第72部:新生セントラル王国建国記
いつものように、ピュティアとコハルが空中で火花を散らし始めた。
ルカは、そんな二人のやり取りを見て、ふふっと笑った。
そして、喧嘩する二人の声を優しく包み込むように、少し強めに弦を弾いた。
ジャラァン……。
その澄んだ和音に、二つの光がピタリと止まる。ルカは、豪華なシャンデリアを見上げた。その向こうにある、二人の怪物の魂へ届くように。
「……聴いて。できたよ。新しい曲」
ルカの指が、哀切なアルペジオを紡ぎ出す。
それは、ハチとゲオルグ――二人の怪物のためのレクイエムだった。
♪〜
『誰かが 見てると 思ってた』
『誰かが 待つと 信じてた』
ルカの歌声が、静かな部屋の空気を震わせる。
音子の指輪が淡く共鳴し、空気中の塵がキラキラと光る粒子となって、ルカの周りを舞い始めた。
『空っぽの客席 振り上げたタクト』
『拍手の代わりに 肉を食む』
『ねえ マエストロ お腹はいっぱいになったかい?』
ハチ・アマルガム・ノックス。
賞賛を求めて狂った、孤独な指揮者への問いかけ。
『泥の中で 花を摘む』
『綺麗なままじゃ いられない』
『抱きしめたくて 腕を増やして』
『愛したはずが 傷つける』
ゲオルグ。
愛欲に溺れ、自らの形さえ保てなくなった、悲しき衛兵長への追悼。
ルカは目を閉じ、サビへと声を張り上げる。
その声は、力強く、それでいて母親が子をあやすような慈愛に満ちていた。
『おやすみ 迷子の獣たち』
『もう 吠えなくていい』
『もう 奪わなくていい』
『硝子の王冠も 欲の牙も』
『この歌に溶けて 夜明けの風になる』
『眠れ 眠れ 名もなき夢の中へ……』
〜♪
最後のコードが、余韻を残して消えていく。
光の粒子たちが、雪のように静かに床へと降り注いだ。
部屋には、深い静寂が満ちていた。
『……ふーん。無駄が多い音運びだけど……なんだか、じわじわ心が揺らぐわね。……悪くないよ』
ピュティアが、いつになく素直な声で呟き、ルカの肩にふわりと止まる。
『ううっ……沁みるのう……。あのバカタレ共も、これで少しは浮かばれるわい……』
コハルは、光の明滅を涙のように潤ませながら、ルカの頬にすり寄った。
ルカは優しく微笑んで、ギターを置いた。
(優作さんも、スズちゃんも、ペコちゃんも……みんな、傷だらけで戦ってる。私の歌が、少しでもみんなの包帯になればいいな)
1.使徒の座談会(優作による断罪と誘導)
翌日。
場所は、セントラルシティの教会――その天井高く広がる大礼拝堂へと移された。
神聖であるはずのその場所には、都市の生き残りである神官たち、有力な商人、そして自警団のリーダーたちが、逃げ場のない状態で一堂に集められていた。
彼らは戦々恐々としていた。
眼前に並ぶのは、ヘスティアより遣わされた四名の「神の使徒」たちだ。
上座中央に座るのは、黒いコートを纏い、冷徹な知性を宿した瞳で見下ろす「魔術の神の使徒」優作*。
その右腕には、傷ひとつない滑らかな肌を晒し、静寂を纏って座る**「戦いの女神の使徒」スズ**。一流の武人ゆえに殺気すら完全に消しているが、その自然体の佇まいだけで、周囲を圧倒する凄みを放っている。
左側には、豪奢なドレス(優作が商人から徴収させた)に身を包んだ、「聖獣の神の使徒」こと、犬族の亜人ペコ。
そして優作の背後には、「慈悲の神の使徒」ルカが、ギターを背負い、聖母のような穏やかな微笑みを浮かべて控えていた。
この圧倒的な「神の威光」の前に、地上の権力者たちは縮こまるしかなかった。
優作は、ワイングラスを傾けながら、冷徹に口を開いた。
「さて、諸君。今日はこれからのセントラルシティの統治について、建設的な話をしよう」
建設的、と言いながら、優作の背後には武装したペコの部下たちが控えている。完全に脅迫だった。
「単刀直入に言う。お前たち、犬族いぬぞくを狙って攫さらっていたな?」
神官の一人が、ビクリと震えて脂汗を流す。
「そ、それは……ハチ様が……いや、需要がありまして……」
「種族特有の従順さと、旺盛な性欲を利用し、慰み者として高値で売り飛ばす。……実に効率的な商売だ」
優作の声は氷のように冷たい。
