幕間:第三部:女王陛下の愛と拳
0.金貨の革命
あの「汚れた金貨10枚」は、この薄暗いスラムのボロ小屋に、文字通り「革命」をもたらした。
「すごい……! すごいですよお師匠! ジャンク屋から買い叩いてきた『冷却ファン』と『増設メモリ』で、処理速度が爆上がりです!」
「うむ! これでやっと、この化石のようなマシンの本気が見れるわい!」
部屋の奥、ガラクタの山に埋もれるように鎮座しているのは、この世界ではあり得ないはずのオーパーツ――**「旧文明のパーソナル・コンピュータ(PC端末)」**だった。
実は、この学研都市ツアクバの第三街区の地下深くには、かつての「データセンター」の基幹ケーブルが奇跡的に生きており、極めて限定的ではあるが、旧文明のネットワーク(イントラネット)への接続が可能だったのだ。
リオガレは、ゴミ山から拾い集めたパーツでこの端末を組み上げ、この街で唯一、**「デジタルの海」**に潜れる環境を構築していたのである。
「ヒャッハー! 見ろウィル! 金貨のおかげで電源が安定したぞ! これなら『古代語』のコンパイルも一瞬だ!」
ブゥゥン……というファンの駆動音と共に、複数のモニターが青白く発光し、薄暗い部屋をサイバーな光で満たす。
ペコが与えた資金は、彼らの生活費ではなく、全てこの「電子の祭壇」への供物(パーツ代)へと消えたのだ。
カタカタカタカタッ……!
二人は取り憑かれたようにキーボードを叩き続けた。
腹一杯の肉(燃料)と、最高のスペックを得た天才ハッカーたちの暴走は、もはや誰にも止められなかった。
彼らは、寝る間も惜しんでコードを打ち込み、旧文明の強固なファイアウォールを、まるで薄紙を破るように次々と突破していった。
そして、ついに「地下チューブ」のシステム・ルート権限を掌握。
その詳細な解析データと再起動プロトコルを、この端末から直接、王都の研究機関のサーバーへと**「送信」**した、数日後のことだった。
1. 招待状の到着
そのとき、薄汚れたボロ小屋に、場違いなほど清潔な服を着た配達員が現れた。
彼が恭しく差し出したのは、王都の国立研究所からの「招待状」。
そして、先日の「地下チューブ」発見とハッキングの功績が認められたという、国家からの公式な認定証だった。
「おお……! やったぞお師匠!」
「うむ。どうやら国も、ワシらの『遊び』を無視できんかったようじゃな」
大喜びで抱き合うウィルとリオガレ。
国家研究員となれば、絶大な資金と権限が集まる。もう生ゴミを燃やす生活とはおさらばだ。
2. スラムの夜会とタブー
その夜。スラム街の中央広場は、かつてない熱気と異臭、そして狂騒に包まれていた。
「リオガレ長官の就任祝いだ! 今日は無礼講だぞ!」
「酒だ! 燃料用アルコール(密造酒)を全部持ってこい! 火が点くくらい度数の高いやつをな!」
頭上のパイプからは蒸気がシューシューと吹き出し、ドラム缶で焚かれた焚き火が、集まった貧乏学者たちの紅潮した顔を赤々と照らし出す。
テーブル代わりの木箱には、大量の安い酒と、謎の肉(たぶんネズミではないと信じたい)の串焼きが山のように積まれている。
「お代わり! 遅いですわよ!」
広場の中央、一番高い木樽に腰掛け、宴を支配しているのはペコだ。
彼女は自分の顔ほどもある巨大なジョッキを片手で軽々と干すと、ドンッ! とテーブルに叩きつけた。
「ひぃっ! す、すぐにお持ちしますぅ!」
給仕係として駆り出されたスラムの子供たちが、悲鳴を上げながら重い酒樽を運んでくる。
その横を、ガラクタを継ぎ接ぎして作った「自動給仕ロボット(ポンコツ)」が、ギシギシと不穏な音を立てて暴走し、客の頭に酒をぶちまけている。
「ふん、ぬるいですわ。……もっと、喉が焼けるようなやつを持ってきなさい!」
ペコは豪快に笑い、口元の酒を拭った。その飲みっぷりは、まさに「獣王」。
汚れた服など関係ない。その圧倒的な生命力と美貌に、周囲の男たちは畏怖と羨望の眼差しを向け、遠巻きに眺めることしかできない。
一方、主役のリオガレとウィルの周りには、薄汚れた白衣を着た「知の亡者」たちが群がっていた。
彼らは皆、昼間はゴミを漁り、夜は世の真理を語る変人たちだ。
「リオガレ! お前が『長官』だなんてな! まさか、あの古代語のスパゲッティコードを解くとは!」
「悔しいが完敗だ! 素数の神はお前に微笑んだらしいな!」
