第11話 縁談と陰謀
宝珠の完成から一週間ほど経った頃。城下町は、まるで祭りの前日のような慌ただしさに包まれていた。
石畳の大通りでは、商人たちが色とりどりの布で店先を飾り立て、普段は見ることのない高級な品々を並べている。金物細工屋、革細工職人、織物商──どの店も、この日のために最高の品を用意していた。
街の角々には男爵家と伯爵家の紋章を掲げた旗が翻り、主要な通りには花が撒かれている。まさに〝街をあげての歓迎〟が準備されていた。
「すごい騒ぎですね」
ジョルジュは師匠の工房から町の様子を眺めながら呟いた。
「確かに。こんな騒ぎは久しぶりだの」
オルヴェルも感慨深げに頷いた。
「まさか伯爵様の姫君が、男爵様のご長男に嫁がれるなんてな」
「本当ですね。伯爵家から輿入れだなんて……」
この縁組の話は、既に領民の間で大きな話題となっていた。名門伯爵家の末娘と男爵家の長男──しかも、伯爵自らが娘を連れて婚約の挨拶に来るという、異例の厚遇だった。
「男爵様も、ずいぶんと出世されたもんだ」
師匠は誇らしげに言った。
「商売も順調で、領地も豊かになって……そりゃ伯爵様も目をかけてくださるわけだ」
「男爵様の人柄と実力ですね」
「それもあるだろう。でも、やはり実力だな。この十年で、この領地がどれだけ発展したか」
確かにその通りだった。ジョルジュが幼い頃と比べても、城下町の賑わいは格段に増している。交易路の整備、商人の誘致、新しい産業の育成──ザルエスの手腕は確かなものだった。
街を歩く人々の顔にも、誇らしげな表情が浮かんでいる。
「すげぇよな、伯爵の姫様がうちに嫁に来るなんて」
「それも伯爵様自らのお越しだぜ。どんだけ目をかけてもらってるんだ」
「これで東部では一目置かれる存在になるな」
「俺たちの領地も、ついに名門の仲間入りだ」
領民たちの喜びは純粋だった。自分たちの領主が認められ、格上の家と縁組を結ぶ──それは領民にとっても誇らしいことだった。
翌日、正午少し前、街の東の門から角笛の音が響いた。
「来た!」
群衆がざわめく。
伯爵の一行は、予想を遥かに上回る規模だった。先頭を騎馬の護衛が進み、その後に豪華な馬車が続く。馬車には伯爵家の紋章が大きく描かれ、真鍮の装飾が陽光を受けて輝いている。
二台目の、やや小ぶりな馬車からは、少女の姿がちらりと見えた。
「あれが姫様か!」
「美しい方だな!」
「なんと、お可愛らしい!」
群衆から感嘆の声が上がる。
その後には、従者たちを乗せた馬車や荷車が十数台連なり、まるで移動する宮殿のような威容だった。
「立派な行列だな」
「伯爵様がわざわざお越しになるなんて、男爵様も大したもんだ」
「これで東部でも重要な地位に就かれるだろう」
「俺たちも鼻が高いよ」
群衆の中から、自然に歓声が上がる。
ジョルジュも群衆の中にいたが、この華やかな光景を眺めながら複雑な気持ちでいた。
(すごい騒ぎだな……でも、俺には関係のない世界だ)
ザルエスは、屋敷の門で伯爵一行を出迎えた。黒いビロードのマントに金の刺繍を施した正装で、普段の親しみやすい雰囲気とは違う威厳を漂わせている。しかし、その姿勢は明らかに格上への敬意を示していた。
長男アルフレッドも隣に控え、緊張した面持ちで立っており、今日という日への責任の重さを感じているようだった。
「閣下自らのお越し、身に余る光栄にございます」
ザルエスは深々と頭を下げた。
豪華な馬車から降り立った伯爵は、青いビロードの外套に身を包み、胸には数々の勲章が輝いていた。
「ザルエス殿。久しぶりですな」
「領地の発展ぶり、なかなかのものですな」
「恐れ入ります。これも閣下のご指導のおかげでございます」
ザルエスは恭しく応じた。
行列が通り過ぎた後も、街の興奮は続いた。酒場では早くも祝杯が始まり、商人たちは今日という日の商機を逃すまいと活発に動き回っている。
「今日は商売繁盛だぜ!」
「最高の品を用意したからな」
「これで東部全体に、うちの領地の名前が知れ渡る」
ジョルジュは師匠の工房に戻り、いつものように研究に没頭した。貴族の縁談など、自分には縁遠い出来事だった。
男爵邸では、伯爵一行を迎えての昼食会が開かれていた。
大広間には、普段は使われることのない豪華な調度品が並べられ、最高級の料理が振る舞われている。
主賓席では、伯爵が満足そうに料理を味わっていた。
「どれも美味ですな。素晴らしい」
伯爵がザルエスに微笑む。
テーブルの向こうでは、アルフレッドとセリーナが少し緊張した面持ちで料理を口にしていた。
十六歳のアルフレッドは父親譲りの誠実そうな顔立ちをしており、十三歳のセリーナは金色の髪を美しく編み上げ、淡い緑色のドレスに身を包んでいる。まだ幼さの残る顔立ちだが、既に気品が備わっていた。
会食が進むにつれ、場の緊張も少しずつ和らいできた。アルフレッドとセリーナも、時折言葉を交わすようになった。若い二人の初々しい会話を、大人たちは温かく見守っていた。
会食の後、アルフレッドとセリーナは若い者同士で時間を過ごすことになった。使用人が付き添うとはいえ、二人だけで話す機会が設けられた。最初はぎこちなかったが、次第に打ち解けたようで、お互いに、相手への好印象を抱いたようだった。
