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『異世界人間失格 ~スキル【批評】持ちの独白~』  作者: 猫寿司
第11章:あるいは、私という人間の「異世界の【夢喰いの歌う骸(むくろ)】

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第52部:ルカの旋律と、嫉妬の渦

優作たちは、ハチの案内で貧民街の一角にある彼のアジトへと向かった。

華やかな大通りとは打って変わり、そこは薄暗く、湿った空気が漂っていた。


「ここが、俺の……スタジオだ」

ハチが誇らしげに、しかしどこか卑屈に扉を開けた。

そこは、ゴミとガラクタが散乱する、狭い屋根裏部屋だった。

部屋の隅には、埃をかぶったチェロのような楽器が一本、無造作に立てかけられている。


「……これが、スタジオ?」

ルカが素直な感想を漏らす。

「ああ。マエストロにあらゆる妨害を受けて、今はこんな場所しか借りられないが……俺の才能があれば、場所なんて関係ないさ」


ハチは、散らかった机の上から数枚の楽譜を引っ張り出した。

「これが、盗まれた曲の原案だ。見ろよ、この旋律。マエストロが演奏していたのと、そっくりだろ?」


優作は楽譜を受け取り、眺めた。

(……似ている、か?)

確かに、素人目には似ているように見える。だが、優作の中で違和感が膨らんでいく。

それは小説家を目指していた頃、何度も味わった感覚だった。

推敲の跡も、悩み苦しんだ痕跡もない。ただ、思いついたフレーズを書き殴っただけのような、薄っぺらな楽譜。

(……こいつ、本当にこれを「作品」と呼べるのか?)


優作は、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

ハチの必死な目。それは、かつて出版社に原稿を持ち込み、「才能がない」と言われるのを恐れて震えていた自分の目と同じだったからだ。

(……いや、決めつけるのは早い。マエストロが本当に悪党で、原案だけ盗んで完成させた可能性もある)

優作は、ハチを否定することを避けた。それは優作自身の弱さであり、過去の自分への甘さでもあった。


「……とりあえず、マエストロの周辺を調べてみるよ」

優作は、そう言ってハチのアジトを後にした。

まずは事実確認が必要だ。ハチの言葉を信じたい気持ちと、信じきれない疑念の間で揺れながら。


優作は一人で、マエストロの屋敷へ向かった。

スズは「私は太鼓の男の所に行く」と言って別行動を取り、ルカは「街で歌ってくる!」と広場へ向かった。


マエストロの屋敷は、街一番の高級住宅街にあった。

優作は屋敷の裏手に回り、様子を窺う。

屋敷からは、絶え間なくバイオリンの音が聞こえてくる。

(……練習か?)


優作は、庭師に変装して屋敷の敷地内に潜入した。

練習室の窓から中を覗く。

そこには、鬼気迫る形相でバイオリンを弾くマエストロの姿があった。


「違う! 音の伸びが足りない!」

マエストロは、弾き終えた直後に叫び、自分の指を噛んだ。

指先は赤く腫れ上がり、爪は割れ、テーピングだらけだ。

床には、折れた弓が何本も転がっている。


「あと3日……コンテストまであと3日しかないのだ! このままでは、私の『音』が完成しない!」

マエストロは、頭を抱えて呻いた。

「完璧でなければならない……『マエストロ』の称号を持つ者は、常に完璧でなければ……!」


優作は息を呑んだ。

そこにあったのは、傲慢な権力者の姿ではない。

才能という呪いに縛られ、自分自身を追い詰め続ける、孤独な求道者の姿だった。


(……こいつ、本物だ)

優作は直感した。

こんな男が、あんな薄っぺらいハチの曲を盗むはずがない。盗む必要がないのだ。

ハチの言っていたことは、やはり妄想か、あるいは自分を慰めるための嘘だったのか。


優作は屋敷を離れ、重い足取りでハチのアジトへ戻った。

真実を告げなければならない。だが、どう言えばいい?

「お前には才能がない」「マエストロは努力している」……そんな言葉が、ハチに届くとは思えなかった。


アジトに戻ると、ハチは苛立った様子で部屋の中を歩き回っていた。

「……遅いぞ! 調査はどうだった? 証拠は見つかったか?」


「……いや、決定的なものはなかった」

優作は言葉を濁した。

マエストロの壮絶な練習風景を伝えても、ハチは「パフォーマンスだ」と一蹴するだろう。

「ハチ、お前の曲だが……もう少し、練り直してみないか? 確かに原案としてはいいが、完成度で言えばマエストロの方が……」


「はぁ!?」

ハチが食ってかかった。

「お前、何言ってるんだ? 俺の曲が未完成だって言うのか!? マエストロの肩を持つのか!?」


「違う。ただ、現実的に考えて……」

「現実!? 現実は、あいつが俺の曲を盗んで、俺を追い出したってことだろ!」

ハチの目が血走る。

「わかったよ。お前も結局、あいつらの味方なんだな。才能ある俺が怖いんだろ!」


「……ハチ、落ち着け」

優作は手を伸ばそうとしたが、ハチはその手を乱暴に振り払った。


「もういい! 誰の力も借りない! 俺一人でやる!」

ハチは叫び、机の引き出しから何かを取り出した。

鈍色に光る、古びた指輪。


「……なんだ、それ?」

優作が尋ねる間もなく、ハチはその指輪を指にはめた。

ブゥン……と低い音が鳴り、ハチの全身から異様な気配が立ち上る。


「……力が、湧いてくる」

ハチの表情が、一瞬で変わった。

怒りが消え、代わりに陶酔したような、虚ろな笑みが浮かぶ。

「そうだ。俺は悪くない。悪いのはマエストロだ。あいつさえいなければ……」


ピュティアが、優作の脳内で警告を発した。

『優作! その指輪、ヤバイよ! 思考ノイズが急上昇してる! 干渉して!』


「ハチ! それを外せ!」

優作が飛びかかろうとするが、ハチは人間離れした力で優作を突き飛ばした。

「邪魔をするな! 俺は証明しに行くんだ! 俺の才能を!」


ハチは、アジトの窓を蹴破り、外へと飛び出した。

その手には、いつの間にかナイフが握られていた。


「……クソッ!」

優作は、痛む体を起こし、ハチを追う。

うすうす気づいていながら、決定的な言葉を言えなかった自分の弱さが、最悪の事態を招いてしまった。

優作は、暴走するハチの背中を追いかけ、街へと駆け出した。

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