動いているが、今はおそらくマエストロになる欲望が大きい。噂では、彼は既に村の実権を手中におさめ、下手なバイオリンの演奏をして、兵士に賞賛の言葉を言わせることに夢中らしい。夜は女を要求し、贅沢な食事を食べている。彼の住まいは、過去使用していたマエストロのお屋敷らしい。
「この情報から考えると、ハチは単なるテロリストではなく、既に支配者としての地位を確立しようとしている」優作は分析した。「ほおっておくかどうするかは、さらに情報を集めることが優先事項とした」
(チームの反応:結論なき共有)
優作の告白を聞き終え、スズは腕を組み、冷徹な分析を始めた。「金銭の危機と、懸賞金という餌。それに、貴様の『個人的な贖罪』が絡んでいる。これは、チームの問題だ」
ルカは、優作に駆け寄った。「優作、そんなに悩まないで! ハチはね、きっと寂しいんだよ! あんなに大きな化け物になっても、下手なバイオリンを聴かせるなんて、本当は誰かに認めてほしいだけなんだよ!」
三人は、ハチへの対応と金策を同時に解決する方法について、結論を出せないまま、その夜の作戦会議を終えた。しかし、優作は、全てを共有したという『選択』によって、心が軽く、強くなったのを感じていた。
翌朝の衝撃:
翌朝。優作が食堂へ降りると、宿のお触れをみて愕然とする。手配書は下げられ、そのかわり新国家樹立の記念パーティーがかいされるとのこと。
国王はもちろん、ハチ――どうやら、国家転覆が成功しちゃったらしい。




