3章14話 Reunion and Solitude
クリフは廊下を歩きながら、アダムに淡々とこれからのことを告げた。
訓練場の場所や、施設の説明を聞くのは二度目だが、アダムは一応全部知らない体で聞いた。もう一つの過去があったと知られてはいけないためだ。
「普通なら、半神の誰かと二人部屋で寝てもらうんだけど、君は元の自分の部屋で眠った方がいい。つまり、今僕が使っている部屋にベッドをもう一つ運ばせる」
クリフと同じ部屋で寝る?
汚部屋のヴァルトロと一緒より断然いい……。だが、気まずさもある。
黙っているとクリフが少し怪訝な顔で聞いてきた。
「嫌なの? 僕と同じ部屋で寝るのが」
「嫌なわけないけど、さすがにそれはまずいんじゃないかな。みんなの記憶の問題もあるし、いくら兄弟でもお互いいい年だし……距離が近すぎる」
クリフはどこか、ちくちくと苛立ったような言葉をアダムに返した。
「王族がほかの者と同じに寮で生活する方がまずいと思うけど。君には先ほどのような機密事項を話してしまったが、どうしてもというなら強要はしない……君とは血の繋がりもないことだしね」
また何か誤解しているようだ。アダムが本気で嫌がっていると思っているのだろう。
アダムは急いで否定した。
「いや! だからクリフと同じ部屋で寝るのが嫌ってわけじゃなくて……俺も半神のみんなと同じ扱いのほうがいいんじゃないかな? 戦闘力や討伐数だってまだまだだし、階級だってポーンからスタートだろ。王族だからって特別扱いされたら、不満が出る気がするよ」
クリフはしばらく何かを考えた様子だが、ため息をついて観念したように言う。
「そうか……実は僕も最初はそう思った。だが、個人的感情から、兄さんを特別扱いしたくなったんだ。王として、情けないな」
「い、いや……別にそんな自分を責めることはないけど」
「わかった。ならとりあえず、いったんは半神たちと同じ寮に入ってもらう。僕が自分の部屋を君に返すときは、君に王座を返す時だ」
そしてクリフは少しだけためらったあとに、おどおどとした調子で言った。
「ねえ……僕、ちゃんとするから。もし僕が道をそれそうなときは今みたいに、正直に言ってくれる?」
「え……?」
クリフは小さく微笑んで言う。
「嬉しいんだ。本音や自分の間違いを指摘してくれる人がそばにいると。この立場だと、誰も本音なんて言ってくれやしない……。炎龍陛下だって、本心は謎めいているしね。わからないけど……きっと、家族は本音を言うものだろう?」
アダムは再び、言えない真実に罪悪感を抱いた。
すると、大きな足音が後ろから響いた。
「王様ー! いたーっ!!」
無邪気な声が響いて思わず振り返ると、ぴょこっと犬耳のようなものが生えた背の高い少年が同じく犬のようなふさふさとしたしっぽをブンブンふりながら立っていた。
「ねー王様! 遊ぼー! 今日もチェス教えてくれるんでしょう!?」
「それは君が駒の種類を自分で覚えてからだ」
「難しい! ルークとビジョップがどっちだったかすぐに忘れちゃう!」
「半神の階級バッチも駒の名前と形になってるのに忘れるのかい!? もうそれはお手上げだよ」
「あの……クリフ、この人は?」
大柄だが、ふしゃふしゃとした前髪の下の目が人懐っこく可愛らしい少年はやっとアダムのほうを見た。
「あーーー!! 王様の兄ちゃんだ! 起きたの!? おはよう!」
そう言って手を差し出されたので、アダムは握り返す。
「ボクはゼファー! 王様の友達なんだー!」
友達? クリフに友達が!?
