3章11話 Sweet Dreams and Unforgiving Reality
降り注ぐまばゆい太陽に、わずかに目を細めた。
いつの間にか、うたた寝をしていたようだ。でも、さっきまで自分が何をしていたのか、ほとんど覚えていない。
ここがどこなのかも、よくわかっていない。
でも俺は……この国の王子だった。それだけはわかる。
それから、たった一人の……
「アダム! 兄さん!」
緑豊かな丘ではっとして振り返ると、金髪に紫の目の少年が立っていた。
少し離れた場所に城が見えているが、城下近隣にこんな場所があっただろうか?
国民の癒しだった人工芝さえ、魔女ヘレナが来てから国費の無駄だと削減されて、枯れ山のような街になったと不満が出たのに。
「クリフ……君、牢獄にいたんじゃ……」
「何言ってるんだよ、兄さん。午後からは剣術の稽古だから急いで! ほら早く!」
そうやってクリフはアダムの腕を握った。意外と強い力に違和感を覚えた。
「あれ? 君って、こんなに力強かった? 腕ももっと細かったような……」
アダムはそう言って、クリフの腕をもう片方の手で握ってみた。その腕は少年らしく細いが、筋肉の厚みが感じられた。
クリフはずっと暗い場所に一人きりでいた。だから、とても細い体をしていたはずだ。
「あははっ! くすぐったいよ! やめて!」
クリフはそう言って、天真爛漫に笑う。
クリフのこんな明るい笑顔、見たことがあったかな……?
だって、クリフは……俺が……。
一瞬、頭の中にあるビジョンが浮かんだ。
玉座に腰掛け、こちらを見下す冷酷な美しい王。
不健康なまでに細い指でアダムに冷たい首輪をつけながら、ささやいた言葉。
背中から生やした触手で大量の蝙蝠たちを串刺しにしながら、闇夜に月明かりと共に艶然と輝く異形の少年の姿。
『ダメだよ……思い出しちゃ……』
「っ……!!」
アダムは頭に激しい痛みを感じた。
「兄さん、大丈夫? 具合が悪いんじゃない?」
クリフは心配そうにアダムを見つめる。
「いや、大丈夫。悪い夢を見たせいかも」
「悪い夢って、どんな?」
「ううん……よく、思い出せないや」
「秘密はダメだよ。僕たち、なんでも話せる仲じゃないか!」
クリフはキラキラとした瞳でアダムを見て言う。
「えっ、そうだっけ……」
むしろ、クリフには高い壁があって、心の中に一切立ち入らせてくれなかったような気がする。
「ひどいなぁ。たった一人の兄弟なのに」
「ごめん、俺ちょっと、おかしいんだ。疲れてるのかも」
「それじゃダメ。今日こそは僕に勝ってくれないとね」
「えっ、俺、いつもクリフに負けてたっけ」
「へえ、自分に都合の悪いことは忘れるんだ? いいよ、証明したげる!」
クリフはいたずらっぽく笑い、アダムの腕をつかんだまま走り出した。
「疲れた……」
クリフが言った通り、剣術ではボコボコにされてしまった。稽古場で思わずぐったりと倒れたアダムにクリフが水を手渡してきた。
「まーた僕の勝ち! 父上に報告しないと!」
受け取った水を飲みながら、アダムは問いかける。
「クリフ、父上と仲直りしたの?」
「仲直り? ケンカなんてしてないけど」
「でも、こんなことしてていいのかな?」
「こんなこと? 未来を担う王子にとっては大切な義務だよ」
「だけど、外ではアザトースの繭が破れてる。放っておいたら魔物が現れて、民が……」
きぃぃぃん!
