第二十六部と第二十七部:泥濘ぬかるみの一本道
優作は、井戸の木の防風林の切れ目を抜けた。そこは、空へ『逆流するシャボン玉』と『黄土色の泥濘ぬかるみ』と、そして『冷たい小雨』に満ていた。
冷たい雨に濡れる手で、作戦会議で頭に叩き込んだ『粗雑な地図の記憶』を、瞼まぶたの裏で広げた。(ルートは、一本道だ。)
アトラスから渡された旧文明の『レインコート』を身にまとい、デイヴの形見の『ボーガン』を左手に握りしめていた。
優作が村を出てまもなく、空を覆う厚い黄土色の雲から降り続いていた『小雨』は、たちまち『激しい雨』へと変わり、視界を奪う。泥水が顔を伝う。優作はレインコートの性能に驚いていた。見た目は汚い古いぼろ布のようだが、着心地がよく、雨も完全に遮断し、体温が自動制御されているかのように防寒の性能も十分すぎるほどあった。
足元の黄土色の砂漠は、急速に泥濘ぬかるみへと変貌していく。しばらく峠に向かい歩いていると、後方から違和感を感じる。
優作は、背後を振り返った。
(……戻れない)
今まで進んできたコンテナ・ツリーから延びる道は、既に濁流が横断していた。土砂と泥を巻き込んだ激しい流れが、彼が来た道を呑み込み、退路を完全に断ってしまったのだ。
優作の喉がごくりと鳴る。(退路はない。……俺は、ここで立ち止まることは許されない)
彼は立ち止まらなかった。退路を断たれた事実は、優作にとって『絶望』であると同時に、**『前に進むべき理由』**でもあった。
優作は泥濘に足を取られながらも、『砂漠の峠』へと続く道を、ひたすら歩いた。峠の道にたどりつき、峠の中腹まで歩くき、見晴らしいい場所に出ると、峠を囲むように濁流が取り囲んでいる様子が眼下に広がっていた。
優作は、この激流を避けるための場所を求めて、ピュティアに尋ねた。彼の心は、純粋な『生存戦略』に基づいていた。
「……ピュティア、この濁流を避けられる『場所』はあるか」
『あるよ、ユウサク。君がここから数キロ先を歩いたところにある細い横道の先。その奥の岩肌に、旧時代の人工的な補強が施された『小さな格納庫』がある。泥水が流れ込むのを計算して造られた『避難所』だね』
ピュティアの言葉に従い、優作は泥濘に足を取られながらも数キロ先の細い横道を目指した。やがて、優作は岩肌に隠された『小さな格納庫』へと身を滑り込ませた。格納庫の内部は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。優作はレインコートを脱ぎ、荒い息を整える。
その時、洞穴の奥から、低い声が響いた。
「だれだ!!」
優作が目を凝らすと、奥の岩陰に、洞穴の民の男が座り込んでいた。男は、顔に青白いペイントを施し、リザードの皮をなめしたローブを纏まとっている。その黄色い目には、出会うはずのない他者の出現に対する強い警戒心』が宿っていた。
優作は、口を開いた。彼の声は、『柔らかく、内省的』な声だった。
「……コンテナ・ツリーからきた、優作です」
「フン。俺はザイアスだ」男は警戒を解かない。
優作は、黙ってボーガンを地面に置いた。ザイアスは、しばらく優作を見つめた後、ため息をついた。
「どうせ、水の危機にでも直面したんだろう。お互い大変だな」
ザイアスは、リュックの中から、一辺が10cmほどの立方体状の、金属部品が組み合わされた**『小型熱源ユニット』を取り出した。筐体は、表面に無数の錆びた回路基板が剥き出しになっている。ユニット側面の太い金属棒(起動キー)**を回すと、上面の、**銅線が螺旋状に巻かれた『発熱コイル』**から、青白い無音の光が放ち始めた。その光は、洞穴の冷気を切り裂き、赤外線に近い熱として優作の場所まで伝わってきた。
ザイアスは、**幅が手のひらほどの『干肉』**と、**リザードの皮をなめして硬化させた『小さな鍋』を取り出し、『発熱コイル』**の熱に掲げると、干し肉を焼き始めた。肉が焼けると、**旧文明の割れたセラミック片を樹脂で繋ぎ合わせた『皿』**にとりわけ、優作の前にさしだした。
「食え。腹減っているんだろう」
肉が焼けた香ばしい匂い。その肉の味を味わったのは、いつぶりだろう。優作の目に自然と涙があふれていた。その涙が何なのか優作自身もわからず、照れ笑いを浮かべていた。
