【幕間第一部:茸の森の善悪(マッシュルーム・ジャスティス)】
【アーカイブ:優作による「いぬ国」概況メモ】
おい、これから語るペコの過去話の前に、あいつの故郷『いぬ国』について、俺が把握している基本情報を叩き込んでおく。テストに出るぞ。
場所: 地底世界のさらに底、「深層エリア」にある未開の地。
住民: 犬族。鼻と耳が良く、尻尾で感情がダダ漏れになる連中。
国是: 「力こそパワー」。筋肉と牙ですべてが決まる実力至上主義。
統治者: 現国王はヴォルフガング。強面だが、ペコの尻拭いをさせられている苦労人。
ペコの立ち位置: 「最強の王女」だったが、「世界を知る」ために王位を放り出して出奔中。
恋愛観: 「娶る」が基本。愛=物理的な守護と支配。とにかく重い。
要するに、「野蛮で、暑苦しくて、妙に義理堅い、愛すべき筋肉馬鹿たちの国」だ。
じゃあ、そんな国を飛び出した、お転婆娘の冒険記録を再生する。
【幕間:女王陛下の愛と拳】
このはなしは、ペコが「いぬ国」を一時離脱し、スズを救出するために『境界都市リンボ』へ向かうまでの、知られざる武者修行の記録である。
I. 旅立ちと決意
「……行ってきますわ、我が国よ」
いぬ国を背にしたペコは、決意に満ちた瞳で荒野を見つめていた。
彼女が王位を大臣に預けてまで求めたもの。それは、単なる腕力ではない。
「知識」と「経験」だ。
目指すは、地底最大の学術機関が集まる『学研都市ツアクバ』。そこの大図書館で、国の統治システムや歴史を学び、王政の限界とメリットを再構築する。
それが、彼女が描く「最強の国」への第一歩だった。
(待っていてくださいませ、スズ……。ああ、愛しいスズ……)
ペコは、懐に忍ばせたスズの似顔絵(自作)を取り出し、頬をすり寄せ、熱っぽい吐息を漏らした。
その瞬間、旅装の後ろから伸びる太い尻尾が、バタンッ! バタンッ! と激しい音を立てて地面を叩き始めた。
(貴女のあの、雨に濡れた子犬のように震える瞳。桃のように柔らかく、噛み千切りたくなるほど愛らしい唇……!)
ペコの喉が、ゴクリと鳴る。
頭上の犬耳が、興奮でピーンと立ち上がり、小刻みに震えている。
脳裏に蘇るのは、スズの肌の感触だ。甘く切ないあえぎ声。
(ああ、今すぐにでも飛んで行って、その全身をわたくしの唾液でべとべとにマーキングし、骨の髄までしゃぶり尽くして差し上げたい……!)
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
妄想が加速するにつれ、尻尾の振りが高速化し、硬い地面にクレーターを穿ち始めた。砂煙が舞う。
だが、我慢だ。
今のままでは、ただの「強い犬」に過ぎない。
スズを真に支配し、守り、そして永遠に手籠めにするためには、この地底世界を統べる「知恵」という名の首輪が必要なのだ。
(一年後、再会した時には、わたくしは貴女より強く、賢い王となって……貴女を、頭のてっぺんから爪先まで、余すところなく「娶」りますわ!)
その強烈で、重たく、粘着質な愛と野望を胸に、ペコは荒野へと歩き出した。
その口元からは、隠しきれない情愛の涎がキラリと糸を引き、尻尾は未だ興奮冷めやらぬまま、左右にブンブンと唸りを上げていた。
II. 茸の迷宮
数日後。ペコは、視界を遮るほどの巨大なキノコが林立する「菌糸の森」に足を踏み入れていた。
ここは、獰猛な「竜族」のテリトリーとして知られる危険地帯だ。
だが、ペコは意に介さない。
頭上の犬耳が、レーダーのようにクルクルと回転し、3キロメートル先の針の落ちる音さえ聞き分ける。不意打ちなどあり得ない。
「……ふん、この程度の森、庭みたいなものですわ」
ペコは巨大キノコを毟り取り、豪快に頬張りながら進む。
夜はキノコの傘の上で丸まり、尻尾を抱き枕にして眠り、朝露と共に目覚める。
順調な旅――のはずだった。
「……おかしいですわね」
一週間後。ペコは完全に迷っていた。
巨大なキノコの傘が空(天井)を隠し、方向感覚を狂わせる。
さらに悪いことに、食料が底をついた。
周囲に生えているのは、見るからに毒々しい色のキノコばかり。
「お腹が……空きましたわ……」
空腹で目が回る。世界が歪む。
最強の王も、カロリー不足には勝てない。
自慢の犬耳は、力なくぺたりと頭に張り付き、あれほど元気に動いていた尻尾も、今は重力に負けてズルズルと地面を引きずられている。
その時だった。
「キャァァァァァッ!!」
悲鳴。
距離、約一キロ。
ピクンッ!
