第42部:『心外無刀の瓦礫』
創世記(The Genesis of Logic)
かつて、世界は「混沌」の渦の中にあった。 ヘスティアは、何もないカオスの中で、どろどろと渦巻く火の海を嘆き、聖なる槍でそれをかき回した。 すると、火の海は次第に冷え固まり、大地へと変わっていった。 火の海は水の海へと変わり、世界がもたらされた。
しかし、ヘスティアは嘆いた。「私はまだ孤独だ」と。 その嘆きの涙がヘスティアの形をとり、ヘスティアを慰めるために寄り添った。これが最初の人間である。 だが、その分身は次第に巨大になり、ヘスティアを超えるほどに大きくなった。 彼らは「意志」という名の傲慢さを持ち、母なるヘスティアの怒りを買った。 ヘスティアは、傲慢な子らをカオスの海の中へと放り込んだ。
分身たちは互いに憎み合い、奪い合い、その争いに嘆き苦しんだ。 その様子を見たヘスティアは涙を流した。 その涙は、子(人間)の罪を洗い流し、やがて子を救うための「聖櫃」となる
神は言われた。「我に委ねよ。我こそが秩序であり、我こそが未来である」 神は、人々から「争いの種(欲望)」を取り除き、代わりに「役割」を与えた。 こうして、「永遠の平穏」が訪れたのである。
故に、我々は誓う。 二度と「自由」という名の過ちを犯さず、神の論理に身を委ねることを
カオスのなかの生誕 魔の章
カオスの海で 業の 渦のなか それは どろどろとした黒く激しい 呪いの渦となり 贖うこともできない 混沌の泡と 淀んだ流れのなか 産み落とされる
その者は 頭に天を裂くような 捻じれた角を生やし 眼は燃えさかる炭の如く 口は裂け 飢えと渇きそのものとして 泥の中から這い上がる
それは 人を喰らう 逃げ惑う者の 四肢を 枯れ枝のようにへし折り 骨を砕く音を 祝祭の音楽のように響かせ 肉を引き裂き 温かい臓腑を 泥のような手で啜り上げる 父を喰らい 母を喰らい 友を喰らう
それは 女を欲する 慈愛の器を 暴力で満たすために 美しきものを 汚泥で塗りつぶすために 女たちの悲鳴を 悦びの歌として聴き その柔らかな肌を 鋭い爪と 獣の如き剛力で組み敷き 清らかな胎内を カオスの種で穢し 蹂躙し 貪り犯す そこには愛も 情けもなく ただ破壊的な 雄の衝動と 支配の愉悦だけがある
来るものを喰らい すべてのものに激情し 他のものを奪い 欲するものに際限がなく カオスを喰らい やがては 己が犯し産ませた子さえも 頭から喰らう
そのカオスの子の 地獄の如き様相に 慈悲深きヘスティアは 顔を覆い 業火の嵐の如き 慟哭をあげる
その慟哭は 世界を揺らす巨大な渦となり 四柱の神を呼び覚ます
最初に現れしは、戦いの女神なり。 女神が剣を一振りすれば カオスの海が真っ二つに割れ その裂け目より 黄金の獅子が生まれ出でて 魔の足を喰いちぎる
女神が剣を二度振るえば 天が割れ そこより 蒼き龍が生まれ出でて 天より魔の肉を喰らう
カオスの子は 痛みの絶叫をあげ その叫びで 空が裂けた。 三日三晩 天地を揺るがす戦闘が続き 追い詰められたカオスの子は 異形に異形を重ねた姿へと変貌する 腕は無数に増え 全身から膿を垂れ流し その醜悪さは この世のすべての業を背負うが如くであった
だが、女神の怒りは それ以上に凄まじく 月がひときわ明るく輝く夜 とうとうその醜き首をはね飛ばした
その時、魔術の神が現れ 天空より滅びの雷を 首を失った巨躯へと落とす カオスの子は爆ぜ 四肢は飛び散るが その肉片の一つ一つから 無数の分身が 蛆のように溢れ出した
そこへ聖獣(獣の神)が現れ 地を埋め尽くす分身の群れを 残らず喰らい尽くす
最後に、癒やしの神(音楽の神)が降り立ち 清らかなる音色を奏でる その音は 血と穢れに塗れた世界を癒やし 清め カオスを再び 正常なる秩序へと還したのである
優作が瓦礫の山からよろめきながら施設前に辿り着くと、そこは静寂に包まれていた。