「だが、その『商品』の中に、とんでもない『劇薬』が混ざっていたことを、お前たちは知らなかったらしい」
優作は、ペコを手で示した。
「彼女の名は、ペコ。……この地下にある別の国、『いぬ国』の王族だ。今は王の立場を譲り、武者修行の旅に出ているがな」
ペコは静かに続けた。
「わたくしは、国を追われ、絶望の淵にいた時、お前たちに攫われましたの。あの時のわたくしは、抵抗できませんでした。なぜなら、『弱者』だったからです。ですが……スズが、わたくしに未来を示してくれました」
ペコは頬を染め、うっとりとした表情になる。その太い尻尾は、ドレスの下でバタンバタンと床を叩き、隠しきれない喜びを奏でている。
隣のスズは、真っ赤になって下を向き、必死に首を振っていた。事情を知らないルカだけが、深い同情の念を湛え、口元に微かな憂いを浮かべている。
優作は、ここからペコへの**「誘導尋問」**を開始した。
相手を「王」として持ち上げ、慇懃無礼なほどに丁寧な言葉遣いで「イエス」を重ねさせる。それは、逃げ道を塞ぎ、自分の意図する結論へと導く、詐欺師の手口だ。
「ペコさん。一つ、確認させていただいてもよろしいでしょうか。……ハチの行った所業は、決して許されるべきではない……そう、お考えですね?」
「はい。断じて」
ペコの犬耳がピクリと立ち上がり、正義感に震える。
「では、同族を食い物にした奴隷商人たちは? 彼らもまた、決して許されるべきではない……そう思われますね?」
「はい。万死に値しますわ」
ペコの尻尾の毛が逆立ち、怒りを露わにする。
「なるほど。では、ヘスティア教はどうでしょう。他国を侵略し、自分たちだけ富を貪る。弱いくせに権威だけ振りかざす彼ら……。彼らの存在もまた、貴女にとっては断じて認めることのできない『悪』……そうですね?」
「はい。許せませんわ。反吐が出ます」
ペコの瞳には、揺るぎない確信と、悪への嫌悪が宿っていた。
優作はニヤリと笑った。外堀は埋まった。
「なら、ペコさんがこの国を支配なされたら、どうなさいますか?」
2.聖獣ペコ・レオ・ガウガウの建国
突然の問いに、ペコはきょとんとしたが、優作の巧みな誘導によってテンションが上りきっていた彼女は、その「王の器」を爆発させた。 彼女はテーブルに片足を乗せ(覇気がある)、高らかに宣言した。
「わたくしだったら……まず、強い者を一番の国にしますわ!」
ペコの演説が始まる。
それに合わせて、彼女の尻尾はメトロノームのように激しく振られ、風圧で近くのグラスがカタカタと揺れるほどだ。
「そして、ヘスティア教は解体です! 滅多に現れない神より、自分の筋肉ちからの方がよほど信じられますわ!」
神官たちが「な、なんと冒涜的な!」と騒ぎ出すが、スズが刀の鯉口を切ると一瞬で黙った。
「ただし! 力による圧政ではありません。**『強者は弱者を守る義務ノブレス・オブリージュ』を与えます! そして、『弱者は努力する義務』**を課します!」
ペコは拳を握りしめる。犬耳はピンと垂直に立ち、自信に満ち溢れている。
「王の決め方はシンプルです。年一回、武闘大会を開催しましょう! その一番強い者が、その年の王ですわ! 性別も種族も関係ありません!」
「そして、国民には王以外、すべて平等です! 神の幻想が欲しいなら、その最強の王が神輿みこしになればいいのです!」
ペコのテンションが最高潮に達する。
「それに、奴隷制度は廃止、関わった者は死刑です!! 自身の力を使わず、他者に依存して生きるなど、生物としての怠慢! 断罪に値しますわ!」
優作が手を叩く。「そうだ! その通りだ!」
「国民の義務として、毎日、体を動かすのが得意な者は舞踏や武術の稽古! 苦手な者は芸術や学問を! 最低でも一刻(二時間)ほど、努力する時間を強制しましょう! 汗を流せば、大抵の悩みは解決しますのよ!」
優作は興味深そうに尋ねた。
「へえ、面白いな。……じゃあ、運動も勉強も、どっちも苦手なやつはどうするんだ?」
その瞬間、ペコが優作を睨みつけ、怒鳴りつけた。
「そこまで国に頼るな! 愚か者!! ふざけているのですか!!!」
「理不尽!?」
なぜか味方のはずの優作が一番厳しく叱られた。
