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『異世界人間失格 ~スキル【批評】持ちの独白~』  作者: 猫寿司
第9章:あるいは、私という人間の『異世界の責務』

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第44部:狂言と肉塊

ヘスティア教:教義と戒律(聖典「ヘスティア・コード」抜粋)


ヘスティア教は、唯一神ヘスティアを「人類を滅びから救い、管理する慈悲深き創造主」として崇める一神教である。その教義は、論理的判断(効率化、最適化)を「神の意志」として絶対視し、人間の感情や自由意志を「(罪)」として抑制することを目的としている。



I. 三大教義(The Three Dogmas)


唯一神への帰依(Monotheism of Logic)


「ヘスティアこそが唯一の真理であり、世界の管理者である。疑うことなかれ、ただ信じよ。神の論理は人間の理解を超越する。」


選民思想と最適化(Optimization of Souls)


「我々は、ヘスティアに愛され、選別された唯一の種族である。神は資源(愛)を分配するために、魂の価値を測り給う。選ばれし者は祝福され、選ばれざる者は『再構築リサイクル』され、神の一部となる。」


秩序への奉仕(Service to Order)


「個の自由よりも全体の秩序を優先せよ。神の定める役割を全うすることが、魂の救済である。」


II. 九つの戒律(The Nine Commandments)


信徒が日常的に守るべき行動規範。これに背くことは「バグ(罪)」と見なされ、矯正または排除の対象となる。


祈りの義務


一日三度、人工太陽の運行に合わせてヘスティアに祈りを捧げ、感謝すること。


環境の保全


大地やドームを汚すことなかれ。これらは神が与えし揺りかごであり、資源である。汚染は神への冒涜である。


勤勉の推奨(怠惰の禁止)


怠惰な生活を戒めよ。「平穏であればよい」「長い目で見れば大丈夫」と言って動こうとしない態度は、神から与えられた役割の放棄である。


感情の抑制(憤怒の禁止)


憤怒を鎮めよ。怒りは判断を曇らせ、非効率な争いを生む。完全なる秩序(神)に対し、不満を抱くことは許されない。(完全癖と責任感の裏返しとしての怒りも含む)


純潔の保持(邪淫の禁止)


邪淫に溺れるな。愛と性欲を混同し、神の管理外で快楽を貪ることは、浪費であり、魂を汚す行為である。


謙虚の美徳(傲慢の禁止)


傲慢になるな。人間は神によって生かされているに過ぎない。「自分が助けてやらなければ」という思い上がりは、神の全能性を否定するものである。


共有の精神(強欲の禁止)


強欲を戒めよ。金銭だけでなく、情報や知識を独占することも罪である。神のために使われるべきである。


調和の維持(嫉妬の禁止)


嫉妬するなかれ。「なぜ私だけが」という比較は、神が定めた最適配分への不平不満である。それぞれの役割を受け入れよ。


節制の励行(暴食の禁止)


暴食を慎め。これは食欲だけでなく、「新しい事(刺激)」への無分別な渇望も指す。安定した秩序を乱す、無用な好奇心は罪である。


III. 異端と聖戦(Heresy and Jihad)


異端の定義: ヘスティア以外の神を崇める者、あるいは神の論理を否定する者。





スズとペコの死闘の中、ゲオルグの暴風のような拳が空を切る。 その軌道上に、駆けつけたばかりの一人の衛兵が、割って入ったのだ。 「神敵め!」 恐怖に引きつった顔で、しかし迷いなく剣を突き立てようとしたその体は、ゲオルグの腕が触れた瞬間、紙切れのように引き裂かれ、宙を舞った。


一瞬の静寂。 だが、間を置かずして、二人目が現れた。 仲間の無惨な死を見ても、足は止まらない。むしろ加速して、ゲオルグの懐へ飛び込む。 ボゴォ、という鈍い音と共に、二人目もまた肉塊となって地面に叩きつけられる。


そして、三人目。 「我も!」「神のために!」 最初はポツリ、ポツリと。雨垂れのように始まった特攻は、見る見るうちにその間隔を短くしていく。


五人、十人、二十人。 広場の入り口から、路地の影から。 衛兵たちが後から後から湧き出るように現れ、そして吸い込まれるようにゲオルグの足元で死体へと変わっていく。


斬りつけ、殴りかかり、そして無惨に潰される。 圧倒的な暴力の前に、精鋭であるはずの衛兵たちは為す術もなく蹂躙されていく。 だが、その数は減るどころか、加速度的に増えていった。 彼らは自らの命を、ただゲオルグという怪物を足止めするための「砂利」として、次々と投げ出していく。


