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『異世界人間失格 ~スキル【批評】持ちの独白~』  作者: 猫寿司
【第三章:あるいは、私という人間の泥濘(ぬかるみ)】

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『生贄』という名の友人

『生贄』という名の友人

(耐える日々)


Kによる「公認された暴力」は、私の日常となった。 腹部への鈍い痛み。 廊下で不意に突き飛ばされる衝撃。 購買部で、私という存在が「いない者」として扱われる屈辱。


私は、中学時代の結論に立ち返っていた。 (これは「罰」なんだ) (俺がB君にしたことの、当然の報いなんだ) 私は「風景」になろうとして失敗し、「獲物」になった。ならば、「獲物」として、「王(K)」の暴力が飽きるまで耐え続けるしかない。 それが、私の「贖罪しょくざい」なのだと、必死に自分に言い聞かせていた。 そうでも思わなければ、この卑屈な「私」を保つことすら、できなかった。


(予期せぬ声)


そんな日々が数ヶ月続いた、ある日の放課後だった。 私が、Kの姿が消えたのを確認し、教室でカバンに教科書を詰め込んでいると、背後から声がかかった。


「……あのさ、お前もしかして、昨日の『銀河機甲隊』、見たか?」


ビクッ、と全身が硬直する。 Kか? いや、違う。もっと細く、弱々しい声だ。 恐る恐る振り返ると、そこにいたのは、私と同じ「獲物」側の人間——クラスで「S」と呼ばれている、小柄で眼鏡の男だった。


Sは、Kたちから直接的な暴力こそ受けていないが、「キモいオタク」として公然と嘲笑の対象になっている男だった。 彼は、私の返事も待たずに続けた。 「昨日のラスト、ヤバかったよな! まさかあの隊長が、敵の新型機に乗って裏切るとかさ!」


……『銀河機甲隊』。 それは、私がこの地獄(高校)で唯一、夜中に息を潜めて見ているロボットアニメだった。 私は、混乱した。 中学時代、私に話しかけてくる人間は、私を利用しようとする者(C)か、私を罰しようとする者(ヤンキーや教師)だけだった。 だが、Sの目は、純粋に「仲間」を探している目だった。


「……あ、ああ。見た」 私は、自分でも驚くほどかすれた声で、そう答えていた。 「だよな! 俺、あの展開、マジで鳥肌立ったわ。お前、どう思った?」


(葛藤と、芽生えた「次こそは」)


そこから、せきを切ったように、Sは話し続けた。 アニメの伏線、メカニックのデザイン、声優の演技。 私は、最初は戸惑いながらも、次第にその会話に引き込まれていた。 B君とも、Cとも、交わしたことのない、純粋な「共通の趣味」についての会話。


(……ああ、そうか) (俺は、こういうことが、したかったのかもしれない)


Sは、私と同じ「キモい」側に属している。 彼と話していても、Kたちに目をつけられるリスクは(比較的)少ないのではないか? 彼は、私と同じ「風景」ではないか?


その日を境に、Sは、Kがいない隙を見計らって、私に話しかけてくるようになった。 私は、あの冷え切った教室の中で、Sと交わす、その数分間の「アニメ談義」だけを、心の支えにするようになっていた。


(次こそは、いけるんじゃないか?) 心の奥底で、あの、中学時代に何度も裏切られた「希望」が、また顔を出した。 (Cのような、利用し合う関係じゃない) (A子のような、理解できない「好意」でもない) (これなら、「まともな友人」になれるんじゃないか?) (次こそは、この関係を、失敗しないんじゃないか……?)