また、耳鳴りがした。
「アダム、変な事ばっかり言わないで。繭ってなあに? 魔物なんて、見たことないなぁ」
クリフは不遜な口ぶりで言う。
そうだ、そんなの知らない……。
俺とクリフは、ルルイエの王子だ。
ずっと兄弟一緒に、支え合ってきた。
母親は違うけれど、そんなの大したことじゃない。
俺たちはお互いにとって、たった一人の兄弟なんだから。
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アダムの潜在意識下。そこには眠る彼を見守るように見下ろす光球、ノーデンスの『嘆きの残滓』と、きらきらと輝く虹色の結晶だけが存在している。
そしてスクリーンのように、空中にはアダムの見ている夢が照らし出されていた。
『クトゥルーの記憶領域を模倣したけど、うまくできた。こうしていると、君が見ている夢をずっと一緒に見られるね……」
虹色の結晶の声は反響し、こだまのように尾を引いて響いていく。
『アダム……ずっと、君は幸せじゃなきゃ。痛い思いも、悲しい思いもしちゃダメなんだ。だから、君の生きてきた時を不器用に繋ぎ合わせて、模造の夢を作った……起こった出来事と人物の紐づけを変えたりしてるから、違和感はあるだろうけど……これなら君も目覚めたいなんて、願わないだろう?』
『幸せな幻を見続けさせ、目覚めさせない。それがお前の愛か? 時の神ヨグ・ソトースよ。受肉結晶と成り果てても、ずいぶんと身勝手で、息苦しいもんじゃ』
虹色の結晶のまわりをふよふよと金色の光球がただよいながら問うた。
『ノーデンス、違う未来でも、君は彼と縁を結んだんだね』
『なんかようわからんが、そういうことなんかのう。運命の人的な? だったら美女がよかったわい! ……ってのは、半分冗談よ。半分な』
『善神の君がうらやましい。いつでも、迷いがないからね』
『お前が人をキメラ善神にしといて、何を言うか。儂かて、そんな気楽じゃないわい。死ぬ前もひたすら悪神の討伐。触手の坊やに腕をもがれてからは、人々に忘れ去られるし……。でもな。『嘆きの残滓』だけになっても、人間どもが心配でならん。救いたくて仕方ないソワソワメンタルを抱えたままで、目覚めないアダムの中にくすぶっとるんじゃ。これ、なんの拷問かのう!?』
『善を成したいなら、彼の中にいたほうがいい』
『どういう意味じゃ?』
『彼はまた、憎しみと戦うことになるんだ。それに……見たくないものを見てしまう』
『時の神であるそなたが言うからには、なんかすげーワケありっぽいなぁ。でも、なんの事情かは知らんが、ずっと寝てていいと儂は思わん』
ふよふよと漂う光球はアダムの周りを飛び回り、ぴかぴかと明滅させた。
『おーい、起きろー!! 飯の時間じゃぞ! あっ、向こうにめっちゃ面白い大道芸人がいる~!』
『たぶん無理だと思うよ』
『なんでじゃ、やったらできるかもしれんじゃろ! 千回目ぐらいには起きるかもしれん!』
『君が別の名前を持っていた時に治めていた、極東の国によくある考え方だよね。努力は必ず、報われる。やったことは決して、無駄にならない……』
『紛れもない事実じゃろ。儂は大国主(テラ=エン・リンク)時代から一切嘘なんぞつかん』
『……でも、ぼくのアダムはどうなった? 『時の改変』を行って、一体何が変わったのかな? 彼が苦しみながら、必死で頑張ったことに見合う結果を得られたと思う?』
きらきらと虹色の結晶はどこか憂いを帯びて輝いた。
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アダムは夜、バルコニーから城下を見下ろした。
街には平和な明かりがともっているし、城内ではどこからともなく音楽が聞こえる。
有神時代の遺産と呼ばれる音楽は魔脳端末が毎回違う曲を自動生成し、気候や時間帯に合わせた曲が流れてくる。
有神時代には人間が奏でることのできる楽器演奏が盛んだったらしいが、魔脳が存在するようになって人類は楽器をほとんど奏でなくなり、自分で曲も作らなくなった。
それどころか、絵画や文学、彫刻、ほとんどの創作活動が衰退したと言われている。
なぜなら、人が望む完璧なものは魔脳が作ると判断したからだ。
今は夕べにふさわしい、穏やかな曲が流れている。
「アダム。縁談の話だけど、どうする?」
「は!?」
「そんなにびっくりしなくても。もう十九なんだから、いい加減ちゃんとしろって父上が言ってたじゃないか」
