第3話 同士の出会い
酒場は石造りの建物で、温かみのある薄明かりに満ちていた。カウンターの向こうでは店主が樽からエールを注いでおり、木のテーブルには商人や職人、そして魔導士らしき人々が、思い思いに腰を落ち着けている。
「ここ、落ち着くでしょ?」
リズは慣れた様子で奥のテーブルに案内すると、軽やかに腰を下ろした。
「よく来るの?」
「たまにね。王都にいるときは、ここで情報収集することが多いの」
店主がエールを運んでくる。ジョルジュは口をつけた。普段飲んでいるものよりも、すっきりとした味わいで、こんなところにも王都と地方の差があるのかと感心した。
「それで──さっきの会合、どうだった?」
「どうって……散々だったよ」
ジョルジュは苦笑いを浮かべた。
「師匠に『発言するな』って言われてたのに、つい熱くなってしまって」
「でも、言いたいことは分かるわよ。魔法をもっと広めたいってことでしょ?」
「そう。誰でも魔法を使えるようになれば、みんなの暮らしがもっと便利で豊かになると思うんだ」
リズはエールを一口飲んで、ジョルジュを見つめた。
「理想的ね。でも、現実はそう簡単じゃないのよ」
「それは……分かってる。でも、何か方法があるはず」
「例えば?」
ジョルジュは少し考えてから口を開いた。
「魔法適性の低い人でも使えるような、特別な魔導具を作るとか……」
「面白いじゃない。具体的には?」
「まだ漠然としたアイデアだけど、魔石を核にした──」
そのとき、後ろのテーブルから声がかかった。
「あの、すみません」
振り返ると、ジョルジュより少し年上に見える青年が立っていた。茶色の髪に誠実そうな顔立ちで、魔導士の証である銀の徽章を胸につけている。
「もしかして、さっきの会合で発言された方ですか?」
「あ、はい……」
ジョルジュは恥ずかしそうにうなずいた。
「君の発言、良かったですよ。俺も同じこと思ってました」
「えっ、本当ですか?」
「ええ。あの老人たちばかりじゃ、魔法の未来は暗いですよね」
青年は隣のテーブルに移ってきた。
「俺はイリヤ。西部の山岳地帯から来ました。君は?」
「ジョルジュです。東部の男爵領から」
「やっぱり地方出身の方でしたか。俺たちみたいな地方の魔導士には、あの会合の内容は理解しがたいものがありますよね」
イリヤは苦笑いを浮かべた。
「地方への配分を削るって、冗談じゃないですよ。うちの村なんて、治癒魔法の巻物一つ手に入れるのに苦労してるのに」
「そうなんですよ!」
ジョルジュは身を乗り出した。
「王都では当たり前の魔導具が、地方では全然手に入らない。これっておかしいですよね」
「全くです。制度自体に問題があると思うんですよ」
イリヤは真剣な表情になった。
「でも、君みたいに堂々と発言できる勇気は俺にはなかった。尊敬しますよ」
「いえ、そんな……」
「本当ですよ。ああいう場で若い世代の声を上げることは大切です」
リズは二人の会話を興味深そうに聞いていたが、口を挟んだ。
「あら、仲間がいるじゃない」
「あ、紹介します。こちらはリズさんです」
「初めまして。イリヤです」
イリヤは丁寧に頭を下げた。
「案外、あんたたちみたいに考えてる魔導士は多いのかもね」
リズの言葉に、イリヤは頷いた。
「そうだと思います。特に地方出身者は、みんな同じような問題を抱えてますから」
「だったら、もっと声を上げていけばいいのに」
「それが難しいんですよ。あの会合を見れば分かりますが、発言権のある議員はほとんど王都の古参ばかりで」
イリヤはエールを一口飲んだ。
「でも、いつかは変わっていくでしょう。君のような人が声を上げ続ければ」
「ありがとうございます」
ジョルジュは照れくさそうに笑った。
「そろそろ宿に戻りますが──地方出身者同士、お互い頑張りましょうね」
イリヤは立ち上がり、ジョルジュと握手を交わした。
「はい。また会えるといいですね」
