第35部:『弛緩』と『急襲』
第35部:『弛緩』と『急襲』
捕虜の竜が「一ヶ月後」と証言したタイムリミットは、とうに過ぎていた。
決戦準備開始から二ヶ月目が近づいた頃、張り詰めていた村の空気には、どうしようもない『弛緩』が流れ始めていた。
「(……竜族は、森の『3人の死体』を恐れて、報復を諦めたのではないか?)」
そんな楽観論が、村人たちの間で囁かれ始めていた。
終わりの見えない緊張状態を維持するため、村では5日に1回、交代制で『休息日』が設けられるようになっていた。
その日『休息日』が当たった優作は、ルカを伴い、村のはずれにある川へ『魚獲り』に訪れていた。
「(……いた!)」
優作は、泥水にまみれるのも構わず、浅瀬を逃げる魚を手で押さえ込もうとする。
魚は、優作にとってごちそうだった。この村の住人は、文化的な理由か、あるいは調理法を知らないためか、魚をあまり好まない。食堂のメニューに並ぶことはなかった。
川は浅く、魚(川魚?)が豊富で、手づかみでも獲れるほどだった。
「(……川魚か。生食は無理でも、塩焼きにすれば……)」
拷問(実験)でよどんだ精神が、久々の『食』への期待に、わずかに浮き立つのを感じる。この一日くらい、のんびりしてもバチは当たるまい。
「あはは! そっち行ったぞ、ユウサク!」 ルカが、戦闘準備の緊張から解放され、年相応の子供のように笑い声を上げながら、川の水を蹴立てる。二人の間には、奇妙な『日常』が流れていた。
優作が、ようやく一匹の魚を掴み上げ、ルカに笑い返そうとした、その瞬間だった。
カン! カン! カン!
村の方角から、空気を切り裂くように、教会の『鐘』が乱打される音が響き渡った。
「(……!)」
優作とルカの顔から、血の気が引いた。
見上げると、村の『見張り台』から、決戦の合図である『発煙筒』の黒い煙が、空に向かって真っ直ぐに上がっていた。
「(……来たか……!!)」
優作とルカは、獲った魚をその場に放り出し、濡れた服のまま、村へ向かって全力で疾走した。
村は、完全なパニックに陥っていた。
西側の入り口では、見張り番の男が、顔面蒼白で絶叫している。
「敵だ! 敵の大群だ! 西側から100名ほどが近づいてくる!」
その『100名』という報告に、配置につこうとしていた『槍部隊』の村人たちは、訓練通りの隊列も組めず、あわてふためいていた。
「ひいっ! 100人だと!?」
「だめだ、もう終わりだ……!」
その混乱の極みにある指揮台に、スズが駆け上がった。
彼女は、パニックに陥る村人たちに対し、腹の底からの『怒声』を響かせた。
「おろかもの!! 目を覚ませ!」
静まり返る村。スズは、遠眼鏡で、砂埃を上げて迫る敵影を正確に捉えていた。
「敵の正確な戦力を数えろ! 『100』だと!? 砂埃に惑わされるな!」
「敵の総数は『52名』だ!」
「(52名……!?)」
『30人』よりも多い。だが『100名』よりはマシだ。
「たった52名だ! 大したことないだろ!! 訓練通りにやれば勝てる!」
スズの『叱責』が、パニック(100名)を鎮圧し、村人たちに『現実』(52名)と向き合わせた。
その怒声が響く頃、優作とルカも西側の防衛ラインに追いついた。
「(ルカ! 弓部隊のバリケードへ!)」
「(わかってる!)」
優作は、指揮台に駆け上がり、『太鼓』のバチを握りしめた。
「(ピュティア! 状況は!)」
「(最高だよ、優作! 弛緩しきったところへの急襲! まさしく『揺らぎ』の観測日和だ!)」
優作は、ピュティアの声を遮断し、太鼓を(ドドド!)と激しく連打した。戦闘配置への移行を全軍に命じる『フェーズ1』の合図だ。
優作が、指揮台から敵の隊列を観察した瞬間、彼は凍りついた。
敵(52名)の前衛だけでなく、後方の兵士たちが、明らかに『弓矢』を肩にかけていた。
「(……想定外だ……!)」 優作の背筋を、冷たい汗が伝う。 「(……弓が、こちらだけの『発明(切り札)』であるはずがなかった。……よく考えれば、当たり前だ。一般的な武器じゃないか……!)」 こちらの『火薬矢』の射程に入る前に、向こうの『通常矢』の雨に晒される可能性。通常矢での撃ち合い』は、自殺行為だ。
「(スズ! プランBだ! 誘い込むぞ!)」
