第31部:村への到達
【地底への転落と、偽りの太陽】
濁流にのまれ、地上の崩壊とともに地の底へと落ちた優作たち。
そこは、暗黒の閉鎖空間ではなく、奇妙なほど「完成された」世界だった。
見上げれば、岩盤の天井に張り付いた『人工太陽』が、地上と変わらぬ(あるいはそれ以上に整然とした)光を降り注いでいる。空がないという事実を除けば、そこはあまりにも穏やかな「世界」だった。
だが、その光の下で生きる人々――地底人たちは違っていた。
彼らの肌は、日光を知らぬ青白さを帯び、その瞳には「希望」や「野心」といった人間らしい光はなく、ただ「今日を生き延びる」という生存本能だけが、淀んだ油のように沈殿していた。
これは、優作たちが最初にたどり着いた村での記録である。
竜族という圧倒的強者に怯え、尊厳を食らって生きる人々の、「生存」と「人間」の狭間での葛藤の物語である。
【第一章:村への到達】
『小川』での休息から、さらに数時間。
ピュティアの案内に従い、一行は『巨大キノコの森』を抜け、わずかに開けた平地に出た。
「……あれか」
優作の視線の先、その『集落』はあった。
『人工太陽の光が(地上と同じように)降り注ぐ』、平地の中心。そこには、変哲もない木造の家々が数十軒、身を寄せ合うように集まっていた。
まるで地上のどこにでもある、普通の農村のような光景だった。
一行が村のメインストリートらしき道に入ると、数人の『地底人』が家の軒先からこちらを値踏みするように見ていた。
彼らは、『青白い皮膚』と『切れ長の目』をしている。だが、その目には生活に疲れた『淀み』があった。
(……まずは、寝床の確保か)
優作は、背嚢を背負い直し、近くを通りかかった村人(道行く人)に声をかけた。
「すみません。俺たちは旅の者だ。森で道に迷い、この集落を見つけてやってきた。どこか、泊まれる宿はありませんか?」
その男は、優作たちの(血と泥に汚れた)姿を一瞥すると、面倒くさそうに、しかし声を潜めて答えた。
「……アンタたち、あの森を抜けてきたのか? 生きてるってことは、運が良かったんだな」
男は周囲を憚るように視線を巡らせてから、ぶっきらぼうに続けた。
「……だが、こんな小さな村に『宿屋』なんてモンはねえよ」
「じゃあ、どこで……」
「よそ者……『行商人』なんかは、あそこの『酒場』で交渉してる。店主が気が向けば、二階に泊めてくれるさ」
【第二章:酒場での交渉】
西部劇に出てくるような、観音開きの扉。中からは、(昼間だというのに)数人の男たちの話し声と、発酵した何かの匂いが漏れ出てくる。
優作が扉を押し開けると、乾いた蝶番の音が響き、店内の澱んだ空気が揺れた。
中は薄暗く、外の『人工太陽』の強烈な光が、板張りの隙間から埃っぽい光の筋となって差し込んでいる。
客はまばらだった。仕事にあぶれたのか、あるいは放棄したのか。数人の男たちが、昼間から無言でテーブルの酒をあおっているだけだ。
彼らの視線が、一斉に入ってきた『よそ者』に突き刺さった。
彼らは皆、竜族の脅威に怯えているのか、楽しんでいる様子はなく、重苦しい空気が漂っている。
ルカとスズ、そして優作の肩に乗る**奇妙な中性的な姿をした妖精**という、見慣れない『よそ者』の登場に、その数少ない客たちの視線が、値踏みするように集まった。
「……なんだ、アンタたち。行商人かい?」
カウンターの奥から、太った(この地底では珍しく肉付きの良い)店主が、怪訝そうに顔を上げた。
「宿を借りたい。金カネはある」
優作は、ザイアスの遺品リックに手を入れながら、肩のピュティアに尋ねた。
「……ピュティア。あのコインの価値は」
