第30部【一晩明け:菌類の森の朝】
ルカの静かな歌声が森に溶けていった後、重い沈黙が落ちた。ザイアスを失い、竜族を殺め、一行の疲労は限界に達していた。
「……そろそろ、休むか」 優作は、焚き火の火を調整しながら言った。 「この場所(岩の窪地)なら安全だろう。交代で見張りが必要だ。俺が最初を——」
「あ、それならボクがやるよ!」
優作の言葉を遮り、ピュティアが三人の中心にフワリと移動した。
「え?」 ルカが(まだ妖精の存在に戸惑いながら)顔を上げる。
「だから、見張り! ボクが買って出るって言ってるの!」 ピュティアは、光の翅を得意げに揺らした。 「キミたち人間はすぐに眠らないと動けなくなるけど、ボクは平気だからね! 寝るのは、すっごく暇な時だけ!」
優作は、その申し出に戸惑いつつも、現状ではそれが最適解だと判断した。 「……助かる。頼んだぞ、ピュティア」
「任せて! 何か近づいてきたら、すぐに知らせてあげるから!」
その言葉を聞くと、優作の中で張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。
泥のような疲労感が全身を襲う。優作は岩肌に背を預けると、数秒と経たずに意識を手放した。
スズも、ルカも、互いに身を寄せ合うようにして、深く、重い眠りへと落ちていった。
どれほどの時間が経過しただろうか。
地底世界を包んでいた闇が薄れ、頭上の遥か彼方に設置された『光源』の出力が上がり始めた。
白み始めた光が、巨大なキノコの傘を透過し、森の地面にまだら模様の影を描き出す。
しっとりとした冷気を含んだ空気が、温まり始めた地表の熱と混ざり合い、白い靄となって立ち込めた。
「……ん」
焚き火はとっくに燃え尽き、白い灰になっている。
背中のごつごつした岩の感触と、肌寒さで、優作は浅い眠りから覚醒した。
(……生きている。襲撃は……なかったか)
重いまぶたをこすりながら、優作はゆっくりと上半身を起こした。
隣を見ると、スズとルカはまだ深い眠りの中にいた。スズは愛剣を抱いたまま小さく丸まり、ルカはそのスズの背中に額を押し付けるようにして、規則正しい寝息を立てている。
優作は、二人が無事であることに安堵の息を漏らし、ふと視線を上げた。
そこには、地上で見ていたものと変わらない、見事な『青い空』が広がっていた。 『人工太陽』とは思えない眩い光源が昇り始め、『日の出』として『偽りの空』を照らし、巨大な菌類(傘状菌)の『影』をくっきりと地面に落としている。
(……これが、地底だと? 信じがたい……)
あまりに精巧な「青空」に、優作が呆然としていると、目の前に光の粒子が集まった。
「おはよ、ユウサク。ちゃんと見張ってたよ」
ピュティアが、優作の目の前にフワリと姿を現して言った。
「どう? この『偽りの空』。本物の『天井』は、あの『青空』の遥か上にあるんだけどね。地底人(彼ら)は生まれた時から死ぬまで、この景色だけを見て一生を終えるのさ」
「(……一生を、か)」
優作は、その残酷な管理システムに戦慄しながらも、今は思考を切り替えることにした。
まだ眠っている二人を起こさないよう、慎重に立ち上がり、体の凝りをほぐす。そして、散らばっていた荷物をまとめ、ザイアスの形見であるリュックを持ち上げた。
ジャリ、と足元の小石が鳴り、リュックの金具がカチャリと音を立てる。
その物音に反応して、ルカがビクリと震え、ハッと目を覚ました。
「……んぁ!? ……あ! ユウサク!?」
ルカは慌てて体を起こし、周囲を見回して状況を理解すると、バツが悪そうに頭をかいた。
「ご、ごめん、アタシ……爆睡してた……」
「ああ。ピュティアが見張ってくれていたからな」
優作が答えると、ルカは安心したように大きく伸びをした。
「そっか、そうだった! あー、よく寝た! すっごくきもちいい!」
ルカは地底世界の空気を胸いっぱいに吸い込み、快活な声を上げた。
「……朝からうるさい」
