焦燥
木に穴を空け、薪として焚べるのではなく直接火種を穴に詰める。削った木屑を燃焼材として使い、焚き火の跡は残さない。このやり方であれば、生存痕を作らないだけでなく火力が強く長持ちする焚き火を作ることができる。
この方法に懸念点を挙げるとしたら、下準備の大変さだろう。それなりの太さを持つ木を切り倒し、輪切り状態で乾燥させる必要がある。
ただ、修行と銘打ってギエンにその作業をやらせているためセギオラからすれば何の憂慮もなかった。
今日は運良くウサギを狩れたため、いつものように酒を片手に食事を楽しむ。食卓に並ぶウサギと食卓にいないギエンの姿だけがいつもと違う部分だろう。
ギエンの買い出しと情報集めの日に、セギオラは久しぶりの1人時間を堪能する。初めの頃はゆっくりできる良い時間だと思っていたが、ここ最近頭を悩ませる時間になっていた。
ギエンには伝えていない話、嘘をついて誤魔化している話がいくつかある。正直に伝えている部分もあるのだが、ギエンの恨みはビュベロ、そして【ビュベロファミリー】に留まっていない事をセギオラは感じていた。
そんなギエンに自分は【セギオラファミリー】のアクトであると伝えるのは何を意味するのか。ギエンは聡い。セギオラがファミリー関係者であることは様々な話からとっくに察しは付いているだろう。
そう気づけるようにセギオラが情報を小出しにしている節もあった。予想だにしない話が突然耳に触れるよりも、ある程度自分で考え予想を立てている状態の方が後々楽だと思っていたからだ。
しかし、と、セギオラは自分の悲願、そして必ず果たすべき目的のためにギエンとどう接すれば良いのかひたすら頭を悩ませる。考える事が好きではないセギオラにとって、答えのない悩みを抱え続けるのは苦痛と言ってもよかった。
パキッ、
セギオラの耳は侵入者の気配を読んだ。息を殺し、音を立てず自分の痕跡を消していく。獣の気配であればこんな行動をとったりしない。むしろ、音のする方へ進んでいき明日の糧にしているだろう。
近づかれた今、セギオラが最も注視すべきは相手の正体と仲間を呼ばれない事。そのためには逃げる事への意識を断ち切り、気配の正体を直ちに消す必要があった。痕跡を消すのは早急の問題が片付いたあと、追っ手や情報の撹乱をするためだった。
相手は先ほどの小枝を踏み抜く音で気付かれたと警戒するはずだ。セギオラは敵の予想する行動をあえてなぞってやる必要があった。人が最も油断する瞬間は、相手が自分の思い通りに動いてると思っている瞬間。自分は盤の支配者で、事象の全ての手綱自分の手元にあると思わせる。
わざとらしい静寂が当たりを包み、セギオラはあたかも追っ手から身を隠そうとしている振る舞いを続ける。見える位置に武器を構え、聞き耳を立てる。一瞬の情報すら聞き逃してはならない。隙が意味するのは自らの死だけだった。
ヒュッと風を切る音が聞こえ、頭部を守るように姿勢を低くする。セギオラが先ほどまで頭があった位置を通過するように矢が幹を抉った。
矢羽根は赤と黄と黒の3色。セギオラは息を大きく吸い込んで周囲に身を隠しているであろう刺客に威嚇の意味を込めた咆哮を叫んだ。
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宿の部屋に備え付けられている時計を見る。何度目の確認になるだろうか。タャンポの城門が開く時刻は朝の5時。いつもより早めに寝床に着いたギエンは思惑通り、日が出る前に目を覚ました。
それは就寝時間がいつもより早かった事が理由なのか、逸る気持ちを抑えきれなかったからなのか。
今すぐにでも出られる準備を整える。本来ならばタャンポ名物であるパジおばさんのアップルパイを買っていきたかったが、今回は諦めるしかないだろう。