宴もたけなわになると、彼らの議論は熱を帯び、狂気を帯びてくる。
そこかしこで、数式と罵倒が飛び交う。
「いいか! オイラーの公式は確かに美しい! だが、あれを最初に発見したのが俺じゃないという事実が、俺の魂を焼き尽くすんだよ!」
一人の老数学者が、悔し涙を流しながらテーブルを叩く。
「ピタゴラス? フン! あんなの直角三角形を見つめてれば、猿でも気づく真理だろ! 俺ならもっとエレガントに証明してみせる!」
幾何学者が、串焼きの骨を使って地面に図形を描き殴る。
彼らは日夜ライバルとしてしのぎを削る仲だが、知の探求者としては同胞だ。
強烈な嫉妬と、純粋な敬意が入り混じった、ドロドロとした熱気。
空腹でも、新しい発見があれば忘れてしまう。そんな人種だ。
だが、夜が更け、酒の量が増えるにつれ、議論の内容は次第に「この世界のタブー」へとシフトしていった。
誰かが声を潜めると、その場の空気が一気に重く、冷たくなる。
「……なあ。ヘスティア教の『科学への介入』、最近ひどくないか?」
「ああ。先月も、壁の向こうの地質サンプルを採取しようとした地質学者が、一家ごと消された」
学者たちが顔を見合わせる。
彼らは知っているのだ。この世界が「出来すぎている」ことを。
「本当は、誰が作ったかも分からない『遺物』より……この世界の『成り立ち』そのものを知りたいんだ」
一人の天文学者が、天井(偽りの空)を指差した。
「天の上は閉ざされている……それが定説だが、誰が見た? 上には何がある? 下には?」
「この大地は? 天候を操作しているのは誰だ? 俺たちの計算じゃ、この地下空間の気流は『人工的』すぎるんだよ」
そして、誰かが禁断の名を口にする。
「……ヘスティアとは、何者なんだ?」
「女神? AI? それとも……俺たちを飼育している『管理者』の名前か?」
ひそひそ話が続く中、一人の泥酔した物理学者が、ふらりとリオガレに絡んだ。
その目は、好奇心という名の悪意で濁っていた。
「おい、リオガレ長官。お前……昔、空に向かって『大凧』を飛ばして処刑された、あの大馬鹿者の弟子だったろ?」
「……ッ!」
リオガレの表情が凍りつく。
「まさか、まだあの『重力を否定する』なんていうオカルト研究をしているんじゃないだろうな? ……長官ともあろうお方が」
それは、この場にいる全員が薄々勘付いていながら、誰も触れなかった核心だった。
場が静まり返る。
慌ててウィルが割って入る。
「や、やめてくださいよ! 今夜は祝いの席ですよ! さあさあ、もっと飲んで!」
3. 帰り道の問いかけ
宴はお開きになり、ペコはウィルと二人、千鳥足で夜道を歩いていた。
上機嫌なペコだが、酔った頭でふと疑問に思ったことを口にした。
「ねえ、ウィルさん。遺物の研究はお金になるのに、なぜ皆、お金にならない危険な『禁忌』を犯したがるのです?」
ウィルは夜空を見上げ、少し恥ずかしそうに、でも誇らしげに言った。
「……止められないんですよ、ペコさん」
「?」
「この鼓動、このワクワク……。知りたいという欲求は、死の恐怖よりも強いんです」
ペコは首を傾げた。よく理解できなかった。
だが、ふとスズのことを思い出した。
(スズ様も、武道に対して似たような探求心を持っていた……)
そう考えると、ほんの少しだけ、ウィルとリオガレがキラキラして見えた。
ほんの少しだけ。
II. 虚飾の長官
数日後。ペコは、リオガレの就任発表会に出席していた。
会場は、地下チューブのプラットフォーム。
「……これは、旧型の地下配送網です」
真新しい白衣に身を包んだリオガレが、淡々と説明する。
「速さより、省エネルギーで持続的・安定的な荷物の配達を目指したもの……。我々は、古代語という制御プログラムを解読し、再起動させました」
毎時定時に行き交う、窓のない簡素な貨物箱。
エネルギーは地下熱を利用。完璧な物流システムだ。
この運行システムの長官に、リオガレは任命された。
拍手喝采。
だが、リオガレの顔は晴れなかった。
(……所詮は、先人の借り物だ)
古代語の解析に10年かかった。苦労はした。
だが、これは「ワシが作ったもの」ではない。ただの「管理人」になっただけだ。
リオガレは、チラリと空(天井)を見上げた。
彼の心にあるのは、あの薄汚い気球のことだけだった。
本当に飛ぶのか? 空気を燃やすことで、本当に重力を欺けるのか?
