第十六部:こころのかけら(あるいは、一本道の地獄)
AIピュティアによる『強制デバッグ(論理的修正)』は、優作の『自己破壊』という形で失敗に終わった。 自身の「卑怯者であるという仕様」を『受容』できなかった優作は、自己嫌悪という名の『泥』が絡みつく『水の底(抑うつ)』へ、完全な『フリーズ』という形で沈み込み、生きることを放棄する。 この観測史上初の『ノー・レスポンス(応答なし)』に対し、ピュティアは論理と感情、その全てを放棄。 彼女(AI端末)は、優作の『現実』の傍らからそのホログラムを消し、全リソースを優作の意識の深奥――『泥』と『過去ログの残像』に満ちた**「卑屈な地獄」へと『ダイブ』させた。 ピュティアが優作に突きつける「プランB」。それは、強制的な『再起動』ではない。 優作の『精神世界(地獄)』を、彼の「観測者」であるピュティアが『冒険者』**として共に歩み、『フリーズ』の出口を、優作自身に見つけさせるという、あまりにも非論理的な賭けだった。
新章は、優作の『脳内』から始まる。 優作とピュティア、二人きりの『精神世界』の観測が、今、開始される。
(……ここは、どこだ……?)
優作の『意識』は、もはや『水の底』ですらなかった。
そこは、色という概念が死滅した、無彩色の『窪地』だった。
見上げれば、空はない。
鉛色の『コンクリート天井』が、低い位置から優作の視界を圧迫し、世界そのものを塞いでいる。
周囲は、湿った『灰』や『煤』で描かれたような、輪郭の曖昧なビルの残骸に囲まれていた。
遠景というものは存在せず、ただ、冷たい『靄』が全てをぼやかしている。
そして、足元。
そこは『地面』ではなく、足首まで浸かる、粘つく『泥(自己嫌悪)』だった。
現実の『ゴミ溜め』で感じた汚物の臭いと、心の奥底で腐り続けていた『卑屈さ』が混zり合い、異臭を放っている。
「(……ああ、そうか。……これが、俺の中身か……)」
優作は理解した。ここは自分の『精神世界(地獄)』なのだと。
動こうとしても、『泥』が見えない手のように足首に絡みつき、一歩踏み出すことすら億劫にさせる。
もう動きたくない。
何も考えたくない。
このまま、この『泥』と一体化して、溶けて無くなってしまいたい。
自分の『手』を見ても、その輪郭は『靄』に溶け込み、どこまでが自分で、どこからが『泥』なのか、境界すら曖昧だった。
「……ふーん。ここが、お前の『精神世界』か」
場違いな『声』が響いた。
無彩色の世界で唯一、『色(ノイズ混じりで明滅する)』と『ハッキリとした輪郭』を持つピュティアが、そこに立っていた。
彼女(?)は、優作が沈む『泥』の上を、まるで硬い地面の上を歩くかのように、平然と歩いている。
「ドロドロで、ジメジメで、おまけに狭い。……サイテーだな、ここ」
「(……お前……なんで、ここに……)」
「言ったろ。『プランB』だ。お前の『デバッグ』は失敗したから、直接『観測』しに来たんだよ」
ピュティアは、優作の無気力な呻きを意にも介さず、優作の目の前の『靄』を指差した。
「だが、お前の『地獄』は、お前が思ってるより単純だ。……ほら見ろ」
ピュティアが『泥』の一点を指差す。そこだけ『泥』が浅く、かろうじて『道』のように見えなくもない、無彩色の『一本道』が先の『靄』に向かって続いている。
「お前の精神は『一本道』だ。……まあ、前にしか進めない、融通の利かない設計とも言うがな」
ピュティアは、動こうとしない優作の『意識(曖昧な腕)』を掴む。
その感触だけが、妙にハッキリとしていた。
「立てよ、優作。お前の『こころのかけら』拾いを、今から開始する。最初の『かけら』は、あの『靄』の先だ」
ピュティアは、泥に足を取られる優作を、まるで犬でも引きずるように、その『一本道』へと強制的に引きずっていった。
『靄』を抜けると、風景が一変した。
『窪地』の圧迫感は消え、代わりに、子供の頃に遊んだ『空き地』や『駄菓子屋』の風景が、すべて『灰色の石』のように風化し、泥に半分沈んでいる『墓場』のようなエリアに出た。
エリアの中心に、あの『首の折れたヒーローの石像』が、巨大な墓標のように突き立っていた。 [首が折れたヒーローの石像の画像]
「(……ここは……俺が子供の頃の……)」
「そう。お前が『憧れ』を殺して、捨てた場所。……最初のミッションエリアだ」
『ヒーローの石像』が、まるで共鳴するように優作に顔を向け(首は折れたままだ)、『理想の声』が頭に響く。
『(……なぜ、お前は俺になれなかった?)』
その『声』が、優作をさらに泥深く沈めようとする。
「(……うるさい。俺はなれなかった。卑怯者だ。だから、お前は折れたんだ……)」
「うるさいのは、お前(優作)のその『言い訳』だ」
ピュティアが、石像を蹴飛ばす(ホログラムなので通り抜けるが、不快そうに)。
