第62部:夢の連鎖と、目覚め
(停滞する時間)
湯源郷の宿、その一室には、張り詰めた空気が漂っていた。
「……説明してもらおうか、優作」
スズが、畳の上に正座し、愛刀を膝に置いて、優作とコハルを睨みつけている。その視線は、以前、竜族の首を刎ねた時と同じくらい鋭い。
優作の隣では、コハルが「お稲荷さん」を口いっぱいに頬張りながら、キョトンとしている。
「……いや、だからな、スズ。お前が想像しているような『やましい関係』じゃない。これは契約だ。こいつを食わせなきゃいけない事情があって……」
「言い訳は無用だ! か弱い少女を、金や食い物で手懐け、あまつさえ……!」
スズの手が、刀の鯉口こいくちを切る。
カチリ、という硬質な音が、部屋に響く。
優作は青ざめた。この女、本気で斬る気だ。
「ま, 待って! スズちゃん、違うの!」
ルカが慌てて割って入る。
「優作の言ってた『契約』って、多分、私たちが考えてるのとは違うと思う! この子には特殊な事情がある!」
ルカの焦燥と、優作に向けられたスズの殺気に、コハルが油揚げをゴクリと飲み込むと、優作が必死に叫んだ。
「コハル! お前を助けろと言っているんだ! 早く、その姿を晒せ!」
コハルは、優作の焦燥にとうとう**飽きたように、不思議そうに首を傾げた。
「……ん? ……もう、いいや。面倒くさい」
彼女が小さく唸ると、ボンッ! という漫画のような音と共に、頭の上からふさふさとした『狐の耳』が飛び出し、お尻からは立派な『九本の尻尾』が現れた。
「……な」
スズの目が点になる。
殺気が霧散し、代わりに純粋な驚愕が顔に広がる。
「……あ、亜人……いや、妖狐の類か……?」
「うん。あたし、半分キツネなの。……優作は、あたしのご飯係」
コハルは悪びれもせず、優作の袖で汚れた手を拭った。
「……そう、だったのか」
スズは、自分の早とちりを悟り、カアッと顔を赤らめた。
そして、武人らしく、即座にその場で土下座した。額が畳にめり込む勢いだ。
「……すまん! 私の目は節穴だった! てっきり、優作がまた卑劣な欲望で……」
優作は、張り詰めていた気が抜けた瞬間、全身から力が抜け、膝からガクンと崩れ落ちた。
「(……また、ってなんだよ)」
優作はそう毒づきながら、情けなく座り込んだ。そのまま立ち上がろうとするが、体の芯から力が抜けている。
コハルの『契約(食事の肩代わり)』による不調なのか、あるいはあの竜族戦での心身の疲労が、ヘスティアの身体強化をもってしても回復しきれない反動なのか。優作の体は、鉛のように重かった。
スズは土下座から顔を上げ、優作が情けなく座り込んだまま動かないのを見て、さらに顔を赤らめた。
「な、なんだ貴様! 怒りで気絶したのか?」
「うるさい。ただの疲労だ」
優作は座り込んだまま、小さく毒づいた。この時、スズの目には、優作が『卑劣な男』から『単なる疲れた病人』に格下げされたように見え、一連の騒動がようやく『笑い話』に落ち着いた気がした。
それから数日、一行は湯源郷に足止めを食らうことになった。
(循環する水の夢)
優作は、一日の大半を眠って過ごした。
眠ると、決まって同じ夢を見た。
暗闇の中に、一粒の『雫』がある。
それは、空の高いところから、ゆっくりと落ちていく。
ポチャン。
雫は、下にあった『器』に落ちる。
器の水面が揺れ、表面張力が限界を迎える。
水が溢れ、また一粒の『雫』となって、下の川へ落ちる。
川は流れ、海へ注ぐ。
海の水は蒸発し、見えない蒸気となって空へ昇り、雲となり、また『雫』となって落ちてくる。
永遠に続く、水の循環。
その光景は、恐ろしいほど静かで、しかし、絶対的な『理ことわり』として、優作の脳裏に焼き付いた。
(……俺も、この『循環』の一部なのか?)
(……俺という『器』から溢れたものは、どこへ行く?)