III. 決行の夜
1. 査察前夜
明日、国から正式な査察団が来る。チューブの最終確認だ。
このままおとなしくしていれば、彼らは英雄になれる。
だが、リオガレは空を見上げて言った。
「……ウィル。準備しろ。風が出た」
「先生? 明日は査察ですよ? 寝てないと……」
「今夜だ」
リオガレは、ウィルの胸ぐらを掴んだ。
「明日の査察など知ったことか! 今夜の気流と気圧配置は、ワシの理論を証明するのに『完璧』なんだ! この機を逃せば、次はいつになるか分からん!」
2. 知への渇望
「し、しかし、見つかったら処刑……」
「知らずに生きるくらいなら、知って死ぬ!!」
老人の咆哮。
そこには、保身も、出世欲も、微塵もなかった。
あるのは、**「自分の仮説が正しいかどうか、今すぐ知りたい」**という、焼き切れるような知への渇望だけ。
ウィルは、震えながらも笑った。
「……はい。やりましょう、先生。僕も……知りたいです」
IV. 飛翔と、墜落
1. 広場の狂騒と、一人の観客
場所は、スラムの中央広場。
リオガレとウィルは、巨大なツギハギだらけのボロ布を広げ、その下に据えた「鉄のたらい」に、かき集めた燃料をくべていた。
「急げウィル! 空気を入れろ!」
「はいっ! もっと、もっと熱く!」
二人は必死だった。
生ゴミ、ワラ、そしてペコの金貨で買った「最高級の精製油」。
燃えるものは何でも放り込む。
黒煙と共に、ボロ布がむくりと鎌首をもたげるように膨らんでいく。
その様子を、広場の隅にある建物の陰から、じっと見つめる影があった。
ペコである。
彼女は、彼らの「決行」を予感していた。だから見に来たのだ。
「……本当に、やるのですね」
ペコは息を飲んだ。
薄汚い風船が、熱気を含んでパンパンに張り詰め、今にも天へ昇ろうとしている。
その姿は、不格好で、泥臭くて、滑稽だ。
だが、ペコの尻尾は、自分の意思とは裏腹にブルブルと小刻みに震えていた。
(……なんて、美しい)
それは「魔獣を倒す強さ」ではない。
誰もが諦めた「重力」という世界の理不尽に、知恵と熱意だけで牙を剥く、魂の咆哮だ。
ペコは知らず知らずのうちに、拳を握りしめていた。
「飛びなさい……! 世界を見返してやりなさい……!」
2. 強引な離陸
その異様な光景に、巡回中の兵士たちが気づいた。
「おい! 貴様ら広場で何をしている!」
「火事か!? いや、なんだあれは!?」
「かまうな! 飛ばせェェッ!!」
リオガレが松明を投げ入れる。
ゴウッ!!
熱気が袋を満たし、巨大な浮力が生まれた。
「ま、待て! 止まれ!」
兵士たちが駆け寄ってくる。
だが、もう遅い。
ふわり。
巨大な汚い風船が、重力の手を振りほどいて地面を離れた。
「逃がすかァッ!」
一人の兵士がジャンプし、ゴンドラ(という名の木箱)の縁にしがみついた。
「うおっ!?」
ウィルが悲鳴を上げる。
「離せ馬鹿者! 落ちるぞ!」
「貴様らこそ降りろ! これは命令だ!」
兵士の重みで気球が傾く。だが、鉄のたらいから生み出される熱量は、それを凌駕した。
グググッ……!
加速する上昇力。
「な、なんだこの力は……うわぁぁぁッ!!」
高度が上がり、恐怖に耐えきれなくなった兵士が、手を離して落下した。
ドサッ!
「……痛ぇ!」
兵士は尻餅をついただけだったが、気球は枷を外れた獣のように空へ駆け上がった。
ペコの尻尾が、空を指してピンと立つ。
「……行けッ!!」
3. 事故と不時着
「やった……! 飛んだぞ先生!」
「見たか! これが物理だ!」
だが、喜びも束の間だった。
「あっ……!」
ウィルが絶望の声を上げる。
あまりに強すぎる火力と、激しい揺れ。
たらいから飛び散った火の粉が、ボロ布の内側に張り付いた。
ジュッ。
焦げ臭い匂いと共に、継ぎ接ぎだらけの布に穴が開く。
「穴だ! 熱気が逃げる!」
「塞げ! ウィル、パンツを脱げ! 詰めろ!」
「無理ですよぉぉ!」
プシューッ!
