第45部:神々の檻
あれから、数日が過ぎた。
ゲオルグという「絶対的な死」を退けた四人は、今や「神の使徒」、あるいは「生き神」そのものとして祭り上げられていた。
信徒、神官、民衆、商人。崩壊したセントラルシティに残る全ての人々が、熱狂と共に彼らを迎え入れた。
彼らは、瓦礫の山となった街の中で、奇跡的に無傷で残っていた最も豪華な建物――旧時代の迎賓館と思われる施設――に隔離、いや「保護」されていた。
一神教の教徒たちにとって、これまでの日々は「神の不在」を信じることで耐え忍ぶ、不安な試練の時だった。
だが今、目の前に「悪魔」を滅ぼした「絶対的な力」が現れたのだ。
信仰の対象が実体を持って現れた歓喜に、人々は酔いしれていた。
四人には、それぞれの役割(神格)が与えられた。
スズは、悪魔の首を刎ねた「戦いの女神」として。
ルカは、戦場に奇跡の旋律を響かせた「音楽の神」として。
ペコは、女神に付き従う「聖獣」として。彼のア人種(犬族)という出自さえも、今や「高貴な存在」の証として崇められた。
そして優作は、神の雷を操る「魔術の神」として。
建物の中では、退廃的なほどに快適で、豪華な生活が繰り広げられていた。
優作の部屋には、毎日、全国から「選抜」されたという美女たちが訪れた。 彼女たちは、神である優作に「抱かれる」ことこそが至上の喜びであり、一族の誉れであると信じ込んでいた。 「神様……どうか、私めをお使いください」 当初、優作はその状況に戸惑いつつも、男としての喜びを感じていた。 現代日本では決して味わえなかった、絶対的な肯定と奉仕。自分は高貴な身分なのだから、これが当たり前なのだという傲慢さが、知らず知らずのうちに態度に表れ始めていた。
だが、そんな生活も長くは続かなかった。 来る日も来る日も、見知らぬ異性を抱く日々。そこには「心」の交流はなく、ただ儀式的な「交配」を求められているような空虚さが募っていく。 それだけではない。彼女たちの視線には、どこか貪欲で、切実な「期待」が潜んでいた。 そう、この儀式の真の目的は、優作の快楽のためではない。「神の血」を引く子供――「半神」を宿すこと、つまり優作の「子種」の採取にあったのだ。 彼女たちは、自らの一族に神の血脈をもたらすための「器」として送り込まれていた。
体力の限界もあり、ある夜、優作は部屋を訪れた女性を体よく断った。 「……今日は疲れている。下がってくれ」
その瞬間だった。
「申し訳ございません! 私に至らぬ点が……!」
目の前の美女が泣き崩れ、隠し持っていたナイフを取り出すと、迷わず自らの喉に突き立てようとしたのだ。
「なっ!?」
優作は慌てて飛び起き、彼女の手を掴んで止めた。
「神に拒絶された身など、生きている価値はございません!」
彼女は本気だった。優作が抱かなければ、彼女は死ぬ。
事なきを得たものの、優作は背筋が凍る思いだった。
これは「接待」ではない。「生贄」だ。
毎日が、精神を削るような快楽と罪悪感の責め苦だった。
一方、スズとペコの日々も異様だった。 早朝から昼にかけては、神官たちが選抜した精鋭衛兵たちへの「武道の稽古」。 そして昼から夜にかけては、屈強な戦士や、あるいはスズに憧れる男女が「手合わせ」や「奉仕」を求めて列をなした。 「女神様、我が身にその強さを刻んでください!」 それは訓練という名の、肉体言語による崇拝だった。スズたちは、休む間もなく他者と「(組み合う)」ことを強いられていた。
夜が更け、二人きりになると、その「奉仕」の意味合いは変質した。 元来、スズもペコも性欲は旺盛な方だった。昼間の戦闘行為にも似た訓練の高ぶりを鎮めるため、二人は毎晩のように激しく体を重ね合わせた。 スズは特に、ペコのア人種としての特徴――獣の耳と、ふさふさした尻尾――がお気に入りだった。 「ここが良いんだろ? ペコ」 スズが耳の付け根を甘噛みし、尻尾を愛撫すると、ペコはもはや「聖獣」の威厳などかなぐり捨てて、ただの雌犬のように喘ぎ声を上げた。 「あぁ……スズ……もっと……!」 それは、狂信的な信徒たちに見せる「女神と従者」の顔とは違う、もっと生々しく、泥臭い獣同士の交わりだった。
ルカは、昼過ぎになるとバルコニーに立ち、広場に集まった数千の信徒に向けて歌や演奏を披露した。
彼女の歌声に、人々は涙し、失神し、熱狂した。
一部の信徒の間では、ルカの髪の毛一本、吐息一つさえもが聖遺物として扱われ始めていた。
優作は、女を抱くことを半ば強制、あるいは誘導される日々の中で、「魔術の習得」を試みていた。 「エクスプロージョン」だけでは手数が足りない。もっと汎用的な魔術が必要だ。 だが、誰も教えてはくれない。 「神である優作様が、人に教えを乞うなどありえません」 神官たちはそう言って平伏するだけだ。 それに、この世界の魔術行使には「指輪」という触媒が必須らしい。 ゲオルグがはめていた指輪。あれがあれば、何かが分かるかもしれない。 「ピュティア、ゲオルグの指輪は?」 『……探したけど、見つからないね。爆発で消し飛んだか、誰かが持ち去ったか。……でも優作、あれは危険なアーティファクトだよ。無い方がいいかもね』 ピュティアの忠告もあり、魔術の探求は手詰まりとなっていた。
そんなある日のことだった。
食事だけは四人で集まって摂ろうという、彼らの最後の「人間らしい習慣」の最中。
「……う、っ!?」
スープを口にしたルカが、突然喉を押さえて嘔吐し、激しく痙攣して倒れた。
「ルカ!?」
スズが駆け寄る。
毒だ。
『解毒コード生成! 注入!』
ピュティアがいち早く反応し、医療用ナノマシン(魔法という名の科学)で解毒処置を行ったおかげで、ルカは一命を取り留めた。
直後、調理場と配膳の責任者数名が、広場に引き出され、問答無用で処刑された。
「神に毒を盛った大罪人」として。
だが、優作には腑に落ちなかった。
誰が? 何のために?
