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第15話 野望の版図

 宝珠技術を伯爵に明かしてから一週間が過ぎた。ザルエスは再び伯爵邸の書斎にいた。


「度々呼び出して申し訳ないね」


 伯爵は立ち上がってザルエスを迎えた。先日とは違い、伯爵の表情には確固たる決意が感じられた。机上には王国全土の地図と、いくつかの書類が広げられている。


「恐縮でございます」


 ザルエスは深々と頭を下げたが、内心では緊張していた。一週間で何を考えていたのか──


「あれから色々考えた結果、実に興味深い展望が見えたよ」


 伯爵が重い口調で切り出した。


「まあ、座ってくれ。重要な話をしなければならない」


 二人は向かい合って座った。暖炉の火が静かに揺れ、部屋に温かな光を投げかけている。


「あの技術の真の価値を、改めて検討した」


 伯爵は地図を指しながら口を開いた。


「王国各地の情勢分析の結果だ。中央や西部の混乱は収束の兆しが見えない」


 確かに、連日届く報告書は治安悪化を告げるものばかりだった。


「興味深いことに、『宝珠技術』の噂だけで、これほどの社会変動が起きている」


 伯爵の目が鋭く光った。


「そうなると、実物を持つ我々の優位性は、想像以上に圧倒的だ」


「そう……でございますね」


 ザルエスは頷いた。確かに東部だけが異常なほど平穏を保っている。


「既存の魔導士制度では、この技術に対抗することは不可能だろう。彼らは適性のある少数の者に依存しきっている」


 伯爵は書類の一つを取り上げた。


「一方、宝珠技術があれば、人口の大部分を戦力化できる。軍事バランスは完全に変わる」


 その分析の鋭さに、ザルエスは感嘆した。さすがは名門の当主、一週間ほどで、この技術の本質を完璧に理解している。


「それで……閣下はどのような展望を?」


「結論から話そう」


 伯爵は地図の上に手を置いた。


「独立だよ、ザルエス殿」


「独立……ですか!?」


 ザルエスは驚きを隠せなかった。


「そうだ。我々には商人ギルド連合があり、今後、豊富な交易収入が見込まれる。そして宝珠技術による圧倒的な軍事力も手に入れた」


「しかし、王家に対する反逆ということに……」


「反逆ではない」


 伯爵は首を振った。


「緊急事態における新政府樹立だ」


「新政府……」


「王国は既に統制力を失っている。各地で暴動が続き、中央政府は対応できずにいる」


 確かにその通りだった。


「そこで我々が『秩序回復』のために立ち上がる。混乱を収拾し、新しい統治体制を確立するのだ」


 伯爵の説明は論理的で説得力があった。


「段階的な実行計画も考えてある」


 伯爵は別の書類の束を開いた。


「まず、宰相閣下との打ち合わせ。閣下へは、既に打診済みだ」


「宰相閣下と……ですか?」


「閣下は現実主義者だ。王国の限界を理解しておられる」


「そうなのですか……」


「次に、『混乱収拾』名目での軍事介入。宝珠部隊による圧倒的な戦果で、各地の暴動を鎮圧する」


 伯爵の計画は具体的で、実現可能性が高そうだった。


「最終的に『緊急事態における新政府樹立』を宣言。混乱した王国に代わる、新しい秩序を提示するのだ」


「なるほど……」


 ザルエスは感嘆していた。一週間でこれほど詳細な計画を立てるとは。


「それで……私の役割は?」


「卿は、新しい国の指導者として、国を率いてもらいたい」


 伯爵の言葉に、ザルエスは思わず息を呑んだ。


「指導者……ですか?」


「もちろん、私が全面的に支援する」


 伯爵は地図の上に手を置きながら続けた。


「そうだな、卿は皇帝、私は宰相として、卿を公私ともに支援することにしよう」


 皇帝──その言葉が、ザルエスの心に雷のように響いた。


「皇帝……まさか、そこまでとは」


 ザルエスの声は震えていた。一介の男爵が皇帝になるなど、夢にも思わなかった。


「王制では既存権威との差別化が困難だ」


 伯爵は冷静に説明を続けた。


「全く新しい権威、新しい時代の象徴が必要なのだ。そして、その役割に最も適しているのが卿だ」


「しかし……私に皇帝の器があるでしょうか」


「器は作られるものだ」


 伯爵の目に、確信の光があった。


「卿には商業的手腕があり、技術への理解がある。そして何より、時代の変化を読む力がある」


 伯爵は立ち上がり、書斎の窓へ向かった。


「私が宰相として、政治的、軍事的な面をすべて支援する。卿は新時代の象徴として、民衆の希望となってもらおう」


「閣下……」


