第1話 遠い輝き
馬車を乗り継ぎ、七日目の朝。ジョルジュは王都の門をくぐった。気持ちがはやって予定より早く出てしまい、会合までまだ数日あった。
背中にずしりと食い込む背負い袋の重さが、長旅の疲れを思い出させた。石造りの高い城壁は見上げるほどに高く、門の向こうには大通りがまっすぐ伸びている。雑踏は男爵領とは比べものにならないほどで、まっすぐ歩くだけでもひと苦労だった。
行き交う人々の服装は、色鮮やかで洗練されていた。帽子に羽根を飾る者、宝石を指に輝かせる者もいる。化粧や香水の匂いが鼻をくすぐり、遠くからは楽器の音と呼び込みの声が入り混じって響いていた。
視線の向こうには王城の白い塔がそびえ、雲間から差し込む光を受けて輝いている。
(大きい……本当に大きい街だ。凄いな)
男爵領城下は王国東部における交通の要所であり、今では隣の伯爵領よりも賑わっている。師匠も「うちの街も立派になったものだ」と自慢していたが──
(……これが王都か。桁が違う)
ジョルジュは、ようやく市場にたどり着いた。
師匠に頼まれた品のリストを確かめる。巻物数本、魔石の研磨剤、魔導導線、細工用の特殊な油──田舎では、なかなか手に入らない品ばかりだ。
王都の広い市場を歩き回る。魔導具の専門店がずらりと並び、看板には見慣れない魔法陣の図柄や、聞いたことのない魔石の名前が躍っている。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
「あの、これを……」
リストを見せると、店主は慣れた様子で品物を集めてくれた。
「ほう、なかなか良い品をお求めで。この魔導導線なんて、地方じゃまず手に入りませんからね」
「え、そうなんですか?」
「ええ。王都でないと、なかなかね」
手に取った導線は、見た目は細い銅線のようだが、触れると微かに暖かい。魔力の通りを良くする特殊な合金で、師匠の工房でも使ってはいる。だが「田舎じゃ高くて、なかなか買い替えられない」代物だった。
「これ、どうやって作るんですか?」
「そりゃ、工房の秘伝ですが……なんでも、魔石の粉末を特殊な方法で練り込んでいるとか」
商人と値を交わしながら、ジョルジュは驚いていた。どの品も、聞いていた値段の半額以下だった。
(師匠がわざわざ王都まで買い出しを頼んだ理由がわかった)
心の中で、オルヴェルに頭を下げた。
隣の店では、見たこともない精巧な魔導具が並んでいた。暗くなると自動で灯るランプや、触れるだけで発熱する金属板、そしてすぐに湯が沸くポット──どれも地方では夢物語のような品々だった。
「すごいですね、これ」
「ああ、それは貴族御用達の品でして。一般には出回らないんですが、見本として置いてるんです」
「貴族の方々は、こんなものを普通に使ってるんですか?」
「ええ。みなさん、お使いになってますよ」
背負い袋はあっという間に満杯になった。重さで肩が食い込むが、予算が余ったおかげで、リストにない興味深い材料まで手に入れることができた。
(師匠、喜ぶだろうな。それに……)
あの魔導導線を使えば、もっと効率的な魔導具が作れるかもしれない。王都の技術を故郷に持ち帰ることで、何か新しいことができそうな予感があった。
日が暮れるころ、安宿に腰を落ち着けた。粗末だが清潔な部屋で、木の梁が低く、窓の外には王都の夕暮れが広がっていた。
一階の食堂で夕食を取っていると、隣のテーブルから話し声が聞こえてきた。
「王様も、もうお歳だからなあ……」
商人風の男と客らしき男が、ぼそぼそと話している。
「後継ぎがいらっしゃらないのが、一番の問題でしょう」
「南の大公様がいらっしゃるじゃないか」
「あの方は血筋が遠すぎますよ。第一、王都にいることも少ないですし」
「それでも、他に誰が……」
二人は声を潜めたが、ジョルジュの耳には断片的に言葉が届いた。
「貴族たちも、それぞれ思惑が……」
「東部の連中は大公派らしいが、中央は反対が多い」
「こんなことでは、いずれ……」
話はそこで途切れ、二人は席を立った。
(王様に後継ぎがいない?)
ジョルジュは政治にあまり関心がなかったが、さすがにこれは重大な話だった。王に世継ぎがいないとなれば、王国の将来はどうなるのだろう。
翌朝は、ダリオに頼まれたアクセサリーを買いに行った。行きつけの酒場の看板娘、ソフィに贈るらしい。「ジョルジュ、頼むよお」とニヤけ顔で頼んできた悪友を思い出し、腹が立ったが、必死の頼みなので仕方なかった。
場違いな店で居心地の悪さを感じながら、目当てのものを包んでもらっていた。その時、カウンターの奥から話し声が聞こえた。
「最近、規制ばかり厳しくなって、やりにくくてしょうがない」
交易商人らしい男が、同業者にぼやいている。
「魔導具の流通なんて、認可が下りるまで半年以上かかる。そもそも許可されないことも度々あるし」
「昔はもっと自由だったのにな」
「王都は良いかもしれないが、地方はたまったもんじゃないよ」
「そうそう。地方の方が活気があるのに、制度が追いついてない」
「まったく、時代は変わったってのに、やり方は昔のままだ」
「今後の取り扱いは、宝飾品一本かな」
男たちの不満は尽きることがなかった。
(制度が古いのか……)
ジョルジュも昨日、実際に体験したことだった。
地方では規制や流通の問題で、王都では当たり前の技術や材料も簡単には手に入らない。それは確かにおかしな話だった。
午後は、ギルド管轄の図書館を訪れた。石造りの堂々たる建物は、図書館であるにもかかわらず、地方のギルド分館よりも立派な造りだった。
蔵書も、見たことのない魔法陣理論や術式ばかりで、ジョルジュは食い入るように読み漁った。気がつくと、窓の外は茜色に染まりだしていた。
宿のベッドに横たわり、今日一日を振り返る。
(王都なら良い材料が安く手に入る。それに情報も。これだけ環境が違うのか……)
それは単純な地域格差ではなく、制度そのものに問題があるのかもしれない。政治情勢も不安定で、人々は将来に不安を抱いている。
(でも、それと俺の魔法には関係ない……よな?)
誰でも魔法を使える世界。それが夢だった。だが、技術や情報の格差がこれほど大きく、しかも制度的な問題だとすれば、個人の努力だけでは限界があるのかもしれない。
(何か、もっと根本的な解決方法があるはずだ)
窓の外では、王都の灯りが宝石のように煌めいている。あの光の一つ一つが、誰かの暮らしを照らしているのだろう。しかしその光は、平等に届いているわけではない。
(みんなが魔法を使えたら、もっと便利で豊かになるのに……)
明日はいよいよギルド会合だ。そこで何か、答えが見つかるかもしれない──
とりとめもなく考えているうちに体が沈み込み、そのまま眠りに落ちた。