鋼鉄の母、隻腕の父(読み切り)
「お前は、『洞穴の民』へ嫁げ」 アトラスがそう言った時、私は、拍子抜けするほど何も感じなかった。
「分かりました」 私は、父の形見の刀を確認しながら、即答した。
アトラスの顔には、申し訳なさそうな色は一切ない。あるのは「村を存続させる」という、リーダーとしての冷徹な責任感だけだ。 だから、信頼できる。 この村には、無駄な感傷などない。あるのは「生存」への渇望と、そのための強固な団結だけだ。
あの『洞穴の民』は、男ばかりで女が少ないと聞く。 向こうも、必死なのだろう。 この村に来て3年。何人かと付き合ったが、皆、あっけなく死んだ。 一人は『ラピッド・リザード』に食い殺され、一人は資源回収中に『野盗』に頭を撃ち抜かれた。 人の死も生も、さんざん見てきた。 今さら、住む場所が変わろうが、隣で寝る男が変わろうが、驚きはしない。
私は、コンテナの窓から、黄土色の空を見上げた。 遠くで、雷のような音がした。 空から、何かが落ちてくる気配がした。
ふと、古い記憶が蘇る。 まだ、空が青かった頃の、遠い記憶。
私の剣の師は、父ではなかった。 父は軍人であり、武闘家だったが、私に剣を教えたのは、父ではなく、家の家事をこなしていた汎用アンドロイド、『Q18』――通称「Qちゃん」だった。
母は私が幼い頃に病死し、父は軍務でほとんど家にいなかった。 Qちゃんが、私の母代わりだった。 無機質なプラスチックのボディ。冷たい手。 だが、Qちゃんは父よりも、父の弟子たちよりも、誰よりも「剣」を、そして「私」を知っていた。
『スズちゃん。剣と喧嘩しないで』 Qちゃんの声は、電子合成音なのに、不思議と柔らかく、風のように優しかった。 『力を抜いて。剣の重さを、あなたの重さに重ねるんです。……そう、上手。今のあなたは、とても綺麗ですよ』
彼女は、厳格な父とは違い、私の最高の「遊び相手」でもあった。 掃除の途中、私が悪戯で箒を構えると、彼女は嬉しそうにモップを構えて応じてくれた。 「えい! やあ! 参ったか!」 『うわあ、やられましたー』 リビングで繰り広げられる、他愛のないチャンバラごっこ。 彼女はわざとらしく負けてくれたり、私の動きに合わせて大袈裟に転んで見せたりして、いつも私を笑わせてくれた。 父との稽古が「苦痛」なら、Qちゃんとのチャンバラは、私にとって一番の「自由」で「幸福」な時間だった。
父の理不尽なシゴきに泣いた夜は、その硬い膝で慰めてくれた。
『……悔しいのですね』 Qちゃんは、泣きじゃくる私を、硬いプラスチックの胸に抱き寄せた。
私が「パパなんて大嫌い、もう剣なんてやめる」と泣き叫んでも、彼女は否定しなかった。 『いいんですよ。泣きたい時は、思い切り泣いていいんです』 彼女は、私の背中を一定のリズムで、優しく、優しく撫で続けた。 『私はここから動きません。あなたの涙が枯れるまで、ずっとこうしていますから。……ね? 大丈夫。あなたは弱くなんかない。こんなに頑張っていることを、私が一番知っていますから』
そのプラスチックの胸の奥から伝わる微かな駆動熱が、私にとっての、かけがえのない「母の温もり」だった。 彼女は機械だったけれど、その心は、どの人間よりも温かかった。
私が3歳で父の木刀を落とし、6歳で『神童』と呼ばれ、8歳であらゆる流派の型を完コピできたのは、私の才能ではない。 Qちゃんという、私を誰よりも愛し、信じ抜いてくれた「母」であり「親友」が、常に傍らにいたからだ。
あの日。 戦火で負傷し、療養のために帰宅していた父と、久しぶりに食卓を囲んでいた。 父との触れ合いが、何よりも嬉しかった。