(ヒーローの夢)
そして、もう一つの夢。
「待てよ!」
優作は、走っていた。
目の前を、子供が走っている。
優作によく似た、しかし優作よりずっと小さく、活発な子供だ。
その顔には、ヒーローの面がつけられている。
「待て! お前は、誰だ!」
優作は必死に手を伸ばす。
だが、子供は「ケケケッ」と笑いながら、どんどん先へ行ってしまう。
その足取りは軽く、優作の重い足では決して追いつけない。
やがて、子供は眩しい光の中へと飛び込み、消えていく。
取り残された優作は、ただ立ち尽くすしかない。
「……ハッ」
優作は目が覚めると、汗びっしょりだった。
枕元には、心配そうなルカと、呆れたようなスズ、そして優作の腹の上で丸まって寝ているコハルがいた。
「……また、うなされてたよ、優作」
ルカが、冷たいタオルで優作の額を拭いてくれる。
「(……クソッ。俺はいつまで寝ているんだ)」
『大丈夫だよ』
ピュティアの声が、脳内に響く。彼女だけは、平然としていた。
『これは「無意識の意識化」。生物としての基本OSのデフラグ中さ』
「……デフラグ?」
『そう。サナギが蝶になる前の準備運動ってこと。……ま、優作が蝶になれるかは知らないけど、少なくとも「芋虫」からは卒業しようとしてるんじゃない?』
ピュティアの言葉は、慰めにもならなかったが、妙な説得力だけはあった。
優作は、再び重い瞼を閉じた。
数日後。
ようやく布団から出られるようになった優作は、リハビリを兼ねて、街外れへ向かった。
スズとルカ、それにコハルも一緒だ。
目指すは、宿の女将に教わった鍛冶屋『鉄槌堂』。
これから向かう『セントラルシティ』への旅に備え、装備を整える必要があった。
街外れの路地裏。
蒸気と鉄の匂いが充満する一角に、その店はあった。
「いらっしゃい。……チッ、なんだ、ひょろい男に女子供か」
店番をしていたのは、身長は優作より低いが、横幅は二倍ありそうな、岩のような老人だった。
亜人種、ドワーフ族。
この界隈で一番の腕を持つという偏屈な鍛冶師だ。
(スズの愛刀と新調)
「……武器を見繕いたい」
スズが前に出ると、老人の目が、スズの腰にある『刀』に釘付けになった。
「おい、姉ちゃん。その腰のモン……見せな」
スズが無言で刀を差し出すと、老人は震える手でそれを受け取り、鞘を払った。
美しい波紋。
薄暗い店内でも、その刃は自ら発光しているかのように冴え渡っていた。
「……見事だ。……こいつぁ、『ニホン』の刀か!?」
老人が唸る。
「こんな辺境で、これほどの業物ロストテクノロジーにお目にかかれるとはな……。しかも、手入れが完璧だ。使い手の魂が乗ってやがる」
「……研いでくれるか」
「当たり前だ! こいつを研がせてくれるなら、代金なんざ要らねえ!」
老人は、子供のように目を輝かせた。
スズは、ついでに予備の武器として、店にあった『小太刀(脇差サイズ)』を購入することにした。
見ようまねで作った模造刀らしいが、スズは「バランスは悪くない」と評した。
(優作の買い物と、ルカのギター)
「(……俺も、何か買うか)」
優作は、店内に並ぶ武器を見渡した。
デイヴの形見のボーガンはあるが、接近戦になった時の武器がない。
それに、少しは『格好』もつけたかった。
優作は、スズが買った小太刀に似た、少し長めの片刃の剣を手に取った。
西洋の直剣(両刃)は、どうも馴染みがない。
だが、この「片刃」の反りは、日本人である優作の手に、妙にしっくりとくる。
毎日使っていた「和包丁」の延長線上にあるような、道具としての親しみやすさ。
それに、これならスズ(師匠)と同じ武器だ。教わるのにも都合がいい。
「おっ、兄ちゃん、目が高いな。そいつは……」
「これにする」
優作は、老人に金を払った。
スズが買った小太刀と、よく似た意匠の剣だ。
それを腰に差すと、なんとなく自分が強くなったような気がした。
ルカは、店の一角に埃をかぶって立てかけてある、古びた『アコースティック・ギター』を見つめていた。
「(……この街で、誰が弾くんだろう?)」
「……優作」
スズが、それを見て静かに言った。
「……悪くない選択だ」
「え?」
「その『片刃』の剣なら、斬撃の軌道が素直だ。初心者が闇雲に振り回すより、よほど扱いやすい」
スズは、優作が腰に差したばかりの剣を認め、頷いた。
「だが、ただ持っているだけでは、棒きれと同じだ。……宿に戻ったら、その『武器』の使い方、そしてお前の『空手』をどう組み合わせるか、稽古をつけてやる」
スズの目が、獲物を狙う肉食獣のように細められた。
「加えて、お前のその『身体』だ」
『そうそう』
ピュティアが補足する。
『優作の身体は、ヘスティア様の遺伝子操作で強化されてるからね。筋力や反射神経のスペックは、そこのドワーフ爺さんや竜族より上だよ。……でも、ドライバ(技術と精神)がポンコツだから、制御できてないんだ』
「……うるさい」
「どうしてもと言うなら、まずはこれで慣れろ」
スズは、店内の隅にあった刃のないただの鉄の棒のような『訓練用の武器』を二本掴み、優作の胸に放り投げた。
「ついでに、それも買っておけ。叩き折れるまで振らせてやる。……覚悟しておけ。泥水をすすることになるぞ」