優作は、ポケットからルカから譲りうけた『保存食(ビスケット袋)』を取り出し、ザイアスに差し出した。
「……俺は洞穴の民だ。あんたたちと同じく、工場跡地に向かう途中で、このザマだ」
ザイアスは、焼けた干し肉を無造作に口に放り込みながら、青白いペイントの下で忌々しげに言った。
「アトラスの村から娘が『嫁ぎに来る』? 笑わせるな。こちは、そんな余裕はとっくにねえんだよ」
彼の黄色い目が、格納庫の暗闇で冷たく光る。
「働き手は減る一方、資源も尽きかけてる。おまけに、洞穴周辺の獣どもは、どういうわけか日増しに凶暴化してやがる」
ザイアスは、外の激しい雨音に耳を傾け、吐き捨てた。
「……そこに来て、この雨だ。こんな想定外のモンが、あの獣どもをどう変えるか、わかったモンじゃねえ」
優作は、自分がコンテナ・ツリーの一員になるための試練を受けていること、工場跡地に向かうことを話す。また、この先どうなるか、わからない。協力して工場跡地に向かおうと提案した。
「協力だと?」
ザイアスは青白いペイントを施した顔を歪めた。その黄色い目が優作を鋭く射抜く。彼は即座に反論せず、腕を組み直し、優作の言葉の裏にある資源的な価値を測るように、冷徹な沈黙を保った。
優作はその沈黙を、承諾の機会と見た。彼は言葉を重ねた。
「どうせ、私たちの行く先は、工場跡地で同じです」
ザイアスは唸るように、しばし優作を見つめた後、冷めた声で沈黙を破った。
「フン。俺たちの村が『交流事業』を始めたのは、互いに利益があるからだ。貴様の提案も、その延長線上にある**『一時的取引』として受け入れる。俺は『工場跡地』までの道筋を案内してやる。貴様は自分の身をまもれるようにせいぜい逃げ回りな」
ザイアスは、低く、しかし確かな声で言った。 「雨が止み次第、俺の案内で進む。ただし、俺はお前の試練の『仲間』ではない**『取引相手』**だ。裏切るような行動をみせれば、その時は容赦なく処分する」
優作は、小さく頷いた。 「……承知しました」 こうして、優作はザイアスという新たな『仲間』と共に、濁流の峠で雨が止むのを待つことになった。 転換点(ナナミの馬車と地底の宣告)
優作とザイアスが静かに雨の収束を待つ中、格納庫の外の激しい雨音に混じって、奇妙な、その場には不釣り合いな音が近づいてきた。
**カラコロ、カラコロ、**と、六本足の金属製ロボット馬の蹄と車輪の音だ。
「……あれは」
ザイアスは顔色を変えた。その声は、目の前の**未知の存在に対する純粋な「驚き」と「警戒」であった
優作は、格納庫の入り口から外を覗いた。「峠の細い横道」にあるこの高台は、**まだ激しい濁流に呑み込まれていなかった。
そこへ、白い能面のアンドロイド『ナナミ』が操る、あの『未来の乗り物』である馬車が、その高台の道を「近寄ってくる」のが見えた。
馬車は、まるで優作たちがこの格納庫にいることを知っていたかのように、まっすぐ**「優作のもとへやってきて」、その目の前で音もなく「停止した」**。
プシュ、という密閉音と共に、馬車の「客室」の扉がスライドして開く。
格納庫の薄暗がりから、二人の人影が客室からおりる姿が見えた。
一人はルカだった。彼女は、この異常事態と未知の乗り物への「不安」と「心配」、そして「すこし わくわく」するような好奇心が混じった、複雑な表情で優作を見上げた。
そしてもう一人が、交流事業のために送られる村娘だった。彼女は18歳ほどで、身長は160㎝ほど。「青髪」と「褐色のはだ」という特徴もさることながら、優作の目を引いたのは、その「切れ長の目」だった。それは、この土砂降りの雨(の外の景色)と絶望的な状況を冷静に見据えるかのような、凛とした強さを持っていた。優作は、その荒廃した世界には不釣り合いな美しさに、思わず息をのんだ。
優作はナナミ問う
「ナナミ。この先の状況を教えてくれ」
『承知。ナナミはヘスティアの通信網に接続中。遠隔で『情報共有プロトコル』を起動します』
次の瞬間、格納庫内の空中に、青白いホログラムのビジョンが展開された。それは、ナナミがヘスティアから受け取った、この広域アウトキャスト・ゾーンの最新の『シミュレーション予測』だった。
