1章5話
階段の上の玉座に腰掛けたクリフは背中から出した触手でティーカップの取っ手を掴み、器用に口に運んで飲む。そしてふぅ、と満足気なため息をつきながら言う。
「ちょうどいい甘さとコクのカフェオレだ。疑似乳料の味も抜群。一日の疲れが取れていきそうだね、アダム」
アダムは玉座の間の中央あたりにぽつんと置かれた椅子で、出されたカフェオレを飲んだ。だが、壮絶なものを見た後だったので、味があまりわからない。何より、目の前の人間が触手でティーカップを持ってカフェオレを飲んだ。そのことも含めて不思議過ぎて、味わうどころではない。
「苦っ……慣れたら、おいしさがわかるようになるかも」
「僕も最初、コーヒーを飲んだ時はなんて苦いんだろうと思った。有神時代に人々が残してくれた食文化に感謝だ。カフェオレを考えた人間には頭が上がらないよ」
そう言いながらクリフは別の触手で近くにあった書類を持ち、一瞬だけ目を通した。そしてなんと、数本の触手でいくつか羽ペンを持ち、それでサインをし始めたのだ。時折ペンにインクを継ぎ足しながらクリフは言う。
「有神の時代にはインクの継ぎ足しを行わずに書けるペンがあったらしいけど、製造方法が魔脳マグダラに伝えられなかったせいでこのざまだ。非効率かつ不便で仕方ないよ。大体このサインという行為も非効率だ。もっと自動でできればいいんだけど」
そう言いながら、クリフは触手を器用に操り、一気に10枚近くの書類にサインをした。だが何枚かはサインをせずに近くに会った黒い箱に捨てていっている。
「そんなに早かったら、いいんじゃない? ていうか、書類見てる?」
「見ているよ、速読は得意だからね。許可か不可を瞬時に判断して仕分けているんだ。これぐらいの速さでやらないと、夜が明けてしまう」
「へ、へえ~……」
触手を自在に操り、身の回りのことまでやっているなんて。いろいろと情報量が多すぎてついていけないと思った。
「それで、説明してくれないか? 僕たち半神について」
「構わないよ。まず、君が気になっている「神食」とイリヤ・ヘルメスが陥った状態について話そう。ああ、そこに置いたお茶菓子も食べていいから」
「全然食欲がなくて……無理だ」
「そう。じゃあ僕は食べるね」
そう言ってクリフは自分の玉座の傍机に供された小さなマカロンを食べながら言った。(それは手を使っていた)相変わらず触手で書類のサインか遺棄は続けたままだ。
「まず、「神食」というのは半神の体内に入ったヨグ・ソトースの肉塊の変異物質、『受肉結晶』が魔物の討伐によって成長する現象のことだ。半神は魔物を倒すたび、己の中のヨグ・ソトースの受肉結晶を育ててしまう。彼ら魔物はアザトースら宇宙神たちの眷属。ヨグ・ソトースは宇宙そのもの。宇宙のエネルギーを取り込んでどんどん肥大していく存在なんだ」
「ちょっと待って。そもそも、ヨグ……ソトースってなんだ?」
「すべての時、過去、現在または未来を支配する、創生神の名だ。一万年前、人々に恐れられる彼は太古の荒人神ゼルク・ラーによって討伐され、その肉体を粉々に砕かれて大陸中に撒かれた。それが地上の元素と結びつき、結晶化したのが、君たちの体に入った『受肉結晶』だ。ヨグ・ソトースは最強の創生神。地上の神々よりもはるかにつよい不死なる存在。殺すことはできないから、肉体をバラバラにするほかに弱体化の方法がなかったんだ。」
「バラバラに……? かわいそうだね」
クリフは書類にサインをしていた触手の一つを止めて再びカフェオレを飲みながら聞いた。
「何故、そう思うの?」
「だって、人を怖がらせただけだろ? それだけでバラバラにされるなんて」