ピュティアは優作の肩からふわりと飛び上がり、カウンターの上に着地すると、店主の顔を覗き込みながら答えた。その姿は少年のようでもあり、少女のようでもある。
「えっとね、あれは竜族の通貨だね。ここの地底人たちも使ってるみたい。価値は……キミたちの世界の感覚だと、だいたい**銅カッパーが一枚1,000マーク(円)、銀シルバーが一枚10,000マーク(円)、金ゴールドが一枚100,000マーク(円)**くらいかな。金ゴールド一枚で、この宿(酒場)なら一ヶ月は泊まれるんじゃない?」
店主と客たちが、突然喋り出した小さな妖精に目を剥いた。
「なっ……! なんだこのチビは!?」
「チビじゃないよ! ボクはピュティア。ユウサクの……まあ、相棒かな!」
ピュティアは悪びれもせず、無邪気な子供のような口調で胸を張った。
優作は、その騒ぎを無視して、あえて一番価値のある『金貨』を一枚取り出すと、カウンターに滑らせるように放った。
「……こんな感じ、か」
店主の目が、その金貨に釘付けになった。
「……竜族のコイン、だと……? アンタたち、まさか……」
「……森で、竜族に襲われた。返り討ちにして、奪った(・・)金だ」
優作は、あえて簡潔に事実だけを告げた。
その瞬間、酒場全体の空気が変わった。
「竜族を……返り討ちに?」
「馬鹿言え、あの竜族の『ウロコ』は、剣も槍もはじくんだぞ!」
【第三章:つかの間の安息】
「……静かにしろ!」
店主が、騒ぐ客を一喝した。
彼は、金貨を懐にしまうと、ぶっきらぼうに言った。
「……二階の部屋が空いてる。一ヶ月の前金として、確かに預かった。アニ-、案内しろ」
「え……」
優作は、ピュティアの「一ヶ月は泊まれる」という冗談(?)が、そのまま通ってしまったことに戸惑った。
「お父さん!」
(店主の娘)アニ-が、慌てて駆け寄ってきた。
年は17、8だろうか。酒場の仕事着である、擦り切れたエプロンをきつく巻いている。この地底人特有のわずかに『切れ長の目』をしているが、その黒髪は無造作に後ろで一つに束ねられていた。
「この人たちを泊めるの!?」
「いいから、案内しろ」
アニ-は、不満と不安が入り混じった顔で一行を睨みつけ、荒々しく階段を上がっていく。
案内された二階の部屋は、質素だったが、清潔だった。ベッドが二台あるだけの小さな部屋だ。
「ベッドは二つだけだよ。文句言わないでよね!」
娘はそう言い捨てると、バタンと扉を閉めて出ていった。
ルカとスズは、久しぶりの(コンテナ・ツリーや野営地とは違う)『ベッド』に、歓声を上げて飛び込んだ。
「うわー! ふかふか!」
「……(優作は背嚢を下ろし、固い床を見つめ)……俺は床でいい」
(……ひとまず、金カネで安全が買えた、か)
優作は、ひとまずの寝床が確保できたことに安堵し、泥のように眠った。
【第四章:味覚の復活と予期せぬ賞賛】
同日、夜。酒場にて。
三人が再び階下の酒場に降りると、そこは地元の客でごった返していた。
優作たちがテーブルにつくと、さっきの店主の娘(アニ-)が、無言で三つの皿を叩きつけるように置いていった。
「……これが……」
皿の上には、湯気を立てるシチューと、黒パンが乗っている。
立ち上る湯気からは、香草と煮込まれた肉の匂いが漂ってくる。それは、第六区画のペーストや、コンテナ・ツリーの味気ないキノコとは決定的に違う、「人間」のための料理の匂いだった。
優作の手が、微かに震えた。
警戒心よりも先に、渇ききった本能がスプーンを掴ませた。
優作は、祈るようにスプーンを口に運んだ。
「……!」
衝撃が走った。
熱い液体が喉を通る。塩気。肉の旨味。
ただの栄養補給ではない。「美味しい」という感覚。