「音楽の神」であるルカが死んで、誰が得をする?
内部の権力争いか、それとも狂信ゆえの「試練」なのか。
処刑された者たちの最期の表情は、恐怖というよりは「なぜ?」という困惑に満ちていた。
その事件を境に、優作たちを取り巻く空気は一段と重くなった。
ある夜、四人は人払いをし、密かに話し合った。
「……ここは、異常だ」
優作が口火を切る。
「俺の一挙手一投足が監視されている。それだけじゃない。俺が入浴した残り湯が回収され、信徒に『聖水』として配られているのを見た。……排泄物さえも、壺に入れて大切に抱えている奴がいた」
生理的な嫌悪感が、優作の体を震わせる。
スズも、不快そうに腕を組む。
「訓練中の衛兵も気持ち悪い。何をしても、何を言っても、すべて『イエス(御意)』だ。痛みさえも喜びとして受け入れている。……あれは兵士じゃない。思考停止した『従順な奴隷』だ」
顔色の戻ったルカが、膝を抱えて呟く。
「アタシ……怖かった。毒もそうだけど、アタシが倒れた時、周りの人たちが悲しむんじゃなくて……どこか『興奮』してたの。アタシの死すら、彼らにとっては『ドラマ』なんだよ」
ペコが、憂いを帯びた低い声で言った。 「……わたくしたちの居場所は、ここにはございませんわ。わたくしは……故郷、『犬の国』へ帰りたいのです。あそこならば、このような狂った匂いはしないはずですもの」
彼女は、かつて一国の王女だった。 だが、大臣らによるクーデターにより失脚し、命からがら逃げ延びた末に、奴隷として働いていらところをスズに拾われたのだ。 その高貴な血筋ゆえか、あるいはどん底を見た経験ゆえか、今のペコの瞳には、この退廃的な「神の楽園」を見透かすような冷ややかな光が宿っていた。
「……ああ、潮時だな」
優作は決断した。
これ以上、この「神の檻」にいたら、精神が食い尽くされる。
ペコの「帰還」という目的も果たしてやりたい。
脱出の計画は、迅速かつ秘密裏に行われた。
優作は「神の権限」を利用し、特に狂信的で扱いやすそうな信徒を一人、部屋に呼び出した。
「……極秘の任務を与える。神の試練の旅に出るゆえ、馬車と食料、旅路の準備をせよ。他言無用だ」
信徒は感激のあまり失禁しそうになりながら、命令を遂行した。
出発の前夜。
優作は、バルコニーで風に当たっていたスズの隣に立った。
眼下には、彼らを崇める狂った街の灯りが見える。
夜風が、眼下に広がる狂った街の熱気を運んでくる。 優作は、バルコニーの手すりに寄りかかるスズの横顔を見ていた。 彼女は、月明かりの下で、愛刀の鍔を親指で弄んでいる。その指先には迷いがなく、ただ道具の状態を確かめる職人のような手つきだった。
「……なあ、スズ」 優作は、喉に引っかかっていた問いを、夜の闇に溶かすように吐き出した。 「お前は……怖くないのか? 生きることとか、死ぬこととか」
スズの手が止まる。 彼女はゆっくりと顔を向け、優作を見た。その瞳は、獣のように鋭く、しかしどこか透き通っていた。
「怖い、か」 スズは鼻で笑った。馬鹿にしているのではない。その言葉の定義を確認しているようだった。 「あんたの言う『怖い』は、明日死ぬかもしれない恐怖か? それとも、殺した相手に恨まれる恐怖か?」
「……両方だ。ルカの毒殺未遂も、ゲオルグとの死闘も……。あまりにも死が近すぎる。なのに、お前たちは平然としているように見える」
スズは視線を再び街の灯りへ戻した。 「平然としているわけじゃない。……ただ、『選ばれた』という自覚があるだけだ」
「選ばれた?」
「……いや、私やルカがいたコンテナツリ-の話だ」 スズは淡々と語り始めた。それは優作の知る「生活」極限の「生存」の話だった。
「村では、生産ができないものは『選別』が行われる。食い扶持以上の働きができない者、足が遅くて狩りに参加できない者、そして……群れの規律を乱す『利己的な者』。それらはすべて、アトラスによって間引きされる」 「……間引きって、殺すのか?」 「あるいは、荒野に捨てる。結果は同じだ。一人の無能を生かす食料が、一族全員の全滅を招く。だから、殺す。それが『善』だ」