クリフは少し意地悪そうに笑って言う。
「あれ? 君は、イリヤが口から触手を吐き出した時、後ずさったよね? 彼に駆け寄ったのは、もう死んでからのことだったと思うけど……僕の気のせいかな」
アダムは思わず図星をつかれ、胸がちくりと痛んだ。後ずさっても尚、イリヤは最後まで無理をして笑っていたのに。恐ろしさのあまり、離れていった自分の姿を思い出す。クリフはどこか満足気な表情で言った。
「ああ、君を悪く言うつもりは全然ないんだよ。人が恐ろしいものから遠ざかるのは当然だ。一万年前、人々の前に姿を現したヨグ・ソトースの脅威はあんなものではなかっただろうしね」
アダムは罪悪感を宿したままだったが、ほかの情報を集めるために聞く。
「体内にヨグ・ソトースの肉体…『受肉結晶』が埋め込まれているのはどうして? 神の遺物が魔物を倒すのに必要なものなんじゃないの?」
「いわゆる「つなぎ」だよ。神の遺物と人体を繋ぐことは通常ならば不可能。それを可能とするのが、外なる神ヨグ・ソトースの『受肉結晶』だ」
クリフは「マリア」と声をかけ、「図解を出して」と言う。すると、ホログラム状の図が表示された。図にはデフォルメされた人間……アダムによく似たどこか間抜けな顔の少年と、先が折れた槍が描かれている。
そして少年と槍の間に「+」の記号が描かれた。そして「=」の文字がその先に書かれたあと、倒れて天使の輪がかかった少年の姿が浮かび上がる。
「僕の父、アーサー王は半神を作るために色々と実験をした。ああ、もちろん使ったのは七国大戦の政治犯や死刑囚たちだよ? 最初は遺物と人間だけをくっつける手術。でもぜーんぶ失敗。死者が何人出たっけなあ」
クリフが軽い調子でそう言うと、また新たな絵が表示される。アダムを模した人間と槍、そして「?」と書かれている。
「それで困り果てて、父上はもう一人の創生神クトゥルーを呼び出して賭けをしたってわけ。魔脳マグダラは停止して答えをくれないし、解決方法はそれしかなかった。賭けに勝利した父に、クトゥルーは遺物が人間と結びつかない決定的な理由を教えてくれた。それは……『時のつながり』だ」
「『時のつながり』……?」
「一万年前、時の神ヨグ・ソトースの暴走を止めようとした地上の神々は、自分達との肉体を殺して人類を守ったと言われる。その多大なる時の隔たりが人類と神の間にはあるんだ」
「神様の肉体が死んだってことは……じゃあ、神様はほんとに人間みたいに生きていたのか?」
すると、傍に置いている槍がピカッと強く光る。
「……おっと、怒ってるようだね。ノーデンスは非常に頑固者かつ厄介な神性だ。何度も被検体の対話で「気に入らない」と言う理由で相手を拒んでは死なせてきた「器殺し」の遺物。君が生き残れたのは奇跡的だよ」
「話をそらさないで!」
「そうだね、地上の神々は本当にいた。肉体を持って人間のように暮らしていたと言われているよ。権力者や長として暮らす者や、陰なる守護者として一般人に紛れ込む変わり者。超常的な力を持つ彼らはみな、世界を守るために共存していたそうだ。だがあるとき、アザトースら宇宙神の意思を受け取った一部の人間が徹底的に排除しようとした」
クリフは指を動かし、ページをめくるような動作をした。するとホログラムの映像が切り替わる。果てしない銀河を映した映像の先に「アザトース」とバベルトで書かれたゼリー状のデフォルメ絵が表示される。
「ここで改めて説明しておこう。神には四つの勢力がある」
クリフは目や人間の筋肉のような組織が集まったゼリーの塊のような神を指さす。