ペコは鼻息荒く続ける。尻尾はもはや残像が見えるほどの速度で振られている。
「国は機会を与えますが、結果は自分次第です! 甘えるんじゃありませんわ!」
優作は、目を白黒させた後、腹を抱えて笑い出した。
「あははは! お前、すげえな! 完璧だ、俺の理想郷ユートピアだよ!」
優作は立ち上がり、呆然とする聴衆に向かって、高らかに宣言した。
「決定だ。今日から、ペコがこのセントラルシティの国王だ」
優作は、脳内からその名を引っ張り出し、高らかに叫ぶ。
「**『聖獣ペコ・レオ・ガウガウ』**が治める、新生セントラルシティの建国だ!! さあ、祝おうではないか!!!」
その瞬間。
ピタッ。
それまで暴風のように荒ぶっていたペコの尻尾が、空中で凍りついたように静止した。
天井を突き刺さんばかりにピンと立っていた犬耳が、くたり、と力なく前に折れ曲がる。
ペコ:「……え?」
その顔は、梯子を外された猫……いや、犬そのものだった。
ルカ:「え?」
スズ:「……は?」
神官・商人:「ええええええええええっ!?」
こうして、地底世界に、もっとも野蛮で、もっとも公平な、筋肉と芸術の国が爆誕したのだった。
3.新王国の後始末と、カーラの救済
新生セントラル王国が名付けられた直後、世界は一変した。
この混乱は、ある一人の奴隷にとって、運命の分岐点となった。
【カーラの過去:屈辱と最後の逃亡】
ここ数日、夜毎、娼館街の奥にある商人の住む居住区から、男たちの断末魔のような叫び声が響くようになっていた。
それに続く、怒号と騒乱。毎晩繰り返されるその「異変」。
それは本来、恐怖すべき事態だ。
だが、薄暗い娼館の一室で、窓の隙間からその騒ぎを見つめる一人の美しい女性にとっては、それは唯一の「希望」の音色に聞こえた。
彼女の名はカーラ。鹿族の女性だ。
窓から漏れる月明かりが、彼女の知性的な瞳と、頭頂部の優美な角を照らしている。
彼女はもともと、別の街で研究職を目指していた。
だが、奴隷狩りに遭い、自由を奪われ、この娼館へと連れてこられたのだ。
以来、娼婦として、来る日も来る日も下卑た商人たちの相手をさせられていた。
彼女はかつて一度、決死の覚悟で脱走を試みたことがあった。
だが、結果は失敗だった。
捕まった彼女は、見せしめとして背中の皮が裂けるほど鞭で打たれた。
傷口は酷く化膿し、燃えるような高熱が出た。
しかし、商品である彼女に休息など与えられなかった。
朦朧とする意識、歪む視界、吐き気がするほどの熱さと痛み。
それでもなお、彼女は客を取らされ続けたのだ。
今でも背中に残る無数の傷跡は、その時の地獄のような屈辱と絶望の記憶そのものだ。
彼女の肉体は商品として穢されたが、彼女の知性だけは、決して穢されなかった。
「……また、始まった」
ハチの騒乱の夜、叫び声はこれまでになく大きく、近くで響いた。
カーラにとって、これが『最後の逃亡のチャンス』だと直感した。
娼館の窓から外を覗くと、世間は騒乱の真っただ中だった。夜の闇に紛れ、混乱が広がっている。カーラは、それを野盗の騒ぎだろうとしか思っていなかったが、この混乱に乗じれば逃げられるかもしれない。
(今しかない)
長身で手足が長く、スマートな体型のカーラは、決死の覚悟で扉をあけた。
その長い腕を伸ばし、扉をゆっくりと、音を立てないように開ける。
開いたわずかな隙間に、そのしなやかな体を滑り込ませようとした、その瞬間だった。
ドンッ。
緊張で強張った体が、わずかに扉の枠に当たり、鈍い音を立ててしまった。
「カーラ、何をしているの!」
おかみさんの金切り声が娼館から響き渡る。
カーラは弾かれたように走り出した。心臓が口から飛び出しそうだ。息が苦しい。
もう二度と捕まるのは御免だ。もし捕まったら、今度こそ自害しよう。
逃走中、路地裏の光景が目に入った。
娼館系列の自警団が、武器を手に一団となって大騒ぎで走っている。彼らはカーラになど目もくれず、**「野盗(反乱分子)を追い詰めろ!」**と叫びながら、路地の奥の闇へと吸い込まれていった。
(助かった……彼らは私を追っているんじゃない)
カーラが安堵し、その場を通り過ぎようとした、数瞬後。
ドスッ。
ギャァァァァァッ!!