優作は息を呑んだ。 現代日本では、生きることは「権利」だった。能力がなくても、働かなくても、システムが生かしてくれる。 だが、スズたちの世界では、生きることは「能力」であり、勝ち取り続ける「資格」なのだ。
「私やルカは、その選別網を潜り抜けてきた『生き残り(エリート)』だ。隣で寝ていた友人が、翌朝にはいなくなっている。そんなのが日常だった」 スズは、自分の腕の筋肉を軽く叩いた。 「だから、私たちの死生観はシンプルだ。『生きている』ということは、それだけで『他を押しのけて勝ち残った』という証明だ。死ぬときは、単に負けた時。……そこに、あんたが抱えるような湿っぽい『情緒』が入る隙間はない」
「……そうか。だから、お前たちは強いんだな」 優作は、自分の卑屈な悩みがいかに贅沢なものかを痛感した。
「でもな、優作」 スズの声色が、ふっと柔らかくなった。 「ここ(セントラルシティ)や、あんたの話す『ニッポン』って国……。私には、腐りかけの果実みたいに甘く、退廃的に見えるよ」
「退廃的?」
「ああ。弱い奴が、弱いままで生きていられる。誰も彼もが、自分の食い扶持以上のことを悩み、苦しみ、無駄なことに時間を使っている」 スズは、眼下の信徒たち――優作の残り湯をありがたがるような、生産性のない狂人たち――を指差した。 「私の村なら、あいつらは真っ先に『肥料』にされている。……だけど」
スズは、優作の方を向き、微かに笑った。 「嫌いじゃないんだ。この『甘さ』が」
「え?」
「私の村は強かったが、退屈だった。全員が『生きるための正解』しか選ばないからだ。同じ顔、同じ思考、同じ強さ。……そこには『多様性』がなかった」 スズは、優作の胸元――何役にも立たない、ただ悩むだけの心臓がある場所――を指先で突いた。 「あんたみたいに、ウジウジ悩んで、弱いくせに虚勢を張って、でも土壇場で妙な『魔法』を使う奴は、私の村じゃ育たない。……この『無駄』が許される世界だからこそ、あんたや、ルカのあの『意味のない音楽』が生まれたんだろ?」
生存のエリートであるスズが、生存には不必要な「多様性」に惹かれている。 その矛盾した瞳に、優作は吸い込まれそうになった。
「……ゲオルグのことは、どうなんだ」 優作は、核心に触れた。 「あいつは……お前の、かつての……」
「男、だろ? はっきり言えよ」 スズは、腰の刀を撫でた。その指先が、初めて微かに震えたように見えた。 「……罪悪感がないと言えば、嘘になる。首を落とした時の感触……骨が断ち切れる音。あれは、一生手に残るだろうな」
スズは、夜空を見上げたまま、静かに、しかし断固として言った。
「でも、私が背負わなきゃ、誰かがあいつに殺されていた。……選ぶってことは、他の可能性を『殺す』ってことだ」 「あいつは強かった。だけど、狂った。一族の生存を脅かす『害悪』になった。だから……私が、始末をつけた」
彼女は優作を見た。その目は、かつて優作が神官たちを「捨て駒」にした時の目と、同じ色をしていた。
「あんたが『あの時』、神官たちを犠牲にして私を救ったように。……それが、リーダー(生きる者)の仕事だろ?」
「……!」
優作は言葉を失った。 スズは知っていたのだ。優作がピュティアを使って神官を扇動し、死なせたことを。 そして、それを「罪」として糾弾するのではなく、生きるための「選択」として、対等に受け入れているのだ。
「……俺は、お前ほど強くない」 「知ってるよ。でも、あんたは『選んだ』。……それだけで十分だ」
スズは刀の柄から手を離し、伸びをした。 その仕草は、戦士のものではなく、ただの年相応の女性のものだった。
「行こう、優作。夜明けと共に」 「……ああ」
神々は、神殿を捨てる。 選ばれたエリートの冷徹さと、多様性を愛する人間臭さを併せ持った「戦いの女神」と共に、優作は再び泥臭い旅路へと戻る決意を固めた。




