第55部:崩壊の狂想曲(ラプソディ)
ついに迎えたコンテスト当日。 会場となった中央広場は、地下都市とは思えないほどの熱気と開放感に包まれていた。
高くそびえる天井には、どこまでも広がる青空を模した映像が鮮やかに投影され、人工太陽の光が降り注いでいる。まるで地上の野外フェスティバルのような錯覚を覚える光景だった。 色とりどりの屋台が軒を連ね、香ばしい串焼きや甘い果実の匂いが漂う。着飾った市民たちが笑い合い、行き交う雑踏のざわめきが、これから始まる祭典への期待を煽っていた。
ドーン! ドーン!
突然、頭上で炸裂音が響いた。 地下空間の天井近くで、色鮮やかな花火が打ち上げられたのだ。 火花が青空の映像に重なり、幻想的な光の雨となって降り注ぐ。
「……おいおい、地下で花火かよ。酸素濃度や換気はどうなってるんだ?」
優作は思わず顔をしかめたが、その疑問も周囲の爆発的な歓声にかき消された。
優作は、人混みをかき分けながらハチの姿を探していた。逃走してから日、彼の数日行方は掴めていない。 一抹の不安を抱えたまま、優作は特設ステージへと目を向けた。
一方、仲間たちはこの祭りを全力で楽しんでいた。
「新人賞は……『歌う妖精』、ルカ!」
司会者の高らかな声と共に、ルカがステージに飛び出してきた。 彼女は「弦楽器部門」に、使い古されたギター一本を抱えてちゃっかり参加していたのだ。
その姿は、地底世界の過酷さなど微塵も感じさせないほどに輝いていた。 物怖じしないパフォーマンス。小さな体から放たれる、力強く、それでいて透き通るような歌声。 そして何より、見る者すべてを虜にする、その愛らしい笑顔。
観客は、ルカの歌声に酔いしれ、その笑顔に心を奪われた。 彼女が歌うたびに、会場の熱気が一段と高まっていくのが分かる。
「やったー! 新人賞だよ!」
見事「新人賞」を勝ち取ったルカは、自分の体ほどもあるトロフィーを高々と掲げ、満面の笑みで観客席に手を振った。 その姿に、会場からは惜しみない拍手と歓声が送られる。
「ルカちゃん、可愛いー!」 「素晴らしい歌声だったぞ!」
ルカは、その歓声を全身で浴びながら、誇らしげに胸を張った。 その瞳は、スポットライトの光を反射して、まるで宝石のようにキラキラと輝いている。
彼女にとって、この瞬間こそが「生きている」という実感であり、最高の喜びなのだろう。 コンテナ・ツリーでの過酷な日々も、ここまでの苦難も、すべてがこの瞬間のためにあったかのように、彼女は心からの笑顔を弾けさせていた。
客席の一角では、スズが身を乗り出して声援を送っていた。
「いいぞ、タオ! その呼吸だ!」
「打楽器部門」に出場したタオの演奏は、派手さこそないものの、一打一打が空気を震わせるほど重く、繊細だった。
演奏の合間、タオの視線が客席の闇を射抜く。滴る汗と共に飛ばされたその眼差しは、間違いなくスズを捉えていた。そこには、昨晩の情事の余韻と、スズへの渇望にも似た粘りつくような熱が込められていた。
だが、スズはその重たい情熱を、柳のように受け流す。
彼女の瞳にあるのは、恋する乙女の甘い陶酔ではない。優れた武人が、優れた技術を目の当たりにした時の、冷徹なまでの称賛だ。スズにとって、タオは身体操作の極意を盗むための師であり、一夜の心地よい疲れを共有した「いい男」に過ぎない。
「悪くない」
スズは、タオの恋心など歯牙にもかけず、あくまで「いい仕事をした同僚」を労うように、さっぱりと笑って手を振った。
コンテストは熱狂のままに進み、いよいよ最後の「総合部門」の幕が上がった。 大トリとして舞台に現れたのは、この街の絶対的な支配者、マエストロだった。
