第6話 水とコーヒー
腕利きのドワーフの職人と言われるガンド。彼はジョルジュに冷たい視線を向けた。
「人間の小僧か。儂には用はないぞ。帰れ」
「ちょっと待ってよ。話だけでも聞いて」
リズが仲裁に入る。
「面白い話よ」
「お前の〝面白い〟は大抵ろくでもない」
ガンドは渋い顔をしたが、やがてため息をついた。
「まあ、入れ。立ち話も何だ」
工房の中は、ジョルジュの想像を遥かに超えていた。壁には見たことのない精密な工具が並び、作業台には複雑な機械装置が置かれている。特に目を引いたのは、中央に設置された大きな装置だった。
「これは……」
「魔石の性質を調べる装置だ」
ガンドは誇らしげに胸を張った。
「200年やってるからな。王都の連中とは年季が違う」
「200年……」
ジョルジュは驚いた。ドワーフの寿命は長いと聞いていたが、それほどとは。
「で、何の用だ?」
ガンドは作業を続けながら尋ねた。
「実は、魔法適性のない人でも使える魔導具を作りたいんです」
「はあ?」
ガンドの手が止まった。
「魔法適性のない奴が魔法を使う? 馬鹿な話だ」
「でも、何か方法があるはずです」
ジョルジュは自分の構想を説明し始めた。誰でも魔法を使える世界への理想、そのための技術的なアプローチ。
ガンドは最初、呆れたような顔をしていたが、ジョルジュが技術的な質問に答えるにつれ、表情が変わってきた。
「魔石の力を増幅するって言ったな?」
「はい。魔石にはそれぞれ固有の性質があるはずです」
「ほう……少しは分かってるじゃないか」
ガンドは作業台の奥から、金属棒を取り出した。よく見ると、細かな紋様や何かの文字が彫られている。
「魔石について、まず基本から教えてやろう。こいつで魔石を叩いてみろ」
ジョルジュが言われた通りにすると、濁った、少しざらついた音が響いた。
「聞こえるだろう? この響きが」
「はい。少し濁ったような感じですね」
ガンドは別の魔石を取り出し、同じように叩いた。今度は澄んだ美しい音が響く。
「こっちは音が綺麗だろう? でも、こういうのは魔法には使いにくいんだ」
「えっ、どうしてですか?」
「整いすぎていると、逆にマナの流れが悪くなっちまうんだ。まるでそこに縛られているみたいにな」
ガンドは最初の魔石を再び叩いた。濁った音が響く。
「乱れているとマナが動きやすい。つまり魔法に変換されやすいんじゃないかと思っておる」
「マナが動きやすい……」
「そうだ。魔石ってのはな、ただの石じゃない。マナの〝構成〟が違うんだ」
ガンドは濁った音の魔石を光にかざした。
「マナの構成が乱れているほど、魔法の効果が強くなる。200年かけて、ようやくわかるようになった」
「でも、それと魔法適性の関係は?」
「魔導士は生まれつき、纏うマナの構成が綺麗なんだ。普通の人間はマナがごちゃごちゃに散らかってる。だから魔法が使えないんだよ。もちろん、訓練で多少は変わるようだが」
ジョルジュは思わず息をのんだ。聞いたこともない考え方だった。
「魔石は、マナの構成が乱れている方がよくて、人間は綺麗な方が、魔法を使える……?」
(どういうことだ……? それなら、全部整っていた方が良いんじゃないのか?)