夕方、伯爵とザルエスは、男爵の書斎で二人だけの会談を行った。
「改めまして、本日はありがとうございました」
ザルエスが深々と頭を下げる。
「なに、立派なご子息でなにより。セリーナも気に入ったようだ」
伯爵は満足そうに頷いた。
「恐縮でございます」
「正式な発表は、来月にでもしよう。式の日取りも考えないといかんな」
「承知いたしました」
縁談の話が一段落すると、伯爵の表情が少し変わった。
「ところで、ザルエス殿。東部の情勢だが」
「はい」
ザルエスも姿勢を正した。
「王都の統制が、さらに厳しくなっている」
「そのようですね。商人たちの間でも、不満の声が高まっています」
「魔法技術に関する規制も強化されたようだな」
「はい。新しい技術の認可は、ほぼ不可能な状況です」
伯爵は渋い顔をした。
「このままでは、地方の発展が阻害される。──それにしても、地方の停滞は税収の減少に繋がる。それはそのまま、王家の税収減少に繋がるのに。これ以上の規制は理解に苦しむな」
「まったくもって、おっしゃる通りです」
「そこで、東部の結束がより重要になってくる」
伯爵は身を乗り出した。
「来月、主要な東部貴族を集めた会議を開く予定だ」
「会議ですか?」
「そうだ。今後の対応について、しっかりと話し合う必要がある」
ザルエスは内心で興奮を覚えた。ついに具体的な動きが始まるのだ。
「もちろん、参加させていただきます」
「頼む。卿の領地は東部でも特に発展しているからな。重要な役割を担ってもらうことになる」
「光栄です」
「それに……」
伯爵は声を低めた。
「今回の縁組で、男爵家は事実上、我が家門の一員となる。男爵とはいえ、政治的な発言力も大きく向上するだろう」
この言葉に、ザルエスは感激した。格上の伯爵から、対等に近い扱いを受けられるようになる。
「ありがたき幸せです」
「共に東部の未来を築いていこう」
伯爵は手を差し出した。ザルエスは感謝を込めて、その手を握った。
「ところで……」
伯爵が何気なく口を開いた。
「産業や技術開発の面で、何か新たな動きはあるかな?」
この質問に、ザルエスは一瞬躊躇した。
(宝珠技術のことを言うべきか……?)
しかし、すぐに決断した。まだ時期ではない。この技術は、もっと決定的な場面で使うべき切り札だ。
「特に目立ったものは……そう言えば、商人たちの間でも、独自の連携を模索する声が出ております」
「そうか。まあ、商人ギルドも規制に苦慮しているようだからな」
伯爵は頷いた。
「いずれ、そうした規制から解放される日が来るかもしれない」
「そうなることを願っております」
ザルエスは曖昧に答えた。内心では、その日への確信を深めていた。
会談は夜遅くまで続いた。東部の政治情勢、王都への対応策、そして将来への展望。様々な話題が、慎重に語り合われた。
「それでは、明日の朝早くに出発する予定だ」
「承知いたしました。お見送りさせていただきます」
「今日は、ありがとう。有意義な話ができた」
伯爵は満足そうに立ち上がった。
「こちらこそ、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
ザルエスは最後まで恭しく頭を下げた。
その夜、ザルエスは一人書斎に残っていた。
暖炉の火が静かに揺れる中、今日の出来事を振り返っていた。
(完璧だった……)
縁談は成功し、政治的な結束も確認できた。そして何より、伯爵からの信頼を得ることができた。
(来月の会議が勝負だ)
その時こそ、商人ギルド連合や宝珠技術を発表する絶好の機会になる。東部貴族たちに経済的、技術的な力を示すことができれば……
(いや、焦ってはいけない。タイミングを誤るわけにはいかない)
順序を間違えると、伯爵の不興を買う恐れがある。ここまで来て、それは避けなければならない。
(それにしても──)
王都の統制に頼らない、独自の発展の道筋。それを示すシンボルとして、ジョルジュの技術は完璧だった。
(あの青年は純粋で扱いやすい)
政治的な意図を理解させることなく、技術開発に専念させることができる。そして必要な時に、適切に活用すれば良い。
暖炉の火が小さくなっていく中、ザルエスの口元に薄い笑みが浮かんだ。
すべてが計画通りに進んでいる。縁組、政治的結束、そして秘密の切り札──
翌朝、伯爵一行は盛大な見送りを受けて領地を後にした。
沿道には再び人々が並び、手を振って別れを惜しんでいる。昨日と同様、純粋な感謝と誇りに満ちた表情だった。
「ありがとうございました!」
「また来てください!」
「姫様、お幸せに!」
民衆の声援に、セリーナは馬車の窓から手を振って応えた。その可憐な姿に、さらに歓声が上がった。アルフレッドも、名残惜しそうに見送っている。
伯爵の馬車が見えなくなるまで、ザルエスは深々と頭を下げ続けた。しかし、その心の中では、既に次の段階への準備が始まっていた。
すべては、大きな時代の転換点に向けて動き出していた。
ジョルジュは、そうした動きを知ることもなく、静かな工房で研究を続けていた。〝誰でも魔法を使える世界〟という理想を胸に、宝珠技術の改良に没頭している。
政治の渦が次第に大きくなっていることも知らずに。