優作が指揮台で戦術の変更を叫ぶ。
優作は『太鼓』のリズムを、『偽装退却』の合図**(ドン、ドン、とゆっくりした後退のリズム)に変更した。
合図を受け、最前線の弓専門部隊が、あえて遮蔽物から姿をさらし、すぐに隠れるという「退却のそぶり」を見せる。
「(ひきつけろ! がまん、がまん……!)」スズが前線で怒鳴る。
敵の竜族(52名)が、こちらの弓を警戒し、弓の射程(長距離)で足を止めようとした、その瞬間。
優作が合図を出した。「(今だ! 投げ込め!)」
待機していた牧場主たちが、『捕虜の竜の死体』を、村の外(敵がはっきり視認できる場所)へ向かって放り投げた。
仲間の無惨な死体(拷問と実験の痕跡が残る)を目の当たりにし、竜族の軍勢が激昂した。
「「「オオオオオオッ!!」」」
怒りに我を忘れ、背負っていた「弓」を使うことも忘れ、『小型竜(騎乗生物)』にまたがった軍勢が、一斉に村の入り口へ突撃を開始した。
「(……ひっかかった!)」
優作は、迫り来る地響きに恐怖しながらも、太鼓の準備を整える。
突撃しながらも、一部の竜(弓兵)が馬上から矢を放ってきた。
ヒュン、ヒュン、と風切り音が響き、遮蔽物に隠れていた村人(槍部隊)の二、三名が矢を受け、鈍い声と共に倒れる。
「(大したことない! 構うな!)」と優作が叫ぶ。
敵の騎馬隊(小型竜)が、罠(落とし穴)の直前まで迫る。 「(まだだ! まだ弓をうつな!)」 スズが、火薬矢を構える弓専門部隊に向かって怒鳴る。極限まで引きつけさせる。 その地響きと、味方の死傷の恐怖に耐えきれず、槍部隊の一部兵が武器を捨てて逃げ出そうとした。
スズが、その逃亡兵の背中に向かって、村全体を震わせるほどの声で一喝した。
「臆病者はほおっておけ! 邪魔になるだけだ!」
「忘れたのか! 今までの屈辱を!」
「女は犯され、男は殺され、家を焼かれ、略奪された日々を!」
スズは、自身の剣(日本刀)を抜き放ち、叫んだ。
「我々は武器(火薬矢)を得た! 我々はつよい!!」
スズの言葉に、逃げかけた村人たちの足が止まる。
敵の先頭集団が、ついに『キルゾーン』に突入した。
「(今だッ!!)」
優作が、指揮台の上で太鼓のバチを握りしめ、訓練通りに太鼓の合図を叩きつけた。
(ドン! ドドドド! ドン!)
それは『火薬矢、一斉射撃開始』の合図。
「(ひきつけた! 全員、狙いは『胴体』! 鱗を砕け!)」
遮蔽物の後ろで、弓専門部隊が、貴重な火薬矢(圧縮点火式)をつがえている。
「……一射目、構え!」
スズの冷徹な号令が響く。
「……ねらえ!」
「……撃てェッ!!」
弓専門部隊から放たれた十数本の矢が、突撃してきた竜族の先頭集団に突き刺さる。
次の瞬間、甲高い爆発音と共に、竜族の胸や肩で次々と火花が散った!
「ギャアアアッ!?」
着弾した箇所の鱗は皿のように『粉々』に吹き飛び、黒焦げになった『皮膚』が剥き出しになる。そこから、即座に血が溢れ出した。
先頭集団のうち、何人もの竜が、その衝撃と激痛に小型竜(騎乗生物)から転がり落ちる。「(行けるぞ!)」と村人から歓声が上がった。
だが、敵は『52名』の軍勢だった。
竜族は、仲間が倒れたことに怯みながらも、統制が取れていない(怒りに任せた)まま、倒れた竜族の後ろから、無傷の竜が次々と押し寄せてくる。
「(次弾、装填! 怯むな!)……二射目、構え!」
「……ねらえ!」
「……撃てェッ!!」
再び十数本の火薬矢が放たれ、第二波の竜たちの装甲を粉砕し、血しぶきを上げさせた。
「(怯んだ隙に叩き込め!)……三射目、撃てェッ!!」
三射目が撃ち終わる頃には、突撃してきた竜族の半数近くが、火薬矢の洗礼を受けていた。
絶命している竜はまだいないようだが、そのほとんどが胸や肩から血を流し、深い手傷を負ったのは明らかだった。
だが、敵はまだ止まらない。火薬矢の射程を突破し、村の入り口(落とし穴)まで迫ろうとしていた。
「(火薬矢、撃ち方止め! 通常矢に切り替え! 次の罠まで引き込むぞ!)」
スズが叫ぶ。
優作が、太鼓の合図を次の**(ドドド! ドドド!)**=通常矢射撃・槍部隊準備(偽装退却)へと変更した。
弓専門部隊は通常矢を放ちながら、槍部隊と共に、あえて防衛ライン(バリケード)を放棄し、村の奥へと後退するそぶりを見せる。
