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第10話 小さな光

 午後の陽射しが工房の窓を斜めに照らす中、ジョルジュは手のひらに乗る小さな球体を見つめていた。


 表面には繊細な魔法陣が浮かび、内部では魔石の微かな光が脈動している。手のひらサイズでありながら、その中には〝誰でも魔法を使える世界〟への希望が込められていた。


「できた……本当にできたんだ」


 ジョルジュの声は震えていた。


 ガンドの工房での数週間。魔石の分類から始まり、マナの乱れを利用した理論の実践、そして無数の試行錯誤。ついに、魔法適性の低い人でも魔法を使える装置が完成した。


「まだ改良の余地はあるが、基本は成功だな」


 ガンドも満足そうに頷いている。白い髭に覆われた顔には、200年の職人経験に裏打ちされた確信があった。


「これは……人々の希望となる宝の珠だ」


 ジョルジュは球体を光にかざした。夕日を受けて、魔法陣がより一層美しく輝く。


「そうだな……『宝珠』と呼ぼう」


 リズが茶を淹れながら、その様子を興味深そうに見ていた。


「立派な名前ね。でも、本当に動くの?」


「おそらく……大丈夫だと思う」


 ジョルジュは宝珠を大切に両手で包み込んだ。この小さな球体に込められた理想の重みを、改めて実感していた。長年の夢がついに形になったのだ。


 リズは茶を三人分注ぎ終えると、湯気の立つカップをジョルジュに差し出した。


「でも、お疲れ様。大したものじゃない」


「ありがとう、リズ」


 ジョルジュはカップを受け取りながら、感慨深げに呟いた。


「ずっと夢見てきたことだった。まさか本当に実現するなんて」


 ガンドも作業の手を止めて、三人でささやかな完成祝いの茶を飲んだ。工房に満ちる静謐な満足感は、長い研究の日々を経てようやく得られた貴重なものだった。


「でも、これはまだ始まりに過ぎない」


 ジョルジュは宝珠を見つめながら続けた。


「この技術を改良して、本当に誰でも魔法を使える世界を作らないと」


「まあ、慌てるな」


 ガンドが諭すように言った。


「良い技術も、急ぎすぎると失敗する。じっくりと完成度を高めてからだ」


「そうですね」


 ジョルジュは頷いたが、胸の奥では早く多くの人にこの技術を届けたいという気持ちが高まっていた。



 翌日、ジョルジュは城下町から悪友のダリオを呼んできた。


「おい、何だって急に呼び出すんだ?」


 ダリオは息を切らしながら工房に入ってきた。金物細工屋の息子らしく、手には職人の証である細かい傷がついている。


「実は、お前に試してもらいたいものがあるんだ」


「試すって?」


 ダリオは首をかしげた。彼は魔法適性が低い。俗に言う〝マナが薄い者〟だった。


「これを」


 ジョルジュは宝珠を取り出した。


「魔法の道具? 俺には無理だろ」


「そんなことはない。これがあれば、おまえでも魔法が使えるんだ」


「は? 冗談だろ?」


 ダリオは呆れたような顔をしたが、ジョルジュの真剣な表情を見て言葉を飲み込んだ。


「本当なのか?」


「試してみよう」


 ジョルジュは宝珠をダリオの手に乗せた。


「おい、俺に魔法なんて無理だって。マナが薄いのは分かってるんだから」


「大丈夫。これがあれば」


 ダリオは恐る恐る宝珠を握った。手のひらサイズの球体は、思ったより温かく、微かに振動しているように感じられた。


「何か……変な感じがする」


「それがマナの流れだ。じゃあ、簡単な詠唱を試してみよう」


 ジョルジュがゆっくりと教える。


「『光よ、現れろ』。心を込めて、でも力まずに」


「えーっと……光よ、現れろ」


 ダリオが恐る恐る詠唱すると——


 瞬間、彼の手のひらに微かな光が灯った。


「うわっ!」


 ダリオは驚いて後ずさりし、宝珠を取り落としそうになった。しかし光は消えることなく、彼の掌で静かに輝き続けている。


「本当に光った! 俺が魔法を!」


「成功だ!」


 ジョルジュは飛び上がって喜んだ。理論上は可能だと分かっていても、実際に目の当たりにすると感動は格別だった。


「信じられない……本当に俺が魔法を……」


 ダリオは自分の手のひらの光を見つめて、呆然としていた。魔法適性が低いため、これまで魔法とは縁遠い人生だったが、それが一瞬で変わった瞬間だった。


「すげーじゃないか、ジョルジュ!」


 我に返ったダリオは興奮して宝珠を振り回そうとしたが、ガンドに止められた。


「貴重品だ。丁寧に扱え」


「あ、すみません」


 ダリオは慌てて宝珠をジョルジュに返した。


「でも本当にすごいな。これがあれば、俺みたいにマナが薄い奴でも魔導士になれるってことか?」


「そうだ」


 ジョルジュの目が輝いた。


「マナが薄くても、魔法を使える。これで世界が変わる」


 リズも茶を飲みながら、感心したように頷いていた。