転移して初めて味わう「人間らしい食事」に、優作は不覚にも視界が滲むのを感じた。
コンテナ・ツリーで食べた『涙茸』のスープや、第六区画の灰色のペースト。ザイアスのリックに残っていた乾物。それらは、ただ「あじけない」「素朴」という以前の、生存のためだけの「餌」だった。
だが、このシチューは違った。
塩と、香草(地底の菌類か?)の風味、そして柔らかく煮込まれた肉の奥深い旨味が、舌の上で爆発した。
「おいし……!」
優作が感動の声を漏らすより早く、隣で音がした。
「(カチャカチャ! ズゾゾゾ……!)」
ルカが、皿に顔を埋めるような勢いでシチューをかきこみ、黒パンで皿をなめるように拭って食べていた。
「(……はふぅ、しあわせ……!)」
「……ルカ」
向かいに座ったスズが、呆れたように、しかし優しくいさめた。
「……みっともないよ。パンは、ちぎって食べるんだよ」
「えー! だって、こんな美味しいの、初めて食べたんだもん!」
ルカは、口の周りをシチューだらけにして笑った。スズも、つられたようにわらった。
「わー! ルカ、お皿まで食べちゃいそう! おもしろーい! ユウサクもやれば?」
ピュティアがテーブルの上で、ケラケラと無邪気に笑った。
その小さな妖精が当たり前のように彼らと会話している光景に、周囲の客たちは奇異なものを見る目を向けていたが、今はそれ以上に「よそ者の食いっぷり」に関心が向いているようだった。
「おいおい、嬢ちゃんたち。ずいぶんといい食いっぷりじゃねえか」
その無防備な食事風景に、近くのテーブルで飲んでいた男が、からかうように声をかけてきた。
酔いが回っているのか、赤ら顔でニヤニヤとルカを見ている。
「そんなに腹減らして、どこから来なすった? 遭難でもしたのかい?」
「……うるさいな。ボクたちは森を抜けてきたんだよ」
ルカが悪びれもせずに答えると、男の表情が凍りついた。
「……森? あの『巨大キノコの森』か?」
「そうだよ。デッカイ竜みたいなのがいて大変だったけど、ユウサクが倒しちゃったしね!」
ルカの何気ない一言に、酒場が水を打ったように静まり返った。
「……竜を、倒した?」
「おい、嘘だろ……?」
「そういえば、あの男が持ってる剣……あれ、竜族の素材じゃねえか?」
客たちの視線が、優作の腰にある剣と、ルカの足元に置かれたボウガンに集まる。最初は値踏みするようだった視線が、次第に驚愕と、そして熱狂的な色を帯び始めた。
「本当かよ!? あの竜族を倒したってのか!?」
「すげえ! 俺たちの仇を討ってくれたのか!」
「英雄様だ! おい、みんな聞け! ここに竜殺しの英雄がいるぞ!」
抑圧され続けてきた村人たちの感情が、一気に爆発した。
口々に称賛し、優作たちのテーブルに押し寄せようとする男たち。店内は一瞬にして興奮の坩堝と化した。
「ちょ、ちょっと!?」
スズが慌てて身構え、優作もスプーンを止めて顔をしかめる。
(……しまった。ルカのやつ、余計なことを……)
このままでは収拾がつかなくなる。そう思った、その時だった。
【第五章:村の悩みと竜族の影】
「……静かにしろ!」
店主が、カウンターを拳で殴りつけ、騒ぐ客を一喝した。
一瞬の静寂。
店主は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、優作たち(竜族を倒したというよそ者)のテーブルに歩み寄り、泡の立った黄金色の液体が入ったジョッキを三つ、ドンと置いた。
「……こいつを飲んで、少し黙ってな」
「……酒?」
優作は、目の前に置かれたジョッキを見つめた。
泡立ち、琥珀色に透き通る液体。それは紛れもなく『ビール』――あるいはそれに極めて近い飲み物だった。
(……酒だと?)
