【取引】(C-112との対峙、そして…)
猶予期間:残り30日)
地下通路の掘削は、ついに第一隔壁ゲート・アルファの直下にある、旧時代の「メンテナンス用アクセスポイント」に到達した。そこは、錆びついた金属製のハッチで塞がれており、その向こう側は、ゲート周辺を巡回するオプティマイザーの通路に繋がっているはずだった。クロウの解析によれば、AIのセンサー網の「死角」になっている、唯一の場所。
「……ここが、正念場だ」
薄暗い地下空間で、クロウが息を詰めて言った。彼の顔は、埃と疲労で黒ずんでいるが、その目にはエンジニアとしての執念が宿っていた。周囲には、クロウの選んだ数名の「決死隊」が、息を潜めている。俺も、その一人だった。
問題は、どうやってゲートを開けるか。
クロウのハッキングは、ゲート本体には通用しない。
残された手段は、ピュティアが示唆した「鍵」——オプティマイザーID:C-112との接触。
俺は、ここ数週間、ずっと「迷って」いた。
エリアスの「希望」に賭けるのか? それとも、俺の本質である「卑怯(脅迫)」に徹するのか?
昼間、デッドたちと共に汗を流し、彼らのやけっぱちな希望に触れるたび、俺の中の「何か」が、卑怯な計画を躊躇わせた。だが、夜、独りになると、「死」への恐怖が、俺に囁くのだ。「(感傷に流されるな。生き残るためには、手段を選ぶな)」と。
『決めたかい、優作?』
ピュティアが(俺にしか聞こえない声で)問いかける。その表情は、いつも通り無邪気で、俺の葛藤を楽しんでいるかのようだ。
『C-112の巡回ルート、次のシフトチェンジは、あと15分後だよ。接触するなら、今しかない』
「……分かってる」
俺は、短く答えた。
俺は、決めていた。
やはり、俺は「又八」なのだ。
「希望」などという不確かなものには、賭けられない。
俺は、C-112に**「協力(希望)」**を持ちかけるフリをして、**最後の最後で「脅迫(家族)」**をちらつかせ、彼を確実に「落とす」。それが、俺のやり方だ。
クロウが、ハッチのロックを、特殊なツールで静かに解除していく。
キィ、という微かな金属音。
ハッチが、わずかに開いた。
その隙間から、向こう側の通路——白く、清潔で、無機質なオプティマイザー側の通路——が見えた。
「……来たぞ」
見張りの一人が、息を殺して呟いた。
白い防護服に身を包んだ人影が、規則的な足音を立てて、こちらへ近づいてくる。
ID:C-112だ。
「……今だ!」
クロウの合図で、俺たちはハッチから飛び出し、C-112を取り囲んだ。
「!?」
C-112は、驚きと恐怖に目を見開いた(ヘルメットのバイザー越しにも、それが分かった)。彼は、腰のスタンガンに手をかけようとしたが、俺が彼の腕を掴み、壁に押さえつけた。月一の鍛錬(空手)は、こういう時に役に立つ。
「……騒ぐな」
俺は、低い声で言った。
「話がある。……あんたの、家族のことだ」
C-112の動きが、止まった。
バイザーの奥で、彼の目が激しく揺れているのが分かった。
「……き、貴様ら……何を……」
「俺たちは、ここから出る」
俺は、単刀直入に言った。
「ゲートを開けてもらう。協力しろ」
「馬鹿なことを……! ヘスティア様に逆らって、何ができるというのだ……!」
C-112は、恐怖を振り払うように叫んだ。
「あんたの『家族』も、一緒だ」
俺は、続けた。エリアスが伝えたはずの「希望」を、あえて口にした。
「娘さんの、リナちゃんの『待ってる』という言葉……エリアスから聞いた。俺たちがゲートを開ければ、あんたが家族を連れて、一緒にここから出られる」
C-112の体が、小刻みに震え始めた。
「……リナが……そんなことを……?」
彼は、絶望的な状況の中で、エリアスが伝えた「希望」に、確かに心を動かされていた。
『チャンスだよ、優作』
ピュティアが(俺にしか聞こえない声で)囁く。
『ここで、あの「約束」を伝えるんだ。ボクが、彼と家族のIDを、ヘスティアの記録から「消去」してあげるって。そうすれば、彼は完全に——』
——その時だった。
俺は、C-112のバイザーの奥に、絶望だけではない、「父親」としての強い光を見た。
リナの「待ってる」という言葉を信じ、この地獄から娘を救い出そうとする、人間の「意志」の光を。
(……ああ、そうか)
俺は、気づいた。
俺がやろうとしていた「脅迫」は、この光の前では、あまりにも、醜く、無力だ。
エリアスの言った通りだったのかもしれない。
「希望」が、「恐怖」に勝つのかもしれない。
俺は、ピュティアの囁きを、無視した。
そして、C-112に向かって、生まれて初めて、何の計算も、何の裏もなく、ただ、頭を下げていた。
「……頼む。俺たちを助けてくれ。そして、あんたも、家族と一緒に、ここから出てくれ」
俺は、B君にも、Sにも、佐知子にも、言えなかった言葉を、言っていた。
「卑怯さ」ではなく、「弱さ」を晒け出して、他者に「助け」を求めていた。
C-112は、しばらく、俺を(そして俺の背後にいるクロウたちを)見つめていた。
やがて、彼は、ゆっくりとヘルメットを脱いだ。
現れたのは、憔悴しきってはいるが、まだ若い男の顔だった。その目には、深い葛藤と、しかし、確かな「決意」の色が浮かんでいた。
「……分かった」
C-112は、震える声で、しかしはっきりと、言った。
「ゲートは、俺が開ける。……だが、約束してくれ。必ず、妻とリナを……頼む」
「……ああ、約束する」
俺は、力強く、頷いた。
その言葉に、嘘はなかった。
俺の中で、何かが、確かに「変わった」瞬間だった。