優作は背筋が凍るのを感じながら、買ったばかりの剣の重みと、これから始まる地獄の予感に身震いしながら、言われるがままに訓練用の武器も購入することになった。
(ルカの依頼と、コハルの秘密)
「ねえ、おじいちゃん。これと同じもの、作れないかな?」
買い物が終わろうとした時、ルカが遠慮がちに声をかけた。
彼女が懐から取り出したのは、一本の矢。
先端に、ボロボロになった布と、小さな金属筒が括り付けられている。
竜族戦で使った、最後の『火薬矢』だ。
「……なんだこりゃ? 矢尻に……火薬か?」
老人が目を丸くする。
「乱暴な造りだな。……だが、威力は高そうだ。爆発で装甲をぶち抜く気か。この発想はなかったな」
「作れる?」
「……火薬の配合が肝だな。作れんことはないが、まとまった本数を作るには時間がかかるぞ」
「それでもいい。お願い」
ルカは、真剣な目で頼み込んだ。
これから向かう先には、生存を脅かす様々な試練が待っている。
スズや優作だけ戦わせるわけにはいかない。
だが、その表情には、いつもの快活さはなかった。
「……ま, あんまり使いたくはないけどね」
ルカは、小声で呟いた。
彼女の本質は、争いを好まない。だが、守るためには『爆発』という過剰な暴力が必要だという現実を、彼女は受け入れようとしていた。
「コハルは、いいのか?」
優作が聞くと、コハルは優作の背中に隠れながら、首を横に振った。
「私はいいの。自分の『武器』は、ちゃんとあるから」
彼女は、自分の爪を見つめた。
その『武器』が、かつて誰を傷つけたのか。彼女はまだ、語ろうとはしなかった。
(オマケの指輪とルカの覚醒)
「よし、代金はこれでいい」
店を出ようとした時、老人が優作を呼び止めた。
「おい、兄ちゃん、これを持っていけ」
彼が投げてよこしたのは、指輪だった。
錆びついた金属に、ガラス玉のような石が嵌め込まれた、子供のオモチャのような指輪。
「面白いモン(日本刀や火薬矢)を見せてもらった礼だ。道端で拾ったガラクタだが、俺には直せねえし、使い方もわからん。お前なら、何か使い道があるかもしれん」
「……ゴミ処理かよ」
優作は苦笑しながら、その指輪を指にはめた。
サイズは、奇妙なほどぴったりだった。
『……おや?』
ピュティアの声が、少しだけ弾んだ。
『解析完了。……それは、旧文明のアーティファクト。「音子フォノン」を増幅・制御するためのデバイスだね』
「……フォノン?」
優作はルカを見た。そして、ルカの視線が、古びたギターの方を向いていることに気がついた。
「ルカ、これがお前の武器だ」
優作は、指にはめたばかりの指輪を外し、ルカに差し出した。
「そのギターの『音』と、この指輪の『振動』を合わせろ。お前なら、殺傷能力のない、最強の武器にできるはずだ」
ルカは一瞬躊躇したが、優作の真剣な目を見て、その指輪を受け取った。
指輪を握りしめたルカの脳裏に、優作の言葉と、店の一角に立てかけられたギターの弦の振動が響いた。
『振動……音……。そうか、音楽だ!』
ルカは優作の意図を理解した。これは、「破壊」の道具ではなく、「表現」の
(泥臭い稽古と、卑怯者の戦法)
宿の裏庭。夕闇が迫る中、乾いた音が響く。
スズは訓練用の刀を構え、優作と対峙した。スズは、右足をやや前に、左足を後ろに引き、剣先を優作の喉元に向け、どっしりと大地に根を張ったように動かない。その構えは、優作が持つ全ての空手理論を無効化する、絶対的な壁だった。
優作は、その隙のない構えに、全身の毛穴が開き、逃げ出したくなるほどの根源的な恐怖を感じながら、泥を這うように、じりじりと距離を詰める。
次の瞬間、スッと風を切る音がした。 優作が反応する間もなく、スズは優作の視界から一瞬で消え、訓練刀の側面を軽く抑えながら、完全に優作の死角である背後に回り込んでいた。 優作の刀は、カタン、と音を立てて地面に静かに制されていた。
「お前、今ので三回は、既に首を落とされているぞ」
スズの冷たい声が、夕闇に響いた。 優作は、今の一瞬の動きが、スズが自身の技量を図るための**「試し斬り」**であったと悟る。 (……これが、技量の差か。それも、生存本能すら反応しない、絶対的な絶望だ)優作は、なぜ気づかなかったのか、なぜ体が反応しなかったのかと、自分の無力さに困惑する。
優作がなかなか攻めないでいると、スズは静かに言った。 「どうした、優作。その手はまだ棒きれを握っているつもりか? 」
優作は意を決し、今度は剣先を地面に向け、下から切り上げる捨て身の昇り斬りで攻める。 スズは、軽く後ろに足を踏み替えて下がり、優作の攻撃をまるで水面を滑るように難なくかわす。 優作は追いかけるようにその流れで上から袈裟斬りを放とうとするが、優作の視線が上に行った一瞬の隙を突かれ、スズの訓練刀が優作の胴を岩盤を叩くように鋭く打ち抜いた。
「ぐあッ!」
優作は肺の空気を全て吐き出し、その場で訓練刀を手放し転がる。視界が白く霞む。
スズは、優作を見下ろして言った。
「剣術はだましあいだ。通常の構えや剣の握り、全ての常識を疑え。相手をだませ。戦略を練ろ。今日はここまでだ」