「もちろん、セリーナとアルフレッド殿の件もある。なに、我々は既に一つの家門だ」


 縁組という政治的絆が、今や歴史的な転換点での結束となろうとしていた。


「……南の大公殿下はいかがなされますか?」


 ザルエスが恐る恐る口にした。


「殿下には『正統王朝』の継承者として、別の王国を建国していただく。まあ、混乱を最小限にするためにも、現王都をそのまま都としていただくが」


 伯爵の答えは明快だった。


「我々は『革新』、大公は『伝統』。それぞれが正統性を持つ、新しい秩序だ」


「二つの国に分かれるということですか」


「そうだ。王国は既に事実上分裂している。我々はそれを公式化するだけだ」


 伯爵は地図上の境界線を指でなぞった。


「東部は我々の帝国、それ以外を殿下の新たな王国。それぞれが独立して統治する」


「しかし、それで殿下が納得されるでしょうか」


「殿下は血筋による正統性を重視する方だ。『王室の血を引く正統な王』という地位には、きっと満足されるだろう」


 伯爵の読みは深かった。


「一方、我々は『実力による統治』を追求する。宝珠技術こそが、その象徴だ」


「なるほど...」


 ザルエスは徐々に計画の全貌を理解し始めた。


「来月には宰相閣下との会談が可能だ」


 伯爵は再び書類を取り上げた。


「その際に、具体的な手順と日程を決定する」


「会談ですか……」


「そうだ。我々三人で、この国の未来を決めるのだ」


 歴史の転換点に立っているという実感が、ザルエスの胸に湧き上がった。


「それには、宝珠技術の量産体制を構築する必要がある」


「量産体制ですか」


「うむ、軍事行動には相当数の宝珠が必要だ。少なくとも数百個は用意したい」


「数百個……」


 その規模に、ザルエスは圧倒された。


「ところで、ザルエス殿」


 伯爵が何気なく口を開いた。


「卿は、この宝珠技術の開発者について何か知らないか?」


 ザルエスはドキリとした。伯爵の鋭い視線が、まっすぐに向けられている。


「開発者……ですか?」


「この計画には、宝珠技術の優位性が肝要だ。万に一つの綻びがあってはならない」


 伯爵の声には、微かな探りの響きがあった。


「卿なら、独自の情報網で、何か掴んでいると思ったのだが」


 ザルエスの背筋に冷たいものが走った。伯爵はどこまで知っているのか──


「実は……詳細は商人ギルドが管理しておりまして」 ザルエスは慎重に答えた。


「そうか。まあ、商人というものは秘密主義だからな」


 伯爵は頷いたが、その目は鋭いままだった。


「しかし、もし開発者の所在が分かるようであれば、囲っておいた方がよかろう」


「囲う、と申しますと?」


「技術者というものは、時として予期せぬ行動を取るものだ。適切な管理下に置くことが重要だ」


 伯爵の言葉は穏やかだったが、その真意は明らかだった。


「承知いたしました。商人ギルドと相談してみます」


「そうしてくれ。この計画の成功は、技術の完全な掌握にかかっている」


 ザルエスは深々と頭を下げた。伯爵の政治的嗅覚の鋭さに、改めて戦慄を覚えていた。


「ただし」


 伯爵の表情が急に厳しくなった。


「これは絶対に秘密だ。誰にも漏らしてはならない」


「もちろんです」


「それでは、準備にかからせていただきます」


「よろしく頼む、未来の皇帝陛下」


 伯爵の言葉に、ザルエスの背筋が伸びた。


 皇帝──一介の男爵から皇帝へ。それは想像を絶する変化だった。


「卿にその覚悟はあるか?」


 伯爵の最後の問いに、ザルエスは迷わず答えた。


「はい。この身を新しい国のために捧げる覚悟です」


「よろしい。では、共に歴史を作ろう」


 二人は固く握手を交わした。


 ザルエスは伯爵の微笑みの下に僅かな疑念──これでは、皇帝とはいえ宰相の傀儡でしかないのでは、と感じた。しかし皇帝になってしまえば、国の頂点として、きっと自分の思い通りに進めることが可能だ。


 暖炉の火が静かに燃え続ける中、王国の運命を決める密約が交わされた。しかし、ザルエスの心に別の不安が芽生えていた。伯爵の鋭い洞察力は、いずれジョルジュの存在も見抜くかもしれない。


 翌朝、ザルエスは男爵邸に戻ると、すぐに宝珠の量産準備に取りかかった。一方、ガンドの工房では、ジョルジュが相変わらず自分の無力感と向き合っていた。


 歴史の歯車は、もう誰にも止められない速さで回り始めていた。そして、ジョルジュの理想が、まったく予想もしない形で歴史を動かそうとしていることを、本人はまだ知らなかった。

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