思わずクリフを見ると、腕を組んで少しばつが悪そうにしている。
「何だかんだでそうなったんだ。これから討伐で組むこともあるだろうから、そのときはよろしく頼むよ」
「そ、そうなんだ。クリフに友達が……!! よかったよ」
アダムは心からそう思って言った。
「なぜだい?」
「なぜって。いいことだから……かな」
アダムの答えはまた曖昧になる。孤独だったクリフの近くに炎龍以外の人間もいてくれたことは、アダムを落ち着かせた。
「友達の友達は友達だね、アダム! キミもよろしく!」
「えっ? あ、うん。わかった」
強引だが、憎めないと思いながらアダムはうなずく。
ゼファーはクリフの顔を近くで見てにこっと笑う。
「王様! 嬉しそう!」
「そうかい?」
「アダムがやっと起きたからだね。ボクも嬉しい!」
そう言ってまた尻尾をぶんぶんと振る。
その日の夜、アダムは招集された半神たちの前で紹介されて軽い挨拶をした。
王の兄ではあるが、半神として共に戦うことを伝えると、全員がそれなりに受け入れてくれた。
半神の顔ぶれのなかに、銀髪の少女がいないかアダムは思わず探したが、どこにも見当たらない。
ヨグが見せてくれた現実の世界の映像の中にガイアは確かにいたはずなのに。
ガイアに会いたい。会わないと。
今度は自分が彼女を守りたい。
アダムは解散を告げられた半神たちの中に、彼女がいないか探し回る。
だが、そこで誰かにぶつかった。
「ちっ……いきなりぶつかってくんじゃねえよ」
底の高いブーツを履いた青年が、苛立った声を出す。この編み上げのブーツ、じゃらじゃらとしたブレスレットに、何個もつけた銀の指輪……黒いネイル。
見覚えがあるな……。そう思いながらアダムが顔を上げていくと、左側の赤い髪をコーンロウにした、三白眼の青年が現れた。
「ヴァル……トロ」
「前見て歩けよ、新入り。あの王の兄だかなんだか知らねえが、ポーンごときが偉そうにすんじゃねえ」
あのとき……仲間を救うためにヴァルトロは俺に未来を託してくれた。
彼から継承した能力で、窮地を救われた。
ありがとう、と言いたくなったが口を噤む。
これも伝えるわけにはいかない。代わりに口から出たのはルームメイトとして過ごした時によくやっていたような、嫌みの応酬だった。
「偉そうになんてしてないよ。大体、そっちが偉そうなんじゃないか。ぶつかったのは悪かったけどさ」
「ああ!? 初対面のくせに生意気言いやがって!」
――そうだ、ヴァルトロも俺を覚えていないんだ。
そう痛感したアダムは少しだけ寂しい気分になった。
いつも憎まれ口を叩き合っていたような相手だが、彼に救われたこともある。
ヴァルトロはその表情を見て、眉根をひそめて言った。
「なんだよ。これぐらいでしょげたツラして。王族ってのは、どいつもこいつもナヨっちい奴ばっかりなのか?」
「俺のことはそう思ってくれていい。でも、クリフのことは悪く言わないでくれ」
「他国の皇帝の言いなりで、俺ら半神をこき使う。そんな奴をよく思えだと? 笑わせんなよ」
やっぱり、意地悪で嫌な奴だ……。そう思って言い返そうとしたときだった。
「もう、何してんの~? ヴァル。あたしが見てないと、すーぐ人に突っかかるのね」
少し高めの、だが確実に男性の声が上から降ってきた。
「ごめんなさい、王子様。でも怖がらなくていいわ。この子ってライオンのフリした野良猫ちゃんだから」
近づいてきたのは、背が高く美しい青年だった。
白っぽい銀髪に通った鼻筋に、柔和ながらも強い光を宿す瞳。その下にある涙ぼくろが特徴的に存在を主張している。
立ち姿が堂々としているせいか、その背の高さが余計際立った。