垂れていた犬耳が、弾かれたように直立した。
複数の足音。血の匂い。竜族特有の生臭い体臭が3つ。
そして何より――「上質な干し肉」の匂い!
「神は、天を見捨てませんでしたわーッ!!」
ブォンッ!
死んでいた尻尾がプロペラのように回転し、ペコは弾丸のように飛び出した。
谷を飛び越え、川を一足で渡り、悲鳴の元へと滑り込む。
III. 圧倒的な暴力、そして勘違い
現場は凄惨だった。
街道沿いで、人間の男女が3体の竜族に取り囲まれている。
男の方は既に斬られ、血の海に沈んでいた。
「……あ、あ……!」
残された小柄な少女が、腰を抜かして震えている。
竜族たちが、下卑た笑い声を上げながら剣を振り上げる。
「せいやぁぁぁっ!!」
ペコは、巨大キノコの傘の上から急降下した。
右足一閃。
凄まじい遠心力を乗せた蹴りが、先頭の竜族の側頭部に炸裂する。
ドォォン!!
頭蓋骨が陥没する生々しい音と共に、竜族が消し飛んだ。
「な、なんだ!?」
「隙だらけですわよ!」
着地の勢いを殺さず、太い尻尾でバランスを取りながら回転し、左足で二人目の首を刈り取る。
ボキリ。
首が在らぬ方向にねじ曲がり、その巨体がどうと倒れた。
瞬殺。
残った最後の一体が、腰を抜かして後ずさる。
ペコは、最後に残った竜族に人差し指を突きつけた。
その背後で、尻尾の毛がボワッと逆立ち、太さが倍に膨れ上がっている。完全な威嚇態勢。
「どうせ、男は殺して、女は犯すとか言うのでしょう? ……三流の悪党ですわね」
だが、竜族は必死に叫んだ。
「ち、違う! 待て! 貴様、その女が何者か知ってて庇うのか!?」
「はい?」
「こいつらは旅人を騙して殺し、金品を奪う『盗賊』だぞ! 毒を使って寝首を搔く、指名手配犯だ! この先のキャンプ場を見てみろ! 俺たちの仲間も含めて、死体が三つ転がってる!」
ペコは、少女を見た。
140cmほどの、あどけない顔立ちの少女。彼女は涙目で首を振る。
「う、嘘よ! 信じないで!」
ペコは、ふふんと鼻で笑った。
「くだらない。女が全て、弱くて善人なわけありませんわ」
「な、なら……!」
「ですが、そんな理屈はわたくしには通じませんの」
ペコは冷酷に言い放った。
「強者は弱者を食い物にする権利がありますわ。……あなた方は、わたくしという強者の前では『弱者』。そして、そこの盗賊女も、わたくしの前では『獲物』ですのよ!!」
「は……?」
竜族と少女が、同時に呆気にとられる。
ペコにとって、善悪など二の次。今重要なのは、目の前の「干し肉(を持っていそうな奴ら)」を制圧することだけ。
尻尾がゆらりと揺れ、捕食者のリズムを刻む。
「そんな単純な理屈が……」
竜族が反論しようとした刹那、ペコのハイキックが顔面にめり込んだ。
竜族は星になった。
IV. 暴かれた真実
静寂が戻る。
残されたのは、震える少女と、返り血を浴びたペコだけ。
「……さて」
ペコは少女の襟首を掴み、引きずりながら歩き出した。
「実況見分といきましょうか」
竜族が言っていたキャンプ跡地。
そこには確かに、毒殺されたと思われる冒険者と、竜族の兵士の死体が転がっていた。
少女の荷物からは、彼らから奪った金品と、毒薬の瓶が出てきた。
ペコはため息をついた。
逆立っていた尻尾の毛が、しゅるりと元に戻る。
「……やはり、あなたは盗賊でしたのね。残念ですわ。わたくし、竜族の方々の事情も聞かずに殺してしまいましたのね」
少女――プーランは、その場でへたり込んだ。
言い逃れできない証拠。そして目の前の「化け物」。
次の瞬間、プーランは脱兎のごとく駆け出した。
全速力での逃走。
「……学習しませんわね」
ペコは足元の小石を拾い、デコピンで弾き飛ばした。
シュッ、バチン!!