だが、居間の大型ホログラムスクリーンが、キャスターのけたたましい声を吐き出した。 『緊急報道! 国境線にて大規模な侵攻を確認!』 画面には、炎上する都市と、空を埋め尽くすドローン兵器が映し出されていた。 大戦の始まりだった。
「スズ! 逃げるぞ!」 父は軍人の顔になり、私を抱えて車へ走った。 Qちゃんも、非常用持ち出し袋を持って続いた。 「Q18、お前も来い!」
車に荷物を詰め込み、私がQちゃんの手を引こうとした、その時だった。 父が、血相を変えてQちゃんに銃口を向けた。 父の手には、軍用のスキャナーが握られていた。
「離れろスズ! そいつは危険だ!」 「お父さん……?」 「ハッキングされている! 敵国のAIが、家庭用アンドロイドを乗っ取って『自爆テロ』を仕掛けてきているんだ!」
スキャナーが、赤く点滅していた。 Qちゃんの青い瞳が、高速で明滅する。 彼女は、自分の頭を両手で押さえ、苦しむように身をよじった。 『……あ、ああ……! スズちゃん……逃げ……て……!』 それは、システムのエラー音などではない。愛する者を傷つけまいとする、彼女の魂の悲鳴だった。
「Qちゃん!?」 私が駆け寄ろうとすると、Qちゃんは私を拒絶するように、大きく後ずさった。 『来ちゃダメェッ!!』
彼女の全身から、異常な熱と火花が散る。 ハッキングコードが、彼女の「母性」を塗り潰そうとしている。 だが、彼女は最期の瞬間まで、そのプログラムに抗った。
父が私に覆いかぶさる。 Qちゃんの瞳が、一瞬だけ、あの優しい、慈愛に満ちた色に戻った。 彼女は、私に向かって、微笑んだように見えた。
『……スズちゃん。……大好きよ』
直後、Qちゃんは内側から破裂した。
爆風と熱線。 私が気が付いた時、Qちゃんは黒い破片となり、私を庇った父の片腕は、吹き飛んで無くなっていた。 血だらけの父が、私を抱きしめていた。
その後の記憶は、まばらだ。 核が落ち、文明が崩壊し、電子機器は使い物にならなくなった。 父には、軍の施設で粗末な「機械の義手」が取り付けられた。
政府が生き残った人間を『ドーム都市』へ集め始めた時、父はそれを拒絶した。 「AIは信用するな。ドームは檻だ」 父はそう言い、私たちは汚染された荒野を彷徨った。 AIの監視を逃れ、同じようにドームを拒んだはぐれ者たちと共に、廃材を積み上げ、この『コンテナ・ツリー』の基礎を築いた。
だが、あんなに強かった父は、あっけなく死んだ。 資源回収の最中、変異した獣『ラピッド・リザード』の群れに襲われたのだ。 剣技も、軍人の経験も、圧倒的な「野生の暴力」の前には無力だった。 父は、隻腕で剣を振るい、私を逃がし、食い殺された。
私は、孤独になった。 Qちゃんも、父もいない。 残されたのは、父が遺した「刀」と、Qちゃんが愛してくれた「技術」だけ。
今のリーダー、アトラスに拾われたのは、その直後だ。 アトラスは、死にかけていた私を拾い、何も聞かずに水と居場所をくれた。 だから、私はこの村のために剣を振るう。 それは「親子」の情愛ではない。 生存のための「契約」であり、恩義への「報い」だ。
誰かに呼ばれた気がして、私は我に返った。 コンテナ・ツリーの下、ゴミ溜めの方角で、アトラスたちが騒いでいる。 「空からの落とし物」を確認しに行ったのだろう。
「……男か」 私は、遠目にそれを見た。 灰色の囚人服を着た、ひ弱そうな男が、アトラスに襟首を掴まれている。 目は死んでいる。 あれは、すぐに死ぬ。 この世界で生き残れる「目」じゃない。
「……興味ないな」
私は、剣を背負い直した。 明日には、私はこの村を出て、『洞穴の民』のもとへ行く。 それが、私の役割だから。
私は、その「落ちてきた男(優作)」に背を向け、自らの部屋へと戻っていった。