この世界に来て、口にしたのは生存のためだけの「餌」だけだった。日本あちらでは、安酒をあおって現実から逃げることだけが唯一の慰めだったが、酒好きの優作にとって、「酒」はもう二度と口にできない「失われた文化」のはずだった。
(……まさか、この世界で、また酒にありつけるとはな……)
「……これはサービスだ。……アンタたち、とんでもない時に来ちまったな」
店主は、優作がジョッキを手に取ったのを見て、少しだけ表情を緩めた。
「……ああ。アンタ、いい飲み方するな。そいつは、この辺りで採れる『岩ムギ』って穀物と、『傘状菌キノコ』の根っこを一緒に発酵させた、ウチの特製さ。手間がかかる割に、儲けはねえがな」
店主は、そこで言葉を切ると、興奮冷めやらぬ客たちを見回し、重々しくため息をついた。
「……騒いで悪かったな。だが、みんなギリギリなんだよ。……その『岩ムギ』も、この酒も、次に竜族やつらが来たら、ごっそり持って行かれちまう」
「ねえねえ、おじさん。それって『略奪』ってこと?」
不意に、可愛らしい声が割って入った。
優作の肩に乗っていたピュティアが、ふわりと宙を舞い、テーブルの上に降り立つ。
「ボクはピュティア。ユウサクの……まあ、相棒みたいなものかな! で、どういうことなの? その竜族ってのは」
「うわ、なんだこの小さいのは……? 妖精か?」
店主が目を丸くする。
周囲の客たちも、今さらながら優作の連れている「性別の希薄な、美しい子供のような存在」に改めて驚いている。
「……まあ、そんなところだ。妖精だろうがなんだろうが、話は変わらねえ」
店主は、相手が「竜殺しの英雄」の連れであることから、邪険にはできないと判断したようだ。彼は重々しくため息をつくと、カウンターを拭いていた手を止め、酒場ホールを指差した。
「……あそこを見ろ」
優作が視線を向けると、一人の若い娘が、客のテーブルの間を忙しなく動き回っていた。
彼女は店主の娘――アニーらしく、空になったジョッキを懸命に集めている。だが、その手は小刻みに震え、時折、観音開きの『扉』の方を怯えたように見ている。
「……あれは、ウチの娘、アニーだ。……この村は今、その『竜族』のせいで、地獄の淵にいるんだよ」
店主は、声を潜めた。
「奴らは定期的に村を『略奪』する。食料も、酒も。ウロコが硬すぎて、俺たちの武器じゃ歯が立ねえ」
店主の視線が、再びアニー(ホール係)に戻る。
「だが、先月は違った。……奴ら、娘をさらいやがった。……ウチの娘アニーの、一番のダチ(親友)だった……」
その時、アニーが空のトレイを持ってカウンターに戻ってきた。彼女は、父(店主)がよそ者(優作たち)と険悪な雰囲気で話していることに気づき、足を止めた。
アニーは、優作が腰に下げた『剣』と、ルカのボーガンを見て、ハッと息を呑んだ。
「……お父さん。この人たち……もしかして、あの金貨……」
店主が頷く。「……ああ。竜族を、返り討ちにしたそうだ」
アニーの目が、絶望から、信じられないものを見る『期待』の色に変わった。彼女は、カウンターから乗り出すように、優作の腕を掴んだ。
「……本当、ですか? あの竜族を……倒した?」
「……ああ。森でな」
「……じゃあ……!」
アニーの目から、こらえていた涙が溢れ出した。
「……お願いします! 助けてください! このままじゃ、アタシも……!」
店主が、アニーの肩を抱き寄せ、苦虫を噛み潰したように続けた。
「……そういうことだ。先月さらわれた娘ダチは、翌日、全裸で村の隅に捨てられていた。……そして、奴ら(竜族)は、次にウチの娘アニーを連れていくと、そう言い残していったんだ」
「……そろそろ、奴らがまた『襲いに来る』頃なんだ。だいたい、月に一回……。だから、村中がピリピリしてる」
