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曇天  作者: ミツメ
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飲み込めない想い

 人間とは想像以上に飽きやすい。言い換えれば慣れやすいとも言えるだろう。生涯大事にすると誓った恋人も、飽きる事ないと確信した遊戯も、死と隣り合った恐怖でさえも、簡単に飽きてしまう。

 それは人類に備わった理解力の高さが、驚きや感動などの刺激を学習しその構造を学んでしまう。風のぬるさと空気の重さで雨を感じ取れるようになるみたいに、一度知った感覚はそう簡単に忘れる事はできない。


 ギエンが正気を取り戻し、まず初めに思ったことはジスの首がこっちに転がって来ませんようにという願いだった。あれほど求めていた兄との再会は今では最も拒みたい出来事に変わってしまった。


 最初に倒れ込んだ姿勢からずっと同じまま、3人がいなくなるその瞬間を待っている。こんな状況に合っている時点で幸運とは無縁だと言えるが倒れた先がちょうどゴミ捨て場で、全身を飲み込みぱっと見ではギエンの姿は確認できないほど擬態できている。いつもは紺色のズボンを履いているが今日はたまたまゴミ袋と同じ黒色で、何よりギエンは生の鼓動を刻めている。


 文字通りの不幸中の幸い。こんな幸せは当のギエン以外は願い下げだろう。

 どれくらいの時間が経ったか、引き伸ばされた感覚は今この瞬間を1秒にでも1時間にも捉えられるほど、時間という概念を自在に伸縮させていた。


 カランカランと舗装から外れた石畳の破片が散らばる音が聞こえてくる。その音に重なって2人の足音。ギエンがやって来た海側ではなく商店街に続いている方向からのもの。


「セギオラが見つかったらしい、ビュベロ様が呼んでる」


 やって来た2人は息を漏らしながら一息で要件を伝えた。


「時間潰しも飽きてたところだし丁度いいな。さっさと残党狩り終わらせてビュベロ様達に代理のイス座ってもらおう。」


「そらよっと、」


 元々いた3人はやって来た2人の後に続く。1番最後の男がジスの顔を蹴り付けてギエンの元、ゴミ捨て場を目掛けて思いっきり蹴りあげた。ここまでで足に馴染んだのか、ジスの首は綺麗な弧を描きちょうどギエンの目の前に飛び込んだ。


「ッッっ!!!!」


 ギエンは思わず漏れそうになった声を両手を使って無理やり押し殺す。だめだ、だめだ、今はだめだ。溢れてしまいそうな理性の限界を必死で押さえつける。


 堪え難い衝動を前にしても、冷静さは現在では足音が離れていくのを耳はとらえている。1人、また1人と確実に離れていくのを確認して、ギエンはやっと言葉を解放する事が出来た。


「ごめん、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、」


 何に対しての謝罪なのか、誰に対しての謝罪なのか、許しを得たいのか、叱責されたいのか、何もかもわからないが、その全てが当てはまっているとも言えた。

 紡ぎ続ける贖罪の言葉は、言葉としての形を崩し始め段々と嗚咽のような音へ変化していく。


「ゔぅぁ、ぅぅゔ、、」


 不思議と涙は出てこなかった。自分には泣く資格がないと判断したのかもしれない、ギエンにとって行き先のないこの感情をどうにか発散する手段は一つ。自己嫌悪しかなかった。ジスを殺した3人へ憎悪を向けるという意識すら芽生えていない。

 この結果は全て自分の責任。ギエンという醜悪で愚かな存在をぐちゃぐちゃにしてやりたいほど憎む。


 ギエンは嗚咽を漏らしながら煉瓦の壁に頭を打ちつける。右手を左手を右足を左足を加減知らずに石畳へ叩きつける。何も出来ない自分など、よくどおしいこの両手足など、


「あれ、お前いつからいたんだ?」


 さっきまで聞いていた声。ギエンは仰け反るように声の方を向く。

 男は虫歯だらけの口を歪ませて笑う。


「そいつお前の知り合いか?もしかして、ズエン、えーっとなんだっけな。ビエン、キエン、まぁ何でもいっか。こっちにいるよって教えたら馬鹿みたいについて来たからよ、刺したらどんな顔するかなって思って、気づいたら殺しちまった。」


