第46部:首輪の重さと、優しい嘘
地底世界のさらに深層。文明の光が届かぬ岩盤の底に、その国はある。 『犬の国』。 鋭敏な鼻と耳、そして感情を隠せない尻尾を持つ「犬族」たちが支配する、弱肉強食の狩猟国家である。
彼らの掟はシンプルだ。「強い者が偉い」。 彼らの愛もまたシンプルだ。「好きなら力ずくで守れ(娶れ)」。
そんな、現代人の常識など1ミリも通用しない野蛮で熱苦しい国へ向けて、一台の馬車が荒野を疾走していた。 セントラルシティを脱出し、帰郷を目指す一行。 だが、険しい山岳地帯を抜ける旅路の中、車内の空気は、ある種「濃密」すぎるものとなっていた。
「あぁん、スズ様ぁ……♡ もっと、もっと撫でてくださいませ……!」 ペコは、スズの手を自分の胸元へと導きながら、熱っぽい吐息を漏らす。 「そこ、ですわ……耳の裏、もっと強く……!」 スズが指先でペコの獣耳の付け根を愛撫すると、ペコは背中を反らし、恍惚とした表情で喘ぎ声を上げた。 「ふあぁ……っ! 駄目です、そんな……馬車の中で……!」 言葉とは裏腹に、彼女の体はスズに押し付けられ、尻尾は興奮を隠しきれずに激しく揺れている。
「……おい、ペコ。少し離れろ。暑苦しい」 スズは呆れたように言いながらも、その手つきは慣れたもので、ペコの敏感な箇所を的確に刺激していた。 「でもぉ……スズ様の匂いがしないと、わたくし、落ち着きませんの……」 ペコはスズの首筋に鼻先を擦り付け、深々とその匂いを吸い込む。それはもはや人間同士の愛情表現を超えた、所有と依存を確認し合う獣のマーキングに近い行為だった。
優作は、向かいの席でその光景を見ながら、呆れ果てていた。 (……この女、スズの前だと知能指数が下がってないか?) 目の前で繰り広げられる、濃密なフェロモンと獣の匂いが充満する空間。 それは、ペコが「王女」としての仮面をかなぐり捨て、ただの「恋する雌」になり下がっている瞬間だった。
ふと、優作は隣に座るルカに視線を移した。 (……というか、ルカにこの濃厚な光景を見せるのは、教育上どうなんだ?) 目の前で繰り広げられる、倒錯的かつ濃密なラブシーン。多感な時期の少女には刺激が強すぎるのではないか。
だが、ルカは心得たものだった。
彼女は愛用のギターを抱えると、ジャカジャカと、あえて大きめの音で適当な旋律を弾き始めていた。
視線は窓の外の景色に固定し、意識を指先と音だけに集中させている。
「(アタシは何も見てない、何も聞いてない……)」
それは、この個性の強すぎるパーティで生き抜くために彼女が身につけた、独自の処世術だった。
そんな「恋する乙女モード」と「現実逃避演奏」の合間に、ペコは時折、驚くほど鋭い眼光を見せることがあった。
「ご安心あそばせ、皆さま」
ペコは、スズに撫でられながら、ふと真面目な顔で言った。
「国に戻れば、すぐにケリがつきますわ。あの大臣風情、わたくしの拳で沈めてみせます」
「……拳で?」
「ええ。わたくしは、ただ血筋だけで王女になったわけではございませんの」
ペコは誇らしげに胸を張った。
「『犬の国』の王位は、聖地闘技場での全土トーナメントを勝ち抜いた『最強の個体』にのみ与えられます。わたくしは、前回の覇者。実力で玉座を掴み取ったのですわ」
彼女の言葉に嘘はなかった。
ペコは、スズの威光を借りて国を支配しようなどとは微塵も思っていない。
彼女もまた、スズやルカと同じく、己の肉体と強さを信じる「武闘派」なのだ。
ただ、スズへの愛が重すぎて、スズの前ではその「強者」としての顔が溶けてなくなってしまうだけで。
「スズ様は、ただ見ていてくださいませ! わたくしが、華麗に国を取り戻す様を!」
ペコは目を輝かせてスズを見上げる。
「そして、王に戻ったあかつきには……毎晩、朝まで可愛がってくださいませね♡」
「……」
スズは、ペコの頭を撫でながら、無言でため息をついた。
(……うざったい)
スズの本音が、冷たく囁く。
スズは、ペコのことを嫌いではない。夜の相性もいいし、その直情的な性格も悪くはない。
だが、この種族特有の、底なしの従属性とスキンシップ欲求には、正直、胃もたれしていた。
四六時中、全身全霊で「好き好き大好き」オーラを出され続けるのは、スズのような淡白な性格には重荷なのだ。
(……ここらで、少し突き放すか)
スズは一瞬、ペコに冷たい言葉を浴びせそうになった。
だが、スズはペコの潤んだ瞳を見て、その言葉を飲み込んだ。
(……いや、ダメだ。こいつ、私が目を離したら何をしでかすか分からん)
ゲオルグの時と同じだ。
愛憎や執着で暴走するタイプは、無下に扱えば逆に危険だ。
それに、ペコのこの純粋な好意を、ただ「重い」という理由だけで切り捨てるのは、あまりにも不誠実だという思いもあった。
「男(女)の振り方は考えないとな」という自戒が、スズを踏みとどまらせた。
「……ペコ」
スズは、膝の上のペコの耳を、少し強めに引っ張った。
「あぁん♡」
「いいか、よく聞け。国に入ったら、そのデレデレした顔をやめろ」
「……はひ?」
「お前は『王』に戻るんだろ? 私の愛人じゃなくて、一国の主として振る舞え」
スズは、ペコの顎をクイっと持ち上げた。
「私はな、他人の威光を借りたり、男(女)に媚びて玉座に座るような奴は嫌いなんだ」
ペコの顔色がサッと変わる。
「き、嫌い……!? そ、それだけは……!」
「だから、証明しろ」
スズは、あえて冷たく言い放つ。
「私たちがついては行くが、手出しはしない。大臣を倒すのも、民を従えるのも、全部お前一人でやれ。……私の助けを期待するようなら、その瞬間に見捨てるぞ」
これは、別行動はさせないが、「精神的な自立」を強制する通告だった。
「私の隣にいたければ、私に寄りかかるな。自分の足で立て」という、スズなりの妥協案だ。
ペコの瞳に、緊張と、それ以上の「闘志」が宿る。
「……承知いたしましたわ」
ペコはスズの膝から離れ、居住まいを正した。
王族としての威厳と、獰猛な戦士の気配が戻ってくる。
「わたくしが、ただ愛されるだけの存在ではないこと……スズ様の隣に立つにふさわしい『覇王』であることを、この戦いで証明してみせますわ!」
「……フン。口だけなら何とでも言える」
スズはそっけなく返したが、内心では(とりあえず、ベタベタされるのは回避できたか)と安堵していた。
「さて、国境だ」
優作が窓の外を見て言った。
「ペコが『主役』で、俺たちはただの『付き添い』だ。……頼むから、変な騒ぎだけは起こすなよ」
「失礼な。わたくしの凱旋ですのよ? 盛大に、かつ華麗に決めてみせますわ!」
一行を乗せた馬車は、そのまま全員で「犬の国」の国境ゲートへと進んでいった。
ペコの重すぎる愛と、スズの憂鬱、そして優作の不安を乗せて。
波乱の幕開けである。