ルカとスズが、その陰惨な話に息を呑む。
「……村の『治安維持』はどうなってる。」
「ヘスティア様の教えを説く『神官』様が、一応、そういう役目だが……」
店主は、カウンターの隅で飲んでいた、フードを目深に被った男(神官)を一瞥した。
「……平和な時はともかく、あの『竜族』相手じゃ、神官様の『祈り』なんざ、何の役にも立ちゃしねえよ」
優作は、この村の絶望的な状況を理解した。
(……『生き延びる』どころか、尊厳まで奪われているのか……)
【第六章:湯場での誓い】
同日、夜。酒場の喧騒が落ち着いた頃。
優作たちが二階の部屋で休んでいると、扉が控えめにノックされた。
優作が剣に手をかけながら扉を開けると、そこに立っていたのは、店主の娘のアニーだった。彼女は、昼間の怯えた様子とは違い、何かを決意したような真剣な目で優作を見つめていた。
「……あの。もうすぐ『湯場ゆば』が空く時間だから。あなたたち、森を抜けてきて、汚れたままでしょ。よかったら使って」
「……湯場?」
「うん。村のはずれに、地熱で温かい**『お湯』が出る池**があるの。村のみんなが交代で使う、公衆浴場みたいなところ」
アニーは、それが当然の施設であるかのように言った。
「『お湯』!?」
「『お風呂』!?」
ベッドの上でその会話を聞いていたルカとスズが、同時に飛び起きた。
優作は、二人の(異常なほどの)食いつきに戸惑った。
(……そうか。こいつらにとって、水は貴重品だ。コンテナ・ツリーの井戸水での水浴びはともかく、『お湯に浸かる』なんて文化は、存在しなかったのか……)
「お湯だ! お風呂! 行こうよ、ユウサク!」
「ボクも行くー!」
ルカがベッドから飛び降り、優作の腕を掴む。ピュティアも楽しそうに周りを飛び回る。
「……わかった。案内してくれ」
アニーに案内されたのは、村の喧騒から離れた、岩陰にある小さな池だった。
地熱で温められた『お湯』が、地底の冷たい空気の中で湯気を立てている。
「……ここなら、今の時間は誰も来ないから」
「うわー! あったかい!」
ルカとスズは、服を脱ぐのももどかしく、その『お湯』に飛び込んだ。
コンテナ・ツリーの井戸水とも、小川の水とも違う、骨身に染みる「温かさ」。
二人にとって、これが人生で**初めての『お風呂』**だった。
「……なにこれ……最高……」
「生きててよかった……」
地底に来て初めての「入浴」に、二人は(年頃の少女であることを忘れ)無邪気に湯をかけあってはしゃいでいる。
優作は、彼女たちから少し離れた岩陰で見張りをしながら、アニーに背中を向けたまま尋ねた。
「……なぜ、俺たちによくしてくれる。昼間、あんたの親父バーニィはあんなに怯えていたのに」
アニーは、湯気の中で楽しそうにはしゃぐ二人ルカとスズを見つめていた。
「……あの子たちみたいに、笑いたいんだ」
アニーは、震える声で言った。
「アタシの親友が、竜族にさらわれて……殺されてから、この村で笑う人なんて、誰もいなくなった。……あの子(竜族)たちを追い返してくれた時、アタシ、少しだけ『希望』が見えた気がしたの」
アニーは、優作に向き直った。
「……お願いします。アタシたちを……助けて」
優作は、アニーのその『絶望』と『期待』が入り混じった視線を受け止め、何も答えることができなかった。
【第七章:神官の厄介払い】
滞在二日目、昼過ぎ。酒場の食堂。
一行が目を覚ましたのは、『人工太陽』が真上に昇りきった、遅い昼になってからだった。
階下の食堂は、相変わらず閑散としていた。
三人がテーブルにつくと、店主の娘アニーが、昨夜とは違い、少しだけぎこちない笑顔で食事を運んできた。
「……あの、昨日はありがとうございました。お昼、用意しましたから」