「第一に……これが邪悪なる宇宙神の勢力。僕たちを脅かすアザトースらがそれにあたる。彼らはこの星のリセット……および人類の滅亡を望んでいる」
ホログラムは次に、巨大なタコのような生き物を映し出す。
「第二に夢見の創生主と呼ばれる邪神クトゥルー。無数の触手に覆われた異形の神でありながら、この世界を作ったと言われる創生主だ。僕は彼の現身である半神だ」
そう言いながらクリフは自分の触手を弄ぶようにうねうねと揺らしてみせた。
また、映像が切り替わる。次に現れたのは三叉槍を持った老人や後ろに後光を背負った少年、長い髪の女神たち。弓矢を構えた兵士。
「第三に、かつて肉体を持って人々と共生していた地上の神々だ。基本は善なる者たちとして有名。善神ノーデンスや、大地の神ガイア、弓矢の神ヘルメスなどがいる。彼らの肉体は今は完全に滅び、残ったのは彼らの武器や装飾品などの遺物だけ」
映像が切り替わった。次が第四で最後か? そう思ったアダムの前に出されたのは虹色に輝きながら発光する、全身触手まみれの巨大な肉塊の画像だった。その姿はどこかクトゥルーと似たものを感じる。不思議とアダムの口から、そのイメージに対する言葉が発された。
「ヨグ・ソトース……」
「ああ。第四の勢力は『もう一柱の創生神』、ヨグ・ソトース……。彼はクトゥルーの片割れとも、不倶戴天の仇とも呼ばれる虹色の神。すべての次元と時を支配する彼は全ての勢力の神にとって敵対視、もしくは嫉妬されてきた。あまりにも超越的でかつ、おぞましい神だからね」
クトゥルー、そしてヨグ・ソトース。この世界には創生主の神が二柱いるということか。
「この、虹色の触手のを持つ神様の体の一部が僕たちの中に入ってるってこと?」
「神の遺物と人間を繋ぐのに必要なのは体内での時間調整だ。人の肉体は通常、時を越えて太古の神と交わることはできない。だがクトゥルーによると、時を支配するヨグ・ソトースの肉体であり、人間の潜在意識に直接干渉する『受肉結晶』を媒介に時を超え、遺物の交信と接続が可能になるとのことだった。だから僕たちはさらなる遺物と同時にヨグ・ソトースの『受肉結晶』を世界中からかき集め、半神生成技術を完成させた。人と遺物と『受肉結晶』、その三位一体がかつては冒涜と呼ばれた神と人の融合を可能にするのだと……」
そこまで話し、クリフは映像を切る。
「まあ、こんなところだ。大いなる恩恵を得られる行為はリスクを産む。それだけさ。僕も半神だから君たちと背負っているリスクは同じだよ。……ああ、ちなみに神の異能を使ったり、攻撃をするだけでも神食が進んで討伐限界数に近づいてしまうからね」
だから、イリヤは討伐限界数に達してしまい、イリヤは具合が悪くなったのだ。アダムはそう腑に落ちたが、首のあたりがさらに締め付けられるような感覚に襲われた。自分の生殺与奪の全てはこの首輪と、この美しくてつかみどころのない少年に握られているのだ。
「というわけで、オーバーワークには気をつけながら働いてくれ。まあしばらくは心配する必要はないだろう。今は1回の討伐数も少ない低レベルのポーンだからね」
クリフは警戒にそう言い、また触手の一つでカフェオレを飲んだ。どこか怯えた顔でクリフを見るアダムに、ふっと笑って言う。
「ああ、もしかして、マナーが悪かった? 失礼したね。あくまで僕は、半神の体を有効活用してタイムパフォーマンスを上げているだけだ」
「そんなのはいいよ。それより……この戦いは繭を全部壊せば終わるよね?」
クリフはしばらく考えた後、表情を変えずに言った。