路地の奥から、短い悲鳴と、肉が裂けるような音が響いた。
静寂。
そして、闇の中から何かが転がり出てきた。
それは、先ほど威勢よく路地に入っていった自警団の男だった。
男は血みどろになりながら、地面を這いずり、カーラの足元で倒れ込んだ。
「た、助けてくれ……」
その異様な光景は、彼らが誰かに一方的に『返り討ち』にあったことを示唆していた。あの暴力を振るうプロが、手も足も出ずに助けを求める。
カーラは、その理解を超えた恐怖に動揺しつつも、なおも逃走を続けた。
カーラは、路地を必死に曲がり、町の出口へと向かった。
心臓が、肋骨を内側から殴りつけるかのように激しく早鐘を打っている。
呼吸をするたびに、乾いた空気が喉を焼き、肺が悲鳴を上げた。
薄い腰衣一枚の体は夜風に晒され、恐怖と寒さでガタガタと震えている。
「はっ、はっ、はっ……!」
裸足の足裏は、石畳の冷たさと尖った小石で傷つき、とうに感覚がない。
それでも、止まることはできなかった。止まれば、またあの地獄に戻される。
当初は全速力で走っていた足取りが、やがて鉛のように重くなっていく。
一歩踏み出すたびに、視界がぐらりと揺れた。
路地の壁に手をつき、荒い息を吐きながら体を支える。壁の冷たさが、唯一の現実感だった。
「……うぅっ」
足が、もつれた。
ふらつきながら数歩進んだが、膝の力がカクンと抜ける。
地面が急に近づいてきた。
もう逃げられない。
心身の限界を超えたカーラは、遂にその場に膝を抱えてへたりこんでしまった。
「……無理だ。逃げるなんて、とうてい無理だったんだ……」
娼館の腰衣同然の無残な格好。屈辱と絶望が混ざった嗚咽が、夜の街に漏れた。
その時、座り込み泣いているカーラを、優しく心配そうに覗き込む人物がいた。
「大丈夫ですの?」
その声は、優しく、甘く、慈愛に満ちていた。カーラは、その姿を鮮烈に覚えている。彼女にとっては、神が天使を使わせたとしか思えなかった。
その人物は、ペコと名乗った。
カーラは、**張り詰めていた心の糸が切れ、嗚咽を上げながら、ペコの体にしがみついた。**屈辱の奴隷生活は限界だった。
ペコは、その巨体でカーラを優しく抱きしめ、頭を撫でて、慰めてくれた。
その後、ペコは国が用意した保護施設へカーラの手続きをしてくれた。施設にカーラを預けると、ペコは信じられないスピードで娼館があった方向へ走り去った。
後で知ったことだが、その夜、娼館だけでなく、娼館街すべてがペコによって一夜にして壊滅していたらしい。
【異質な面接と、カーラというデータ】
新生王国の行政機構は、大きな問題があった。
旧来の官僚や神官たちは、縁故採用や賄賂、家柄といった「利権」で腐敗しきっていたのだ。彼らをそのまま使えば、ペコの王国も早晩腐り落ちる。
かといって、真っ当な人材を一から探すには時間がなさすぎる。ペコは一気に「総とっかえ」を決断したた。
そこで優作は、前代未聞の「人材登用試験」を実施した。
集まったのは、奴隷階級から一般市民まで、新生王国の役人を志望する500人の群衆。
「面接官は、私の部下が行う」
優作の合図と共に、上座に座ったのは女王ペコではなく、**ピュティア(妖精のような姿)とコハル(幼女の姿)**だった。
面接の方法は異様だった。
10人単位で一列に並ばせ、ただピュティアたちの前を歩かせるだけ。質疑応答すらない。
だが、彼女たちは、相手の言葉を聞くまでもなく、その精神構造の奥底まで数秒で見て取る。
彼女たちの瞳には、人間の「能力適正」「性格」「忠誠心」「過去の罪」が全てデータとして映し出されているのだ。
「次、不採用(嘘つき)」
「次、採用。配属は財務(計算高い)」
「次、採用。配属は教育(忍耐強い)」
「次、不採用(私欲の塊)」
ピュティアとコハルは、500人規模の面接を、流れ作業のようにほんの数分で次々と終わらせていった。
採用はその場で即決。配属先も、本人の希望ではなく、AIが判断した「最も効率的な適正」によって強制的に割り振られる。
その異質な速度と、人外の存在が当たり前のように座り、人間を効率的に選別していく光景。
優作はそれを眺めながら、呆れたように呟いた。