熱気が抜け、浮力が失われる。
さらに悪いことに、上空の風に煽られ、気球はコントロールを失って流され始めた。
「落ちるッ! 掴まれェェッ!!」
気球はスラムの屋根をかすめながら、広場の端にある**「古びた時計台」**の尖塔へと突っ込んでいった。
ガシャァァァン!!
けたたましい破壊音。
ボロ布が時計の針と尖塔に絡まり、ゴンドラが引き裂かれ、二人は屋根の上へと放り出された。
直下での墜落死は免れたが、二人は屋根の上から転がり落ち、地面へと叩きつけられた。
V. 狂犬の威圧
1. 包囲
「あそこだ! 落ちたぞ!」
「引きずり出せ! 禁忌を犯したテロリストどもだ!」
下から、武装した兵士たちがわらわらと集まってくる。
リオガレとウィルは、地面に這いつくばり、煤だらけの顔で震えながら身を寄せ合っていた。
「……ここまでか」
「先生……でも、飛びましたね」
「ああ。……数分だったが、いい眺めだった」
二人は覚悟を決めた。
取引など、もうできない。これは現行犯だ。処刑は免れないだろう。
兵士たちが二人を取り囲み、剣を突きつけた、その時。
2. ペコの到着
ダンッ!!
豪快な着地音と共に、石畳が砕けた。
土煙の中から現れたのは、一人の女。
「……騒々しいですわね」
ペコだった。
彼女は、墜落を目撃して全速力で駆けつけたのだ。
その背中には、逆立った毛がボワボワになった尻尾が、怒れる龍のようにうねっている。
3. 取引無用の制圧
「き、貴様は……!?」
隊長が剣を向ける。
「下がっていなさい、下郎ども」
ペコは、リオガレたちの前に仁王立ちになり、低い声で唸った。
それは人間の言葉というより、捕食者の咆哮だった。
「その二人は、わたくしの『友人』ですの。……指一本でも触れてみなさい。この広場ごと、貴様らをミンチにして差し上げますわよ?」
ギロリ。
ペコの瞳孔が縦に割れ、金色の瞳が怪しく発光する。
その殺気だけで、最前列にいた兵士が腰を抜かしてへたり込んだ。
4. 悪名の効果
「ひぃっ!?」
「ま、待て! こいつ……噂の『狂犬ペコ』だ!」
「あの毒キノコを食って平気だった化け物か!?」
スラムに轟く悪名。
竜族を素手で引き裂き、猛毒を笑って飲み干す、災害指定生物。
さらに、「公衆浴場を睨みだけで制圧した」という伝説まで加わっている。
兵士の一人が、震える声で隊長に耳打ちする。
「た、隊長! まずいです! こいつ、三日三晩ゲロとウンコを垂れ流しながら『愛の歌』を歌い続けて生き延びたっていう、正真正銘の怪物です! 関わったら呪われます! 全滅しますよ!」
「……は?」
隊長が絶句する。
ペコは胸を張り、不敵に笑った。
「あら、よくご存知で。……付け加えるなら、わたくしの生命力は王家お墨付き。貴様らの剣など、爪楊枝にもなりませんわよ?」
隊長は、ペコの瞳を見た。
そこにあるのは、知性ある人間の光ではない。
もっと根源的で、理不尽な「獣」の光だった。
(……こいつとやり合えば、部隊が半壊する。いや、全滅もあり得る。たかが老いぼれ二人を始末するために、払う犠牲じゃない)
隊長は剣を収めた。
「……チッ。まあいい。見なかったことにしよう」
「隊長!?」
「公式には『実験中の事故』だ。……ただし、リオガレ。お前たちの身柄は今後、完全に国の監視下に置く。二度と自由はないと思え」
VI. エピローグ
「……助かったのか?」
ウィルがへたり込む。
ペコは、逆立っていた尻尾の毛をシュルリと戻し、呆れたように二人を見下ろした。
「……まったく。世話の焼ける『子供』たちですこと」
リオガレは、破れた気球を見上げ、ニカっと笑った。
歯が抜けた、煤だらけの笑顔。
「ペコ君! 見たか! ワシらは空に触れたぞ!」
「ええ、見ましたわ」
ペコは、ため息をつきつつも、口元を緩めた。
尻尾が、満足げにゆらりと揺れる。
「……最高に、馬鹿で、美しい飛翔でしたわ」
こうして、彼らの「公式記録」は抹消された。
彼らは研究所を追放され、またスラムの貧乏学者に戻った。
だが、その表情は晴れやかだった。
ペコは彼らに別れを告げ、次の旅へと向かう。
その胸には、彼らから学んだ「理不尽に抗う熱」が、確かに刻まれていた。
「……次は、もっと単純な『熱』を持つ馬鹿に会いに行きますわ」
(幕間・完)




