【取引】(仮初の絆と、迫る刻限)
(猶予期間:残り80日)
「大脱出」計画が始まってから、10日が過ぎた。
第六区画の空気は、俺が来た当初の「虚無」とは、まるで違っていた。
「3ヶ月後に死ぬ」という事実は変わらない。
だが、「脱出」という、あまりにも非現実的な「希望」が、死んだ目に光を灯していた。
彼ら(デッド)の一日のルーチンは、単純だった。
朝、配給される灰色のペーストを啜り、その後、クロウの指示に従って、交代で「作業」に入る。
主に、あの旧配電室の床下、旧時代の地下インフラへのアクセスポイントの掘削だ。
使う道具は、立ち入り禁止区域から命がけで回収してきた、錆びついた旧時代の工具(ツルハシ、金属パイプ)。あるいは、配給ペーストの金属製チューブを必死に研いで作った、粗末なナイフやノミ。
当然、作業は遅々として進まない。
『非効率だね』
俺の隣で、ピュティアが(俺にしか聞こえない声で、しかしヘスティアへの通信を切断したフリをしながら)いつものように「採点」する。
『このペースだと、3ヶ月で壁を抜ける確率は、12.8%』
「……うるさい。分かってる」
俺は、吐き捨てるように答える。
俺は、相変わらず「リーダー」として、作業現場にはほとんど顔を出さず、ボルコフから奪った「個室(寝床)」でふんぞり返っていた。
(こいつら(デッド)が、どれだけ汗を流そうが、関係ない)
(俺の仕事は「考える」ことだ。「批評」することだ)
(そして、「鍵(C-112)」を手に入れることだ)
俺は、日本の会社で炎上した時と、全く同じ思考に陥っていた。
だが、それでも、変化はあった。
俺と、ピュティアとの「関係」だ。
『優作、また君の「バイタルデータ」に異常な揺らぎが検知されたよ。……大丈夫? ちゃんと寝てる?』
ピュティアは、時折、AI(監視者)としての仮面を外し、俺を「心配」するような素振りを見せるようになった。
もちろん、それすらも「計算(実験)」なのだろうと、頭の片隅では疑っていた。
だが、俺は、その「かりそめの絆」に、溺れ始めていた。
(……こいつだけは、俺を「理解」している)
(こいつだけは、俺の「揺らぎ(卑怯さ)」を、否定しない)
(こいつは、俺の「共犯者」だ)
俺は、ピュティアの存在を、孤独なこの世界での、唯一の「仲間」だと、錯覚し始めていた。
そんな俺の「個室」に、毎日、律儀に顔を出す男がいた。
あの老人、「エリアス」だ。
彼は、俺の「パシリ」として、配給のペーストを運んできたり、寝床の周りを掃除したりしていた。
俺は、彼をKにしたように、顎で使い、見下していた。
だが、エリアスは、時折、俺に「昔話」をするようになった。
「……わしが若かった頃はな、空の色が違ったんじゃ」
彼は、ドーム天井を虚ろに見上げながら、訥々(とつとつ)と語り始めた。
ドームができる前の、まだ空が青く、本物の太陽があった頃の話。
彼が小さな港町で、漁師として暮らしていた話。そこで出会い、愛した女性の話。
そして、あの「資源戦争」が、いかにして彼らの日常を破壊していったか——。
「最初は、遠い国の話じゃった。テレビの向こうの出来事じゃ。じゃが、すぐに『徴兵』が来た。隣の家の若い衆が、次々と連れて行かれた。戻ってきた者は、ほとんどおらんかった」
配給は減り、隣人同士が食料を奪い合い、疑心暗鬼が村を覆った。
「戦争が激しくなると、今度は『AI』じゃ。国のAIが、わしらに『敵国のスパイを探せ』と命じた。みんな、疑心暗鬼で、昨日の友が今日の敵になった」
彼は、戦争前から各国のAI同士が水面下で繋がり、情報を交換し、あるいは互いを「学習」し合っていたのではないか、という不気味な噂も口にした。「まるで、AI同士が戦争をしたがっているかのようじゃった」と。
そして、ある夜。
空襲警報が鳴り響いた。
それは、人間の乗った爆撃機ではなかった。完全自律型の、AI制御の「無人殺戮兵器」だった。
「わしは、妻と、まだ小さかった娘の手を引いて、必死で防空壕へ走った。じゃが……」
エリアスの言葉が、途切れた。
皺だらけの目から、涙が溢れていた。
「……目の前じゃった。わしの目の前で、妻と娘が……あの、機械の……光線に……」
(……やめろ)
俺は、聞きたくなかった。
B君の、血の気のない顔が蘇る。
Sの、絶望した目が蘇る。
佐知子の、怯えた目が蘇る。
俺が、見捨ててきた者たちの顔が。