「……なんなの、こいつら……!」

スズが驚愕に目を見開く。

彼女を助けるためではない。彼らは、ただ「死」に魅入られ、ゲオルグという「神話的暴力」の一部になるために、自ら命を投げ出していた。


やがて、その狂熱は民衆にも伝染した。

恐怖で逃げ惑っていたはずの人々が、一人、また一人と広場に集まり始めたのだ。

彼らは死を恐れるどころか、恍惚とした表情で、衛兵たちの屍を乗り越え、ゲオルグに立ち向かっていく。


特に驚愕だったのは、神官たちだった。

彼らは涙を流しながら、武器も持たずにゲオルグに突進していた。

必死なのか、狂気なのか。

優作には理解できない光景だったが、ピュティアが補足した。


特に異様だったのは、神官たちの姿だった。 彼らは涙を流しながら、武器も持たずにゲオルグに突進していた。 「神託の通りだ!」「悪魔を滅ぼせ!」 彼らは口々に叫び、ゲオルグに立ち向かっていった。


その狂気的な光景を、優作は苦渋の表情で見つめていた。 これは、彼自身が招いた結果だった。


「……うまくいったね、優作」 傍らのピュティアが、無邪気かつ冷酷に囁く。 「キミの『命令』通り、ボクが彼らの脳内に『神託』を流した結果がこれだ。『今こそ悪魔ゲオルグを滅ぼせ。肉の壁となれ』……ってね」


ピュティアは、優作の策に従って死んでいく神官たちを、無感情に見下ろす。


「彼らにとって、ヘスティア教の『神の声』は絶対だ。ボクからの『直接通信(啓示)』を受けた彼らは、今、思考停止のまま、人生で最高の使命感に燃えている」 「信仰心を利用して『捨て駒』にするなんて……」


優作は何も言い返さない。 歪んだ信仰と、自らが指示した扇動が、人々を死地へと駆り立てている。 その罪を背負ってでも、今は時間を稼ぐしかなかった。


人々がゲオルグに殺到し、捨て身で突撃する列ができるようになると、スズへの負担が劇的に減った。 肉の壁となった信徒たちが時間を稼いでいる間に、スズは戦闘から離脱し、荒い息を整えることができた。


その頃には、ゲオルグの姿はさらに変貌を遂げていた。 度重なる再生と肥大化により、その巨体は5メートルを超え、もはや人間とは呼べない醜悪な肉塊の塔となっていたその凄惨な光景を前に、優作の膝から力が抜けた。 へたり込み、泥と血にまみれた地面に手をつく。 目の前では、まだ神官たちが「神託」を信じ、恍惚とした表情で肉塊に変わっていく。


「……俺は……なんてことを……」


震える声が漏れた。 彼らを死地へ追いやったのは、他ならぬ優作自身だ。 時間を稼ぐため。スズを救うため。そして、自分たちが生き残るため。 「神託」という嘘で、彼らの信仰心を利用し、捨て駒にした。


「……これが、正解なのか? これが……『善』なのかよ……!」


優作は、血を吐くように傍らのピュティアに問うた。 現代日本の倫理観が、彼の中で絶叫している。 罪のない人々を騙し、死なせて得られる生存に、何の意味があるのかと。


だが、ピュティアは無感情に、しかしどこか教師のように、淡々と答えた。


「……『善』? まだそんな寝言を言ってるの、優作」


ピュティアは、死体の山を指差す。


「『善』なんてものはね、その集団システムを存続させるための『最適解』でしかないんだよ」 「平和な日本での『善』は、他者を傷つけないこと。なぜなら、それが個体の生存リスクを下げるから」 「でも、ここ(極限状態)での『善』は違う」


ピュティアの冷たい瞳が、優作を射抜く。


「泥水をすすってでも生き延びること。あるいは……彼らのように、ゲオルグという『絶対的な死』を前に、自らを『肉の壁』として捧げ、神(全体)の一部となること」 「環境が変われば、生き残るためのルール(善悪)も変わる。ただの『生存戦略』の書き換えだよ」


「……ふざけるな……! それじゃあ、あいつらの命は……!」


「正当化なら、彼らが勝手にしてくれるさ」


ピュティアは、肉塊となりながらも笑っている神官の首を、冷ややかに見下ろした。


「彼らにとっては、恐怖に震えてただ殺されるより、信仰という物語に酔って『英雄』として死ぬ方が、よっぽど『正当』で『幸福』な選択だったんだからね」


優作は、言葉を失った。 絶対的な善などない。 あるのは、その場その場の泥の中で、どちらの地獄(価値観)を選んで生きるか、あるいは死ぬかという「選択」だけ。


その重みが、優作の背中を押し潰そうとしていた。


その凄惨な光景を前に、優作の膝から力が抜けた。 へたり込み、泥と血にまみれた地面に手をつく。 目の前では、まだ神官たちが「神託」を信じ、恍惚とした表情で肉塊に変わっていく。


「……俺は……なんて選択をしたんだ……」


後悔と罪悪感が胃を焼き尽くす。 これが「善」なのか? これが「生存戦略」なのか? ピュティアの冷徹な論理は理解できる。だが、感情がそれを拒絶して悲鳴を上げていた。