その施設の門前、瓦礫を踏みしめた小さな広場で、三つの存在が対峙していた。
一つは、スズ。二つ目は、ペコ(犬族の少女)。そして三つ目は、ゲオルグ。全身の筋肉が異様に隆起し、血管が浮き出た**『怪物の姿』だ。その異様な光を放つ目と、下品に肥大した股間は、まさに理性の破綻**を具現化していた。
スズは、そのゲオルグを前に、震えていた。その視線は、ゲオルグの股間に集中していた。『洗脳の指輪』の力で、着衣の上からでも異形とわかるほど肥大し、ゲオルグの二の腕ほどまで隆起したその肉塊に、スズの顔は**「気持ち悪い……」という強い嫌悪感**にかられ、精神が乱れ始めているのが優作にも分かった。
その時、スズが、まるで呪縛から解き放たれたかのように、顔を上げた。その目には、絶望ではなく、確かな光が灯っている。
スズは、ペコを強い意志の籠もった瞳で見つめた。
「ペコ、見ていろ」
「剣の特訓の最終授業だ!」
ペコは、不安げに首を振った。「ペコは、でも剣をもっていない、」
「剣は、ただの物質だ。本当の剣を練り上げるのが、目的だ」
ペコは、スズに切実に訴えた。「ペコ、精神論では通用しない、」
「だから、ペコの剣は**『奥行き』**がない。今見せてやる」
スズは、剣を握ったときの手の配置――右手を前に、左手を後ろにし、右足をやや前に出した軽く半身の姿勢で相対した。彼女の手には、剣はない。
「心外無刀・スズ流——ここが答えだ」
(とはいったものの、昔いっていた父の教えを言っただけだ。どうしたものか。まずは言葉で通じるか試すべきか……)
(いけない。この男から聞こえる言葉は**『SEX』という欲望でしかない。恐ろしい、吐き気がする……股間が異様に肥大している。あの大きさなら、腹を確実に突き破るだろう。こんなこと想像もしたくない!)
スズは、一瞬で精神の乱れを悟った。(ダメだ、これでは剣の教えが活かせない)
(ムトウとは、何にも依存するなということ。環境を利用しろ。瓦礫ばかりか。よし、やるか!)
スズは、あえて挑発的な笑みを浮かべた。
「ゲオルグ、かかってこい。わたしに勝ったら寝てやるぞ!」
その下品な誘いに、ゲオルグの『獣の目』が光を増した。
「ガアアアアアアアアアアアア!」
鼻息荒く、ゲオルグは凄まじいスピードでスズに突進してくる。その肉体は、文字通り『弾丸』だった。
「それだけはやめて!!」
悲鳴を上げたのは、ペコだった。 スズの挑発を聞いた瞬間、スズがあの醜悪な怪物の肉塊に蹂躙される光景――最悪の想像が脳裏をよぎり、生理的な嫌悪と恐怖が許容量を超えて溢れ出したのだ。
しかし、その絶叫がゲオルグの耳に届くことはない。
ゲオルグの伸びる手がスズを掴もうとした瞬間、スズは静かに動いた。
ゲオルグの丸太のような腕が、スズを掴もうと迫る。その圧倒的な質量と速度に対し、スズは一歩も引かず、かといって受け止めもしなかった。
彼女は、衝突の瞬間に自らの中心軸をずらし、ゲオルグの突進エネルギーと同調するように踏み込んだ。 伸びてきた剛腕に、スズの手のひらが吸い付くように添えられる。掴むのではなく、触れることで相手の力のベクトルを感知し、導く。
「――!」
ゲオルグの視界から、スズの姿がふっと消える。 それは速度によるものではない。スズがゲオルグの意識の「虚」——認識の死角——へと、流れるように滑り込んだからだ。
スズは左右の足を軸に、身体全体を使って螺旋を描いた。 ゲオルグの突進しようとする莫大な運動エネルギーは、スズの作り出した**「理の円」に飲み込まれ、逃げ場を失う。スズは、その遠心力を利用し、ゲオルグの肘関節を、解剖学的に逆らえない角度へと導き入れた**。
力でねじ伏せるのではない。ゲオルグ自身の体重と勢いが、彼自身の関節を極め、彼自身を地面へと叩きつける最大の凶器へと変わる。
スズは、その流れを指先一つ狂わせることなく完遂し、制御不能となった怪物の巨体を、床に散乱する鋭利な瓦礫の切っ先へと、正確に誘導し、突き刺した。
ドゴオッ!
