第50部:拳で語る王
決戦の場所は、王宮前広場。
優作たちが身構える中、ペコが一歩前に出た。
「……下がっていてくださいまし。ここからは、わたくし一人の『けじめ』です」
優作は心の中で即座にツッコミを入れた。
(最初っからそうすればよかったじゃん……!)
だが、ペコの背中は、今まで見たどの瞬間よりも大きく、王としての威厳に満ちていた。
前方では、宮殿の入り口を守護する精鋭兵士たちが槍を構えている。
「止まれ! 此処より先は……」
「退きなさい」
ペコは武器を持たず、徒手空拳で突き進んだ。
兵士たちが殺到する。
だが、ペコの動きは舞うようだった。
一撃。二撃。
拳が甲冑を砕き、蹴りが巨体を宙に浮かせる。
殺しはしない。だが、二度と立ち上がれないように的確に急所を打つ。
10人ほどの兵士が、瞬く間になぎ倒された。
静寂が戻る。
すると、倒された兵士の一人が、痛みに耐えながら片膝をつき、ペコに向かって首こうべを垂れた。
「……お見事です」
それに続き、他の兵士たちも、次々と武器を置き、跪ひざまずいていく。
「失礼いたしました……王女様。おかえりなさいませ」
彼らは知っていたのだ。この圧倒的な「個」の強さこそが、かつてこの国を支え、外敵から守り抜いた「王の証」であることを。
彼らの本能が、真の王の帰還を歓迎していた。
ペコは兵士たちに頷くと、宮殿のバルコニーを見上げ、腹の底から叫んだ。
「降りてきなさい! ヴォルフガングッ!!」
「こそこそ隠れていないで、わたくしと拳で語り合いなさいッ!!」
その声に応えるように、バルコニーから影が躍った。
老齢とは思えない身軽さで、ヴォルフガングが宮殿の入り口に飛び降りる。
着地の衝撃で石畳がひび割れる。
彼は、軍服を脱ぎ捨て、鍛え上げられた肉体を晒していた。
「……よかろう。ペコよ」
ヴォルフガングが構える。
「『システム』も『法』も関係ない。ただの師として、そして父として……貴様のその『王の覚悟』、試させてもらう!」
「望むところですわ、爺じい!」
二人が激突した。
魔法も、小細工もない。純粋な殴り合い。
拳と拳がぶつかり合い、衝撃波が周囲の空気を震わせる。
ドゴッ! バキッ!
一発殴るごとに、言葉が交わされる。
「重くなったな、拳が!」
ヴォルフガングの拳がペコの頬を捉える。
「貴様が幼い頃、私が武術を教えた時は、ただの軽い小石だったがな!」
そう、ヴォルフガングはペコの教育係だった。幼い頃から彼女を見守り、誰よりもその成長を期待していた男だった。
「貴様こそ! 衰えましたわね!」
ペコがクロスカウンターを叩き込む。
「あの日……息子の処刑の日から、貴様の時間は止まったままですもの!」
「黙れェッ!!」
ヴォルフガングの拳に、悲痛な力が籠る。
「あの日、息子は……確かに愚かだった! だが……!」
ヴォルフガングの渾身の拳が、ペコの顔面を捉える――直前。
バシィッ!!
ペコは、その重い拳を額ではなく、左手の手のひらでガッシリと受け止めた。
衝撃波が周囲に拡散し、地面がひび割れる。
「だが、奴が復讐のために殺した一族の中には、何も知らない赤子も、無関係な人間も含まれていたのですぞ!」
ペコは叫び、受け止めた拳を握り潰さんばかりに力を込める。
「知っていますわ! あいつは一線を越えた! 個人の感情で、無関係な民まで巻き添えにして焼き殺した! それを『王』であるわたくしが、黙認できるはずがないでしょうッ!!」
「ならば……! なぜ私に相談しなかった!?」
ヴォルフガングが慟哭する。腕を引こうとするが、ペコの怪力に封じられ動かない。
「私なら……息子を説得できたかもしれない! あるいは、もっと穏便な裁きを……!」
「できるはずがないでしょう!」
ペコの一撃が、ガラ空きになったヴォルフガングの腹部に深々と突き刺さる。
「貴様は身内だ! 関係者に相談すれば、『情』が絡む! 癒着が生まれる! 示しがつかなくなる!」
「王は……孤独でなければならない! 誰よりも公平で、非情でなければ、国など守れないのですッ!!」
ペコの目から、涙が溢れ出していた。
彼女とて、慕っていた師の息子を殺したくなどなかった。
だが、国の秩序を守るために、自らの心を殺して「処刑」を選んだのだ。
その苦しみを、痛みを、誰よりも知っていたのはペコ自身だった。
「……ぐ、ぁ……」
ヴォルフガングが、よろめいた。