有神時代によく人々が楽しんだという娯楽『映画』の俳優と見まがうほどに整った顔立ちの長身の青年だった。胸元にはビジョップ階級のバッヂが光っている。
ヴァルトロは苛立ったように威嚇の矛先をその青年に向けた。
「ああ!? ふざけんな! だ・れ・が!! 野良猫だ!」
「そういうところよ。イライラしたらすぐにフシャーって威嚇して、猫パンチしてくるじゃない」
ヴァルトロから戦いで命を落としたグレンと言う人がいるとは聞いていたが、想像と、大分違う……そう思った。
「あのー。本当に、グレンさん……ですよね」
「あら、そうだけど。あたしのこと、誰かから聞いて知ってるの?」
ふわりとした柔らかそうな雰囲気に反して、その一言には少し探るような色合いがあった。
「あ……クリフに渡された資料に、特殊部隊の人たちの名簿みたいなのがあったので、それでちょっと」
思わずごまかさざるを得なくなる。
「ふうん。じゃあ改めて、自己紹介しておこうかしら。あたしはグレン・ヤルダバオト・ヌル。好きなものは女の子とスイーツ。特技はちょっぴり勘が効くところかしら?」
話し方は女性的だけど、女性が好きなんだ……。いろいろと衝撃が強い。
「お前、今度めんどくせえことやりやがったら、その本性、スラムの奴らにばらすぞ!」
「いいわよ。勝手におやりなさい。きっと誰も信じないわ。オリオンはもう知ってると思うけど」
オリオン。一度会ったことのある盲目の少年だ。見えない瞳で不思議と、本当のことをすべて見抜いていた。
この世界でも、あの子は元気にしているんだろうか……?
アダムのわずかな感傷を遮るようにヴァルトロがまたグレンにつっかかる。
「てか、なんで今まで兄貴キャラ作ってたんだよ! 半神になってからいきなり女みたいな喋り方するようになりやがって!」
「だって女性受けも悪いし、『スラムの腕っぷしが強くてカッコいい、頼れるお兄さん』ってイメージに合わなくてみんなががっかりしちゃうじゃない? 半神になったら、一体いつ死ぬかわからないでしょう? 自分らしく生きなくちゃ、やってられないわ。あたしはただでさえ『持ちが悪い』忌神の『嘆きの残滓』持ちなことだしね」
アダムは忌神という言葉に改めて反応する。
さっき、炎龍が言っていた存在しないはずの神の『嘆きの残滓』のことだ。
やはり、半神たちの神食を速めるような危険な『嘆きの残滓』を炎龍がもたらしていることは問題視すべきだろう。
もし荒人神になれば、ほんとうに神食が消えるとは思えない。
「……まあ、眉唾ものよね」
まるで頭の心を読んだかのようにグレンはそう呟いた。アダムは思わずうろたえる。
「え……?」
「あたしはどうやら自分に適合する『嘆きの残滓』がなかったらしくてね。適合しないまま、受肉結晶を受け入れたままの体はやがて命を失う……。そんななかでようやく合致したのが、今の『忌神』ヤルダバオトよ。でも、自分が戦いの果てに『荒人神』なんてものになれるとは到底思えない」
アダムの心を読んだようにグレンはそう言った。
「そうなんですね……あの、よろしくお願いします。最初は慣れなくて、迷惑をかけるかもしれないですけど」
「こちらこそよろしく、王子様。何かわけありのようだけど、困ったときは遠慮せずに頼ってちょうだい。あたしにできることなら、力になるわ。お礼には……そうね。かわりに、かわいい女の子でも紹介して♪」
ふざけながらも、見知ったばかりの相手のことを見抜き、安心感を与えるような穏やかな口ぶりだった。
そして、その言葉に嘘はないように思えた。
スラムの子どもたちにこの人が慕われていた理由がわかった気がする。
「ありがとうございます。でも、最後のお礼はちょっと約束できないかもしれません……」