勢いづいた竜族の軍勢(小型竜)が、放棄されたバリケードを突破し、村の入り口広場になだれ込む。
その瞬間、広場の中央に仕掛けられていた『落とし穴』が作動。突撃してきた竜族のうち、約20名が轟音と共に穴の底へと飲み込まれた。
「(今だ! ルカ!)」優作が叫ぶ。
穴に落ちた竜族が混乱しているその真上から、弓専門部隊が『火薬矢』(あるいは『油』を仕込んだ火矢)を容赦なく撃ち込む。
轟音と共に『落とし穴』が爆発。穴の底は一瞬にして猛火に包まれた。
「(……だが、足りない!)」優作は太鼓を叩きながら戦況を見極めていた。「(この程度の火に包まれて死ぬ竜族ではないことはわかっている! これは足止めだ! 最後の『乱戦』に持ち込むための、必死の策だ!)」
予想通り、穴に落ちなかった残りの竜族(約30名)が、その『火の穴』を迂回して突撃してくる。
だが、その迂回路(村の入り口の隘路)には、丈夫な細いワイヤーが、膝の高さに無数に張り巡らされていた。
高速で突っ込んできた小型竜がワイヤーに脚を取られ、大勢が転倒する。竜族の軍勢は、完全に隊列を崩壊させた。
敵が転倒し、混乱の極みに達したのを、優作は見逃さなかった。
彼は太鼓の合図を最後のもの(※激しい連打)に変え、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「(いまだッ!! 槍部隊、突撃ィッ!!)」
村の建物や遮蔽物に隠れていた『槍部隊』(戦闘可能な男女全員)が、スズの号令と共に雄叫びを上げて突進する。
狙うは、火薬矢で『装甲』を破壊された竜、あるいは、転倒して『剥き出しの皮膚』をさらけ出している竜。
戦場は、一瞬にして『地獄の様相』を呈した。
火薬矢でただれた皮膚をあらわにした竜族が、怒号を上げながら剣を振り回す。
訓練通りに突撃したはずの槍兵が、竜族の返り討ちにあい、腕を切り飛ばされる。
胴を貫かれた村人が、信じられないという顔で崩れ落ちていく。
阿鼻叫喚の、完全な『乱戦』だった。
ここからは『指揮』ではない。
スズは、指揮台から飛び降りると、自身の『剣(日本刀)』を抜き放ち、その地獄のど真ん中へと、人間離れした速度で降り立った。
だが、スズの周りだけは、明らかに『別の領域』になっていた。
彼女の戦闘は、もはや戦いではなかった。
まるで『踊る』ようだった。
迫り来る竜の剣を、最小限の動きでいなし、敵の集団をすり抜ける。
スズが『舞う』たびに、彼女の『刀』が、優雅な軌跡を描いて空を裂く。
そして、次の瞬間、竜族の『手足』が宙に飛び散る。
血しぶきの中で、スズは、宴会で見せたあの『舞』と同じように、ただ淡々と、しかし美しく、敵を『解体』していく。
彼女は、この地獄絵図の中で、唯一人、芸術品のような『死』を振りまいていた。
いつしか、スズの周囲には、誰も立ち入ることのできない、不可侵の『半径3メートル』の空白の輪ができていた。 気がつけば、あれほど阿鼻叫喚だった乱戦は、止んでいた。
劣勢になりかけていた村人(味方)たちも、火傷と傷を負って生き残った竜族たちも、スズのあまりの『恐ろしさ』に戦意を喪失し、ただ呆然と、その『剣技』の結末を眺めるだけだった。
生き残った数名の竜族が、恐怖に顔を引きつらせ、武器を捨てて逃げ出そうとする。 だが、彼らはすでに、息を吹き返した『槍部隊』の村人たちに、完全に包囲されていた。
スズが、刀の血糊を払い、静かに指揮台の優作を一瞥する。 優作は、打ち鳴らしていた太鼓のバチを置き、震える足で指揮台の縁に立った。
彼は、その『汚れ役』の冷たくよどんだ目で、生き残った竜族たちを見下ろした。 「……最後に問う。ほかに、仲間はいるか?」
優作の声は、あの教会の地下室で響いていた、拷問(実験)の時のそれと同じ響きを持っていた。 「ここで正直に答えるなら、スズが『楽』にしてやるだろう。……だが、言わなければ」
優作は、口元にかすかな笑みさえ浮かべた。 「(教会の地下室で)……俺が、ゆっくりと、お前たち全員に『聞く』ことにする」
その言葉は、スズの剣技とはまた別の『恐怖』として、絶望した竜族たちに突き刺さった。
(第35部・了)