肉体のダメージではない。ペコの拳に込められた「王としての苦悩と覚悟」が、彼の復讐心を打ち砕いたのだ。
ドサッ。
ヴォルフガングが片膝をついた。
もう、立ち上がろうとはしなかった。
広場に静寂が落ちる。
勝負あった。誰もがそう思った。
だが、ペコは勝利の雄叫びを上げなかった。
彼女は、膝をついた師を見下ろし、静かに言った。
「……痛み分け、ですわね」
「……なに?」
ヴォルフガングが顔を上げる。
「力ではわたくしが勝ちました。ですが……人の心の痛み、喪失の悲しみ。それを誰よりも知っているのは、貴様の方ですわ」
ペコは、自分の拳を見つめた。
「わたくしには、まだそれが足りません。……今のわたくしよりも、痛みを知る貴様の方が、『王』に相応しいのかもしれませんわね」
「ペコ……」
ペコは踵を返すと、広場の瓦礫の上に佇むスズの方へと歩み寄った。
そして、ビシッと指を突きつけた。
「スズ様!」
「……あ?」
スズが嫌な予感に眉をひそめる。
ペコは、凛とした表情で、宣言した。
「わたくしは、まだ未熟です。ですから……賭けをしましょう」
「賭け?」
「今から、わたくしと勝負してくださいませ! もし、わたくしがスズ様に勝つことができれば……この国に留まり、わたくしと夫婦になってください!」
「……はぁ?」
優作とルカが口をあんぐりと開ける。
「ですが……もしわたくしが負ければ」
ペコの瞳に、悲壮な覚悟が宿る。
「わたくしは一人旅の修行に出ます。人の痛みを知り、真の王となるための経験が、わたくしにはまだ足りませんもの」
スズは、深いため息をついた。
「……面倒くさい奴だな、お前は」
だが、その口元は微かに笑っていた。
「いいだろう。その勝負、受けてやる」
スズが刀を置き、素手で構える。
ペコも構える。
「剛」のペコと、「柔」のスズ。
二人の影が交錯する。
「はあああああっ!!」
ペコが、大地をも砕く渾身の突きを放つ。
それは、ヴォルフガングさえも沈めた必殺の一撃。
だが。
スズは動じなかった。
ペコの拳が届く寸前、スズの体が水のように揺らぐ。
力を受け流し、懐へと滑り込む。
「……遅い」
スズの掌底が、ペコの顎の先端を、軽く、しかし的確に打ち抜いた。
トン。
衝撃音は小さかった。
だが、脳を揺らされたペコの意識は一瞬で断ち切られ、その巨体は独楽のように回転し、地面に叩きつけられた。
ドサッ。
「……勝負あり、だな」
スズは、倒れたペコを見下ろし、静かに告げた。
あまりにもあっけない、瞬殺だった。
***
その夜。
一行は、最初で最後の「王宮での夜」を過ごすことになった。
王女の寝室。
豪奢な天蓋付きのベッドで、スズとペコは肌を重ねていた。
それは、今までの貪るような交わりとは違う、互いの体温と存在を確かめ合うような、静かで濃密な時間だった。
「……強かったですわ、スズ様」
ペコが、スズの胸に顔を埋めて呟く。
「手も足も出ませんでした……」
「当たり前だ。お前ごときに負ける私じゃない」
スズは、ペコの獣耳を優しく撫でた。
「……行ってこい、ペコ。広い世界を見て、もっと強くなれ」
「はい……」
ペコは、涙をこらえてスズを見上げた。
「約束してくださいませ。一年後の今日……またこの場所で、勝負することを」
「ああ。その時は、もう少しマシな喧嘩ができるようになっておけよ」
二人は、言葉の代わりに、深く口付けを交わした。
これが、別れの儀式だった。
***
翌朝。
まだ薄暗い早朝、優作たちは王宮を後にした。
ペコは旅装束に身を包み、一人、逆の方角へと歩き出していた。
ヴォルフガングに国を託し、自らの未熟さを知るための旅へ。
馬車の中で、ルカが地図を広げた。
「ねえ、次はどこ行くの?」
優作が欠伸を噛み殺しながら答える。
「さあな。あてもない旅だ」
「あのね、ペコちゃんが言ってたんだ」
ルカが目を輝かせる。
「この国のずっと西に、『音楽の都』があるんだって! 毎日音楽祭をやってて、美味しいものもいっぱいあるらしいよ!」
「音楽の都か……」
優作は、窓の外の朝焼けを見た。
殺伐とした戦いの日々。少しは、文化的な休息も悪くないかもしれない。
「……悪くないな。行ってみるか」
「賛成! アタシ、新しいギターの弦が欲しいし!」
馬車は、西へと進路を取った。
後ろ髪を引かれるような思いを断ち切り、新たな目的地へ。
「素晴らしき野蛮な世界」の旅は、まだ終わらない。
(第50部・完)