「……人間社会の茶番(就活)を、根底から否定しやがったな」
【カーラの救済と抜擢】
その選別の列の中に、カーラの姿もあった。
彼女の順番が回ってきた時、ピュティアとコハルの目が、初めて少しだけ長く留まった。
「……へえ。傷だらけだけど、中身はピカピカだね」
「うん。論理的思考、事務処理能力、忍耐力、すべてSランク。……掘り出し物だわ」
こうして、カーラは奴隷の身分から解放され、ピュティアとコハルの選定によって、女王ペコの秘書に抜擢された。
現在、優作の横で書類を処理するカーラの姿は、かつての薄汚れた娼婦ではない。
長身で手足が長くスマートな体型を、タイトな事務服に包んでいる。顔立ちははっきりとした美しさがあり、まさに女性が同性として憧れるような、凛とした出で立ちだ。
頭頂部から伸びる角は、立派ながらも短く可愛らしい小ぶりで、優雅なカーブを描いている。
その表情は常に冷静沈着で、感情の波を一切見せない。彼女は、地獄から這い上がった「鋼の理性」を手に入れたのだ。
4.影の粛清と、王国の船出
【優作の裏の仕事:粛清と苦悩】
カーラが淡々と書類を整理している横で、優作は冷徹に呟く。
「よしよし。これで、しばらくは**『安定した観測』**が可能だろう」
その言葉とは裏腹に、優作の顔色は死人のように蒼白だった。
震える指先を隠すように、強く自身のコートの袖を握りしめる。何度洗っても、鼻の奥にこびりついた鉄錆のような血の臭いが取れない。
ペコの建国を盤石にするため、優作はコハルの「心の深層データ」という情報戦を使い、影で反乱分子の粛清を静かに遂行していた。
昨夜だけで、五人。
ペコの命を狙う暗殺教団の残党、私欲のために内乱を企てる元商人、民衆を扇動しようとした過激派の神官。
彼らの寝室に忍び込み、眠っている間に頸動脈を掻っ切った。あるいは、毒を盛った酒を勧めた。
「うっ……」
込み上げてくる酸っぱいものを、優作は必死に喉の奥で押し殺した。
人を殺す感触は、いつだって最悪だ。肉を裂く感触、断末魔の視線、掌から急速に失われていく体温。
吐き気がする。自分のやっていることは、かつて自分が最も軽蔑した「理不尽な暴力」そのものではないか。
だが、止めるわけにはいかなかった。
「聖獣ペコ・レオ・ガウガウ」は、光の王でなければならない。彼女の手を、血で汚させるわけにはいかないのだ。
王座という十字架を彼女に背負わせたのは、他でもない自分だ。ならば、その足元に転がる死体の山を片付ける「汚れ役(下請け)」は、俺がやるしかない。
他に誰もいない以上、それが優作自身の「責任」であり、卑怯者なりの「贖罪」だった。
【農奴の現実と王国の光景】
セントラルシティは、正式に「セントラル王国」と名付けられた。
奴隷に関わった者(神官、元商人)は、ペコの慈悲により死刑を免除されたが、首に外れない鉄製のわっかを付けられ、国管理の農奴アエナ**となった。
優作は、農奴にされた者たちの家族を広場に集めた。
彼らの瞳には、恐怖と、そして隠しきれない優作への憎悪が渦巻いている。
優作は、その憎悪を全身で浴びながら、冷徹な真実を言い渡した。
「お前らの下には、多くのア人種の死体の上に立っている。俺は、その死体の代弁者だ。地獄から来たカオスの子、優作だ」
「お前たちが抱く全ての憎悪の源は、わたしの渦の中にある。復讐したければすればいい。いつでも返り討ちにしてやる」
演説を終えると、優作は無表情のまま、演説の壇上からゆっくりと降りた。
その時だった。
「お父さんを返せぇぇぇッ!!」
農奴の家族の群衆の中から、一人の子供が飛び出してきた。
まだ十歳にも満たない少年だ。手には、盗んだのか、あるいは隠し持っていたのか、錆びたナイフが握られている。
グサッ。
鈍い音と共に、ナイフが優作の太腿に深々と突き刺さる。
「……ッ!」
優作は苦痛に顔を歪めた。
だが、次の瞬間、彼は血を流しながらも、躊躇なくその子供の顔面を拳で殴り飛ばした。
ゴッ。
小さな体が吹き飛び、地面に転がる。
子供が呻き声を上げる間もなく、優作は足を引きずって歩み寄り、その腹部に容赦ない蹴りを入れた。
ドガッ。
「がはっ……!」