ルカの目の前には、ほかほかの穀類のご飯(米ではない何か)に、卵焼きのようなもの、そしてキノコのソテーが乗った皿が。
スズの前には、黒パンに(地底獣の)干し肉と野菜を挟んだ、サンドイッチが置かれた。
「「わー! おいしそう!」」
ルカとスズは、再び飢餓から解放される喜びに目を輝かせた。
昨夜のシチューも衝撃だったが、朝(昼)から「味のついた」固形物を食べられることに、二人は満足していた。
食事を終えた一行は、酒場の二階、自室に戻り、重い空気の中で車座になった。
「……さて」
優作が口火を切った。
「……。俺は、答えを急ぐ必要はないと思う。まずは、情報収集が必要だ」
「情報?」ルカが食ってかかった。「アニーを助けたい! 理由はそれじゃダメなの?」
「ダメじゃない」スズも静かにルカに同様の意志を示した。「アタシも、アニーさんを助けたい。……それに」
スズは、自分の拳を握りしめた。
「コンテナ・ツリーでも、アタシの剣技は村一番だった。あの竜族と戦った時も、負ける気はしなかった」
「そうだよ!」ルカもスズに続く。「アタシたちの火薬の矢だって、ちゃんと鱗を貫通したし、ユウサクだって剣で竜族を貫いたじゃない! 勝てない相手じゃないよ!」
優作は、その二人の(ある意味、無邪気な)自信を、静かに制した。
「……甘くない。相手の情報が、なにひとつわからないんだぞ。一人の竜族なのか、十人の徒党なのか。武器は? どこから来るのかもわからない」
優作は、床リックに置かれたザイアスのナイフに目を落とした。
「……そして、俺たちは仲間ザイアスが一人、戦闘で死んでいる。この事実を忘れるな。簡単じゃない」
重い沈黙が落ちる。
その時、優作の肩の上で、ピュティアが妖精らしく、無邪気に(しかし核心を突いて)ささやいた。
『(ユウサクだけに聞こえる声で)ま、ユウサクの言う通りだね!』
『(でも、ルカとスズの言うことも一理あるよ。ボクの観測だと、キミたち三人(特にルカとスズ)の筋力や敏捷性、耐久力は、地底の人間よりかなり高い。キミたち自身が思っている以上のものかもね!**)』
『(でもでも! 油断したら一発で死んじゃうよ! だって相手は、あの『超硬い鱗』を持ってるんだから!)
その時、酒場の入り口から、昨夜、店主が一瞥した、あのフードを目深に被った神官が入ってきた。神官は、優作たちを認めると、まっすぐにテーブルにやってきた。
「……旅の方々。お話が」
神官はフードを取り、青白い顔を上げた。だが、その目は、アニーのような『期待』の色ではなく、冷ややかな『警戒』の色を帯びていた。
「……昨日、酒場でのお話、伺いました。あなた方が、あの『竜族』を倒した、と」
神官は、その事実を(信じがたいが)認めつつも、厳しい口調で続けた。
「……だが、そのせいで、村の『秩序』が乱れている」
「なに……?」
優作が眉をひそめると、神官は続けた。
「この村は、ヘスティア様の『理ことわり』に従い、竜族の脅威を『受け入れ』、『耐え忍ぶ』ことで『生き延びて』きた。……あなた方『よそ者』が竜族を刺激したことで、村人たちは『報復に怯え、混乱している」
「……!」
ルカとスズが、その言葉に息を呑む。
「……アニーは、助けてって言ってたのに!」
ルカが思わず食ってかかると、神官は冷たく言い放った。
「アニー個人の『情』と、村全体の『生存』。どちらが『理』に適っているか。……あなた方には、この村の『厄災』となってほしくない」
「……だから、そうそうに、この村から立ち去ってほしい」
「……!」
ルカとスズは、そのあまりにも冷酷な「厄介払い」に、神官に対して**強烈な『不信感』**を抱いた。
ピュティアも(優作にしか聞こえない声で)妖精らしく怒りを露わにした。
『(うわー、この人、ヘスティア様の教えを説くくせに、自分の保身しか考えてないね。アニーが可哀想! つまんない人間!)』