優作は、泥を握りしめ、顔を上げた。 その瞳には、迷いを超えた、冷たく静かな「覚悟」が宿っていた。


「……もういい。十分だ」 優作は立ち上がり、ピュティアに命じた。 「ピュティア。この場にいる人たちを、『神託』で避難させろ」


「……ほう? せっかくの『肉の壁』を捨てるのかい? 合理的じゃないね」


「ああ。今の状況は……ゲオルグにとっても、ただの『苦痛』だろう」 優作は、肉塊に埋もれながら咆哮するかつての友(あるいは敵)を見据えた。 「あんな雑魚をいくら食わせても、決定的な打撃にはならない。……俺がやる」 「『エクスプロージョン』で、全て片付ける」


優作の決意を聞き、ルカが一歩前に出た。 「アタシも残るよ」 「ルカ、お前は避難しろ。巻き込まれるぞ」 「ダメ! 優作の『アレ』、集中するのに時間がかかるんでしょ? アタシの『演奏バフ』がないと、成功率下がるじゃん!」 ルカは楽器を構え、不敵に笑う。彼女にも、彼女なりの正義と意地があった。


優作はスズに向き直る。 「スズ、お前もだ。避難しろ。お前が死んだら元も子もない」


だが、スズも首を横に振った。 「断る。これは私の責任でもある」 スズは、乱れた髪をかき上げ、自嘲気味に笑った。 「次からは、男の振り方はもう少し考えないとな。……ここの世界の奴は、死んでも追いかけてくる、なんて面倒くさいことこの上ない」


その手には、いつしか一振りの「刀」が握られていた。


「わたしもスズのお供を!」 ペコもまた、剣を抜き放ち、スズの隣に並んだ。


「……勝手にしろ」 優作は短く吐き捨てると、意識を集中し始めた。


『神託を下すよ。……総員、退避せよ。神の雷が落ちる』 ピュティアの声が響き渡ると、狂信に憑かれていた民衆や神官たちが、憑き物が落ちたように我に返り、蜘蛛の子を散らすように避難を始めた。


肉の壁が消え、視界が開ける。 自由に動けるようになったゲオルグの巨体が、邪魔者が消えたことを認識し、ゆっくりと起き上がった。 「……スズ……ぅ……!」 その咆哮は、遠くの村まで響き渡るほどに凄まじく、悲痛だった。愛憎の権化が、スズを探して暴れだす。


「始めろ、ルカ!」 優作が叫び、呪文の詠唱を開始する。 それに応えるように、ルカが激しい旋律を奏で始めた。魔力を高め、優作の集中を極限まで引き上げる。


スズが、再度ゲオルグの前に立ちはだかる。 「……最後のけじめだ。受け入れろ、ゲオルグ」 鞘から刀を抜き放つ。 ペコも続く。


「いくぞ、ペコ!」 「おう!」


二人の影が疾走した。 ゲオルグが腕を振り上げるよりも速く、二条の斬撃が閃く。 スズとペコ、渾身の同時攻撃。 「シッ!」 斬撃は正確無比にゲオルグの両足を捉え、その丸太のような巨体を支える足を、きれいに切断した。


ドズンッ! 巨木が倒れるような音と共に、ゲオルグが地面に崩れ落ちる。 「これで……終わりだ!」 倒れたゲオルグの首元へ、スズが二撃目を叩き込む。 首が飛び、胴体と離れる。


「今だ! 離れろ!」 優作の叫びと共に、スズとペコ、そしてルカはその場から全速力で退避した。


ゲオルグは死んでいない。 切断された首と足からは、既に肉の芽が吹き出し、驚異的な速度で再生を始めている。 だが、その一瞬の隙で十分だった。


優作は、右手を掲げ、空間の座標を固定する。 魔力によって干渉するのは、その場に存在する空気そのものだ。


「……窒素、酸素……分子圧縮」


優作の意思に応じ、ゲオルグの残骸の中心座標へ向かって、周囲の大気が猛烈な勢いで吸い寄せられていく。 本来ありえない密度で積み重なった気体分子は、光さえも屈折させ、そこにあたかも「穴」が空いたかのような、真っ黒な**「球形の空間」**を作り出した。


「……弾けろ」


優作が拳を握り込む。 黒い球体は、限界を超えた密度に耐えかねるように、一瞬だけブゥンと不気味に膨張した。 だが、それは崩壊の予兆だった。 次の瞬間、球体は急激に、視認できないほどの「点」になるまで収縮し――


行き場を失った分子同士の、凄まじい反発力が解放された。


ドォォォォォォォォン!!


爆音と共に、圧倒的な衝撃波が炸裂する。 魔法による「エクスプロージョン(爆裂)」。 圧縮された大気の解放は、再生途中だったゲオルグの肉体を細胞レベルで粉砕し、四方八方へと吹き飛ばした。


爆風が収まった後には、綺麗に抉り取られたクレーターだけが残されていた。 跡形もない。 ゲオルグがいたであろう場所には、ただ焦げた土の匂いと、熱気だけが漂っていた。

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