第60部:奇妙な膠着と、残酷な真実
I. 奇妙な膠着と、残酷な真実
戦場は、奇妙な膠着状態に陥っていた。
さっきまで殺気立っていた村人たちが、武器を下ろし、呆然と立ち尽くしている。
目の前にいる「敵」――愛らしいドールたちの中に、失われたはずの家族の面影を見てしまったからだ。
「……マユ、なのか?」
「お父さん、怖いよ……助けて……」
ドールが怯えて村人にすがりつく。村人が涙を流して、その「異形の娘」を抱きしめようとする。
感動的な再会。……だが、ここは地獄の底だ。
優作は、その光景を直視できなかった。胃の奥から、焼けるような酸っぱいものがせり上がってくる。
(……見ろ。これが、俺が招いた結果だ)
優作は、自分自身の頬を殴りつけたい衝動に駆られた。
彼らをここまで連れてくるために、「家族に会える」と嘘をついた。その嘘は、最悪の形で「真実」になってしまった。
村人たちは、家族に会えた。だが、それはもう二度と人間の姿には戻れない、「永遠の異形」としての再会だった。
(……俺は、こいつらに……こんな残酷な現実を突きつけるために、扇動したのか……?)
その隙を見逃すほど、背後に迫る「機械人形(掃除屋)」は甘くない。
無機質なアームが、無防備な村人の背中へと振り下ろされる。
「……ッ! 危ない!」
優作が叫ぼうとした、その時だった。
「……いや、違う!!」
別の村人が、機械人形のアームが迫るのも顧みず、槍を突き出した男に体当たりをした。
そして、怯える別のドールを抱きしめ、自らの体を盾にした。
「騙されるな! これは……この温もりは、俺の母ちゃんだ! 分かるんだよ!」
「擬態だろうが肉塊だろうが関係ねえ! こいつは俺の家族だ! 俺が守るんだ!」
その叫びは、戦場の論理を根底から覆した。
一人が叫ぶと、それは波紋のように広がった。
「マユ! マユなのか!?」
「あなた! 戻ってきたのね!」
次々と村人たちが武器を捨て、あるいは武器を外側(機械人形)に向け直し、ドールたちの中から肉親を探し出し、抱きしめ始めた。
自分の死を顧みず、ただ愛する者を守ろうとする「肉親を探す波」が大きくなるにつれ――異変が起きた。
『……エラー。予測不能な行動パターンを検知』
『……攻撃対象の選定不能。……再計算中……』
殺戮マシーンであるはずの機械人形たちの手が、ピタリと止まった。
そして、その無機質な首が、カクカクと不気味に回転し始める。
村人とドールが入り乱れ、互いを守り合うカオスな状況に、単純な「敵対識別プログラム」が処理落ちを起こしたのだ。
II. 優作の咆哮(マザーへの問い)
その様子を見ていた優作は、即座に思考を切り替えた。この「エラー(停止)」こそが勝機だ。
だが、その思考の裏には、煮えたぎるような怒りと、どうしようもない悲しみが渦巻いていた。
オルフェウスで、ハチを守れなかったあの無力感。それが今、この理不尽な光景と重なり、優作の魂を焼いていた。
「ピュティア! 今だ! マザーと交渉できるように回線を繋げ!」
『了解! マザーも混乱してる、今なら割り込めるよ!』
優作は、血と油にまみれた顔で、時計塔に向かって叫んだ。
「おいマザー! 聞こえてるか! 答えろ、お前の目的はなんだ!」
スピーカーから、ノイズ混じりの冷徹な声が返る。
『……管理対象の幸福を実現すること。被験者の絶対数を予定数に調整すること。環境の適正化……』
「なら、この状況はどうなんだ!」
優作は、抱きしめ合う人間とドールたちを指差した。
その指先は、小刻みに震えていた。怒りではない。恐怖でもない。
ただ、人間という生き物の「業」と「愛」の深さに、魂が震えていたのだ。
「肉親と再会したこの状況を、お前はどう捉えるんだ!」
『……非効率です。感情の暴走は、平和な管理を阻害します』
「違うだろ!」
優作は吠えた。喉が裂けんばかりに、肺の奥底から空気を絞り出した。
「どう考える! 保護対象が肉親と会えたことで、人間であった記憶が蘇り、人として感情が豊かなデータが取れているんじゃないのか!?」
「それこそが、お前たちが欲しかった『究極の幸福のサンプル』なんじゃないのか!」
(だから、こいつらだけは……! たとえドールにされたとしても、その『心』だけは、守らせろ!)