彼が弓を振り下ろした瞬間、空気が凍りついたかのような静寂が生まれ、次の瞬間には、暴風のような旋律が観客を飲み込んだ。 圧倒的だった。 一音一音が物理的な質量を持って叩きつけられるかのようだ。それは単なる演奏ではなく、マエストロが舞台を、そしてこの空間全てを蹴散らし、ひれ伏せさせるような、絶対王者の行進だった。 観客は息をすることさえ忘れ、その完璧な音の暴力に陶酔した。
演奏が終わると、張り詰めていた糸が切れたように、会場は爆発的な歓声に包まれた。 そして、フィナーレを告げる総踊りの音楽が鳴り響く。
「行こ、スズ!」 「ああ、悪くない」
ルカがスズの手を引き、二人は歓喜の渦の中へと飛び込んだ。 着飾った市民も、旅人も、貧しい者も、この瞬間だけは等しく手を取り合い、くるくると回る。 スズとルカもまた、その極彩色の輪の一部となり、音楽に合わせて踊り続けた。
誰もが笑顔だった。 地下とは思えない広大な空(映像)の下、降り注ぐ花火と音楽。 ここには、コンテナ・ツリーのような死の匂いも、生存のための過酷な選択もない。 観客全員が、この「音楽の都」が与えてくれる甘美な「夢」を、心の底から享受し、酔いしれていた。
参加者全員が舞台に上がり、フィナーレの挨拶が行われようとした、その時だった。 華やかな式典の空気を切り裂くように、観客席の暗がりから、薄汚れた異物が飛び出した。 ハチだった。彼は警備の隙を突き、獣のような身のこなしで舞台へと駆け上がった。
会場がどよめきと悲鳴に包まれる中、マエストロだけは冷徹に、その薄汚れた侵入者を見下ろした。 「……貴様か。いつぞやの野良犬が、何の用だ」 「お、俺だ! 俺の才能を……証明しに……!」 ハチは泡を飛ばして叫ぶが、その瞳は焦点が定まっていない。
マエストロは鼻で笑うと、持っていた自身の愛器ではなく、脇にあった練習用の安っぽいバイオリンをハチに放り投げた。 「いいだろう。そんなに言うのなら、ここで弾いてみろ。貴様のその『才能』とやらを」
ハチは震える手で楽器を掴んだ。 (できる。俺には指輪がある。力が溢れている。あいつらを見返してやるんだ) 弓を弦に当てる。脳内では、完璧で荘厳な旋律が鳴り響いていた。
だが。 「ギィ……ッ、ガガッ……!」
スピーカーから吐き出されたのは、耳を劈くような不快なノイズだけだった。 指が動かない。指輪から流れ込む過剰なエネルギーが神経を焼き切り、指先が痙攣して弓を握ることさえままならない。
「……なんだ、それは」 マエストロの声が、巨大なハンマーのようにハチの頭上から降り注ぐ。 「それが貴様の音楽か? 汚物にも劣る騒音だ。私の神聖な舞台を汚した罪、万死に値する」
観衆のざわめきが、ハチの耳には増幅された**「嘲笑の嵐」**として届いた。 『下手くそ』『帰れ』『ゴミめ』『死んでしまえ』 数万の観客全員が、口を歪めて自分を指差している。 天井の青空(映像)が、ドロリと溶けて落ちてくるような錯覚。
「あ、あ……あぁ……」 ハチはその場に崩れ落ちた。 自己愛という名の薄い殻が、音を立ててひび割れていく。 優作には、離れていても聞こえるようだった。ハチの「自我(心)」が、グシャリと踏み潰されたトマトのように潰れる音が。
「たすけて……たすけて……」 ハチは涎を垂らしながら、虚空に助けを求めた。
その時。 ハチの指に食い込んでいた『指輪』が、どす黒い光を放った。 ブゥン、という低い駆動音が、ハチの脳髄を直接揺らす。
『――対象ヲ排除セヨ。障害ヲ、破壊セヨ』
ハチが顔を上げる。 彼の目に映るマエストロの姿が、歪み、変貌していく。 燕尾服はコウモリの翼に、指揮棒は鋭利な爪に。そして、その顔はハチを嘲笑う**「悪魔」**そのものに見えた。
「……お前か。お前が、俺の音を……盗んだ悪魔か」
ハチの目から理性の光が完全に消え、代わりに濁った狂気が満ちた。 彼は懐から、錆びついたナイフを取り出した。