「そうよねえ~。ここじゃ、むさくるしい男ばっかりだもの。ガイアちゃんはとっても可愛いけれど、想い人がいるようだし」
アダムはその名前を聞いた途端、激しく心臓を揺さぶられて思わずグレンを問い詰める。
「が、ガイア!? あの、彼女はどうしてここにいないんですか?」
「あら、急にがっつくわねえ。彼女、偵察任務に行ったみたいよ。また帰ってくるんじゃない? それより、後ろにいる彼が、あなたに話があるようだわ」
アダムは振り向く。するとそこには……。
「アダム・ノーデンス・エルダーゴッド……だね? 初めまして、僕はイリヤ。君と同じ部屋になったんだ」
紺色の髪をした少年が立っていた。そうだ、初陣のときに面倒を見てくれたのに、神食が進んで命を落としたはずの……。
「イリヤ!!!??」
「そんなに大きな声を出さなくてもいいじゃないか。君と同室になったから、挨拶と案内に来たんだ。部屋まで一緒に行こう?」
アダムはただ、呆然としながら頷いた。
そして思わず首輪を操作し、今日の日付を見る。すると、それは違う未来で初めて目覚めた日よりも、一か月前だった。
日付が前だとはいえ、確かに「少しずつ」変わっていることがあるようだ。
クリフはきつい討伐を人に強いることもなくなっており、少し見ただけでも特殊部隊の人間関係は前よりも柔和になっていた。
ヴァルトロの相棒だったグレンは死んでいない。それはよくもわるくも忌神の『嘆きの残滓』を移植したからだろう。その強大な力で生き残ったとしか思えない。
基本的に今は、志なかばになったとはいえ、アダムがクリフを助けに向かったことによって、少しずつ結果がいいように変わっていることがあるようだ。
だが、本当にそうだろうか?
炎龍の真意も、そして『忌神』の存在が不気味な影を落としている。
油断はできない。その日がくれば、イリヤも命を落とすかもしれない。
「今度は……」
「ん? なに?」
君のことも死なせたりしない。アダムはそう呟きそうになるのを呑みこんだ。
「いや、よろしく。イリヤ。足を引っ張らないように頑張るよ」
「あはは。王様のお兄さんなのに、君は謙虚だね。緊張してたんだけど、よかったよ」
落ち着いた様子でイリヤはそう言った。
一方、クリフは自室に戻ったあと、魔脳マリアで遠隔通信を受信した。
「偵察報告をするわ。西の山岳部の繭は異状なしだった」
少女……ガイアの落ち着いた声がノイズまじりに聞こえてくる。
「そうか、どうもご苦労様」
「アキリーズと一緒だったから、困らなかった。グレンに聞いたけど、アダムが目覚めたんでしょう。どうして、私に声をかけなかったの?」
「ただの連絡漏れだ」
「私を彼に会わせたくなかったのね。あなたならそうすると思った」
「別の機会があるだろう。君の存在を僕からアダムに話す義務はない」
そう言ってクリフはガイアとの通信を切る。
そして、マリアに別のコマンドを出した。
「マリア。位置情報の確認を頼む」
すると城の地図がホログラム状に生成され、居住スペースのある一室に赤い点が表示された。
――よかった。アダムはどこにも行っていない。
クリフはため息をついた。
組紐のなかにマリアと対話して生成したナノチップを織り込み、それでアダムの位置情報を確認することにした。さすがに体内や衣服に織り込むのは気が引けてできず、だがアダムの消息を知ることができない不安にも打ち勝てず、渡さずにいられなかった。
アダム。やっぱり君が目覚めないでいてくれたほうがよかったかもしれない。
どこかに行ってしまわないか、こんなにも不安なんだから――。
『その通り。あの者はいつか必ず、お前を見捨てるぞ? クリフよ』
「……!!」
クリフは体内に埋め込まれた触手が心臓の裏側をなぞる感覚に思わず、身を震わせた。