「人間をナメるな! 俺たちは……俺たちは、効率だけで生きてるんじゃない!」
優作の目から、自然と涙が溢れた。それは悔し涙であり、同時に、目の前の村人たちの姿への畏敬の涙でもあった。
「誰かを守りたいと思う、その『非効率な痛み』こそが、俺たちの生きる意味なんだよ! それを否定するなら、お前の言う幸福なんて、ただのゴミだ!」
マザーが沈黙する。優作の言葉は、論理の矛盾を突いただけではない。
AIには理解できない「痛みを伴う愛」という概念を、優作自身の血肉を通して叩きつけたのだ。
III. 女神の降臨と、皮肉な救済
マザーが優作の問いに答えようとした、その時だった。
『――愚かで、いとおしい人間よ。聞きなさい』
その声は、スピーカーからではなく、レーテにいる全員の脳内に直接響いた。
瞬間。戦場の喧騒が消えた。
誰もが、本能的に理解した。この声の主が、この世界の創造主であり、絶対的な管理者であると。
その場にいる全員が、抗うこともできず、その場に膝をついた。
驚くべきことに、暴走していた機械人形たちさえも、機能停止したかのように糸が切れ、ガシャンと膝をついて平伏した。
そこに立っているのは、優作たち一行だけだった。
『私の愛する子供たちよ。なにも憂いを待つことはないです』
ヘスティアの声は、慈愛そのものだった。だが、その慈愛は、人間には理解し難い、冷たく巨大なシステムの一部のような響きを持っていた。
『観測しました。あなたたちの非合理な「愛」と「絆」が生み出した、美しい揺らぎを』
『これからは、レーテを周辺住民に開放しましょう。お互いの相互の行き来も認めます』
村人たちが顔を上げる。信じられないという表情だ。
『しかし、この空間を汚すものは、すべての破滅を迎えるでしょう』
声に冷厳な響きが混じる。
『今後、生きるのに困ったら、レーテの周辺村の住民は、レーテの仲間になることも認めましょう。そして、今後は、こちらからレーテへの勧誘は行いません。自発的な希望者のみを対象とします』
それは、神による一方的な、しかし慈悲深い「裁定」だった。
ドールになった者は人間に戻れない。だが、家族として共に暮らすことは許される。
それは、優作が村人についた「嘘(家族に会える)」を、歪な形で「真実」に変える裁定でもあった。
(……なんてことだ)
優作は膝から崩れ落ちそうになった。
ヘスティアは、この地獄を肯定したのだ。「辛ければバケモノになりなさい」という、甘く残酷な逃げ道を「救済」として与えたのだ。
IV. 汚れ役の独白
声が消えると、機械人形たちは静かに地下へと格納されていった。
村人とドールたちは、涙を流しながら抱き合い、再会を喜び合っている。
優作は、全身の力が抜けたようにその場にへたり込んだ。
その背中には、ハチを救えなかった重荷と、村人をこの地獄の真実に巻き込んだ罪悪感が、どっとのしかかっていた。
指先が震えている。自分が成し遂げたことの「正しさ」と「間違い」が、頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
「……だいぶ譲歩したな、あの女神様も」
『フフッ、そうだね』
ピュティアが優作の耳元で囁く。
『ピュティアの解析によるとね、あのドールたちの感情の揺らぎ……特に「家族を守ろうとする自己犠牲」のデータが、かつての人間のような、予測不能で美しい揺らぎだったんだって』
『ママ(ヘスティア)は、それが気に入ったらしいよ。「この実験場は、まだ観察に値する」ってね』
優作は、抱き合う親子を見つめた。
マユと呼ばれたウサギのドールが、父親の腕の中で泣いている。父親は、そのふわふわの毛並みに顔を埋め、子供のように泣きじゃくっている。
それはハッピーエンドかもしれない。だが、彼らはもう二度と、人間の姿で抱き合うことはできないのだ。そしていつか、生活に疲れた父親もまた、自らドールになることを選ぶかもしれない。
(……俺は、また、嘘をついて、誰かを傷つけたのか?)
(それとも、これでよかったのか?)
答えは出ない。
ただ、ルカとスズが無事で、村人たちが死なずに済んだ。それだけが事実だ。
ハチを救えなかったあの日と違い、今回は、歪な形であれ「命」は繋がった。
「……ま、結果オーライか」
優作は立ち上がり、泥だらけの服を払った。
その言葉は、自分自身を許すための、精一杯の強がりだった。
そうでも言わなければ、自分の心が「罪悪感」で押し潰されてしまいそうだったからだ。
スズが近づいてくる。彼女の瞳には、優作への深い信頼と、少しの心配の色が宿っていた。
「……優作。お前、また顔色が悪いぞ。……無理をしていないか?」
「……うるさい。腹が減っただけだ」
優作は、二人に背を向け、歩き出した。
その背中は、また一つ、見えない傷を増やしていた。
誰も知らない。優作がどれほどの思いで嘘をつき、どれほどの痛みを堪えてここに立っているのかを。
だが、それでいい。
汚れ役は、誰にも賞賛されないからこそ、汚れ役なのだから。
こうして、忘却都市レーテの騒動は、誰も予想しなかった「和解」という形で幕を閉じた。
だが、優作の「リハビリ」の旅は、まだ終わらない。