(監視者Kと、決定的な一言)


希望は、常に絶望の餌だ。 私たちが「安全」だと信じ込んでいた、放課後の教室。 その日、私たちは、いつもより少し長く、次の新作アニメの話題で盛り上がっていた。 Sが、興奮したように身振り手振りで説明していた、その時だった。


「——うわ、オタク同士でつるんでやがる。キッモ」


教室の入り口に、Kが立っていた。 野球部の練習着姿で、私とSを、汚物でも見るような目で見下ろしていた。


……血の気が、引いた。 (見られた) (最悪だ) (なぜ、今、ここに、こいつがいるんだ)


Sの言葉が、ピタリと止まる。 空気が、凍りついた。 Kは、ニヤニヤしながら、ゆっくりと私たちに近づいてきた。


「お前ら、仲良いんだなァ?」 Kは、Sの肩を、馴れ馴れしく掴んだ。Sの体が、恐怖で小刻みに震えているのが見えた。 「なあ、優作。お前、そいつと『お友達』になったのか? 中学でダチ(B君)殺しといて、よくやるわ」


B君。 その言葉が、私の頭を殴りつけた。


(やめろ) (やめろ、やめろ、やめろ!) (俺は、違う。俺は、あいつを殺すつもりじゃ……!)


「なあ、お前も『銀河機甲隊』とやらが好きなのか? キモいもんは、キモいもんと惹かれ合うんだなァ!」 Kは、Sの肩を掴んだまま、私を見た。 その目は、中学時代、ヤンキーがD君をいじめながら、私を見た時の目と同じだった。 「試す」目だった。 (お前は、どうするんだ? 優作)と。


(敗北と、裏切り)


……私は、目をそらした。 あの時と、まったく、同じように。


(無駄だ) (俺が、ここで何か言っても、二人まとめて殴られるだけだ) (俺は、Kには勝てない) (俺は、罰を受けているんだ。こいつ(S)を巻き込んではいけない)


そうだ。 巻き込んではいけない。 私は、この「友情」を、Sを、守らなければ。


……いや。 今、この独白をしている私(40歳)には、分かる。 あれは、嘘だ。 私が守りたかったのは、Sではない。 **「Sとつるんでいることがバレて、Kからの暴力が今以上にひどくなること」**を恐れた、「私」自身だ。


私は、カバンを掴むと、無言で立ち上がった。 そして、Sと、彼を掴むKの間をすり抜けて、教室の出口へ向かった。 Sが「え……?」と、信じられないという顔で、私を見ていた。


私は、彼を見なかった。 中学時代に、D君から目をそらした時と、寸分違わず、同じだった。 私は、また、逃げたのだ。


(突き放しと、自己弁護)


翌日、教室は地獄だった。 Sが、Kたちから「優作に逃げられたオタク」として、あからさまな嘲笑を受けていた。 Sは、憔悴しょうすいしきった顔で、私を見ていた。 その目は「なんでだ」と、私を責めていた。


(……うるさい) (俺を見るな) (俺だってお前を守りたかった。だが、仕方なかったんだ) (お前が、俺に話しかけなければ、こんなことには……)


私は、脳内で、いつもの「批評」と「自己弁護」を始めた。 (そうだ、あいつが悪い。あいつが俺を「友人」という面倒事に巻き込んだんだ)


昼休み、Sが、震える声で私に話しかけてきた。 「……(優作)。昨日のあれ、なんだったんだよ……俺たち、友達じゃ……」


私は、彼の言葉を遮った。 ありったけの冷酷さを声に乗せて、吐き捨てた。


「……友達?」 「俺が、お前みたいなオタクと? 勘違いするなよ」 「俺は、お前のアニメの話に、適当に相槌を打ってただけだ。キモいから、もう話しかけてくるな」


Sの顔が、絶望に歪んだ。 彼は、A子(中学時代)が私に告白した時と同じような顔で、私を見ていた。


(ああ、まただ) 私は、心の中で、壊れた機械のように呟いていた。 (俺は、また、壊した) (俺は、友情も、恋愛も、全部、自分から壊していく) (「次こそは」と願うたびに、俺は、B君を殺し、Cに裏切られ、D君を見捨てた、あの卑怯な瞬間に、何度も何度も引き戻される)


私は、Sを生贄に差し出した。 私一人が受けるべき「罰」を、彼に押し付けた。 彼が、その後、Kたちからどのような扱いを受けたか。 私は、知らない。 私は、あの日から卒業まで、二度と彼と目を合わせることはなかったのだから。

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