第13話 権力の牙
東部貴族会議から半月ほどたった、ある夜。ザルエスの書斎に、黒服の部下が、やはり音もなく入室した。
「例の調査が完了いたしました」
「報告しろ」
ザルエスは振り返った。
「エルフの女は、定期的に城下町の宿に戻っております。大体三日に一度、午後に出発し、翌朝に戻ってまいります」
ザルエスの目が鋭く光った。
「確実か?」
「はい。この一ヶ月間、例外なく同じ行動を取っております。次は明日の夜でございます」
「完璧だ」
ザルエスは立ち上がった。
「人数は?」
「二十名ほど用意いたします。ジョルジュ殿も魔導士ですので、魔法封じの準備も整えました」
「よし。証拠隠滅も忘れるな」
「承知しております。盗賊の仕業に見せかけます」
部下は恭しく頭を下げた。
「それと……」
ザルエスは声を低めた。
「技術資料は一つ残らず回収しろ。設計図、製法記録、試作品、すべてだ」
「承知いたしました」
もはや手段を選んでいる場合ではない。政治的な必然性の前では、個人の意思など些細なことだった。
「領主として、危険な技術を適切に管理する義務がある」
ザルエスは自分にそう言い聞かせた。
「最終的には、ジョルジュのためでもあるのだ」
すべては東部の未来のため。そして、自分の政治的地位確立のため。ザルエスの心の中で、純粋な政治家としての冷酷さが完全に目覚めていた。
翌日の昼過ぎ、ガンドの工房では、いつものように穏やかな時間が流れていた。
「リズ、今夜も宿に帰るのか?」
ジョルジュが茶を淹れながら尋ねた。
「ええ、着替えも溜まってるし。明日の朝には戻ってくるわ」
リズは軽やかに答えながら、簡単な荷物をまとめていた。
「気をつけて帰れよ」
「ありがと。じゃあ、お疲れさま」
リズは手を振って工房を出て行った。その足音が遠ざかると、工房には静寂が戻った。
日も傾いた頃、ガンドが作業の手を止めて、棚から酒瓶を取り出した。
「さて、一杯やるか」
「いいですね」
ジョルジュは微笑んだ。
二人は酒を酌み交わしながら、いつものように技術談義に花を咲かせた。マナ理論の応用、魔石の最適化、安全性の向上──話題は尽きることがなかった。
「宝珠の改良、順調か?」
「はい。まだまだ改善点はありますが、基本的な仕組みは安定してきました」
「そうか、基本動作の安定化は重要だからな」
ジョルジュの目に理想への情熱が宿った。
「誰でも魔法を使える世界……きっと実現できますよね?」
「そうだな。お前の技術なら、いつか必ず」
夜は更け、酒も進んだ。やがて二人とも、心地よい疲れに包まれて眠りについた。
宝珠は、いつものように安全な保管箱にしまわれていた。
──夜も更けた頃。
森の静寂に紛れて、微かな足音が近づいてきた。枝を踏む音、葉擦れの音、そして金属が触れ合う小さな音。
二十名ほどの武装した男たちが、工房を完全に包囲していた。顔には布を巻き、盗賊らしい格好をしている。
先頭の男が手を上げると、全員が一斉に動き出した。
扉が蹴破られる音で、ジョルジュとガンドは飛び起きた。
「何事だ!?」
ガンドが金槌を掴んで立ち上がった瞬間、武装した男たちが工房内に雪崩れ込んできた。
「うわっ!」
ジョルジュは反射的に詠唱を始めた。
「光よ、我に力を──」
彼の手から光が迸り、数名の侵入者を怯ませた。しかし──
「今だ!」
侵入者の一人が、青白い魔石を掲げた。瞬間、奇妙な波動が工房内に広がる。
「──っ!?」
ジョルジュの詠唱が途中で途切れた。魔力の流れが、まるで堰き止められたように感じられる。
「魔法が……使えない!」
魔法封じだった。魔導士としての力を完全に無効化する特殊な術式。
「小僧、観念しろ!」
複数の侵入者がジョルジュに向かって襲いかかった。魔法を封じられた彼は、もはやただの若者でしかない。
「待て!」
ガンドが金槌を振り回しながら割って入った。数人の侵入者を吹き飛ばす。
「ジョルジュ、大丈夫か!」
しかし、圧倒的な人数差の前では、ドワーフの戦闘力も限界があった。
「渡すものか!」
ジョルジュは保管箱に向かって駆け出そうとしたが、複数の男に組み伏せられた。
「離せぇ!!」