「なかなかのものね。エルフの目から見ても、よくできてる」


「ありがとう、リズ」


 四人は、しばらく宝珠の可能性について語り合った。医療への応用、農業での活用、日常生活の改善——夢は無限に広がった。


 やがてダリオが帰る時間になった。


「また今度、詳しく教えてくれよ」


「もちろんだ。でも、この件は内密にしておいてくれ」


「分かってる。それにしても、お前すげぇよ」


 ダリオは感嘆の声を上げながら工房を後にした。


 一人になったジョルジュは、改めて宝珠を手に取った。


「これで証明された。魔法適性の壁は破れる。いずれは、誰でも魔法を使える世界が実現できる」


 まだ微かな光を灯すだけ。それでも、この小さな成功が、きっと大きな一歩になる。胸の奥で、確かな手応えを感じていた。


「──では、俺は男爵様に報告しに行きます」


 ジョルジュが宝珠を保管箱にしまいながら言うと、リズが怪訝な顔をした。


「ほんとに行くの?」


「ああ、約束したからね」


 先日、ザルエスと交わした約束。完成したら、まず報告すること。内密にしておくこと。技術者として、約束は守らなければならない。


「気をつけなさいよ」


 リズの声には、微かな心配が込められていた。


「大丈夫だよ。男爵様はいい人だから」


 ジョルジュは軽やかに手を振って、工房を出た。



 夕日が城下町の石畳を金色に染める頃、ジョルジュは男爵邸の門をくぐった。


「ジョルジュ・エルノアです。男爵様にお目にかかりたく」


「少々お待ちください」


 衛兵が取り次ぎに向かう。程なくして、先日の書斎に案内された。


「やあ、ジョルジュ。どうしたんだ?」


 ザルエスは書簡を読んでいたが、ジョルジュの顔を見ると立ち上がった。いつものように親しみやすい笑顔を浮かべている。


「実は……」


 ジョルジュは興奮を抑えきれずに言った。


「完成しました!」


「本当か!?」


 ザルエスの目が輝いた。驚きと喜びが混じった表情で、ジョルジュの両肩を掴んだ。


「素晴らしい! 君は本当にやり遂げたんだな!」


「はい! とはいえ、まだ魔法適性の低い人に限りますが。でも、確実に魔法を使えることを確認しました」


「それは……」


 ザルエスは感嘆の声を漏らした。


「君は歴史を変えたぞ。ぜひ実物を見せてもらいたい。そうだ、明日、工房へ行ってもよいか?」


 ザルエスも興奮を抑えきれず、まくし立てる。


「ええっ!? 男爵様自らですか?」


 ジョルジュは驚いた。まさか男爵自身が足を運んでくれるとは思わなかった。


「もちろんだとも! やはりこの目で確かめたい。技術者として、どうしても実際に見ておきたいんだ」


 ザルエスの熱意に、ジョルジュは心を動かされた。権力者でありながら、技術に対してこれほど純粋な興味を示してくれる人は珍しい。


「分かりました。お待ちしております」


「楽しみだ。私の青春時代の夢が、ついに実現されるかもしれない」


 ザルエスの言葉に、ジョルジュは感激した。同じ技術への情熱を持つ理解者に出会えた喜びが、胸を満たした。


 ジョルジュは深々と頭を下げて、男爵邸を後にした。足取りは軽やかで、心は希望に満ちていた。



 翌朝、ザルエスは護衛を連れてガンドの工房を訪れた。


「お待ちしておりました。男爵様」


 ジョルジュが工房の入口で深々と頭を下げて出迎える。


「おお、ジョルジュか。昨日は素晴らしい報告をありがとう」


 ザルエスの声には、心からの喜びが込められているように聞こえた。


 工房の中では、ガンドが金槌を握ったまま振り返った。


(面倒なことになった……)


 内心でうんざりしながらも、最低限の礼儀を示す。


「ガンド・バルレです」


「ザルエス・ドレイヴだ。君の技術は以前から聞いていた。王都でも評判だったようだね」


 リズは奥の方で茶を淹れていたが、こちらには近づいてこない。


「私は遠慮しとくわ。貴族は苦手なの」


 我関せずといった態度で、ザルエスを観察していた。


「それでは、さっそく実演を」


 ジョルジュが安全な場所から宝珠を取り出すと、ザルエスは身を乗り出した。


「これが昨日話していた『宝珠』か」


 手のひらサイズの球体は、暖炉の火に照らされて美しく光っている。表面の繊細な魔法陣が、見る者を魅了した。


「はい。では、どなたか従者の方に試していただけますか? 〝マナの薄い方〟でお願いします」


 ザルエスは近くに控えていた従者を呼んだ。ジョルジュが宝珠を従者に手渡し、簡単な詠唱を教える。


「光よ、現れろ」


 その瞬間、従者の手のひらに光が灯った。


 ザルエスが目を見開く。


「これは……! 本当に魔法が!」


 ジョルジュの方を向き、興奮した様子で口を開く。


「これは革命的だ。素晴らしい!」


 ザルエスの瞳に、一瞬鋭い光が宿った。


(魔法適性の低い者でも魔法を使える……これまで戦力として計算できなかった者が、一気に戦力化される技術だ)