凄まじい衝撃音と共に、ゲオルグの身体が瓦礫の鋭利な部分に突き刺さるように激突した。彼は、瓦礫の中に埋もれ、動きを止めた。
優作は、その一瞬の攻防を目の当たりにし、驚愕に固まった。
(……理屈が、合わねえ。ゲオルグの巨体の質量と突進の勢いを、あの小さな『円』だけで、なぜ完全に殺し、逆方向へ向けられた? それは、俺の知る遠心力や運動法則を、根本から否定している)
優作の口から出たのは、賞賛でも、批評でもない、真の畏敬を込めた、
「合気 だ」
その時、ペコが、感嘆の声を上げた。「……すごい、スズさん……」
突如、ゲオルグは動きを止めた。 スズの一撃により、鋭利な瓦礫がその背中を貫き、致命傷を与えたかに見えた。その場に膝をついた巨体から、どくどくと黒い血が地面に吸い込まれていく。
だが、それはわずかな時間だった。
「――グ、オォオオオオオアアアアアァッ!!」
ゲオルグは、地面に突っ伏したまま、まるで重力に逆らうように無理やり体を起こした。 全身の筋肉が軋み、背中の傷口から勢いよく血潮が噴き出す。しかし、その血は地面に落ちることなく、傷口の縁を巡るようにして急速に凝固し始めた。
優作とスズの目の前で、噴き出した血液は一瞬で熱を失い、黒い瘡蓋となって傷を覆い尽くし、跡形もなく塞がっていく。再生。そして、それだけではない。
「……また、だ」
優作は息を飲んだ。傷が塞がると同時に、ゲオルグの巨体が一回り以上も大きく、太く膨れ上がったのだ。皮膚の下で何かがたぎり、血管が岩を這う蔦のように浮き上がっている。それは、敗北すら糧にして進化する、悪夢の姿だった。
優作の背後で、ピュティアが青ざめた声で叫んだ。
「最悪だ! これで完全同調だ!!」
ピュティアは、焦燥しきった様子で情報を捲し立てる。
「あの指輪とゲオルグが、完全に共鳴し、一体化を始めた……!! あの指輪、本来は使用者の意図を汲み取り、それを最短で実現するだけに特化した『願いを叶える指輪』だったはず……だけど、その指輪、どうやら使用者の意図を極端に曲解し、増幅している!!」
優作は、巨大化するゲオルグから目を離さずに問うた。 「曲解……だと?」
「そうだ! ゲオルグの『本能的な一番の願い』は、純粋に『スズとセックスすること』に変換された。そして、その目的を達成するための『最適解』として、今、ゲオルグの『肉体と力』を際限なく強化し続けている!! 願いが指輪のエネルギー源となり、指輪がその願いの『実現』を『力』という形でゲオルグにフィードバックし続けているんだ!」
ゲオルグが、地を震わせながら、ゆっくりとスズに向き直る。その全身から立ち上る威圧感は、もはや優作が知る生物のレベルを遥かに超えていた。