ビジョンは、濁流が引くまで『少なくとも一ヶ月』はかかり、その間に起こる**『世界の崩壊』**を冷徹に予測していた。
【リアルタイム・ビジョン:濁流による孤立】
ホログラムの視点は、濁流が押し寄せるコンテナ・ツリーの上空に移った。
「やめろ!」優作が叫んだ。
土砂と濁流を巻き込んだ激しい水の壁が、『井戸の木』の防風林をなぎ倒し、鉄骨とコンテナが積み重なった村の下層部を呑み込んでいく。
村は全滅したわけではなかった。だが、ビジョンは、濁流に取り残された『孤島』と化したコンテナ・ツリーを映し出していた。
優作の視線が釘付けになったのは、ビジョンの中で必死に生き延びようとする仲間の姿だった。
アトラスが、村のリーダーとして浸水するコンテナの上層階へ住民を避難させている。
トキは、ルカの病弱な弟コウとともに、濁流が迫るコンテナの梯子を登っていた。
視点は次に、ザイアスの村、洞穴の民の集落へ。
そこも全滅ではなかった。だが、濁流が洞穴の入り口や下層部へと凄まじい勢いで流れ込み、岩盤の一部が崩落している。
青白いペイントを施した住民たち、サイラスを含む生き残った者たちが、水から逃れるため、洞穴の更に奥深く、あるいは上層部へと追いやられていく。
ビジョンは、両方の村が濁流によって完全に**『孤立』し、救助も脱出も不可能な状況に陥った様子を、容赦なく優作に突きつけた。**
ザイアスは、その光景に立ち尽くし、青白いペイントの下の顔が、恐怖と絶望に歪む。
「そんな……サイラス様も、村も……! 完全に孤立した……!」
優作は、ホログラムのビジョンが消えるまで、言葉を失った。彼が『守るべき対象』であると認識していたコンテナ・ツリーの仲間も、ザイアスが『取引相手』として見なしていた自身の部族も、この巨大な自然の暴力の前では為す術もなく『孤立』し、絶望的な状況に陥ったのだ。
「ナナミ!」優作は格納庫内のアンドロイド(ナナミ)に向かって叫んだ。「これは避けられないのか? ヘスティアは、この状況で何の対策も講じないのか!」
ホログラムのビジョンは消えた。優作の傍らで、(彼にしか見えない)ピュティアが即座に行動を起こした。
『ユウサク、ボクがナナミの回線(ヘスティア通信網)に割り込む! ボクの言葉をそのままナナミに中継しろ!』
「わかった!」
優作は、ピュティアの言葉を「代弁」する形で、ナナミに向かって(ピュティアが喋るかのように)AIの専門用語を叫んだ。
「ナナミ! ヘスティア様へ緊急問い合わせ! 『アウトキャスト・ゾーンの生存率が危険域に低下。次期干渉計画の早期起動を要請』……そう伝えろ!」
静寂が20分間続いた。ザイアスと優作は、その沈黙の中で、世界の終わりを待つような緊張に耐えた。
やがて、ナナミのひょうきんな合成音声が、格納庫に響いた。
『問い合わせ完了! ヘスティア様からの回答です!』
『ユウサク様、ザイアス様、おめでとうございます!』
ナナミの声は異常に明るい。
『この格納庫の真下、旧文明の地下資源開発の遺構を利用し、『地底人の世界』が秘密裏に構築されていました!これは、地上環境が回復不能となった際の『避難先プロトコル』**としてヘスティア様が準備していたものですが、優先順位が低く、観測を限定していました!』
その瞬間、格納庫の岩盤の奥深くから、重く低い機械の駆動音が響き始めた。
『今回の危機を契機として、ヘスティア様は地底世界への干渉計画(介入)を起動します! 優作様、あなたの試練の目的地は工場跡地から『地底世界』へと変更されました!』
優作は、その『地獄からの転身』という、あまりにも非論理的な展開に、呆然と立ち尽くすしかなかった。
第二十七部:奈落への降下と『偽りの空』
格納庫の奥深くから響く機械の駆動音は、優作とザイアスが理解する世界の『論理の終わり』を告げていた。
「地底世界だと? 馬鹿な!」
ザイアスは警戒の全てを捨て、格納庫の奥の岩盤に向かって叫んだ。彼の「理性的」な世界観をもってしても、この展開は受け入れがたい。
優作はレインコートを再び羽織りながら、冷静さを取り戻そうとしていた。