「きっと会えますよ。魔法の世界は案外狭いですから」
イリヤが去ると、テーブルは再び静かになった。
「良い出会いだったじゃない」
リズは微笑んでいた。
「ああ。自分だけじゃないって分かって、少し安心したよ」
「でも、あの子の言う通り、声を上げるだけじゃ限界があるわよね」
「そうだな……」
ジョルジュは考え込んだ。
「やっぱり、技術的な解決方法を見つけるしかないのかも」
「さっき言いかけてた、魔石を使った魔導具って?」
「まだアイデアの段階だけど……魔石の力を増幅して、魔法適性の低い人でも使えるような装置を作れないかって」
リズの目が輝いた。
「それ、すごく面白そうね。でも、技術的に可能なの?」
「今はなんとも。でも、やってみる価値はあると思うんだ」
「どこで研究するつもり?」
「実は……王都にガンド・バルレっていうドワーフの職人がいるって聞いたんだ。腕利きで、特殊な魔導具も作れるとか」
リズの表情が変わった。
「ガンド? あのガンドを知ってるの?」
「リズこそ……知ってるの?」
「ええ、古い知り合いよ。確かに腕は一流ね。でも……」
リズは少し困ったような顔をした。
「でも?」
「あの人、すごく偏屈なのよ。気に入らない相手とは口もきかないし」
「そんな……」
ジョルジュの顔が曇った。
「でも、技術に対する情熱があれば、案外話を聞いてくれるかもしれないわ」
「本当?」
「ええ。それに……」
リズはエールを飲み干した。
「私も久しぶりにあの偏屈爺さんに会ってみたくなったわ。一緒に行ってあげる」
「えっ、いいの?」
「どうせ暇だしね。それに、あんたの研究、面白そうだから」
ジョルジュは嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
「ただし、ガンドの工房は王都じゃないのよ。ずいぶん前に引っ越して、今はあんたの地元の方に住んでるの」
「えっ? 男爵領?」
「ええ。だから、いったん帰ることになるわね」
酒場の外では、王都の夜が更けていく。街の灯りが宝石のように輝く中、ジョルジュの心には新たな希望が芽生えていた。
「でも、なんで俺の研究に興味を?」
「さっきも言ったでしょ。あんたに興味があるのよ」
リズはいたずらっぽく笑った。
「エルフって、面白いものを見つけると放っておけない性分なの。特に私は、故郷のみんなとはちょっと違ってね」
「どう違うの?」
「普通のエルフは『見届ける者』として、人間社会にはあまり干渉しないの。でも私は……」
リズは肩をすくめた。
「人間って面白いのよね。いつも何か新しいことを考えてるし、理想を追い求めてる。見てるだけじゃもったいないと思っちゃうんだ」
「だから魔導士ギルドにも?」
「そういうこと。まあ、何かと便利だしね」
二人は酒場を出て、王都の夜の街を歩いた。夜風が、エールで火照った頬を優しく撫でる。石畳には足音が響き、街灯の明かりが二人の影を長く伸ばしていた。
「明日は何をする予定?」
「師匠から頼まれた買い物がまだ残ってるんだ。それが終わったら帰る予定で」
「じゃあ、買い物に付き合ってあげる」
「いいの? ありがとう!」
宿の前で別れ際、リズは振り返った。
「ジョルジュ、あんたの〝誰でも魔法を〟っていう夢……きっと実現できるわよ」
「ほんとに?」
「ええ。ただし、簡単な道のりじゃないけどね」
「あ、そうだ。やっぱり明日、いい所を案内してあげる」
「えっ、どこ?」
「内緒」
いたずらっぽく微笑んで、リズは夜の闇に消えていった。
ジョルジュは宿の窓から王都の夜景を眺めながら考えた。今日一日で、自分の世界は大きく広がった。イリヤのような同志もいれば、リズのような理解者もいる。そして、ガンドという職人に会える可能性も生まれた。
(きっと何かできる。誰でも魔法を使える世界を……)
会合でのことなどすっかり吹き飛び、ジョルジュの心は晴れやかだった。