第十三・五部(仮)- 5 『死闘と信号』
「……そんな」
『浄水管理室』は、無惨な姿を晒していた。
ろ過装置の配管は引きちぎられ、予備パーツの棚は『ラピッド・リザード』の爪痕によって鉄屑と化している。
全ての『希望』が、物理的に破壊されていた。
「……嘘、だよね」
ルカは膝から崩れ落ちた。
これが無いと、村の『ろ過機』が止まる。
弟コウの命が、尽きる。
「……ルカ、立て」
トキが、その細い腕を掴み、無理やり立たせる。
フードの奥で、少年もまた歯を食いしばっていた。
「……それでも、帰るぞ。コウのところに。アトラス様も、俺の親父も、待ってる」
「……うん」
二人は、絶望で鉛のように重くなった足を引きずり、管理棟の中央広場――あの『青黒い正方形のキューブ』が鎮座する場所まで戻ってきた。
一刻も早く、この『死地』から脱出しなければならない。
だが。
彼らが広場に足を踏み入れた、その瞬間だった。
「……チッ。ここもシケてやがる」
低い、ダミ声が響く。
広場の四方、崩れた通路の影から、二つの人影が現れた。
『敵対部族(洞穴の民)』の回収班だ。
アトラスの村のようなジャンクパーツの鎧ではない。彼らは『ラピッド・リザード』の皮をなめしたローブをまとい、顔には不気味な青白いペイントが施されている。
手には、黒曜石のナイフと、獣の骨を研ぎ澄ませた槍。
そして、リーダー格の男は、旧文明の『大型ボーガン』を構えていた。
彼らもまた、浄水管理室の惨状を確認し、獲物が無いことに苛立っていたのだ。
「……『コンテナ・ツリー』のガキか」
リーダー格の男が、舌打ちと共にボーガンをルカたちに向ける。
八つ当たりのような、明確な殺気。
「そこをどけ、ガキども。邪魔だ」
もう一人の男が、骨の槍を構えて一歩踏み出す。
その威圧的な動作に、トキが反応してしまった。
「……ルカ、逃げろ!」
トキが叫び、ルカを『キューブ』の影へと突き飛ばす。
同時に、仕込みワイヤーを振り抜き、槍を持つ男の足元を狙った。
恐怖ゆえの、反射的な先制攻撃。
だが、それが最悪の引き金を引いた。
「……! 愚かな」
槍の男はワイヤーを軽々と飛び越える。
その隙を見逃さず、リーダー格の男が冷酷にボーガンの狙いを定めた。
狙いは、トキではない。
奥で震えている、ルカだ。
「先に、女の方から殺れ!」
放たれた矢が、空を裂く。
「――ルカッ!!」
トキが、身を投げ出した。
ルカを庇い、その小さな体で矢の射線に割り込む。
ドシュッ!
重く、鈍い着弾音。
トキの右腕に、太い矢が深々と突き刺さった。
瞬間。
ドォン!
着弾した矢が、破裂した。
それは対猛獣用に火薬が詰められた、炸裂矢だった。
「……あ」
トキの右腕が、二の腕から先、肘も、手も、ワイヤーもろとも、肉片となって四散した。
「……あ……あああああああああああああああああああああああああああッ!!」
ルカの絶叫が、工場跡地に響き渡る。
トキが声もなく崩れ落ちる。切断面から、血がポンプのように噴き出した。
ルカの中で、何かが焼き切れた。
敵への恐怖も、任務も、全てが消え去った。
彼女は倒れたトキに駆け寄り、自分の服を破いて、その傷口に押し付ける。
「いやだ! いやだ! 死ぬな、トキ! 血、止まれ! 止まれよ!」
止まらない。
ルカは錯乱し、数メートル先に転がっている『トキの腕だった肉塊』を拾い上げ、それを傷口に押し付けようとした。
「くっつけ! くっつけよ! なんで! いやだ! いやだあああ!」
敵の男たちは、その常軌を逸した光景を冷ややかに見下ろした。
「……チッ。矢を一本無駄にした。……とどめを刺せ」
槍の男が、無慈悲に穂先を振り上げる。
ルカとトキの命が、終わろうとしていた。
その時だ。
ズ……ン!
工場の外、遥か彼方から、腹に響くような爆発音が届いた。
ピカッ!
同時に、天井の穴を通し、空が一瞬だけ赤黒く発光する。
アトラスが放った、サイラスへの『信号』だ。
槍を振り上げていた男が、動きを止める。
リーダー格の男が、ハッと空を見上げた。
「……この音と、色……」
「リーダー、今のは」
「……サイラス様からの『信号』だ。『協定成立』。『交戦停止』……だとよ」
男は忌々しそうにボーガンを下ろした。
まだ血を流し続けるトキと、狂ったように叫ぶルカを一瞥する。
もはや、脅威ですらない。
「行くぞ。撤退だ」
「し、しかし……」
「命令だ。……それに、あのガキはもう助からん」
男たちは踵を返し、音もなく闇へと消えていった。
広場には、ルカの嗚咽と、血の匂いだけが残された。