優作は、黙って神官を見つめていた。
(……これが、この村の『生存論理』……その『答え』か)
(……村人が竜族に怯えるのは分かる。だが、村を導くべき神官自身に『覚悟』がない。これでは村は救えない)
優作は、静かに言った。
「……話は、わかった。少し、考えさせてもらう」
優作のその言葉に、神官は(即座に出ていかないことに)わずかな不快感を示しつつも、一礼して酒場を去っていった。
優作はルカやスズにむけていった。
「村人たちの『覚悟』が必要だ。今日あの神官を見たろ。俺たち『よそ者』が竜族を倒しても、村人たちが戦う『覚悟』を決めない限り、それは一時的な解決にしかならない」
(……この件、やはり簡単には受けられないな……)
優作は、アニーの懇願と、神官の拒絶の間で、結論を出せずにいた。
ピュティアは、優作の戸惑いを面白そうに眺めている。
『(それに、スズが使ったあの『火薬矢』はもう無いでしょ? 今の武器では、こころもとないね! どうするの、ユウサク?)』
【第八章:『食っちゃ寝』という生存戦略】
滞在三日目、昼。
神官が訪れた、次の日。優作は、酒場の二階、固い床の上で目を覚ました。
『人工太陽』の朝日が、小さな窓から差し込んでいる。ベッドでは、ルカとスズがまだ静かな寝息を立てていた。
優作は、『お風呂』のおかげで、二人から微かに清潔な(石鹸とは違う、湯気のような)いい匂いがすることに気づき、戸惑いを覚えた。
それは、コンテナ・ツリーの泥臭さとも、第六区画の絶望の匂いとも違う、あまりにも場違いな「日常」の匂いだった。
遅い朝食を終えた優作とルカは、村の探索に出かけることにした。(スズは「アタシは剣の素振りしてる」と部屋に残った)
村は、まさに『西部劇』のまちなみだった。
菌類の木材と金属スクラップで無理やり組み上げられた家々。道には、地底獣のフンと泥が混じり合っている。
村の中心には『神官』の住む立派な(と言っても石造りの)建物があり、その隣には鍛冶場(竜族の骨や鱗を加工しているようだった)があった。
だが、何よりも優作の印象に残ったのは、**村人たちの『目』**だった。
彼らは、よそ者である優作たちを遠巻きに見るが、その目には(酒場の客たち好奇心よりも『怯え』と『諦め』が色濃く浮かんでいた。
(……ここも『生きている』村だ。食事も酒も『文化』もある。だが、竜族の脅威に怯え、神官の『生存論理(=耐え忍ぶ)に縛られている……)
優作は、アニーの怯えた顔を思い出していた。
探索を終え、酒場の部屋に戻ると、スズが剣(竜族の剣)の手入れをしていた。
優作は床に、ルカとスズはベッドに座り、再び重い作戦会議が始まった。議題は一つ。神官に「立ち去れ」と言われた今、どうするかだ。
「……どうする、ユウサク」
ルカが切り出した。
「あの神官、ああ言ってたけど。アタシは、やっぱりアニーを助けたい。……それに」
ルカは、意外な言葉を続けた。
「アタシたちの目的は、ヘスティアの『生き延びる』って命令を遂行することだよね? だったら、闇雲にこの地底世界を冒険するのは危険すぎる」
「……」
「この村には、美味い『食事』も『風呂』もある。ヘスティアの『迎え』を待つ拠点として、ここで**『食っちゃ寝』して『生き延びる』**のが、一番『合理的』じゃない?」
スズも、ルカのその意外な『論理』に頷いた。
「……私も、ルカに賛成。そのためにも、あの『竜族』は邪魔。アタシたちが安全に『生き延びる』ために、**竜族の撃退は『必須』**だと思う」
優作は、二人のその『意見』に驚いた。
(……これが、こいつらの『本心』か? それとも、アニーを助けたいがために、俺を納得させようと、あえて『自分たちの安全のためを優先した**『方便』**か……?)