(工場跡地の試練は、AIにとって**『非効率』になった。だから、より確実な『実験場』**へ、強制的に移動させられる。……今、目の前で俺が守るべきルカたちを背負った俺には、拒否権がない)
『ユウサク様!』
格納庫内で待機していたアンドロイドのナナミが、ひょうきんな声で一同を促した。
「優作! なんだこれ! ナナミが『避難』だって どうするの!」
(格納庫の隅で待機していた)ルカが叫ぶ。
「静かに」優作はルカたちを制した。「ナナミ、どうやって地底へ降りる」
アンドロイドのナナミは、白い能面の顔を優作たちに向けた。
『格納庫の床下に、旧文明の『転移ゲート』の隠しハッチが確認されました! ヘスティア様より、ルカ様、スズ様、そして優作様たちを『最優先避難サンプル』として、地底世界へ送り届ける任務を命じられました!』
『ザイアス様は、コンテナ・ツリーとは異なるコミュニティ(洞穴の民)の『希少な比較サンプル』として、優作様たちとの同時転移(同伴)が推奨されています!さあ、早く!』
ナナミは、格納庫の隅にある岩盤を指した。その岩盤が、重い駆動音を立ててスライドし、その下に、**青白い光を放つ円形の『転移ゲート』**が姿を現した。
優作は、自分の試練が**「個人的な生存」から「他者(ルカ、スズ)の保護」へと、強制的に書き換えられたことを理解した。この奈落の底が、彼が背負うべき『逃げられない責任』**の場所となるのだ。
ナナミの馬車は、そのゲートパネルの上へと乗り込んだ。優作は(既に馬車から降りていた)ルカ、スズ、そしてザイアスを促し、その後を追う。
「転移します!」ナナミのひょうきんな声が響いた直後、視界が真っ白な光に包まれ、浮遊感と共に意識が一瞬途切れた。
次の瞬間、優作の視界が、急に開けた。
「……なんだ、これは」
優作の頭上に広がっていたのは、紛れもなく**『空』**だった。
深淵な青ではなく、どこか絵具を溶かしたような均一な青。その中に、白熱灯のような光を放つ『人工太陽』が浮かんでいる。
彼らが立っているのは、地下数百メートル、旧文明の巨大な地下採掘ドームの淵に設置された転移先の『ゲート』の上だった。優作たちが見下ろすそのドーム空間こそ、**『地底人の世界』**だった。
優作が、ルカやスズ、ザイアスが『ゲート』のパネルから最後の一歩を踏み出し、地底世界の淵に降り立ったのを確認した、その直後だった。
「ジジ……」という微かなノイズと共に、足元で青白く輝いていた円形の『転移ゲート』が激しく明滅を始める。
「! 危ない!」
ナナミがひょうきんな声で叫ぶ。
次の瞬間、ゲートを構成していた光の円盤が、地上で見た『逆流するシャボン玉』のように無数の光の粒子となり、音もなく宙へと霧散して消えた。
後には、馬車が一台ギリギリ乗れるほどの、冷たい岩肌の「円」だけが残されていた。地上へ戻る手段は、こうして一方的に断ち切られた。
「……なんだ、この空間は」
優作は、転移ゲートが霧散した岩場の上で、思わず言葉を失った。
彼の頭上に広がっていたのは、紛れもなく**『空』だった。深淵な夜空でも、毒に満ちた黄土色でもない、均一で、どこか絵具を溶かしたような人工的な青**。巨大な白熱灯のような光を放つ**『人工太陽』**が、その中央に浮かんでいる。
ここは、旧文明の地下採掘ドームを利用した世界だ。優作は、その巨大な構造に驚くことはなかった。しかし、その天井が、優作の視界の遥か彼方、数キロ先まで続いていることに、優作は息を飲んだ。
地平線まで広がるその景色は、とても「閉鎖的な内部」という印象を与えない。むしろ、地上世界そのものが、そのまま地下に持ち込まれたかのような錯覚を覚えさせた。
優作が見下ろすその眼下に広がるのは、岩肌の斜面に沿って、複数の街並みだった。中世ヨーロッパのような石造りの村もあれば、金属の残骸を積み上げたような粗雑な集落もある。かつて優作がいた**『コンテナ・ツリー』も、この巨大な空間の片隅に存在する一つの国**に過ぎないのだ。
(AIが作り上げた、巨大な**『実験場』**……)
優作は、この**『偽りの空』の下にある、広大すぎる世界**を、ただ見据えた。




