3章8話 Borrowed God, Borrowed Crown
深い深い闇……いまだ目覚めぬアダムの意識の奥底にて、金色の光球がふよふよと漂った。
そして若く澄んでいながらも、老獪な響きを持った声で語り出す。
「いやー、結構結構。人間ってのは諦めが悪くて、まっことよいのう? 宇宙神どもに抗うために人間と死した我ら地上の神々の時を繋ぎ、「半神」という異能戦士を作ろうとはのう? 彼らの犠牲については、善神としちゃあ我慢ならんとこもあるが……民の救済のためとあらば、儂のちっぽけな『嘆きの残滓』などいくらでも使うてよいぞ?」
模造の善神が一人呟くその声はひどく温かであり、優しげだった。
ノーデンスは自分の意識が残存した聖遺物である三又槍のなかから、この世界の移り変わりを永きにわたって見つめ続けていた。
そして、半神生成手術の際、クトゥルーを体内に宿す偽りの少年王はふと三又槍を見つめて言ったのだ。
『混淆の善神ノーデンス。聞こえているか……? あなたは絶対的な善性を司っていた地上の神であり、我がクトゥルーの天敵。そう簡単に人の魂を相棒として受け入れはしないだろう。自身と同じく、善性を持つ者以外はね。しかし善悪を誰よりも見抜くあなたならば……アダムと適合することができるかもしれない。アダムは僕と違って、多くの民の幸せを心から願える。それでいて、誰かをまっすぐに愛せる人間だから。神性と適合するかどうかはわからない。だが、『嘆きの残滓』を受け入れた者はその加護で身体機能が回復を見せるはずだ。適合するかの予後は、あなたと兄の対話次第だが……これは、兄を救うための賭けだ」
そう言った金髪の少年王は少女のように美しい目を潤ませて涙を浮かべていたが、ふと深呼吸して表情を切り替えた。
手術室に入ってきた魔脳科学士たちに対して冷酷な表情を見せる。
『彼は僕の兄であり、今後ルルイエの親王となって僕を支えてくれる大切な王族だ。失敗は決して許さない……頼んだぞ』と告げて外套を翻しながら去って行った。
愛おしいのう。どいつもこいつも。必死に生きとる。
あらゆる神の善性を寄せ集めて造られた模造の善神――とある善き神、大国主(テラ=エンリンク)の名を捨てたノーデンスの魂は、人々への愛が一体どこから生まれ出るのか、自分でもわからなかった。
「しかし、儂の聖遺物を体内に受け入れたこの子の魂は全く起きんな。んー、なんか見たことあるようなないような……かわいい若者じゃのう。意識の中でずーっと眠りこけおって。これじゃ、対話もできん。困ったもんじゃ……」
会ったことがないはずなのに、この少年の澄んだ、それでいてところどころ傷んでいる精神世界は不思議と懐かしく、落ち着く。
――あの触手のぼうやの半神となった少年王の感覚は間違っていなかったようだ。自分はこの子の魂となら、失われた時を繋げるだろう。
「もしそなたとアツーい対話ができれば、戦う気持ちがあるのだとしたら、このラメントが擦り切れるまで、付き合ってやるんじゃがのう? メルジューヌの魂を持つ若者よ」
そんなとき、ふと金の光球はどこからか流れてくる歌に気づいた。
優しく、不思議な旋律。それはまるで遠い過去を奏でるかのような響きだった。
「ヨグ・ソトース。そうか、お前か。儂とこの子の時が繋がれるのを拒んでおるのは……」
歌が静かに途切れ、暗闇の中でどこからか虹色の光がキラキラと淡く光る。それは、聖遺物と共に埋められた受肉結晶が放つ輝きだった。
『メル……ジューヌ……時を超えた君と、またこうして会えたね……』
クリフは腕を組みながら、部屋に闖入してきた銀髪の少女ガイアを一瞥する。