「返せ……俺の、才能を……返せぇえええッ!!」
ハチは絶叫と共に、マエストロに飛びかかった。 躊躇いも、技術もない。ただの殺意の塊となって、ナイフを突き出した。
ドスッ。 鈍い音がマイクを通して会場に響く。 マエストロの腹部にナイフが深々と突き刺さる。
「ガッ……!?」 絶対王者の顔が驚愕に染まるが、ハチは止まらない。 引き抜き、また刺す。引き抜き、また刺す。 返り血がハチの顔にかかり、まるで赤い仮面のように染め上げていく。
「死ね! 死ね! 俺が本物だ! 俺がマエストロだ! 邪魔をするなアアアア!!」
それは、才能を持たざる者の、世界に対するあまりにも醜く、悲痛な復讐だった。
その時、ハチがはめていた指輪から、怪しい光が放たれた。 ハチの視界が歪む。認知が歪む。 (。マエストロが「悪魔」に見える、観客の嘲笑が「称賛」に聞こえる)
「……原因は、お前か」
ハチは、血まみれのマエストロの死体を確認すると、血走った目で観衆に向かって宣言する。
「我こそが、マエストロだ!」
観衆は悲鳴を上げて逃げ惑う。
しかし、ハチの暴走は止まらない。指輪の光が一層強まり、ハチの肉体がメキメキと膨れ上がる。
一気に3メートルほどの巨体へと変貌し、人間離れした怪力で、駆けつけた警護や周辺の舞台装置を蹂躙していく。
混乱する優作の前に、いきなりピュティアが現れる。彼女は冷ややかな目で暴走するハチを見上げ、解説する。
「大変だね。指輪が**『手段』を見失ってパニック(エラー)**を起こしている」
優作が問う。「どういうことだ?」
「宿主の願いは『マエストロになりたい』。本来ならコンテストで優勝して称号を得るのが正規ルートだけど、演奏は失敗したし、対象は死んでしまった」
「『願いをかなえなきゃいけない』という強制力だけが残って、指輪の中で**『どうすればマエストロ(偉大な存在)になれるのか』**の定義が崩壊してるんだ」
ピュティアは肩をすくめる。
「結果、指輪が出したエラー処理がこれさ。『物理的に巨大で、誰にも負けない存在になれば、それがマエストロだろう』っていう、短絡的で悲しい暴走だよ」
ハチの暴走は凄惨を極めた。 3メートルに巨大化した肉体は、駆けつけた警備兵を紙屑のように引き裂き、逃げ遅れた出演者や観客を無差別に薙ぎ払っていく。 鮮血と悲鳴が、華やかだったコンテスト会場を地獄へと塗り替えていく。
ひとしきり暴れ、周囲に動くものがなくなると、怪物はふと動きを止めた。 その虚ろで巨大な瞳が、客席の隅で立ち尽くす優作を捉える。
「……オマエ……ノ……セイデ……」
地底の底から響くような怨嗟の声。 ハチの歪んだ自我が、全ての破滅の原因を優作に転嫁し、明確な殺意となって降り注ぐ。
「……ッ!」 優作は動けなかった。その言葉が、罪悪感という楔となって全身を縛り付けたからだ。優作! 呆けてる場合か!」 スズが優作の襟首を掴み、強引に引きずった。
「あいつを……止めないと……!」 「無理だ! アレを見ろ!」
スズは暴れ回るハチを指差す。 「私の剣はあくまで『対人』だ。急所も骨格もまるで違う、あんな化け物相手に、いきなり戦えと言われて戦えるか! 命を張る意味も勝算もない!」
スズの判断は冷徹で、正しかった。 武人としての本能が、あの怪物との戦闘は「死」であると告げている。 「とにかく逃げるぞ! ルカは先に逃がした!」優作はスズに引かれるまま、瓦礫の山となった会場を走り出した。 走りながら、必死に思考を巡らせる。
(助けたい……いや、もう無理だ。あいつはもうハチじゃない) (破壊するしかない。……『爆発の指輪エクスプロージョン』か?)
優作は指輪に触れる。 だが、即座に否定した。 (ダメだ。あの威力を出すには詠唱が必要だ。ルカの援護もない今、発動までに時間がかかりすぎる。その間に潰される!)