「でも、俺には……その、好きな人がいるし」
アダムはそう言って、頭をかいた。
だが、そう言いながらも、『彼女』のことがよく思い出せない。
「そうだったの? どんな子?」
クリフはどこか、わくわくとした表情で聞く。
「クリフには関係ない……」
「じゃあ、ガイア姫とはどうするの?」
「が、ガイア!? 姫……」
「この前お見合いして、意気投合してたじゃないか」
ふと、銀髪に緑の目をした少女が思い出される。そうだ、彼女はいつも不器用に結んだリボンをつけていて……。
あのリボンはたしか、俺が前に木に引っかかったのを取ってあげて……。
『ダメ……ダメだよ……』
またもや、頭が痛んできてアダムは抑え、思考をなぎはらった。
「そう。好きな子ってその子なんだ」
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『だからぁ! 『時の改変』ってなんぞや! なんか、過去変えたんはわかるけど、くわしーくハッキリ話せ。なんかもやもや~っと話されててずっとめちゃくちゃ気持ち悪いんじゃけど! もう二年じゃぞ!! もし儂が神特有のゆったり時間間隔じゃなかったら、とっくの昔にブチ切れとるわっ!!』
『彼に聞いてみるといい。ぼくが語ることじゃないから』
『だから聞けるわけないじゃろ! お前のせいで寝とるんじゃから』
『ぼくは、彼に失望してほしくない。そして……彼を来るべき戦いに巻き込みたくないんだ』
『メルジューヌの魂をクトゥルーが狙っとる。だからか? かといって、この若者を憎しむ者がいなければ、殺せんじゃろう。魂というのは、憎しみでしか殺せんのじゃからな』
『彼が起きれば、いずれ事態は動く。そして……彼は真実によって憎まれる……だからさ』
『はあ……しゃーないのう。頑固な時の神はてこでも動かん感じじゃし、わしは所詮、ただの『嘆きの残滓』じゃし……』
ノーデンスはアダムの寝顔を見て、そっと呟く。
『結局はお前次第じゃな、アダム……お前が決めるしか、ないようじゃ』
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城下の広場のベンチで、アダムは銀髪の少女の隣に腰掛けていた。
絶え間なく空から流れ星が落ちてくる。
ああ……今日は『有神祭』だった。
死んだ神々が星になって蘇り、人々の願いを叶えてくれると言う……。
銀髪の少女は上品なドレスに身を包み、アダムの隣で物静かに座っていた。
「綺麗。本当に……あれはみんな、死んだ神様たちなの?」
「ああ、そうやって教えられたよ」
死んだ神々にはもう肉体がない。魔脳マグダラに叡智を残した後、死んでからはただ人々の幸福をどこかで祈っていると言う。
ふと、アダムは隣の少女を見つめる。
北方民族の血が入っているのかと思わせるほどに白い肌に、絹糸のような銀の長い髪。
その髪は美しく結われているが、記憶の中にある、いつも不器用に結ばれたリボンがないと気づく。
「リボンは? いつもの、つけてないの?」
「なんのこと」
「前に言ってたじゃないか。大切なお母さんの形見だって」
アダムは再び、頭の痛みを感じた。
それと同時にいくつかの映像がフラッシュバックした。
大地を歪ませる力。黒い何かに蝕まれ、姿を変えてしまった体……。
貧しいながら、育ての母親と支え合って生きてきた、ひたむきな生き方。
そう、ガイアという少女はどこかの姫じゃない。お互いに命を削り合いながら戦った同士だ。
いつでも弱くて、情けない自分を助けてくれた。
そして、彼女は誰よりも大切な人だった。
そうだ。この少女について、俺はあまりにも強い感情を抱きすぎている。
「うん……。だって、それは『私』じゃないもの」
「君じゃない?」
少女は寂しげな目をしてアダムに向き合い、告げる。
「アダム。私、君が飛んで行っちゃったリボンを取ってくれた時、嬉しかった。記憶が消えても、君は君のままで……何も変わってないって思ったの」
今、そのリボンはどこにもない。
どうして? 目の前の彼女にとって、とても大事なものじゃなかったのか?
「やっぱり、ここはどこか変だ。君は、なんで教えてくれるの?」
「君に会いたいから。本当の君に……私も、本当の私で」
ガイアはアダムをそっと抱きしめた。
つややかな髪から花の香りが静かに漂う。これは、カスミ草……?
星は永遠に、空から降り続けている。
本当に願えば、何かを叶えてくれるんだろうか?