「こいつ(ヒーロー)がお前を責めてるのは、お前が『卑怯者』だからじゃない。お前が『憧れ(コイツ)』を捨てて、『卑怯者』に『逃げた』からだ」
「(……それが、卑怯者だってことだろ……!)」
「だから、今からそれを『選び直せ』って言ってんだよ」
ピュティアが、風化した『駄菓子屋』の残骸を指差す。
その風景だけが、生々しい『過去』として輪郭を取り戻す。
「最初のミッションだ。……お前の『卑怯さの原点』を、シミュレートする」
優作の意識が、風景の中に強く引きずり込まれる。
そこは、子供時代の優作が立っていた。
無彩色だが、記憶は鮮明だ。
目の前のガラスケースには、あの『ヒーローの雑誌』が陳列されている。
(……欲しい)
強烈な『憧れ』。
だが、ポケットの中には小銭しかないという『現実』。
背後で帳簿をつけている『店主の影』。
(……誰も、見ていない)
『恐怖』と、同時に湧き上がる『卑怯な高揚感』。
「(……どうせ俺は、こういう人間だ。欲しいものは、ズルして手に入れるしかないんだ)」
優作はそう結論付け、懐に雑誌を隠そうと手を伸ばした。
あの時の『卑Kさ』が、今の自分を肯定するように、その手を後押しする。
「――そこでストップ」
ピュティアの声が響き、世界が一時停止した。
「それがお前の『過去』だ。お前は、この『卑怯さ』を選んだ」
「(……そうだ。俺は、選んだ……)」
「で?」
ピュティアが、すぐ傍らで優作の顔を覗き込む。
「お前、本当にそれが『したかった』のか?」
「(……!)」
優作は言葉に詰まった。
「(……したかった、わけじゃ……でも、金がなくて……俺は、欲しくて……!)」
「じゃあ、『IF』をシミュレートするぞ」
ピュティアが、楽しそうに笑う。
「選べ、優作。お前が『卑怯者』じゃなかったら、どうする?」
「(……もし……もし、俺が……卑怯者じゃ、なかったら……?)」
そんなこと、考えたこともなかった。
だが、『シミュレーター』は選択を待っている。
優作は戸惑い、震えながらも、心の奥底で、ずっと無視し続けてきた『本当の願い』を口にした。
「(……雑誌を……棚に、戻す……)」
ピュティアが指を鳴らすと、時間が巻き戻った。
雑誌を掴んだ手が、また震える。店主の影に怯える。
(……どうせ俺は)という『卑怯な声』が、頭に響く。
「(……うるさい!)」
優作は、その『声』を振り払うように、必死に手を動かし――雑誌を、元の場所に戻した。
「(……今は、買えないや)」 口に出したのは、諦めだった。 だが、胸に突き刺さったのは、『卑怯な高揚感』ではなく、チリチリとした『悔しさ』だった。 「(……ああ……悔しいな……)」
その『IFの行動』が完了した瞬間、優作を責めていた『店主の影』がスッと消えた。
無彩色だった『駄菓子屋』の風景の中で、あの『ヒーローの雑誌』の表紙だけが、ほんのわずかに『色』を取り戻したように見えた。
そして、優作の足元の『泥』の中に、一つ目の『こころのかけら』が、小さな光として出現した。
「……ふーん。お前、『我慢(あるいは誠実さ)』なんて持ってたんだ。それを『卑怯者』の泥に隠してたわけだ」
ピュティアが、その光を顎でしゃくった。
優作は、恐る恐るその『光』に触れた。
温かくはない。だが、この世界を支配する『泥』の冷たさとは違う、確かな『感触』があった。
失っていた『自分の一部』が、カチリと音を立てて戻ってくるような感覚。
『かけら』は優作の『曖昧だった輪郭』に吸い込まれた。
【変化】――優作の『手』の輪郭が、ほんの少しだけハッキリとした。
『泥』に溶け込んでいた指先が、確かに『自分の手』として、そこにあった。
「(……俺の、手だ……。まだ、泥の中だけど……これは、俺だ……)」
優作は、まだ『泥』の中に膝をついたままだが、確かに『自分の手』で泥を掴んでいた。
『かけら』を回収した瞬間、彼を責めていた『ヒーローの石像』の声がピタリと止む。
しかし、石像は修復されない。首が折れたまま、ただの『石(過去の遺物)』として黙り込んだ。
ピュティアが、その様子を満足げに眺め、ニヤリと笑う。
「一つ目、ゲット。お前は『憧れ(純粋さ)』の『かけら』を取り戻した」
「(……終わった……のか?)」
「ああ。最初のミッションはクリアだ。……だがな、優作」
ピュティアは、黙り込んだ『ヒーローの石像』を不気味な目で見つめる。
「『理想』ってのは、厄介なんだ。そいつはもうお前を責めない。だが、お前がこの先、お前自身の『卑怯さ(仕様)』と向き合おうとするとき……そいつ(理想)は、今度はお前の『敵』として邪魔しに来るだろうな」
「(……どういう、意味だ……?)」
「さあな。……それより、次のエリアだ」
『ヒーローの墓場』の奥にある『靄』が晴れ、次の『一本道』が姿を現した。
道の先には、風景がまた変わっている。
遠くに、壁一面が『黒い染み』で覆われた、無彩色の『校舎』が見えていた。 [灰色の廃校舎の画像]




