幕間:後編:カーラ編:聖女の祈りと魔女の献身
1.無言の共犯(と、二重の誤解)
翌朝。
執務室の窓から差し込む光は、いつもと変わらず穏やかだった。
ただ一つ違うのは、遥か北の空――**「荒野の廃鉱山」**がある方角の雲が、微かに黒く霞んでいることだけだ。
「……報告します」
私は、徹夜明けの重い瞼を押し上げ、デスクの前に立つペコ様に書類を提出した。
(言え。事務的に、機械的に。私の感情など不要。ただ事実のみをペコ様に捧げるのです)
「昨夜未明、北の廃鉱山にて、大規模な崩落と火災事故が発生しました。原因は、不法占拠者たちが備蓄していた可燃性オイルの管理不備による、自火失火と思われます」
私の声は、自分でも恐ろしくなるほど平坦で、機械的だった。
ペコ様は、書類を受け取らず、じっと私を見つめていた。
その頭頂部にある黄金色の獣耳が、ピクリと痙攣するように震える。
「……ひぃ」
ペコ様が小さく悲鳴を上げ、一歩後ずさった。
その太く立派な尻尾が、股の間へと丸め込まれている。
その瞳には、私への「深い憐れみ」と「恐怖」が浮かんでいた。
(ああ……なんてことでしょう。敵対勢力の自滅という報告を聞いて、喜びではなく、まず「痛み」を感じておられる……。たとえ悪党であっても、失われた命に対して本能的に悼み、震えていらっしゃるのですね。その深すぎる慈愛……素敵です)
「カ、カーラさん……? 目が……目が死んでいますわ。まるで深海魚のような……」
(ああ、可哀想に……。こんな汚れ役を一人で背負わせてしまったせいで、カーラさんの心は……!)
「……生存者は?」
ペコ様がおずおずと尋ねる。
私はペコ様の(慈愛による)震えを見て、さらに背筋を正す。この崇高な魂に応えるには、私も最高のパフォーマンスで返さなければ。
「……ゼロです。テロリストと思われる構成員50名、全員が死亡しました」
「うぅ……」
ペコ様が自身の腹部――あの日、少年にナイフを突き立てられた場所――を、そっと手で覆った。
その顔は青ざめ、ガタガタと震えている。
(ああ、もうダメですわ……。50人も死んだというのに、カーラさんは眉ひとつ動かさない。心が……心が壊れてしまったのですわ。わたくしのせいで、カーラさんは感情のない人形に……!)
(ご自身を刺したような少年たちが死んだことすら、これほどまでに悲しまれるとは……! なんという聖母。なんという器の大きさ。その痛みをご自身のものとして受け止めるお姿、尊すぎます。素敵です……!)
ペコ様が「カーラの心が壊れたこと」に絶望して震えていることなど微塵も疑わず、私はその姿に後光すら感じていた。
この方を支えるためなら、私はどんな事務処理でもこなせる。
私は、彼女が最も安心し、喜ぶであろう「事実」を、誇らしげに報告した。
「ただし……施設内に監禁されていた子供30名は、火災発生の直前に、我が機関が**『備品』**として回収・保護しました。現在は、王宮の空き部屋に収容しています」
「び、備品……!?」
ペコ様の耳がパタリと伏せられた。
目を見開き、口元を震わせている。その顔色は真っ青だ。
(子供を……備品……!? 人間をモノ扱いするなんて……。ああ、やはりカーラさんは完全に狂ってしまったのですわ! ストレスで認知機能がおかしくなって……ううっ、ごめんなさい、ごめんなさい……!)
「あぁ……ううぅ……!!」
ペコ様はその場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら私を見上げている。
その肩は激しく震え、感極まったような嗚咽が漏れている。
(……ああ、美しい。私が講じた『備品(王室財産)』という法的ウルトラCを瞬時に理解し、その完璧な保護体制に安堵の涙を流していらっしゃるのですね!)