 男は甘い口臭を漏らしながらグフグフ笑っている。呼びに来た2人とさっきまで一緒にいた2人はついて来ていないみたいだった。


「けどよ、そいつも良かったと思わね?蹴りやすかったし、俺が気に入ってこうして取りに戻って来たんだからよ。ってか、早く戻らねぇとバスとジギニギに怒られるからお前と相手してやれねぇんだ。こいつで球蹴りしたかったらまた言ってくれよ、特別にお前だけは許してやるからよ、」


 男は毛むくじゃらの腕でジスの首を掴む。ここで何故かこれまでなりを潜めていた愚直な本能が動き出す。


「おい、お前なんだ、殺されてぇの?離せよ、」


 ギエンは言葉を発せず、ただ首を振るしか出来ない。そして、どうしたって離したいのに両手はジスの首を離そうとしない。ポタポタと腕に垂れる血はさっき煉瓦に打ちつけた頭の傷からだろう。


「汚ねぇな、おい。もう時間ねぇんだ。死ね、」


 男はギエンの顔面を加減する事なく殴りつける。ギエンの腰回りほどある腕から放たれる打撃の威力はギエンの骨を折るのには十分だった。

 背中を煉瓦の壁に打ちつけ、顔の骨もバラバラになる。


「しぶといな、こいつそっくりだわ。痛がるところ楽しみたいけど、もったいね。まぁしょうがねぇか。」


 男は腰から手斧を取り出すと血だらけのギエンの頭部めがけて振りかぶる。

 ヒュンという風切り音が聞こえ、ギエンは目を瞑る。そもそも血のせいであまり見えていなかった視界だが、自分が真っ二つにされる瞬間を最後に死にたくない。せめて幸せな思い出を瞼の裏で再生させて、と死を受け入れた自分に気づき咄嗟に体を捻って、左側に避ける。


 ガコン!と強い衝撃音が響いた後、ガラガラと煉瓦壁が崩れる音がする。


「おいおい、なんだよ今更。避けんじゃねぇよ。」


 ギエンはジスの首を抱えたまま。立ち上がる。全身に力は入らない。初めに自分で打ちつけた傷も痛むし、それ以上に殴れた場所はもう2度と元に戻らない気がする。

 けれどここで立ち上がらないとだめだ。言葉には出来ないけれどギエンははじめて自分の生き方、そして目の前の邪悪を考えて感じ取った。


 死をただ受け入れるだけじゃ、ジスの死は無駄に終わるどころじゃない。ジスの死に意味を作らなければギエンは自分を許せない。ほとんど見えなくなった瞳に夕陽が映る。真っ赤な夕陽が自分の中に入ったみたいに全身が熱く、滾る。


「小賢しい、ダリィんだよ。」

 男は乱雑に手斧を振り回し、ギエンに必殺の一撃を与えるために飛び込んでくる。視界が頼りにならないギエンは聴覚のみを頼りに間一髪のところで攻撃を避ける。

 しかし、そんな奇跡は2、3発避けたところで尽きる。空間を視覚できないギエンは角に追い込まれた。


「僕は、戦った!お前は怖くない!怖いのは兄ちゃんの事を忘れる事だけだ!」

 竦む両足を奮い立たせて、震える声で言い切った。ごめん、ギエンは小さく呟いて抱き抱えるジスの首をギュッと強く抱き直した。


「なんだお前ら兄弟だったのかよ、情けっ、」


「テメェのところのゴミ兄弟よりよっぽど美しいじゃねぇか。」


 ギエンが意識をなくす前に聞こえた声は聞き覚えのない低い声色だった。

 

 

読んでいただきありがとうございます。


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