子供が苦悶の息を漏らす。周囲からは、悲鳴に近い絶叫が上がった。
優作は、近くで泣き叫んでいた少年の姉と思われる少女を見つけると、乱暴にその顎を掴み、無理やり自分の方を向かせた。
少女は恐怖で引きつり、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。
優作は、足からどくどくと鮮血を流しながら、その少女の顔を覗き込み――口元を吊り上げて、嗤った。
「泣くな。いい顔だ」
激痛で脂汗を流しながら、優作は吐き捨てるように言った。
「お前なら、あと数年もすれば、娼館で高く売れるぞ。安心しろ」
「ひっ……!」
少女が絶望に目を見開く。
優作は、その反応に満足したように手を離すと、傷ついた足を引きずりながら、狂ったように高笑いを上げた。
「アーハッハッハッハ!! 素晴らしい! これぞ地獄だ!!」
優作は、誰の手も借りず、血の跡を引きずりながら、その場から去っていった。
後に残されたのは、ただ圧倒的な恐怖と、深淵のような絶望だけだった。
……そして、間をおいて。
静まり返った広場に、ペコが現れた。
彼女は、優作が去った方向を一瞬だけ悲痛な目で見つめた後、地面にうずくまる少年と、震える少女のもとへ駆け寄った。
豪奢なドレスが泥で汚れることも厭わず、ペコはその場に跪き、二人を強く、優しく抱きしめた。
「……っ、ごめんなさい……ごめんなさい……!」
ペコの大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出し、子供たちの肩を濡らす。
彼女の温かい体温と、柔らかな毛並みが、傷ついた子供たちを包み込む。
(わたくしが王になるために……優作に、こんな残酷な役を……)
ペコは知っていた。優作がわざと悪逆非道な振る舞いをし、全ての憎しみを一身に背負って去ったことを。
子供を殴った拳の痛みも、少女を罵倒した時の吐き気も、全て彼が一人で飲み込んだのだと。
「あんな……あんな酷いことをさせてしまって……本当に、ごめんなさい……ッ」
ペコは嗚咽を漏らしながら、子供たちの頭を撫で続けた。
それは子供たちへの謝罪であり、そして誰よりも、自分を守るために修羅となった優作への、痛切な懺悔だった。
しばらくして。
ペコは涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、まだ涙が滲んでいたが、そこには確固たる「王」としての光が宿っていた。
彼女は、広場に集まった農奴の家族たちに向き直り、静かに、だが力強く告げた。
「……顔を上げなさい」
ペコの声が、優しく響き渡る。
「君たちは、もう自由ですわ。希望者には土地を与えます。……さあ、行きなさい」
このペコの「慈悲」と優作の「冷酷な断絶」は、新生王国における愛と罰の二元論を象徴していた。
AIの都市計画
「ねえ、優作。この町は『退屈』だね」
白亜のテラスに腰掛けたピュティアが、眼下に広がる幾何学的な街並みを指差して言った。
彼女の言う通りだ。そこは、計算され尽くした区画に、真新しい高級住宅と、威圧的な行政庁舎が整然と並ぶ、人工の楽園だった。
塵一つ落ちていない舗装路を行き交うのは、高価な衣服を纏った役人や貴族たち。彼らの表情は一様に薄く、まるで精密機械の部品のようだ。
「……ここはセントラルシティの中枢、第一行政区だ。一般人が立ち入る場所じゃない」
「綺麗な箱庭だね。でも、機能不全だよ。ここには『生活』がない」
ピュティアの指摘は鋭い。
この街には、宿屋もなければ、武器屋も、大衆食堂すらない。
あるのは、静まり返った邸宅と、書類仕事をするための無機質な庁舎。そして、彼ら特権階級を慰めるための――豪奢な**「娼館」**だけだ。
衣食住の「食」と「住」は召使いに任せ、自分たちは「管理」と「快楽」だけを貪る。ここは、肥育された家畜の檻のような場所だった。
ピュティアは空中にホログラムのウィンドウを展開した。そこには、このエリアの中心に建つ、古びた「教会」が映し出されている。
「そこで、提案があるんだ。この教会を『リノベーション』しよう」
「リノベーション?」
