幕間:前編:カーラ編(聖女の憂鬱と城下町の喧騒)
1.泥濘の天使
(……前略、回想シーン)
「大丈夫ですの?」
その声は、絶望の泥沼に沈んでいた私にとって、天から垂らされた唯一の蜘蛛の糸だった。 月光を背負ったその女性――ペコ様は、不浄に塗れた私を躊躇なく抱きしめた。 その夜、私を縛り付けていた娼館街は、彼女の暴力的なまでの慈悲によって物理的に粉砕された。
私の背中には、決して消えない鞭の跡が残っている。
だが、その痛みよりも深く、あの方の温もりが魂に刻印されたのだ。
2.人外の面接
新生王国の官僚選抜試験。
そこに集まった500人の群衆の中に、私もいた。
面接官は、ペコ様ではない。宙に浮く妖精と、退屈そうな幼女だった。
「はい、次。不採用(嘘つき)」
「次、採用。配属は土木(体力バカ)」
彼女たちは、人間の本質を「データ」として読み取っていた。
私の番が来た時、私は震えていた。元娼婦の汚れなど、すぐに見抜かれると思ったからだ。
「……へえ。傷だらけだけど、中身はピカピカだね」
「うん。論理的思考、事務処理能力、忍耐力、すべてSランク。……掘り出し物だわ」
彼女たちは笑った。私の過去(傷)ではなく、機能だけを見ていた。
「合格。キミ、今日からペコの秘書ね」
その瞬間、私の「第二の人生」が決定された。
その非人間的なまでの合理主義が、皮肉にも、人間社会から弾き出された私を救い上げたのだ。
3.鋼鉄の秘書と、筋肉の女王
「……はぁ」
執務室の窓際で、私は小さく溜息をついた。
ペコ様の秘書に任命されてから数ヶ月。まさか私が、これほどまでにエキサイティングで、クリエイティブで、そして胃の痛くなるような仕事を任されるとは思いもしなかった。
法律の整備、行政機構の構築、そして他国への「新生セントラル王国」の承認取り付け。
亜人種が多い東方の国々は、ペコ様の即位を「聖獣の再来」として祝福してくれた。
だが、問題は西側――「ヘスティア教」を国是とする人間の国家群だ。彼らにとって亜人の女王など異端でしかない。
そこを、私はペコ様の故郷である武闘国家**「いぬ国」**の強大な軍事力をチラつかせ、半ば恫喝に近い形で承認印を押させてきた。
(綱渡りだわ……)
一気にパワーバランスが崩れれば、戦争が起きる。
私の手腕一つに、この国の、そしてあの方の命がかかっている。
「……相談しなくては」
私は書類の束を抱え直し、女王の執務室へと向かった。
本日は公務でお忙しいペコ様のお手を煩わせるのは心苦しいが、猶予はない。
「ペコ様、失礼いたします。カーラです」
扉を開けると、そこには執務机に向かうペコ様の姿があった。
窓から差し込む光が、その金色のたてがみ(髪)と、凛とした横顔を照らしている。
(……ああ、美しい)
私は入室した瞬間に、危うくその場に崩れ落ちそうになった。
いつ見ても、そのお顔、慈愛に満ちた眼差し、鈴のようなお声。
私の全てを救ってくださった、生ける聖女様。
ああっ、今すぐその足元にひざまずき、靴を舐めて差し上げたい……!とろけそうです……!
(……いけません。仕事です、カーラ。無表情に、冷静に!)
私は沸騰しそうな脳内を「鋼の理性」で冷却し、表情筋を完全に凍結させた。
結果、私の顔は、親の仇を見るような能面と化していた。
「……本題に入ります」
「ひっ……! な、なにも怒らなくても……」
ペコ様が、書類の陰でビクリと肩を震わせた。
ああ、違うのですペコ様! これは緊張と崇拝の裏返しなのです!
