第7話 使者の来訪
朝の工房は、すでに熱気に満ちていた。ガンドが炉の火を起こし、金槌の音が規則正しく響いている。ジョルジュは作業台の前で、先日教わった魔石の分類作業を続けていた。
「この音は……」
ジョルジュが金属棒で魔石を叩くと、短く鋭い音が響いた。まるで金属を打ったような硬質な響きだ。
「座標型だな」
ジョルジュが呟くと、ガンドが満足げに頷いた。
「音の特徴で分かるようになったか。では、こっちは?」
別の石を叩くと、今度は鐘のように柔らかく広がる音がした。
「増幅型……でしょうか」
「そうだ。音が広がるように、マナも増幅される。そして最後が──」
ガンドは、さらに別の石を取り出した。
「発振型。これは希少だが、一度の詠唱で独立して動作し続ける」
叩くと、余韻の長い美しい音が響いた。
「すごい……楽器みたいですね」
「だろう? しかも一つの石でも部位によって型が変わることがある。だから、一つ一つ色んな部位の音を確認するんだ」
リズが茶を淹れながら、興味深そうに作業を見ていた。
「面白いものね。エルフは直感で魔石の性質を感じ取れるけど、こんなに体系的に分析したことはなかったわ」
「この間のカップの話は、魔石でいうと〝座標型〟なんだ。魔石にもいろいろあって、だからややこしい」
ガンドが苦笑いを浮かべた。
そのとき、工房の扉が軽くノックされた。
「ガンド・バルレ殿はいらっしゃいますか?」
聞き覚えのある声に、ジョルジュは手を止めた。振り返ると──
「イリヤさん!」
茶色の髪に誠実そうな顔立ち。王都で出会った、あの青年が立っていた。
「おや……ジョルジュさんじゃないですか! まさか、こんなところでお会いするとは」
イリヤは嬉しそうに笑った。
「まさか、イリヤさんもガンドさんのもとに?」
ジョルジュはイリヤの元に駆け寄った。
「ええ。実は、魔石技術について学ばせていただきたくて」
二人は嬉しそうに握手を交わした。
ガンドは眉をひそめた。
「また面倒な奴が……」
「でも、この人は信頼できます」
ジョルジュが仲裁に入る。
「王都で出会ったんですが、同じような志を持った人なんです」
「何のために学びたいの?」
リズが興味深そうにイリヤを見つめた。
「地方での魔法普及です。特に、医術の分野での応用を考えています」
イリヤは真剣な表情で答えた。
「私の故郷は山間部で、治癒魔法を使える者がほとんどいません。ちょっとした怪我でも、治療が遅れて命を落とす人が大勢います」
「ほう……」
ガンドの瞳の色が深くなった。
「具体的には?」
「治癒魔法の巻物は高価で、しかも使用期限が短い。もっと安価で、長期保存できる治療用魔導具があれば……そのために、まず魔石の基礎技術を学ばせていただきたいんです」
「なるほど。それで儂のところに?」
「はい。ただ、故郷で待っている患者もいるので、数日で、まずは基本だけでも教えていただければと」
ガンドはしばらく考え込んでから、ゆっくりと頷いた。
「まあ、悪い話じゃない。集中講義なら、基本は教えてやれる」
──こうして、イリヤも数日間、ガンドから魔石技術の講義を受けることになった。ジョルジュと一緒に、音による魔石の判別法や、基本的な加工技術を学んでいく。
イリヤは医術の知識に長けており、治癒魔法の理論に詳しかった。
「治癒魔法の問題は、対象者のマナとの相性なんです」
イリヤが説明する。
「魔導士によって、治癒の効果にばらつきがある。これは、患者の持つマナとの適合性によるものです」
「つまり、万人に効く治癒魔導具を作るには……」
ジョルジュが考え込む。
「様々なマナの種類に対応できる、柔軟な構造が必要ということですね」
「その通りです」
数日間の集中講義は、あっという間に過ぎた。イリヤは基本技術を学び、故郷へ持ち帰るための、ごく簡易な魔石判別道具も作り上げた。
「本当にありがとうございました」
イリヤは深々と頭を下げた。
「これで故郷の人たちを少しでも助けられます」
「頑張れよ、小僧」
ガンドも満足そうに頷いた。
──昼食の準備をしながら、イリヤが何気なく口を開いた。
「それにしても、最近は各地で色々動きがあるようですね」
「動きって?」