小石は正確にプーランの後頭部を捉え、彼女はもんどり打って倒れた。
V. 貧困の巣窟
気絶したプーランを見下ろしながら、ペコは悩んでいた。
以前の自分なら、即座に殺していただろう。悪には鉄槌を。それが王の正義だ。
だが……。
耳がわずかに下がり、困惑を表している。
(……この干し肉のように痩せ細った体。ボロボロの衣服。……なぜ、こんな子供が悪に染まらなければならなかったのです?)
ペコは、プーランを川へ運び、治療を施した。
夜、焚き火の前で目を覚ましたプーランは、震えながら身の上を語った。
彼女は孤児だった。
親はなく、スラムで育った孤児たちが身を寄せ合って生きている。
彼女は一番年上で、稼ぎ頭だった。
「……これしかなかったの」
プーランは泣きじゃくった。
「盗みも、詐欺も、体を売るような真似もした……! でも、子供だけじゃ、まともな仕事なんてない! 生きていけないのよ!」
ペコは静かに言った。
「……案内なさい。その『家族』の元へ」
山の獣道を抜けた先に、その「家」はあった。
それは家と呼ぶにはあまりに粗末な、岩陰に廃材を立てかけただけの穴蔵だった。
鼻の利くペコには、耐え難いほどの腐臭と、病気の匂いが漂ってくる。
ペコの鼻がひくつき、耳が痛ましげに伏せられた。
中には、5人の子供たちがいた。
皆、皮膚病で肌がただれ、骨と皮だけになって、うつろな目でペコを見上げていた。
「……ッ」
ペコは言葉を失った。
尻尾が、完全に足の間に巻き込まれ、隠れてしまっている。
彼女が信じてきた「強者の論理」。
強い者が上に立ち、弱い者は従う。それは「公平な競争」が前提の話だ。
だが、この子供たちは、スタート地点にすら立てていない。
生きるために泥水をすすり、犯罪に手を染めるしか選択肢がなかった弱者たち。
(……これを、わたくしの拳で殴れますか? 「弱くて悪い奴」だからと、踏み潰せますか?)
答えは、否だった。
VI. 王の土下座
「……わかりましたわ」
ペコは、唇を噛み締めて立ち上がった。
「お前たち、わたくしについてきなさい」
向かう先は、学研都市ではない。
来た道――「いぬ国」だ。
「……くやしい」
ペコは、子供たちを背負いながら、独りごちた。
耳はペタリと頭に張り付き、尻尾は力なく垂れ下がっている。
武者修行と言って、意気揚々と国を出たのだ。
それなのに、わずか数週間で、尻尾を巻いて逃げ帰るなんて。
しかも、犯罪者の子供たちを連れて。
(でも……今のわたくしには、この子たちを救う「制度」も「金」もありません)
(頭を下げるしかありませんわ。……今の王に)
プライドなど、この腐臭漂う現実の前ではゴミ同然だった。
数日後。
いぬ国に舞い戻ったペコを見て、ヴォルフガング王は仰天した。
さらに、彼女が連れ帰ったボロボロの子供たちを見て二度驚き、ペコが**「この子たちを保護してください! お願いします!」と土下座した**ことに、三度驚いた。
ペコの額が床に擦り付けられる。
誇り高き王女の耳は地面に触れるほど低く伏せられ、尻尾は完全に股の間に隠れ、服従と懇願の意を示していた。
それは、「負け犬」の姿ではない。
プライドを捨ててでも守るべきものを見つけた、真の「王」の姿だった。
子供たちは孤児院に収容され、教育と食事を与えられることになった。
その夜、ペコとヴォルフガングは一昼夜、語り合った。
「弱者とは何か」「王の責任とは何か」。
「……人は、幾重にも重なり絡まる糸のようですわ」
ペコは、夜明けの空を見上げて呟いた。
耳がピクリと動き、朝の風を捉える。
「力だけでは解けない結び目がある。……わたくしは、それを知るために旅に出たのかもしれません」
「……行くのか、ペコ」
「ええ。子供たちのことは頼みましたわ」
ペコは再び、旅装を整えた。
一度目の旅立ちとは違う。その背中には、「迷い」という名の重石と、「知りたい」という新たな渇望が乗っていた。
尻尾が、ふわりと持ち上がり、静かに揺れる。
もはや興奮で荒ぶることも、恐怖で隠れることもない。
堂々たる王の尾だ。
「次は、必ずたどり着いてみせますわ。……学研都市ツアクバへ」




