【あるいは、私という人間の停滞】(中学編)
……中学時代の私(優作)は、謂わば「底」だった。 万引き事件で「警察官」という子供じみた夢は消え、残ったのは、学力も運動神経もない、空っぽの器だけ。 母(聡子)のヒステリックな「指導」によって、私の自己肯定感は、とうの昔に下限を突破していた。 私は、私が「私」であることが、たまらなく嫌だった。
当時の教室は、秩序などない、剥き出しの動物園だった。 ヤンキー文化、という言葉で片付けるには生ぬるい。そこにあったのは、純粋な「暴力」と「力」による支配だ。 声が大きく、拳が硬いものが、「王」だった。
私は、もちろん「王」ではない。 私は、その動物園の片隅で、「王」たちの顔色を伺う、みすぼらしいハイエナだった。 だが、ハイエナにもプライドはある。 私は、暴力の代わりに「口」を使った。
「さすがっスね。あの教師にそこまで言えるの、マジ尊敬します」 「あいつの髪型、マジウケるよな」
私は、虚勢を張った。彼ら(ヤンキーグループ)の武勇伝を褒めそやし、彼らが気に入らない教師や生徒の悪口に、誰よりも早く同調した。 口だけは達者だったから、世渡りは上手かった。 私は「面白い(=都合のいい)道化」として、彼らのグループの末席にいることを許された。 もちろん、そこに人間関係と呼べるような深い繋がりなど、欠片も無い。私が彼らにとって無価値になれば、次の瞬間には蹴り飛ばされるだけの関係だ。
そんな私に、信じられないことが起きた。 ある放課後、クラスの目立たない、しかし清潔な印象のある女子生徒(仮にA子としよう)に呼び出されたのだ。 「優作くん(私)が、好きです」
私は、理解ができなかった。 何を言っているんだ、この女は。 私を? この、勉強も運動もできず、他人の顔色を伺い、口先だけで生きている、卑怯な私を?
「……罰ゲームか?」 私の口から出たのは、それだった。 彼女は、泣きそうな顔で「違う」と首を振った。「優作くんが、時々、すごく難しい本を読んでいるのを知ってるから……」
ああ、そうか。 私は、自分の「浅さ」を隠すため、たまに図書館で、意味も分からず哲学書などを借りて、教室で開いていたのだ。 それが、彼女には「知性」に見えたらしい。 滑稽だ。私の虚勢が、こんな形で実を結ぶとは。
だが、私は、彼女のその純粋な好意を受け入れることが、どうしてもできなかった。 私なんかが好かれるはずがない。 この女は、私を騙そうとしている。あるいは、彼女自身が、とんでもない愚か者かのどちらかだ。
「悪いけど、俺、お前みたいなタイプ、興味ないから」
私は、ありったけの軽蔑を込めて、そう言い放った。 彼女が泣きながら走り去る背中を見ても、私の心は何も感じなかった。いや、感じないように蓋をした。 私は、幸福になることすら、怖いのだ。 幸福が、いつか失われること。そして、私がそれに値しない人間であることを、誰よりも私自身が知っていたから。
この「A子事件」は、私の心の歪みを決定的にした。 そして、この歪みは、私を「被害者」の立場に突き落とす。
私の「口」は、A子を拒絶した後、さらに陰湿になった。 私は、例のヤンキーグループのリーダー格が付き合っていた女子生徒の容姿を、陰で「批評」した。 「あの顔でよく付き合えるよな」と。 それが、どういうわけか、本人たちに伝わった。
地獄が始まった。 「面白い道化」としての立場は剥奪され、私は「いじめの標的」になった。 最初は無視だった。やがて、教科書への落書き、上履き隠しといった古典的なものに移り、すぐに、体育館裏やトイレでの、直接的な暴力に変わった。 彼らは、私が「口」しか無いことを知っていた。
「おい、優作。お前、口だけは達者なんだから、なんか面白いこと言えよ」 殴られ、蹴られながら、私は、万引き事件の時のように、震えることしかできなかった。
「次こそは、やり返してやる」 布団の中で、私は毎晩そう決意した。 だが、朝になり、校門をくぐり、彼らの顔を見ると、私の足はすくむのだ。
そして、私は、最も卑怯で、取り返しのつかない「逃げ道」を選んだ。
私には、私よりもさらに弱い存在が見えていた。 B君。 私と同じ、勉強も運動もダメな、しかし私と違って「虚勢」すら張れず、いつも教室の隅で縮こまっている男。
私は、ヤンキーから受けた屈辱を、そのまま彼に「転嫁」した。 いや、私が受けた屈辱の「倍」にして、彼に叩きつけた。
ヤンキーが私の上履きを隠した翌日、私はB君の上履きを便所に捨てた。 ヤンキーが私を殴った痛みは、B君の腹を蹴り上げる私の足にこもった。 ヤンキーが私に向けた嘲笑は、B君を見下す私の言葉になった。
「お前みたいなゴミがいるから、俺がマシに見えるんだろうが!」 「死ねよ。お前が生きてる価値、あんの?」
なぜ、あんな言葉が出たのか。 今、この独白をしながらも、私は「あの時は追い詰められていた」と、無意識に自己弁護を始めている。 そうだ。私は、いつだってそうだ。
B君は、学校に来なくなった。 そして、冬休みが明けた始業式の日、彼の机の上には、小さな白い花が置かれていた。 教師が、震える声で、彼が自ら命を絶ったことを告げた。
教室は静まり返っていた。 私は、ただ、窓の外を眺めていた。 不思議と、涙は出なかった。 ただ、「ああ、これで俺のいじめも終わるだろうか」と、そんなことばかり考えていた。
この時、私は、はっきりと自覚したのだ。 私は、腐っている。 私は、人間の「クズ」だ。 そして、この「卑怯さ」と「弱さ」が織りなす負の連鎖は、もう、どうしようもなく私自身に染み付いていて、止められないのだと。
中学時代の私は、こうして、決定的な「私」になった。 次こそは、と決意するたびに、私は、より深く、どうしようもないループへと沈んでいくことだけを、学んだのだ。