ジョルジュが聞き返す。
「政治的な動きですよ。王都でも話題になってましたが、ジョルジュさんはあまり気にされませんでしたか?」
「ああ、確か……王様の後継問題でしたっけ」
「そうです。南の大公様を推す声と、それに反対する声で、かなり緊迫しているようです」
リズが興味深そうに耳を傾ける。
「エルフは人間の政治にはあまり関わらないけど、気になる話ね」
「特に東部の貴族たちは結束を強めているんです」
イリヤが続けた。
「なんでも、伯爵様を中心にまとまりつつあるとか」
「東部の結束……」
ジョルジュは首をかしげた。
「逆に、東部で今一番勢いがあるのは、ここ──男爵領だそうですね」
「そうなんですか?」
「ええ。交易で大成功していますから」
「確かに、最近は商人の往来が多いですね」
「男爵様も、東部では重要な立場におられるんでしょうね」
ガンドが作業の手を止めた。
「政治の話は面倒だが……技術者としては、平和で安定した世の中の方がありがたいな」
「そうですね。研究に集中できますから」
ジョルジュも同感だった。
食後に一息ついていると、工房に一人の男が勢いよく駆け込んできた。城下町でよく見る紋章──男爵家の紋章が刺繍された制服を着た、使いの者だった。息を切らし、何かに急き立てられるような様子だった。
「ジョルジュ・エルノア殿はいらっしゃいますか?」
「私ですが……どうしてここを?」
「オルヴェル師に、こちらのことをお聞きしまして」
使者は、息を整えながら答えた。
「男爵様がお呼びです。至急、お城までお越しください」
ジョルジュは驚いた。男爵から呼び出されるなど、想像もしていなかった。
「……分かりました。すぐに参ります」
「では、お待ちしております」
使者は、外に繋いでいた馬に跨ると、慌ただしく帰っていった。
「妙に急いでたわね」
リズが眉をひそめた。
「何の用件でしょうね?」
イリヤが首をかしげる。
「さっぱり分かりません。まさか、ギルドから何か言われたのかな……」
「でも、悪い話なら使者がもっと深刻な顔をしていたでしょう? 捕らえるなら、兵士が来るだろうし」
リズが慰めるように言った。
「きっと、何かいい話よ。でも……」
リズの表情に一瞬、曇りが差した。
「でも?」
「技術者が領主に呼ばれるとき……たいてい〝利用価値〟があるときよ」
「利用価値って……」
ジョルジュは困惑した。
「あんたの〝誰でも魔法を使える〟研究。領主からすれば、とても興味深い技術でしょうね」
「それは……人々の役に立つからでしょう?」
「そうかもしれないし……別の理由かもしれない」
リズの言葉に、ジョルジュの胸に小さな不安が芽生えた。
「私もちょうど出発するところでした」
イリヤが立ち上がった。
「途中まで一緒に行きましょうか」
二人は工房を後にし、城下町への道を歩いた。
「それにしても、男爵様からの呼び出しとは」
イリヤが話しかける。
「もしかすると、ジョルジュさんの研究のことをお聞きになったのかもしれませんね」
「研究といっても、まだ基礎の段階ですし……」
「でも、〝誰でも魔法を使える〟という発想は革新的です。領主としても興味を持たれるでしょう」
「そういえば、男爵様ってどんな方なんですか?」
イリヤが尋ねた。
「お会いしたことはありませんが、評判は良いですよ」
ジョルジュが答える。
「街の人たちからも慕われているし、商人たちとも親しくされているとか」
「それは良い領主の証ですね」
やがて道が分かれる地点に着いた。イリヤは南へ、ジョルジュはこのまま西へ向かう。
「お互い、頑張りましょう」
イリヤは手を差し出した。
「いつかまた、お会いできることを」
「はい。ありがとうございました」
一人になった道すがら、ジョルジュは胸の奥に軽い期待と、そして小さな不安を感じていた。
(もしかすると、研究に理解を示してくださるかも)
男爵の評判を考えれば、きっと建設的な話になるだろう。
しかし、リズの言葉が頭から離れなかった。
「技術者が領主に呼ばれるとき……たいてい〝利用価値〟があるときよ」
半日歩き、城下町の門が見える頃には、日も傾きだしていた。
期待と不安が入り混じり、胸の鼓動はいつもより早くなっていた。