だったら……俺は一体、何を願うんだろう。
その答えはもうわかっている気がした。
「うん、俺も会いたいよ。ガイア」
「待ってる……ずっと……。ねえアダム、私がお姫様じゃなくても、迎えに来てくれる?」
「当たり前だ。俺は君に会うために、『時の改変』をしたんだから!」
言い切ったとき、アダムの脳裏に記憶の奔流が走る。
激しい頭痛と共に流れ込んでくるそれはどうにも止められなかった。
俺は、ルルイエの王子アダム。
そして善神ノーデンスの『嘆きの残滓』と時を繋いで、宇宙神アザトースの放つ魔物たちと戦った。
神食によって、完全に蝕まれる前に死を選んだガイア、そして自分が見捨てた弟を救うために『時の改変』を行った。
もう、二度と……大切な人を失わないために。
だが次の瞬間、光が絶えて視界が暗転した。
『その結果、君は何を変えられたの? アダム』
どこからか、響く声には聞き覚えがあった。虹色の球体が目の前に現れる。
「ヨグ……ヨグ・ソトース?」
『ずっと、秘密にしておこうと思ってた。でも君が気づいたならしょうがないね。教えてあげる。ぼくは、君を傷つけるすべてから君を守りたいから……。『時の改変』を行ったけれど、君の望んだはずの未来で、君の大切な人はどうなったか……』
虹色の光が強くなり、ザザっと映像が切り替わるような音がした。
城の塔で自分と父親を負傷させた楊炎龍。
魔導書から這い出したクトゥルーとチェスで賭けをするクリフ。
酒場で母の血まみれの遺品を見て、激しい雨音の中、走って城に向かうガイア。
震えながら、魔物と対峙し、背中の触手を操り必死で応戦するクリフ。
病室に花を添えにきて、悲しそうに自分を見つめるガイア。
目覚めないアダムの手を握り、『これ以上、僕を一人にしないで……』と涙を目に浮かべて嘆くクリフ。
断片的に見せられた映像から、アダムは瞬時に自分が昏倒中に起こった出来事を察した。
「そうか、俺はあいつに刺されて、意識を失って……その間に、クリフはあいつにそそのかされて半神になって、ガイアも……結局お母さんを亡くして、半神になったとか……!」
『そして君もね、アダム。延命を兼ねて、半神となった。でも君はもう、目覚めない。何とも戦う必要は無い。ノーデンスの『嘆きの残滓』とともに、ずっと……このぼくと一緒に自分の意識の中に沈み込むんだ』
「ダメだ! みんなを助けなきゃ!」
『何も変えられなかったのに? 今から、一体何ができるんだい? ああ、でも自分を責める必要は無いよ。どちらにせよ、アザトースの侵攻から世界を守る、人類には神と時を繋いだ半神が必要。変えられなかったのは、君だけのせいじゃない』
「今からでも、遅くない! まだ、みんな生きてるんだろう? ガイアも、クリフも……!!」
『ダメだよ、戻ったら、君はまた、クトゥルーの思惑によって、憎しみの罠に捕らえられて魂を狙われてしまう。あの男に『時の改変』の邪魔をされ、結局クリフがクトゥルーの半神となってしまった以上、君をあの世界に戻すわけにはいかない』
アダムは血が冷えていくのを感じた。ヨグ・ソトースは一万年前、すべての地上の神々を殺した時の神。
そして自分を永久の輪廻に閉じ込めたもう一人の創生神だ。
その意思を打ち破るには、どうすればいい……?
『君だって、心のどこかでは目覚めないことを望んでるんじゃないか? 厳しい戦いや、兄弟との憎み合い。何も変わらなかった世界で、君は一体、何をする? 何ができる……?』
アダムは唇を震わせ、沈黙する。
その問いについての答えを自分が持っていなかったからだ。
『さあ、おやすみ……。大丈夫だよ、君はもう傷つかなくていい。ぼくが、時のツギハギを繋ぎ合わせて、君の望む夢を見せてあげる……』
周囲が虹色の奔流に包まれる。
それに呑まれると、また自分は全てを忘れて都合のいい夢に浸るだろう。
クリフとは仲のいい兄弟として育ち、ガイアとも、一緒にいられる。
ーーでも、それは本当に俺が望むことなのか?
そのとき、どこからか、声が響いた。




