第56部:地底の旅路と、造られた命
オルフェウスからの出立
峡谷都市オルフェウスでの狂乱の夜が明け、優作たちは再び馬車に揺られていた。 優作の胸には、ハチを救えず、街を混乱に陥れたことへの若干の負い目が燻っていたが、それを口には出さなかった。
「次は『科学都市』を目指すよ」 ピュティアが、優作の肩に乗る(ように見える)ホログラムで囁く。 「そこなら、ヘスティア本体と直接交信できる可能性があるからね。君の『リハビリ』の最終段階について、直接話せるかもよ」
馬車は、地底世界を貫く一本道をガタゴトと進んでいく。
II. 馬車の中の対話(帰還への温度差)
道中、話題は自然と「地上への帰還」へと移った。
「ねえ、もし地上に帰れるってなったら、どうする?」 ルカが膝を抱えて切り出した。その瞳には、不安と希望が入り混じっている。 「アタシは……帰りたい。やっぱり、コウ(弟)が心配だし。あんな過酷な場所でも、あそこがアタシの家だから」
ルカの言葉に、優作は胸が痛んだ。 (……帰る、か) 正直なところ、優作の心は揺らいでいた。この地底世界は、確かに危険で野蛮だ。だが、コンテナ・ツリーのような「死と隣り合わせのサバイバル」はない。オルフェウスでの一件はあったものの、ここには文化があり、食事があり、何より「生きる意味」を探す猶予がある。 (……もう、このままずっと地下でもいいんじゃないか?) そんな思いが頭をもたげるが、弟を案じるルカの手前、口には出せなかった。
「私は、戻るつもりはない」 スズが短く答えた。 「地上に戻ったところで、私には何もない。洞穴の民に嫁ぐ予定だった身だ。あの閉塞した世界より、未知の強者がいるこの世界の方が、私には合っている」 彼女の言葉には迷いがなかった。武人としての本能が、この野蛮な世界を肯定しているのだ。
優作は、皆に悟られないように、ピュティアにこっそりと問いかけた。 (……なあ、コンテナ・ツリーはどうなってる?) 『あ、気になる? 大丈夫、無事だよ。コウくんも元気にしてる』 ピュティアはあっけらかんと答える。 『ただ、地上の環境は大洪水を契機に変わりつつあるみたい。ドーム外でアンドロイドたちの活動が活発化してるし……何かしらの「計画」が進行してるのかもね。詳しくはママに聞いてみないと分からないけど』
III. 雪解けと、親愛の情
旅を続ける中で、優作たちの関係性にも変化が表れていた。 当初のギスギスした空気は消え、優作の不器用だが根底にある優しさが、ルカとスズにも伝わり始めていた。 ルカは優作に甘えるようになり、スズもまた、優作を頼れる(少し情けないが)リーダーとして認め、親のような信頼を寄せ始めていた。
優作自身、スズの強さと凛とした美しさにほのかな憧れを抱いていたが、同時に「自分は恋愛対象外だ」という事実も痛感していた。年の差や、最初の無様な姿を見られていることが、残酷なまでの壁となっていた。 (……ま、そんなもんだよな) 優作はうっすらと傷つきつつも、その距離感を心地よく感じ始めていた。
「そういえば、あのオルフェウスでの男……タオだっけ? 未練はないのか?」 優作が軽いジョーク交じりに尋ねると、スズはキョトンとした顔をした。 「……タオ? ああ、あの太鼓のか。別に」 忘れていたのか、最初から気にしていなかったのか。そのあまりにあっさりとした反応に、優作は呆れた表情をする。 「……よかったな。振り方を考える必要のない別れで」 「なんのことだ?」 スズは本当に分かっていない様子で首を傾げ、ルカは横で大事そうに新人賞のトロフィーを磨きながらクスクスと笑っていた。
IV. 奇妙な遭遇と暴走
その時だった。 ドタドタドタ……! 馬車の横を、何かが猛スピードで駆け抜けていった。弓を携え、殺気立った騎乗竜の群れだ。 「……狩りか?」 スズが身構える。
優作が目を凝らしてその先を見ると、信じられないものが逃げ回っていた。 それは、極端にデフォルメされた、二頭身の**「狸のぬいぐるみ」**のような生き物だった。 体長は60〜80cmほど。つぶらな瞳に、丸っこい体。この殺伐とした地底世界のリアリティを一撃で粉砕するような、ファンシーで場違いな存在だ。