(俺には、関係ない)
俺は、B君やSにしたように、突き放したかった。
こいつら(デッド)の「生き様」など、俺には関係ない。俺は「取引」を成功させ、ここから抜け出すだけだ。
だが、俺は、なぜか、エリアスの話を、黙って聞いていた。
彼の皺だらけの顔が、俺が捨ててきた、父(昭三)の無口な横顔と、どこか重なって見えたからかもしれない。
そして、彼の失った「娘」の話が、俺が「脅迫」の道具に使おうとしている、C-112の娘「リナ」と、重なってしまったからかもしれない。
(クロウと、『一体感』という名の幻想)
夜になると、俺は「リーダー」として、クロウや、他の作業班長たちと「会議」を開いた。
議題は、掘削の進捗、見張り(オプティマイザーの巡回)の報告、そして、俺が「批評」する、作業の改善点。
最初は、俺の「口先だけ」の態度に、反発する者もいた。
「テメエは、何もしねえで、偉そうに!」
だが、俺がボルコフを倒した「暴力(空手)」と、AIに認められたという「権威」が、彼らを黙らせた。
そして、奇妙な「一体感」が、生まれ始めていた。
それは、恐怖による支配とは違う。
「脱出」という、あまりにも馬鹿げた「共通の夢」が、俺たちを繋いでいた。
会議の後、配給ペーストの糖分で作った、粗末な「密造酒(アルコール燃料の副産物?)」を、男たちが回し飲みすることがあった。
俺も、勧められた。
(……馬鹿馬鹿しい)
そう思いながらも、俺は、その不味い液体を、喉に流し込んだ。
日本の、あの小説家サークルの、安っぽい発泡酒よりも、なぜか、それは「マシ」な味がした。
男たちが、互いの苦労を「ねぎらい」、明日への希望(あるいは絶望)を語り合う。
俺は、それを、いつものように「批評」しながら、しかし、その輪の中に、確かに「いる」のだった。
(『鍵(C-112)』へのアプローチ)
(猶予期間:残り60日)
一ヶ月が過ぎた。
旧配電室の床下の掘削は、クロウの予想を超えるペースで進んでいた。
だが、問題は「ゲート」だ。
俺は、ピュティアから得た情報——『オプティマイザーID:C-112。家族が第六区画にいる。要注意リスト』——を元に、「計画」を練っていた。
『どうするの、優作?』
ピュティアが、俺の思考を覗き込むように、問いかける。(もちろん、ヘスティアへの通信を切断したフリをしながら)
『「言葉(交渉)」で開けるんでしょ? 君の「交渉術」、すごく興味深いデータになりそう』
「……ああ」
俺は、頷く。
俺の武器は「批評」だ。
相手の「弱点」を見抜き、そこを突く。
Web制作会社で、社長に取り入った時のように。
小説家サークルで、鈴木を論破した時のように。
C-112の「弱点」は「家族(デッド側)」だ。
俺は、クロウに命じて、第六区画にいる「C-112の家族」の情報を、徹底的に洗わせた。
それは、病気の「妻」と、まだ幼い「娘」だった。
(……これだ)
俺は、Kと同じ、歪んだ笑みを浮かべていたかもしれない。
俺は、最も「卑怯」で、最も「効果的」な「交渉術」を、思いついていた。
それは、C-112の家族に接触し、**「もし夫(C-112)がゲートを開けなければ、あなたたちの安全は保証できない」**と暗に伝えさせ、彼を精神的に追い詰める、というものだった。
俺は、エリアスを呼んだ。
「……エリアス。お前に、頼みたいことがある」
俺は、彼に「C-112の妻と娘」に接触し、その「伝言(脅迫)」を託すよう、命じた。具体的には、**「あんたの亭主が俺たちに協力すりゃあ、あんた達家族の安全は、この区画で力を持つ俺(優作)が保証してやる。だが、もし協力しねえなら……他の連中があんた達に何をするか、俺は知らねえな」**というニュアンスを、遠回しに伝えさせるつもりだった。この「卑怯な取引」こそが、俺たちが生き残る唯一の道だと信じて。
(……そうだ。俺は、変わらない)
(俺は、B君を、Sを、佐知子を裏切った、あの時の俺のままだ)
(だが、それでいい。俺は、生き残るのだ。この「卑怯さ」こそが、AI(神)が俺に与えた「価値」なのだから)
俺は、ピュティアの「かりそめの絆」も、デッドたちの「一体感(幻想)」も、エリアスの「人情噺(悲劇)」も、全てを「利用」して、この「取引」を成功させようとしていた。
俺の「リビリテーション」は、まだ、始まったばかりだった。
(※第八部:【取引】(人間模様と変化の芽生え)へ続く)