必死にもがくジョルジュだったが、魔法を使えない今、抵抗は無意味だった。
ガンドも、ついに力尽きて膝をついた。
「くそっ……多勢に無勢か」
次の瞬間、ガンドは後から殴られ、倒れ込んだ。
「お宝はどこだ?」
覆面をした男が、ジョルジュに冷たく尋ねた。
「教えるものか……」
ジョルジュは歯を食いしばったが、侵入者たちは既に保管箱を発見していた。
「あったぞ!」
美しく光る宝珠が、粗雑に取り出される。ジョルジュの心血を注いだ技術の結晶が。
「図面や書類も探せ!」
「こちらにあります!」
ガンドが隠していた資料も、次々と発見されていく。
ジョルジュは絶望に震えていた。その時、後頭部に鈍い衝撃が走る。
「やめろ……俺の……俺の宝珠を……」
ジョルジュの意識は遠のいていった。
その後も侵入者たちは工房を荒らし回った。
「済んだな」
覆面の男が確認すると、侵入者たちは音もなく森の闇に消えていった。
ジョルジュとガンドは気を失い、倒れ込んでいた。工房には不自然な静寂が戻った。
翌朝、陽光が森を照らし始めた頃。リズは軽やかな足取りで工房への道を歩いていた。いつものように、宿で一夜を過ごして、湯浴みや着替えを済ませた帰り道だった。
「おはよう、みんな──」
明るい声で工房に入ろうとしたリズは、その光景に絶句した。扉は壊され、工房内は滅茶苦茶に荒らされている。そして、床には二人が倒れていた。
「ジョルジュ! ガンド!」
リズは駆け寄って、二人の容体を確認した。幸い、命に別状はないようだった。
「しっかりして!」
リズは治癒魔法を使って応急処置を施した。二人の意識が徐々に戻る。
「リズ……?」
ジョルジュがうっすらと目を開けた。
「何があったの? 工房がこんなことに……」
「襲われた……武装した盗賊たちに……」
ジョルジュの声は掠れていた。
「宝珠は?」
リズが保管箱を確認すると、案の定空っぽだった。
「全部……持っていかれた」
ガンドも意識を取り戻し、うめくように言った。
「これは計画的犯行ね」
リズは工房内を見回しながら冷静に分析した。
「普通の盗賊にしては手際が良すぎる。それに、よく見ると、宝珠技術だけを狙い撃ちしている」
「まさか……」
ジョルジュの顔が青ざめた。
「まさか男爵様が……そんなはずはない。あの方は俺の技術を理解してくださって……」
「証拠はないけどね」
リズは率直に言った。
「でも、タイミングが良すぎる。それに、魔法封じの準備まで整えていた」
「いや、でも……」
ジョルジュは混乱していた。信じたくない、信じられない。
「他の可能性もある」
ガンドが苦々しそうに口を開いた。
「誰かが盗賊を雇ったのかもしれん。それとも、情報が漏れて、王都のギルドの仕業か」
「そう、それもありえるわね」
リズは頷いた。
「商売敵が妨害工作をした可能性もある」
「でも……」
ジョルジュは震え声で呟いた。
「俺の技術が……俺の理想が……みんなのための……」
魔法封じの屈辱、無力感、そして全てを奪われた虚無感。
「誰がやったにしても」
リズは小さくため息をついた。
「結果は同じよ。技術が悪用される可能性が高い」
「200年やってきて、こういうことは何度も見てきたが……」
ガンドが苦々しそうに呟いた。
「権力者は技術を欲しがるが、技術者の意思など関係ない」
三人は、しばらく無言で座り込んでいた。
陽光が工房内を照らしているが、その光はもう、以前のような温かさを失っていた。
「俺の……俺の『誰でも魔法を使える世界』は……」
ジョルジュの声は絶望に沈んでいた。
「……俺には何も残ってない」
「まだ諦めるのは早いわよ」
リズが静かに言った。
「技術は奪われても、知識はあなたの頭の中にある」
「でも、もう材料も設備も……それに、誰が敵なのかも分からない」
「それに、これで終わりじゃない」
リズの瞳に、何か深い決意のようなものが宿っていた。
「奪った側は、その技術をどう使うつもりかしら」
その問いかけに、二人とも答えることができなかった。
しかし、この日を境に、すべてが変わり始めることになる。だが、今はまだ工房の片隅で、朝の陽光が静かに塵を照らしていた。