宿は1番近い門まで歩いて5分、走れば2分ほどの距離に位置している。昨晩の予定では朝イチで街を出るつもりで、夜明けと共に門の前で待っておこうと思ったが、いくら何でも怪し過ぎる事に気付き、焦る気持ちをどうにか抑え開門から10分後に欠伸でも浮かべながら通る作戦に切り替えた。
目当ての時間まであと20分。いつもなら砂を落とすように消えていく20分という時間も、今だけはいくら押しても動かない巨石の如き重さを感じる。
はやく、はやく、と世界の加速を想像しているギエンの部屋にドアを叩く音が響いた。
コンコン、コンコン、
2度の優しい叩く音。乱暴なものではなく、寝ているのであれば起こさないようにという最大限の注意が含まれている事を、音を聞いただけで読み取れる。そんな音だった。
返事をしようか迷い、無視を決めようとも思ったが、変わることのない感覚で刻んでいく時間の体積だけを見続けるのは思いのほか辛い作業だった。会話でもすれば時間が潰れるだろうし、少し冷静さも取り戻せるはずだと考え
「はーい!どうしました?」
当たり障りのない返事を飛ばす。ドアの向こうにいた客はまさか、返事が来ると取っていなかったようで、進んだ廊下を駆けて戻ってくる足音が聞こえてきた。
「買い出しの帰りに部屋の灯りが見えましたので、もしよろしければ朝食でもと思いまして、」
ドアを叩いた者の正体は宿の人間だった。昨日受付をしてくれた宿屋の娘さんだろう。声はあまり大きくないが、聞き覚えのある声だったのですぐ理解できた。
「朝食ですか、それはどんな、」
ギエンは彼女と会話を交わすために時計の前から離れ、ドアを開いた。その瞬間、見知らぬ男に両手と口を押さえられそのままベットに押し付けられた。
宿屋の娘は、全身を震わせながら声にその震えが出ないよう、真っ赤になるまで喉を押さえつけながら話していたようだ。目には涙を浮かべ、ギエンに申し訳なさそうな表情を見せながら、男の「もういいぞ、」という言葉を皮切りにヘロヘロと力なくその場から離れていった。
「単刀直入に言おう。セギオラについて知っている情報を全て話せ。そうすればお前は死なず、むしろ莫大な報奨金を得られるだろう。」
「んぐっ、んん!」
ゴキッ
「ゔぁぁんんん」
「いいか、お前は私の聞いたことだけ答えろ。勝手に話をすることも、勝手に身動きをとることも許さない。返事もいい、肯定の場合は首を2回縦に振り、否定の場合は横に2回振れ。それ以外に何かある場合は縦と横に1回ずつ振るんだ。約束を違えるたびにこうやって指を砕く。」
ギエンは痛みをどうにか噛み殺しながら首を2回振った。
「話の前にこのままだと手が疲れるからな。拘束具を使用する。無駄に抵抗したり、声を発した場合、今お前の手首に当てているナイフで首を裂く。さっきの娘も、お前が昨日立ち寄った食堂の女も、酒を奢った商人の首も裂く。わかったな。」
縦に2回。
男は縄を取り出し、右手首と左足首、左手首と右足首をそれぞれ縄で縛り、ベットの上で壁を腰掛けにして座らせた。ギエンは男の言う通り何も抵抗する事もなくダランと脱力したまま、男の拘束を受け入れた。
「せっかくだ、お前ではなく君、それともギエン、ビィシエル・ギエンと呼べばいいかな?まぁ呼び方はこの際どうでもいい。君は私に素晴らしい情報をもたらしてくれるかもしれない存在なんだ、短い間だが仲良くやろう。
そのためには自己紹介は不可欠だな。私の名前はヤーモス。家名はなくただのヤーモスだ。訳あって君の事は調べさせてもらった。」
その男、ヤーモスは柔らかく穏やかな表情でギエンに質問を始めた。
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