 その後の質問が執拗だった。


「どのくらいの期間で量産可能だろうか?」


「材料の調達ルートは確保できているのか?」


「他に技術を知る者はいるのか?」


「設計図や製法は記録してあるのか?」


 その様子に、ガンドは眉をひそめた。

 奥にいたリズは、ザルエスの目に、獲物を狙う猛獣のような光が宿るのを感じた。


 質問攻めが一段落すると、ザルエスは工房を見回した。


「ここは森の奥で人里離れているね」


「はい、静かで研究には最適なんです」


「しかし……」


 ザルエスは心配そうな表情を作った。


「こんな貴重な技術、狙う者がいるかもしれない」


「狙う者、ですか?」


「革新的な技術というものは、必ず妬みや恨みを買うものだ。特に既存のギルドから見れば、脅威に映るだろう」


 ジョルジュは青ざめた。確かに、王都での反応を思い出すと、新しい技術への風当たりは強かった。


「……何かあってはいけないな」


 思案の後、ザルエスは提案した。


「街道の巡回警備の者に、この森の方にも注意を払っておくよう伝えておこう」


「そんな……ありがとうございます!」


 ジョルジュは深々と頭を下げた。


「男爵様のお心遣い、本当に感謝いたします」


「君の安全と、この素晴らしい技術を守るのは、領主として当然の務めだ」


 奥の方で、リズが小さく呟いた。


「私がいるから別にいいのに……」


 ザルエスにはリズの声が届かなかったのか、リズの方を振り向くことはなかった。


 しばらく工房を見学した後、ザルエスは帰っていった。護衛の足音が遠ざかると、ガンドが呟いた。


「普通の領主があそこまで詳しく聞くかね?」


「でも、技術に興味をお持ちなんです」


 ジョルジュはザルエスを擁護したが、ガンドの表情は晴れなかった。


「200年生きていると、いろんな匂いを覚えるもんだ」


「匂い?」


「なんというか……政治の匂いだよ」


 しかし、ジョルジュにはガンドの懸念が理解できなかった。ザルエスの親切な態度、技術への理解、そして警備まで提供してくれる心遣い。すべてが善意に見えた。


「男爵様は本当にいい方です。こんなに理解してくださる権力者がいるなんて」


 ジョルジュは心から感謝していた。技術者として、これ以上ない環境が整ったと感じていた。


 理想の技術が完成し、権力者の理解と支援を得て、さらには安全まで保障してくれる。すべてが完璧に思えた。


 リズとガンドは複雑な表情を交わしたが、ジョルジュの純粋な喜びを前にして、何も言わなかった。



 その夜、男爵邸に戻ったザルエスは、書斎に籠もって一人になった。


(画期的な技術だ……)


 ザルエスは暖炉の火を見つめながら、今日見た技術を冷静に分析していた。


(魔法適性の低い者を戦力化できる……これは軍事バランスに大きな変化をもたらす)


 完全に魔法適性のない者までは使えないようだが、それでも十分に革新的だった。魔法適性の低い者は人口の大部分を占める。彼らが魔法を使えるようになれば、戦力は飛躍的に向上する。


(ギルドの統制外での魔法戦力化か……)


 王都の魔導士ギルドが独占してきた魔法の力。それを適性の低い一般人が手にできるということは、既存の権力構造への重大な挑戦だった。


(この技術は、まだ誰にも明かしてはならない)


 伯爵にも、商人ギルドにも、当然王都にも。この技術は彼だけの切り札として、慎重に温存しなければならない。


(そして、さらなる改良の可能性も……)


 ジョルジュは「完全に誰でも使える」世界を目指している。もしそれが実現すれば、軍事的価値は計り知れない。


(時が来るまで……)


 暖炉の火が静かに揺れる中、ザルエスの口元に薄い笑みが浮かんだ。


 政治的後ろ盾、経済的基盤、そして今、強力な切り札まで手に入れた。


(この技術一つで、東部の運命を変えられる)


 ジョルジュの純粋な理想主義は、ザルエスにとって都合が良かった。あの青年は、自分の技術がどれほど危険で価値のあるものかを理解していない。


 工房には午後の陽射しが差し込み、宝珠が静かに光を放っていた。希望に満ちた穏やかな時間が、静かに流れていく。


 ジョルジュは、制度に守られた安心感と、確かな技術的手応えを胸に、未来への希望を膨らませていた。


 誰でも魔法を使える世界が、もうすぐそこまでやってきているように思えた。

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