ピュティアが(優作にしか聞こえない声で)妖精らしくささやいた。
『(ふーん! 二人とも、ユウサクを動かすために『論理的りくつっぽい』なフリしてる! 面白いね! アニーを助けたいっていう『感情』を、ユウサクのに合わせてるんだ! 可愛いウソだね!)』
優作は、二人のその『方便(あるいは本心)』を、黙って聞いていた。
(……『覚悟』は決めている。だが、神官も村も、まだ俺たちを拒絶している)
優作は、まだ『結論』を出さずにいた。
「……もう少し、村の様子と、竜族の情報を探る。動くのはそれからだ」
【第九章:竜族の論理】
滞在四日目、昼過ぎ。
翌日。優作は、酒場の二階、固い床の上で目を覚ました。
ベッドを見ると、ルカとスズは既に出かけた後だった。昨夜の作戦会議を受け、二人は(優作よりも早く)竜族の情報を集めるために先に宿を出たようだった。
(……早いな、あいつら)
優作も、部屋を出ようとしたところ、酒場の二階の廊下で、またしてもあの神官と鉢合わせた。
「……まだ、おられましたか」
神官は、フードの奥から、あからさまな敵意と威圧を向けてくる。
「昨日もお伝えしたはずですが。あなた方『よそ者』がこの村に留まることは、『理ことわり』を乱します。そうそうに立ち去っていただきたい」
優作は、その言葉を黙って受け流し、神官の横をすり抜けて一人で階段を降りた。
階下の食堂へ行くと、遅めの昼食がテーブルに用意されていた。
アニー(神官の目を盗んで)運んできてくれたようだった。穀類の蒸したようなもの(米ではない何か)と、卵とキノコの炒め物、そして温かいスープ。
「……どうやら、滞在中は食事はただでいいとのことだ」
優作が(店主のバーニィからそう伝えられたと)言うと、ルカとスズは顔を輝かせ、再び飢餓から解放される喜びに浸っていた。
だが、優作の心は晴れなかった。
(……食事は『タダ』。だが、村人たちの視線は『冷たい』)
優作は、食堂の隅でこちらを監視するように見ている神官と、怯えた目で竜族の襲撃を恐れる村人たちを見渡した。
(……この町の沈んだ空気は……)
優作は、デジャヴュ(既視感)を覚えていた。
(……高校時代の、あの教室だ)
弱者は蹂躙され、尊厳も踏みにじられるという「強者(竜族)」に怯え、誰もが「耐え忍ぶ」ことを『生存論理』だと信じ込んでいる。
(……かといって、俺にこいつらを裁く資格はない)
優作は、自分にも否があることを自覚していた。
自分が助かるために、他者を差し出す。自分が安全ならば、他者の犠牲(アニーの親友の死)を見て見ぬフリをする。
その無意識かのなかで醸成される意識は、この村人たちと、そして神官と、何が違う?
(……最悪だ)
優作は、穀類の蒸し物をかきこんだ。
(……こんなもの見せられたら、決めるしかないじゃないか)
(……ここで立ち向かわなければ、俺はまた、あの『水の底(精神世界)』で、和樹の『亡霊』に悩まされる日々がつづいてしまう)
食事を終えた優作は、カウンターで一人、酒瓶を拭いている店主バーニィに声をかけた。ルカとスズも、会話に加わる。
「店主。あんたは、神官とは違うようだな。俺たちに『情報』をくれるか?」
バーニィは、アニーの懇願を思い出しているのか、重々しく頷いた。
「……神官様は『耐えろ』と言う。だが、耐えた結果がこれだ」
バーニィが語る情報は、絶望的だった。
「奴ら(竜族)は、だいたい一ヶ月おきに来る。……いつも来るのは、たったの二人組だ」
「……二人?」
優作は息を呑んだ。「本隊・・・とか、そういうことではなく?」
「ああ」
バーニィは吐き捨てるように言った。
「たった二人に、この村一つが(・・・)、赤子のように蹂躙されてるんだよ。奴らのウロコは硬く、分厚い。こっちの剣も槍も弾かれる。だのに、奴らの力は人間(地底人)を遥かに超えてやがる」
「奴らの略奪は、この店だけが対象じゃない」
バーニィによれば、この村から、さらに数十キロさきにある『セントラルシティ(大規模な街)』への定期交通と郵便をおこなう営業所や。その『定期便』も襲う。雑貨屋も、食料品店も、根こそぎ奪っていく。気が向けば民家に火をはなったり、通行人を殺したりもする」
バーニィが「……ただ、嬲なぶり殺しにして、奪っていくだけだ」と吐き捨て、酒場全体が、竜族への恐怖と『生存論理』の重い沈黙に包まれた、その時だった。
カラン、カラン……
酒場の観音開きの扉が、乾いた音を立てて開いた。