ペコ様は(カーラの狂気が悲しくて)泣きじゃくっているのだが、私にはそれが**「子供の命が助かったことへの感謝の涙」**にしか見えなかった。
私にとって「備品」とは、「最も大切に守るべき資産」という最上級の愛称なのだから。
(なんて純粋な涙でしょう。私がどんな言葉を使おうとも、貴女は結果(命の救済)だけを見てくださる。本当に、素敵なお方です)
私はハンカチを差し出しながら、心の中で彼女を全肯定する。
「カーラさん……あの子たちは、泣いていましたか?」
ペコ様が縋るように尋ねる。
(せめて、あの子たちだけは……カーラさんのように心が壊れていないといいのですけれど……)
「……薬で眠らせていますが、目覚めれば泣くでしょう」
私は正直に答える。
(薬による鎮静化という効率的な処置も、貴女にとっては心を痛める要因なのですね。その繊細な寄り添う心、素敵です)
「彼らは親を殺され、嘘を教え込まれ、そして今、その『嘘の居場所』さえも失ったのですから」
「なら……」
不意に、ペコ様が顔を上げた。
伏せられていた獣耳が、ピンと立ち上がる。
その瞳に宿っていたのは、強い「決意」の光だった。
(これ以上、誰の心も壊させませんわ。あの子たちも、そしてカーラさんも……わたくしが守らなきゃ!)
「なら、あの子たちの『心が帰る場所』が必要ですわ」
ペコ様は窓際へ歩み寄り、城下町の一等地に建つ、一際大きく悪趣味な豪邸を指差した。
そこは、昨日カーラの手によって処刑された、地下世界最大の奴隷商人が所有していた「本店」ビルだった。
「あそこを徴収して、改築しましょう。誰にも脅かされず、誰も利用せず、ただ子供たちが笑って暮らせる……最強の孤児院に!」
(なんと……! 悪の根城を、希望の砦に変えるというのですか!? 物件の再利用! 建設コストの削減と、一等地という立地の良さを両立させた、極めて合理的な都市計画! そして何より、私が手を汚した現場を、光で上書きしてくださるというのですね……! 素敵すぎて目眩がします!)
「……承知いたしました。予算は、奴隷商人から没収した資産を全額投入します」
(貴女のためなら、私はどんな予算も捻出しましょう。ええ、喜んで!)
「わたくしの王室費も全部使ってくださいな! さあ、リフォームは今すぐです!」
2.愛と誤解のリノベーション
その日から、セントラルシティの住人は、不思議な光景を目にすることになった。
奴隷商人の館から、必死な鼻歌が聞こえてくるのだ。
「ふ、ふふふ~ん♪ この壁紙、とっても可愛いですわ~!(これで怖い雰囲気は消えるはず……!)」
館内では、ペコ様が箒を片手に、引きつった笑顔で掃除をしていた。
暴力も破壊もない。ただひたすらに、怯えるように「お片付け」をしているだけだ。
(掃除……そう、これは浄化の儀式。ご自身の手で床を磨くことで、この場に染み付いた埃(過去の因縁)を、物理的に除去していらっしゃる。王自らが清掃活動に従事し、衛生環境を整えるなんて……公衆衛生の鑑、素敵です)
「カーラさん! 見てください、このピンクの花柄の壁紙! 元の暗い石壁より、ずっと素敵じゃありませんこと?」
ペコ様が、私の顔色を窺うように、新しく貼り替えた壁紙を指差す。
(お願いカーラさん、笑って……! そんな死んだ魚のような目で見ないで! ピンクよ! 可愛いピンクを見れば、きっとカーラさんの心も戻ってくるはずですわ!)