「な、なんだあれは……!? 世界観が崩壊してるぞ!」 優作が叫ぶが、ルカは目を輝かせて身を乗り出した。 「可愛いーーっ!! 何あれ! ぬいぐるみ!? 助けなきゃ!」 「おい待てルカ! 事情も分からないのに……」
優作が逡巡している間に、ルカは早業で弓を構え、ヒュンッ! と矢を放った。 「ギャッ!?」 先頭の騎乗竜に乗っていた狩人が、肩を射抜かれて落馬する。
「あーあ……やっちまった」 優作は頭を抱えた。 「事情も知らずにやりすぎだろ……! だが、やってしまったからには仕方ない!」
ルカは馬車の荷台から、逃げ惑う「ぬいぐるみ」に声をかけた。 「おーい! たぬきさん! 助けてあげるからおいでー!」
すると、その「ぬいぐるみ」が振り返り、あどけない声で返事をした。 「たすけてくれてありがとう! ぼくはキノコ採りしてただけなのに、狩人がぼくを見つけるなり大騒ぎして、弓を撃ってきたんだ!」
「……喋った!?」 優作は仰天したが、とりあえず馬車を止め、倒れている狩人とその生き物の間に割って入った。 狩人は怪我をして動けないが、命に別状はなさそうだ。とどめを刺すわけにもいかず、優作たちはその生き物を回収して、その場を離れることにした。
V. 造られた命
馬車の中で、優作はその奇妙な生き物を観察した。 一見すると、ふわふわの毛並みに覆われた、二頭身の狸のぬいぐるみのようだ。つぶらな瞳に、丸っこい体。 だが、抱き上げた時に感じたのは、綿の軽さではなく、ずっしりとした「肉」の重み**だった。
「……あったかい」 ルカが、その体を撫でながら驚きの声を上げる。 柔らかい毛並みの下には、確かな体温と、トクトクと脈打つ心臓の鼓動がある。 毛をかき分けると見える肌は、生き物のそれだ。筋肉の収縮や、生々しい呼気の湿り気が感じられた。
「……お前、なんなんだ? ぬいぐるみ……じゃないな」 優作が問うと、その生き物はふんす、と鼻を鳴らした。その鼻先も湿っていた。
「ぼくはポコ! 生き物だよ! ぬいぐるみなんて失礼だなあ。ちゃんと血も出るし、お腹も減るんだぞ!」
ピュティアが優作の脳内にだけ聞こえる声で解説を入れる。 『……驚いた。これは「バイオ・ドール」だね』 (バイオ・ドール?) 『ヘスティア本体が昔やってた実験の産物さ。「理想的な人格」を形成するために、あえて無害な器を用意したんだけど……』
ピュティアは興味深そうにポコの「丸いフォルム」や「大きな瞳」をスキャンする。
『……なるほど。彼らは**「進化」したんだね』 (進化?) 『そう。パンダが人間に愛される配色をしているように、あるいは猫が人間の赤ん坊に似た鳴き声を出すように。彼らは長い年月をかけて、「人間に保護されたくなる姿」**を獲得した個体だけが生き残ったんだ』
『攻撃的な個体や、不気味な個体は淘汰され、最も「愛らしい」姿をした者だけが、創造主や管理システムの「庇護欲」を刺激して生存を許された。……いわば、**「愛されること」に特化した生存戦略(擬態)**の結果だよ』
優作は戦慄した。 この愛らしい姿は、単なるデザインではない。過酷な実験場を生き抜くために、彼ら自身の遺伝子が選び取った**「最強の鎧」**なのだ。 造られた命であるがゆえの、歪さと、生物としての凄まじい執念が、優作の胸に奇妙な重みとしてのしかかる。
「この先に、ぼくたちの町があるんだ。『忘却都市レーテ』っていうんだけど……お礼がしたいから、寄っていってよ! 美味しいキノコ料理をご馳走するよ!」 ポコが無邪気に言う。その笑顔すらも、生存本能が選び取った「最適解」なのかもしれない。
「……『レーテ』。忘却の川、か」 優作は呟く。創造主に忘れ去られた町に、あまりにも相応しい名前だ。
「……どうする、優作?」 スズが尋ねる。 当初の予定では科学都市へ直行するはずだった。だが、この「造られた命」たちが暮らす町には、ヘスティアの人格形成プロセスや、この世界の「忘れられた真実」に迫る手がかりがあるかもしれない。
「……行ってみるか。乗りかかった船だ」
優作たちは予定を変更し、ポコの案内で、神に忘れられた実験場――『忘却都市レーテ』へと向かうことになった。