スズ様(ペコ様の恋人)も表情は硬い方ですが、ペコ様曰く「彼女の感情はすぐ読み取れる」らしい。
なぜ私だけ、こうも伝わらないのか。
「……こ、怖い顔ですわよ、カーラさん。何か問題でも?」
「……ペコ様の前で緊張して、声が上ずってしまいました」
「(絶対嘘ですわ……殺し屋の目ですわ……)」
私は咳払いを一つして、ホワイトボードに6つの項目を書き殴った。
① 統治機構の安定化
② 他国との外交
③ 周辺地域・都市・ムラへの管理
④ 国家財政の健全化
⑤ セントラル王国の治安悪化の懸念
⑥ 身辺警護(最重要!)
「……どれから話し合いますかッ!!!」
「ひいっ! ぜ、全部大事ですけど……えーと、ですね」
ペコ様は怯えながらも、真剣な眼差しで一番上の項目を指差した。
「まず国は、**『行政』と『司法』と『立法』**の三つに分けましょう。すべてわたくしが握っていると、権力が腐りますわ!!」
私は目を見開いた。
この地下世界では、王が全てを決める絶対王政が常識だ。
「……それは、どなたの入れ知恵で?」
「学研都市**『ツアクバ』**の図書館にあった、最新の論文の受け売りですけど……でも、理にかなっていますわ」
ツアクバ。かつての旧文明の知識が眠る場所。
ペコ様は、単なる「筋肉女」ではない。彼女は、王としての学習を怠っていないのだ。
「……すごいですわ」
「え?」
「なんて見識が高いのでしょう……。私は、ペコ様のことを筋肉だけの御方だと思っていました。申し訳ございません」
感動のあまり、私の右目から一筋の涙がツーと流れ落ちた。
だが、表情筋は死んでいるため、それは「般若の面が血涙を流している」ようにしか見えなかっただろう。
「(……ははは、褒められているのか貶されているのかわかりませんわ……)まあ、良しとしましょう。わたくしは『象徴』となるのです。聖獣ペコ・レオ・ガウガウが、この国の初代の守り神となるのです!!」
「素晴らしいです……!!」
私はその場で泣き崩れた。
権力に固執せず、国の未来のために自らを「象徴」という枠に収める。
なんて高潔な精神。素敵すぎます、ペコ様。
「(まあわたくし、これが落ち着いたら自由な旅に出ますの! スズ様と一緒に!! もう王様なんて飽きましたわぁ~)」
ペコ様が小声で何か言った気がしたが、私の鼓膜は都合よくそれをシャットアウトした。
ペコ様が困惑気味に私の顔を覗き込む。
「……なにか問題でも? お腹が痛いの?」
「いいえ!! 一生、ペコ様のそばにお仕えさせていただきます!!!」
「??? なぜ怒りながら言いますの???」
私の想いは、今日も届かない。 だが、今はそれでいい。感傷に浸っている時間はないのだ。 ペコ様と、一度の話しだけでその後の展開は早かった。彼女の「一」を聞けば、私は「百」の事務処理を行うことができる。
「司法はピュティア様とペコ様で作った草案を、司法省で練り上げさせます」
「立法府は早急にはできませんので、当面はペコ様と私で詰めましょう。論文にあった『選挙』なるもの、試しに一部地区で導入してみてもいいかもしれません」
「行政については、各担当官にレポートを提出させます」
矢継ぎ早に方針が決まっていく。
そして、私はホワイトボードの最後――赤丸で囲った**「⑥ 身辺警護」**をペンで叩いた。
「この質問をして終わります。……身辺警護、どうされますか?」
「えっ」
「必ず、暗殺されます。毒、弓、剣、落馬、転落、墜落、滑落、火事、噴火……。どうしましょうか? まず『人災』と『天災』に分けましょうか……」
私の殺気立った(心配ゆえの)提案に、ペコ様が涙目になる。
だが、これは現実だ。
ヘスティア教の狂信者、旧体制の残党、そして他国のスパイ。
彼らは必ず、この無防備で愛らしい「象徴」の命を狙ってくる。
「そして、最難関なのが……『他国の承認』です」
私は眼鏡を押し上げた。
ここからが、私の――「鋼鉄の秘書」の本当の仕事だ。
4.間に合わない流星
そして、時は流れた。