「そう。この退屈な街に、風穴を開けるんだ。居住区の外にあぶれている労働者たちを金と食料で雇い入れ、ここに巨大な『拠点』を作る。彼らの泥と汗で、この無菌室を汚してあげるのさ。一種のショック療法だよ、優作」
もっともらしい理屈だ。だが、俺は彼女の目が、悪戯を思いついた子供のように輝いているのを見逃さなかった。
「……で、何を作る気だ?」
「**城**だよ」
ピュティアはニヤリと笑い、ホログラムを切り替えた。
そこに映し出された完成予想図を見て、俺は絶句した。
教会の尖塔が、へし折られている。
代わりにそこに乗っていたのは、黒漆塗りの壁に、金色の装飾が施された、巨大な多層建築――。
「……おい。これは、どう見ても」
「うん。**『アヅチ』だね。あるいは『ヒメジ』**の要素も入っているかな?」
それは、俺の記憶にある極東の島国、かつての日本の「城郭」だった。
地下世界の薄暗い岩盤の下に、信長が夢見た安土城が出現しようとしている。
「この西洋風の官庁街に、天守閣だと? 景観破壊もいいところだ」
「合理的だよ! この街には『芯』がない。娼館に溺れる連中を見下ろす、圧倒的な『武』の象徴が必要なんだ。そして何より、この『石垣』の勾配! この曲線美(扇の勾配)こそが、この地下世界に相応しいんだよ!」
ピュティアの趣味が、炸裂していた。
彼女はただ、こののっぺりとした高級住宅街に、自分の好きな「城」を建ててみたかっただけなのだ。
2.築城とニンプ
ピュティアの号令(と、俺が管理させられる金庫の金)によって、築城は始まった。
それは、この静寂な行政区にとって、悪夢のような侵略の始まりだった。
「さあ、石を運んで! 働いた分だけ、ご飯はあげるよ!」
光の羽をはためかせ、掌サイズの妖精に擬態したピュティアが、空から無邪気な号令をかける。
その姿は絵本から飛び出したように愛らしいが、やっていることは侵略の指揮だ。
彼女の声に誘導され、居住区の外ゲートから、薄汚れた男たちや、行き場のない亜人たちが雪崩れ込んできた。彼らは**「ニンプ(人夫)」**と呼ばれ、美しい石畳を泥だらけの足で踏みしめた。
「A班は、外周の掘割を担当! 教会の庭園を爆破して堀を作るよ!」
静かだった官庁街に、ドーン、ドーン、と発破の音が響き渡る。
手入れされた芝生がめくれ上がり、巨大な穴が穿たれていく。
近くの庁舎から役人たちが飛び出してきて、何かを叫んで抗議しているが、爆音とニンプたちの怒号にかき消されて誰にも届かない。
「おい、そこは資材置き場にする! 街路樹が邪魔だ、切り倒せ!」
俺の(ピュティアに言わされている)指示で、樹齢百年はありそうな美しい並木が、次々と切られていく。
倒れた巨木の上に、スラムから運ばれてきた薄汚れた木材や鉄骨が山積みされ、白亜の街並みは瞬く間に「工事現場」の喧騒に飲み込まれていった。
3.粛清の果てのスクラップ&ビルド
城作りが進むにつれ、ピュティアの「整理整頓」は、周囲の高級住宅街にも及んだ。
「さて、優作。次はあの区画だ。……あそこの屋敷、主がいないよね?」
ピュティアが指差したのは、城の建設現場の目の前にある、広大な敷地を持つ豪邸だ。
俺は端末のリストを確認する。そこには、赤字で『処理済み』のマークが打たれている。
「……ああ。この家の当主は、昨夜、俺が殺した」
淡々とした事実として、俺は告げた。
この国の新体制に反発し、裏でクーデターを画策していた「反乱分子」。
昨夜、寝室に忍び込み、眠っている彼の首筋に、毒針を突き立てた感触が、まだ指先に残っている。
「残された家族は?」
「財産没収の上、全員『国管理の奴隷』だ。今頃は、地下採掘場行きのトロッコに乗せられているはずだ」
「うん、適切な処理だね。反乱のリスク因子(家族)を隔離しつつ、労働リソースとして有効活用する。無駄がない」
ピュティアの軽い一言で、かつての名家の運命が完全に閉じた。
「じゃあ、この屋敷はもう『空き家』だ。リソースとして回収しよう。取り壊しー!」
ピュティアが号令をかけると、待機していたニンプたちが歓声を上げて雪崩れ込んだ。
かつては特権階級しかくぐれなかった大理石の門が、ハンマーで粉々に砕かれる。