私は眼鏡の位置を直し、その意図を必死に分析する。
(見てください、このセンス! 花柄! それは生命の象徴! 地下牢のような暗い部屋に、生命の息吹を吹き込むことで、子供たちの深層心理に「ここは花畑(安全地帯)である」と錯覚させる高度な環境デザイン! 専門家顔負けの空間演出……素敵すぎます)
「……素晴らしいご判断です。これなら、過去の痕跡も完全に愛で上書きできます」
(私の汚れ仕事の痕跡を、こうして消してくださるのですね)
「ご、誤魔化す? いえいえ、可愛くしたいだけですのよ?(ひぃぃ! 『痕跡を上書き』とか言わないで! 怖い!)」
ペコ様は引きつった笑顔で首を傾げた。
(「可愛くしたいだけ」。その一言に尽きるのですね。機能美やコストではなく、純粋な「可愛い」という概念こそが、最も強い精神的支柱になるとご存知なのです。無意識に真理を突くその感性……素敵です)
「あっ、そうだわ! この地下室にあった鉄の鎖とか手錠とか、全部溶かしてブランコに作り変えちゃいました!」
ペコ様が「どう? これなら平和でしょう?」と言わんばかりに笑う。
(こんな拷問道具があるから、カーラさんはおかしくなったのですわ。全部溶かして、楽しいものに変えれば、きっと……!)
私は思わず感嘆の息を漏らした。
(なッ……!? 処刑道具を遊具に!? 鉄資源の有効活用! 新たに鉄骨を発注するコストと時間をカットしつつ、負の遺産を「楽しい記憶」へと物理的に再構築するなんて。これはもはや錬金術。SDGsの最先端ですわ! 発想がエコで素敵すぎて言葉が出ません!)
「……恐れ入りました。恐怖の象徴を快楽の象徴へと転換させる。並の統治者では思いつかない、慈愛に満ちた発明です」
「て、てんかん? よくわかりませんが、ブランコは楽しいですものね!(快楽の象徴……言い方が怖いですわカーラさん……でも、喜んでくれているならよしとしましょう!)」
ペコ様は「えへへ」と冷や汗交じりに照れ笑いし、ふわふわの尻尾で自分の頬を撫でている。
(ご自身の天才的な発明を「楽しい」の一言で片付ける。その謙虚さと、結果(子供の笑顔)のみを追求する姿勢。本当に、心から素敵です)
「ところでカーラさん。子供たちの世話をする『寮母』と『警備』ですが……わたくしの同胞、**『いぬ族』**の者たちにお願いしたいのです」
ペコ様が、自身のルーツを誇るように胸を張った。
「いぬ族、ですか?」
「ええ! わたくしたち『いぬ族』は、一度懐くとすっごく一途でしょう? 『群れ』や『家族』を何より大切にしますし、しっぽを振って飛びついてくれるところが可愛くて……あ、いえ、子供たちの寂しさを埋めてくれると思いまして!」
(そして何より、今のカーラさんには「癒やし」が必要ですわ! わたくしと同じ、モフモフで温かくて、無条件に愛してくれる同胞たちがそばにいれば、きっとカーラさんの壊れた心も治るはず……!)
ペコ様の獣耳が、期待にピコピコと動いている。元・いぬ国の王としての、同胞たちへの絶対的な信頼がそこにはあった。
私は手帳にペンを走らせながら、その深すぎる配慮と采配に涙しそうになる。
(……そうか! 元・いぬ国の王として、最も信頼できる直属の民を投入するというのですね! 親を失い、孤独に震える子供たちに必要なのは、絶対的な「味方」と「忠誠」。自身のルーツである種族を警備に当てることで、鉄壁の防衛網と、家族のような結束を作り上げる……。王としての自覚、そして母としての覚悟……完璧で素敵です!)
「……採用案を作成します。いぬ族の持つ『忠誠心』と『結束力』は、この施設の運営に不可欠です」
「もうもくてき? ……うーん、まあ、よしよしするのが上手なら誰でもいいのですけれど!」
ペコ様は屈託なく笑い、尻尾をブンブンと振って私の背中をバンバン叩いた。
やはり痛い。だが、この痛みは、ペコ様の情熱そのもの。
(私の背中を通じて、私にエネルギーを注入してくださっているのですね! 王の活力を直接分け与えるという最上級の褒賞……痛いけれど素敵です!)