ドスン、ドスン、と地響きが近づいてくる。 振り返ると、巨体とは思えないスピードで、ハチが猛追してきていた。 瓦礫を跳ね飛ばし、一直線に優作たちを追ってくる。
「……速い!?」 スズが驚愕の声を上げる。 「チッ、このままじゃ追いつかれるぞ!」
逃げ込んだ先は、会場裏手の狭い路地。だが、ハチはその巨体で建物を破壊しながら、強引に進んでくる。 逃げ場がない。 絶対的な暴力が、すぐ背後まで迫っていた。
巨大化したハチが、瓦礫を粉砕しながら迫ってくる。 その圧倒的な質量とスピードを前に、優作の脳内で「感傷」という名のノイズが完全に消え失せた。
(……無理だ) 優作は瞬時に計算を終えた。 (こいつを助ける? 正気に戻す? 不可能だ。今のこいつは、言葉の通じない災害だ)
「……スズ! 『アテナイ』を放棄する!」 優作は叫んだ。 「この街も、コンテストも、ハチもだ! 全て捨てて逃げるぞ!」
「賢明な判断だ!」 スズも即座に応じた。彼女は指を口にくわえ、甲高い口笛を吹く。
路地の奥から、けたたましい蹄の音と共に、一台の馬車がドリフトしながら突っ込んできた。 御者台で手綱を握っているのは、ルカだ。
「優作! スズ! 乗って!」 「でかした、ルカ!」
優作たちは走りながら馬車に飛び乗った。 「出せ、ルカ! 全速力だ!」
馬車が急加速するが、ハチの巨大な腕がすぐそこまで迫っていた。このままでは追いつかれる。
「チッ……しつこい奴だ!」 スズは馬車の荷台で踏ん張ると、背中の矢筒から一本の特殊な矢を引き抜いた。 以前、地底世界で竜族を撃退した際に威力を発揮した、**『黒色火薬の矢』**だ。
「優作、耳を塞げ!」
スズは揺れる荷台から、ハチの顔面めがけて矢を放った。
ヒュンッ! ドォォォォン!!
矢じりに仕込まれた火薬が着弾と同時に炸裂する。 その威力は凄まじく、かつて竜族の硬い鱗さえも剥ぎ取り、内部から肉を破壊したほどだ。 爆炎と共に、ハチの顔面の皮膚がめくれ上がり、肉が焼け焦げる。
「グオオオオオッ!?」 ハチが苦痛に顔を覆い、のけぞる。
「効いたか!?」優作が叫ぶ。 「いや、まだだ! 見ろ!」
爆煙の中から、再びハチが姿を現した。 顔半分が焼け爛れ、肉が剥き出しになっているが、その傷口からは異常な速さで肉芽が盛り上がり、再生を始めている。 指輪の力が、ハチの肉体を無理やり修復し、暴走させ続けているのだ。
「なんて再生力だ……!」 「ルカ! このまま誘導しろ! 谷底へ!」
優作は咄嗟に叫んだ。 馬車はアテナイの出口付近にある、深い谷(地下空洞の断崖)へと向かう。 ハチは理性を失い、ただ優作たちを殺すことだけを目的として、盲目的に追いかけてくる。
「……ここだ! ルカ、Uターン!」
断崖絶壁の直前で、ルカが手綱を強引に引く。 馬車は車輪をきしませながら急旋回し、ギリギリで崖の縁を回避した。
しかし、猛スピードで突っ込んできたハチには、止まる術がなかった。
「グガアアアアッ!?」
ハチは勢い余って足を滑らせ、そのまま谷底へと投げ出された。 あるいは、洞窟の壁面に激突し、その衝撃で落下していったのかもしれない。
「……やったか?」
優作たちが崖下を覗き込むと、遥か底から、何かが激突する鈍い音と、断末魔のような咆哮が微かに響いてきた。 だが、その声もすぐに闇に飲み込まれ、静寂が戻った。
ハチが死んだのか、それともあの再生力で生き延びたのか。 その深淵の底を確認する術は、今の優作たちにはなかった。
「……行こう」
優作は短く告げた。