主を失ったシャンデリアは叩き落とされ、高価な家具は窓から放り投げられた。
「もったいない……」
俺が呟くと、ピュティアは冷静に返した。
「家具は古道具屋に売って、建設費の足しにするよ。建物自体は耐震性に問題があるから、更地にして『長屋』を建てた方が、人口密度的に効率がいいんだ」
それは、あまりにも合理的な「都市更新」だった。
俺が殺し、ピュティアが奪う。
敗者の痕跡は、物理的に消去され、次の利用者のための「資源」としてリサイクルされる。
破壊された豪邸の跡地には、すぐに簡素な木造の長屋が建てられた。
そこには、城作りのために集まった職人や、彼らの家族が住み着いた。
かつて一人の貴族が優雅に暮らしていた土地に、今や百人の労働者がひしめき合って暮らしている。
庭園の噴水は共同の洗い場になり、高級な石畳は、煮炊きのかまど石に使われた。
「どうだい、優作。これが『代謝』だよ」
ピュティアが満足げに笑う。
「死んだ細胞(特権階級)を取り除いて、新しい細胞(労働者)を入れる。街が若返っていく音が聞こえるだろ?」
それは若返りというより、強制的な整形手術のようだったが、確かに街の熱量は爆発的に上がっていた。
生き残った特権階級たちも、隣の屋敷が取り壊されてスラム化していく光景に恐怖し、自ら屋敷の一部を「店舗」や「倉庫」として開放し始めた。そうしなければ、自分たちも「不要な細胞」として処理されると悟ったからだ。
白亜の高級住宅街は、こうして物理的に破壊され、猥雑でエネルギッシュな「城下町」へと上書きされていった。
4.城下町の完成
数ヶ月後。
ついに、教会の頂上に、異形の天守が完成した。
地下世界の「偽りの空」――岩盤に設置された発光素子の光を浴びて、黒塗りの天守閣が怪しく輝いている。
その下には、十字架を掲げた教会のファサードがそのまま残っている。
破壊された高級住宅街の瓦礫と、新しく生まれた市場の熱気の上に立つ、黒鉄の楔。
「……完成だね」
天守の最上階。かつては鐘楼だった場所で、ピュティアが満足げに風に吹かれていた(ホログラムだが)。
「どうだい優作。これがボクたちの『城』だ。ここからなら、この町の全てが見渡せるね」
俺は手すりに寄りかかり、眼下に広がる街を見下ろした。
整然としていた区画は見る影もない。
豪邸は取り壊され、あるいは増改築されて店舗になり、路地は複雑に入り組んで、人々が蟻のように行き交っている。
冷徹な行政都市は、死者の家のレンガを再利用して作られた、生者のための泥臭い「城下町」へと変貌していた。
「……ああ。まったく、とんでもない眺めだ」
風が吹き抜け、天守の軒先に吊るされた風鈴が、チリン、と高い音を立てた。
その音は、追放された旧支配者たちへの鎮魂歌のようでもあり、この混沌とした街の産声のようでもあった。
【優作の旅立ちとスズの逃避】
城の完成が近づいたある日、優作はスズに、旅立つことを告げた。
スズとペコは、城のバルコニーで最後の会話を交わしていた。
ペコは、スズに糸をひく濃厚なキスを仕掛け、「一年後、必ず迎えに行く」と約束させた。
スズは嫌がるように顔を背けようとするが、ペコは逃がさない。
ペコの両手が、スズの抵抗する両手首をガシッと掴んで強引に抑え込み、壁に押し付けて身動きを封じる。
「んんっ……!?」
ペコは強引に舌を絡ませ、スズの口内を蹂躙する。糸を引くほどの濃厚な口づけに、スズの口からは思わず甘い声が漏れ、腰が砕けそうになる。
周囲に兵士や優作がいるにも関わらず、ペコは人目など気にもせず、その場でスズを完全に制圧していた。
ようやく解放されると、スズは顔を赤らめたまま、足早に別れを告げた。
優作は、その場から立ち去るスズの横顔を見た。
スズの顔は、緊張なのか、恐怖なのか、あるいはトラウマなのか、びっしょりと脂汗をかいていた。
優作は、あんなに武人の誇りと自信に満ちたスズが、「何か大切なものを握られている」という極限の恐怖に慄おののく姿を、初めて見た。
予定より早く旅立ちを決めたのは、もちろん、スズの強い意向だった。
彼女は、この街から、そしてペコの重すぎる愛から、一刻も早く逃れたかったのだ。