こうして、かつての奴隷商館は、ペコ様の(私の目には)慈愛と叡智に満ち溢れたディレクションと、(ペコ様本人の)カーラへの恐怖と癒やしへの渇望によって、急速に生まれ変わっていった。
3.カオスの子への別辞
夕暮れ時。
私は、完成した孤児院の屋根――かつては見張り台だった尖塔の上――に立っていた。
ここからなら、平和を取り戻した城下町が一望できる。
庭では、エプロン姿のいぬ族の寮母に抱きつき、顔を埋めて泣いている子供たちの姿が見える。
その横で、ペコ様がゴムボールを追いかけて四つん這いで走り回り、子供たち以上に泥だらけになって遊んでいた。
(……あえて子供の目線まで降りて、同じ泥にまみれて遊ぶ。王族としての威厳を捨ててまで、子供たちに「対等な命」であることを教えようとするそのお姿……。どこまでも尊い。泥だらけのペコ様も、最高に素敵です)
私は、ペコ様への尊さで胸をいっぱいにしながら、西の方角を見つめる。
あの「カオスの子」――優作様たちが旅立っていった方角だ。
「……優作様。聞こえますか」
私は心の中で、あの恐ろしくも不器用な男に語りかける。
私の胃の痛みは、まだ消えていない。ペコ様の素晴らしさに感動しすぎて、胸焼けしているのかもしれない。
(この痛みすら、ペコ様への忠誠の証と思えば、心地よいものです)
貴方は、この街を破壊しました。 腐敗した旧体制を壊し、歪な城を作り、そしてテロリストという「毒」を呼び込んだ。 貴方が来なければ、私は、この世にいなかっただろう。
けれど。 貴方が壊してくれたおかげで、私は生きることができました。 ペコ様は、自らの手で未来を掴み取る「真の王」になられました。 (そして私は、その一番近くで、世界一素敵な王の活躍を見守ることができる。これ以上の幸せはありません) そして私も……ただの事務屋から、この国の影を背負う覚悟を決められました。
「……貴方が撒いた『毒』は、私たちが『薬』に変えました」
私は眼鏡を外し、少しだけ口元を緩めた。
きっと、あの男のことだ。
次の街でも、性懲りもなくトラブルを巻き起こし、誰かに憎まれ、そして誰かを救っているのだろう。
「……どうぞ、良い旅を。優作様」
貴方が二度とここに戻ってこなくてもいいように。
この国は、私とペコ様が、鉄と愛で守り抜いてみせます。
(さようなら。私の、最悪で最高の破壊者。貴方のおかげで、私は最高の主君に出会えました)
4.後世の歴史書より抜粋
――こうして、セントラル王国は建国期の動乱を乗り越え、地下世界最大の繁栄を迎えることになる。
後世の歴史家たちは、この奇跡的な復興と安定を支えた三人の人物を、畏敬を込めてこう呼んだ。
一人目は、『カオスの子 ユウサク』。
古い秩序を破壊し、混沌の渦を作り出すことで、停滞していた世界を強制的に再起動させたトリックスター。
二人目は、『最狂の魔女 カーラ』。
女王の影となり、法と諜報、そして冷徹な粛清によって国の屋台骨を支えた、鉄の行政官。
そして三人目は、『聖母の獣 ペコ』。
全ての種族を愛し、全ての罪を許し、その圧倒的な力と慈愛で民を導いた、最初にして最強の女王。
聖母、カオス、魔女。
全く異なる性質を持つ三つの魂が、奇跡的なバランスで噛み合った一瞬の輝き。
この**「三柱神トリニティ」**の伝説は、地下世界の天井が崩れ落ちるその日まで、長く、長く語り継がれることになったのであ