その声に、隣のスズが気だるげに体を起こした。その目は充血しており、明らかに睡眠不足だ。
「こっちは警戒してなかなか寝付けなかったってのに。……その図太い神経、少し分けてほしいわ」
「えへへ、褒め言葉?」
ルカは屈託なく笑うと、口元のヨダレ跡を袖でぬぐった。
「空気もきれいだし。……まぁ、ちょっと『ほこり』くさいのは、このキノコ(傘状菌)のせいだけどね!」
ルカが指差す通り、森全体が、夜露(あるいは菌類が分泌した水分)で湿り気を帯び、独特の胞子の匂いを放っている。
「だけど、コンテナ・ツリーの時とはおおちがいだよ。あそこは、いつも『砂』と『鉄』の匂いしかしなかったから」
「……そうだな」
優作は背嚢を背負い直し、二人を見た。
「ピュティアが言っていた『次の集落』へ、日が昇りきる前に出発する。スズ、行けるか?」
「うん、大丈夫。腕も、もう痛くない」
スズも静かに立ち上がり、剣を背中に収めた。
一行は再び、ピュティアの先導で『巨大菌糸体の森』の中を進み始めた。
【小川の発見と『偽りの空』】
どれほどの時間、歩いただろうか。
優作たちが、密集した菌類の森を抜けた、その時だった。
「……水だ」
優作が、思わず足を止めた。
森の開けた先に、幅3メートルほどの『小川』が、音を立てて流れていたのだ。
水は透き通り、底の黒い岩肌が見えている。
「やった! 水だ!」
ルカが真っ先に駆け寄り、その流れで顔を洗い始めた。「つめたーい!」
優作は、その光景に戸惑った。
(……川? 地底に、こんな開けた『川』が? この水はどこから……)
スズが、その『小川』のほとりに立ち尽くし、流れそのものを、まるで信じられないものでも見るかのように、じっと見つめていた。
スズは、流れる水を手にすくいながら、ぽつりぽつりと語り始めた。 「アタシたちが物心つく頃は、もう環境汚染がひどくて、地上の『川』はみんな『毒』だったから」
ルカも、スズの言葉に強く頷いた。 「ついこのあいだ、アタシたちがコンテナ・ツリーの外で遭った、あの『大雨』……。あの時、鉄砲水みたいに流れてきた『泥水』とは、ぜんぜん違う……」
ルカは、そう言うと、この『小川』の穏やかな流れとは対照的な、あの『濁流』のことを思い出し、表情を曇らせた。
「……あの『濁流』……今ごろ村は……コウは、大丈夫かな……」
スズも、あの日の恐怖(格納庫からの転移)と、村に残してきた仲間たちのことを思い出し、目を伏せる。 「うん。あれは『濁流(暴力)』だったけど、これは……『水』が流れてる……。それに、太陽も『人工太陽』にかわって、空も『天井』になってた」
(……天井。ドーム……) 優作は、スズの言葉に、今、自分たちを覆っている、あの『青い空』(偽りの空)を見上げた。
スズは、川面を見つめたまま、淡々と続けた。
「それに、コンテナ・ツリーは、もっと大変になったから……。水は、井戸の木の『ろ過機』が頼りだったし……」
「そうそう!」
ルカが、顔を洗い終えてスズの隣に座った。
「あの頃は大変だったよねー! アタシ、いっつもスズにくっついてたもん!」
スズは、ルカの言葉に、少しだけ頬を緩めた。
「うん。アタシが、ルカを育てたようなものだからね」
「えー! 育てられたのはトキ」
ルカとスズが、姉妹のように笑い合う。
その二人の姿を見て、優作は、改めて彼女たちの「異質さ」に気づいた。
川の水を警戒もせず飲み、この薄暗い光の中で平然と生きる、その『青白い皮膚』と、わずかに『切れ長の目』。
(ルカもスズも 砂漠の環境で生き抜けるように 強化させられた、ヘスティアの『実験対象(遺伝子最適化)』なんじゃないのか……?)
その「考え」が浮かんだ瞬間、優作は、その冷徹な思考を振り払った。
(……今は、いい。今は、この『水』を確保する)
優作は、背嚢から水筒を取り出し、地底の『小川』の水を満たし始めた。
ピュティアは、そんな三人の様子を、楽しそうに(あるいは、実験が順調に進んでいることを喜ぶように)見つめていた。