「どうだろう、アザトース次第だろうね。だが僕は、『100年の安寧』などと言う敗北にわがルルイエを伏するつもりはないよ」
クリフはそう強く言い切った。
『100年の安寧』とは何か。そう聞こうと思ったとき、後ろからずしり、ずしりと足音が近づいてくる。アダムが振り返ると、小太りの男が立っていた。
「クリフ様、ご報告がございまして馳せ参じました。お時間よろしいでしょうか?」
クリフはぴくりと眉を寄せる。
「……アダム、悪いが宰相ヴィ―ドと話がある。外してくれ。今日はご苦労だったね。ここを出てマリアに話しかければ君の部屋に案内してくれるよ」
「部屋? 僕の部屋があるの?」
「最初に言っただろう。半神たちはみな、この城に住んでいるんだ。空きが少ないから相部屋だけれど、我慢してくれ」
何か、大事な話なのだろう。そう思い、アダムはほとんど味がわからなかったカフェオレを飲み切り、椅子から立ちあがった。
「わかったよ。それじゃ」
ふと、アダムはヴィ―ドと呼ばれた男の目が自分を品定めするように一瞥したことに気づく。そうだ、たぶん偉い人なのにまだ自己紹介をしていない、と気づいた。
「あ、あの、俺、アダムって言います!半神特殊部隊に入ったばかりですが、よろしくお願いします」
ヴィ―ドという人物はにっこりと笑って答える。
「そうか。厳しい務めであろうが、懸命に励め。われらが国家の命運は、お前達にかかっているぞ」
「はい……頑張ります!」
アダムはそう言い、ぺこりと頭を下げて去っていった。
クリフは書類へのサインをしながらヴィ―ドに尋ねる。
「さて……直接我が玉座に出向くとはどうされましたか? 竜玉公国の皇帝、炎龍陛下」
クリフの言葉に、男はきょとんとして聞き返す。
「おや、クリフ様。お戯れはよしてくださいませ。私はヴィ―ドでございますよ」
「ヴィ―ドは東の砦の視察に行っている。こんな早くに戻ってくるはずがない」
「ほう……それは予想外。やはり間が悪いことこの上ない。これもまた私の因果でしょうか? ……なんてな」
彼はにやりと笑う。そして胸元の軍服の合間から長いキセルを取り出し、指を鳴らしてどこからか火をつけて吸い、煙を深く吐き出した。
するともやもやと赤と灰の混じった煙が男の全身を包んでいき……そして煙が晴れる頃、その姿は別人へと変幻していた。
赤と黒を基調とした中華服に身を包み、丸眼鏡をかけた長身の美丈夫は金の瞳を光らせ、にやりと笑って言った。
「どうしても、その顔が見とうなってなぁ。ちょっとお隣から飛んできたっちゅーわけや」
クリフは玉座の階段を一つ一つ降りていく。それは王と皇帝という「平等」な立場である以上、必要な振舞いだが、どこか皮肉りながら言う。
「いまだに不思議ですよ。伝説の大皇帝の末裔であるあなたが、なぜ東方訛りで話すのか。東の国ジャーティンは竜玉公国が最後に吸収合併した国でしょう」
「貴種も凡夫も元を辿れば皆同じ。歴史の波にのまれて流れては、どこかで交わるものや。源流を探るのは野暮やで」
「興味深い意見ですね。僕はそう思いませんが。血は永遠に人を縛り付け、良くも悪くも宿命を与え続けるものだ」
炎龍はクリフの顔を待望、そしてどこか諦念の感情が浮かんだような目で見つめた。そして、にかっとどこか人好きのする、だが底知れなさを感じさせる笑顔で笑った。
「まあまあ、硬い事言わんと。綺麗なお顔が台無しやで。せっかくええもん持ってきたのに」
玉座を降りたクリフは目の前の、全ての「嘘」をそのまま具現化したような男を見つめる。彼は笑い、もう一度キセルを吸って、長く煙を吐き出して言った。
「さあ、腹割ってゆっくり話そか、『密友』殿?」