城と国の礎を築いた優作様たちは、次の旅へと発った。
抑止力であった「魔王」がいなくなった隙を突き、地下に潜伏していたサマラヤ教国の残党――テロリストたちが動き出した。
「――火災発生! 第六区画、パン屋『麦の穂』です!」
「通報内容は!?」
「『聖戦士が現れた』と……!!」
夜。執務室に警報が鳴り響く。
ペコ様は、報告を聞き終えるよりも早く、窓から飛び出していた。
「(……ペコ様!)」
遠くの夜空を、金色の流星が駆けていくのが見えた。
ペコ様の身体能力は、この地下世界でも最強クラスだ。あの速度なら、数分とかからず現場に到着できるだろう。
……物理的には。
しかし、私の胸騒ぎは、最悪の形で的中した。
数十分後。
重たい静寂の後、執務室のドアがゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、煤と泥で汚れ、美しい金髪を乱したペコ様だった。
その瞳は赤く腫れ、今にも崩れ落ちそうなほど震えている。
「……ペコ様」
「……カーラさん……ごめんなさい……わたくし……」
ペコ様は、絞り出すように言った。
「……間に合いませんでしたの……」
ペコ様の報告によれば、現場に到着した時には、既に店は火の海だったという。
犯人は一瞬で火をつけて、闇に消えた。どれだけ速く走っても、燃え上がってからでは遅い。
残されたのは、焼けた店と、兵士に通報した見せしめに殺された家族の遺体だけ。
「……わたくし、王失格ですわ……。あんなに速く走れるのに、誰も救えないなんて……」
玉座までたどり着くこともできず、その場で膝を抱えてうずくまる彼女を見て、私の中で何かが冷徹に、そして熱く燃え上がった。
優作様はもういない。
ならば――誰がこの泥をかぶる?
誰が、この優しい王の手を汚さずに、害虫を駆除する?
私しかいない。
「ペコ様。涙を拭いてください。……公務の時間です」
5.行政的殲滅
数日後。城下町に奇妙な噂が流れた。
「最近、新しい店が急に増えたらしい」
空き家だった場所に、突然「雑貨屋」や「酒場」がオープンする。
それを聞きつけたテロリストたちが、夜陰に乗じて現れた。
「……ヘスティア様への寄付を願いに来た」
店主――無愛想な男――が出てくる。
「……金庫は奥だ。好きなだけ持っていけ」
「フン、聞き分けの良い異教徒だ」
聖戦士たちは、勝利の笑みを浮かべて店内に足を踏み入れた。
彼らが全員、店の中に入った、その瞬間。
ガシャン!!
入り口の扉が、鋼鉄のシャッターに変わり、凄まじい速度で落下した。
店だと思っていた空間は、一瞬にして「鋼鉄の檻」へと変貌した。
「な、なんだ!? 罠か!?」
慌てふためく彼らの頭上、店内のスピーカーから、氷のように冷たい声が響いた。
『――セントラル王国行政局です。貴殿らを、特別措置法第4条「不法侵入」および「テロ特別対策法」に基づき、処分します』
『許可します。……焼却開始』
プシュッ、と天井から霧が噴射され、無慈悲な火花が散った。
断末魔の叫びは、防音壁に遮られて外には漏れない。
翌朝。その「店」は、何事もなかったかのように「テナント募集中」の看板を掲げていた。
中には、塵ひとつ残っていない。
これが、私が立案した「囮店舗作戦」だ。 空き家整理で確保した数百件の物件を、「行政直轄の罠」に改造したのだ。
「……報告。第七区画の囮店舗で、4名捕獲。第三区画では2名焼却」
執務室で、私は次々と入る戦果報告を処理していく。
この作戦の真の効果は、テロリストたちに植え付けられた「疑心暗鬼」だ。
(あそこの店は本物か? それとも罠か?)
(昨日の班は戻ってこなかった……)
うかつに店を襲えなくなった彼らは、資金源を断たれ、活動を縮小せざるを得なくなる。
優作様は旅立った。だが、この街には私がいる。
鋼鉄の秘書がいる限り、害虫どもに安息の地はない。
私は窓の外、少しだけ平和を取り戻した夜景を見下ろし、小さく呟いた。
「……どうぞ、良い旅を。優作様。こちらの掃除は、終わりました」