混乱が頭を渦巻き、答えは出てこない。
「ピンとこないみたいだな。ちょっと待ってろ」
ガンドは奥の部屋に向かうと、カップをいくつか載せた板を持ってきた。カップは全部で3つで、中身は、コーヒーが2つと水が1つ、カップの半分ほど注がれている。
「いいか、見てろ。コーヒーの方が乱れたマナ、水の方が整ったマナだとする」
ガンドは水が入ったカップに、コーヒーを少しだけ注いだ。水は薄いコーヒー色になった。
「これが、儂が考える、魔法が発生する仕組みだ」
ガンドは、薄いコーヒー色になった水が入ったカップを持ち、ジョルジュに渡した。
「この水を元に戻せるか?」
「えぇ……そんなの無理ですよ」
「だろ? 無理なんだよ。より乱れている方から、乱れていない方へ伝わるが、逆は起こらない。一方向なんだよ」
「水桶に、そいつを入れたところで、それはさらに薄くなったコーヒーでしかない。もう水には戻せない」
ガンドは、ジョルジュからカップを受け取ると、作業台に置いた。
「魔法ってのは、空間や魔石に存在するマナを顕現させる行為だ。詠唱した者のマナを使うんじゃない」
「でも、魔法を使いすぎると、〝マナ切れ〟になりますよ」
「そりゃ、考え方の問題だな。マナ切れになったわけじゃなく、空間や魔石から伝わった、より乱れたマナのせいで、魔導士の持つマナの乱れ方が一時的に高まってしまっただけだ」
「一時的に……?」
ジョルジュが首をかしげる。
「そうだ。だからしばらく休むと、そいつ本来の乱れ方に戻る。つまり〝回復する〟ってわけだ」
ガンドは金槌を弄りながら続けた。
「なぜ戻るのかって言われると、そこまでは分からんが。──もしかすると、生き物って髪が伸びたり爪が伸びたりするだろ? そういうことと何か関係があるんじゃないかと思ってる」
ガンドは、コーヒーの入ったカップを手に取った。それをもうひとつの、コーヒーの入ったカップに注ぐ。
「どうだ?」
「どうだ、って……何も変わらないですよ」
「そうだ。何も変わらない。つまり、マナの乱れ方も変わらない」
ジョルジュの頭の中に、電流のような感覚が走った。
(……そうか。伝わるのは〝量〟じゃない。〝乱れ方の差〟なんだ!)
だから水とコーヒーなら変化が起きるのに、コーヒー同士では何も起こらない──。
「分かったようだな」
ガンドはニヤリと口角を上げた。
「マナの乱れ方の〝差〟が重要なんだよ。差があると〝伝わる〟。しかも、その方向は一方向だ。こう考えると、いろいろ合点がいくんだな」
リズが興味深そうに口を挟んだ。
「面白い理論ね。エルフは生まれつきマナ構成が凄く安定してる。そのカップの話だと、まったく濁りのない水。だから詠唱だけで複雑な魔法が使えるってこと?」
「まあ、そうなるな」
ガンドはうなずいた。
「でも、人工的にそれを真似るのは危険なんじゃない?」
リズの表情が曇った。
「マナ構成を無理に変えると、後で反動があるかもしれない。使いすぎれば、かえって混乱が増すかも」
「そうだな。実際、魔石も使いすぎると壊れるだろ? これは、その魔石の本来あるべきマナの構成と、魔法によって変化した構成の差が大きくなりすぎるからだと思う。壊れるだけならまだいいが、予期せぬ事態も考えられる」
「──だからこそ、安全弁が必要なんだ」
ガンドは図面を広げた。
「普通の人でも魔法が使える道具……作れるさ。ただし、相当な時間と工夫が必要だがな」
「本当ですか!?」
ジョルジュの目が輝いた。
「理屈はよくわからんが、200年の感覚は間違いない。ドワーフの加工技術なら、絶対に作れる」
ガンドの目が輝いていた。
「こんな面白い仕事は、この200年で初めてだ。王都の連中は型通りのことしかやらんからな」
「では……」
「やってみよう。なぜそうなるかは、200年経っても正直わからん。ただ、こうすれば上手くいくってことは、わかる」
ガンドは立ち上がった。
「理屈は、もっと頭の良い奴に任せるよ」
ジョルジュの胸に熱いものが込み上げてきた。ついに、理想への道筋が見えてきたのだ。
夕日が工房の窓を染める頃、三人は今後の計画について大まかな話し合いを終えた。明日から本格的な研究が始まる。
「第一段階だけでも、相当な時間がかかりそうですね」
「急いては事を仕損じる。じっくりやろう」
ガンドは頼もしく笑った。
しばらくの間、ジョルジュはガンドの工房に通い、基礎理論を学ぶことになった。リズも、指摘やアドバイスをくれるだろう。
技術者として着実に成長していく道筋が、ようやく見えてきた。