その名と同じ大地の女神の『嘆きの残滓』を取り込んだビジョップ階級の半神の美少女は白い小さな花弁の花を持っていた。しばらくアダムのベッドの周りを落ち着きなくウロウロしてから、ようやく呟いた。
「花瓶ってどこ……? これ、山間の討伐に行ったときにとれたカスミソウ。いまだ咲いてる花は、珍しいから」
「花瓶なんてあるはずないだろう。君は一体何度ここに来ているんだ?」
ガイアは花を抱えたまま、少し考えた。十秒ほど、沈黙が流れる。
「週……三回ぐらい」
ブチッ。
クリフは頭の中で忍耐の糸が切れるのを感じた。
元々いけ好かないこの銀髪の少女の呑気さ、『天然』という言葉で表現すると聞こえはいいが、独特のズレた感性は彼を苛立たせる。
「そのまま答えろという意味じゃない! そんなに来てるなら部屋にあるものとないものぐらい覚えておけと言う意味だよ」
「……? ごめんなさい」
だが、ガイアは悪びれることなく、部屋を見渡して空のビーカーを見つけた。
それを手に取り、部屋付きの洗面台の蛇口から注いだ水を入れる。
ザー……。
雨のような勢いで水がビーカーに注がれていく。クリフはため息をつき、さらに皮肉を言い募る。
「大体、花なんていらない。兄さんが有神時代の難病「花の病」だったらどうしてくれる気だい? 鼻水や涙が止まらないひどい病気だったと伝わっているんだよ。責任をとるために、君が復興医術局の免疫試薬の被検体になってくれるとでも言うのかい?」
ガイアはしかし平常心で花を入れたビーカーを置いた後、アダムのそばに平然と座った。
「あなたは私が何を持ってきても怒る」
「いいかい? 君がアダムとの関係者だと魔脳を通じて確認したからこうして謁見を許しているんだ。アダムが目覚めた時のための環境整備の一環だ。配慮に感謝してくれ」
――アダムに会わせて。
ある嵐の日、ずぶぬれになりながら城に来た少女。
――あなたは……あのときの王子様じゃない?
驚愕した表情でガイアはそうクリフを問い詰めてきた。
クリフは炎龍の助言に従い、アダムの不在の間、混乱を防ぎ自分が王となって国を統率するためにクトゥルーの能力で国民全体の記憶を塗り替えて、自分こそがアーサー・ルルイエの嫡子だということにした。
だが、魔女と呼ばれていた母、正妃ヘレナの記憶についてだけはなぜかうまく改変できなかった。
『クリフがアーサー・ルルイエの嫡子である』という記憶の書き換えにはみなが納得してはいるが、ヘレナが不義の邪神の子を産んだという認識は特に変わることがなかった。
彼女についてのありとあらゆる醜聞、そして裁判と処刑が、国民にとっては当時、一種の熱狂的娯楽のように受け取られた大きな出来事であったためだろうか。
彼女は国民に激しく嫌われ、憎まれていた。
ゆえに『不義の邪神の子がクリフではない』という書き換えによって、どうにか記憶の改ざんは成り立ったのだった。
だが、クトゥルーの半神の能力には限界がある。強く人々に残る記憶に関しては、一時的な脆い認識のコーティングにしかならない。
常にそれを強化するような実質的な行動が必要だ。王の嫡子を名乗るなら、それにふさわしい行動を。
誰かが矛盾や違和感に気づいて、思考し始めると一気に改ざんした記憶は崩壊し、誰もが自分を王と認めなくなり、半神特殊部隊ですら統率がとれなくなってしまうだろう。
ガイアの存在は、クリフに大きな脅威を与えた。
彼女は幼いころの記憶……何より愛ゆえにアダムを忘れておらず、記憶の改ざんは効かない。当然、クリフが出自を偽っていることも知っている。
本当は生かしておくだけでも都合が悪い。
何より、アダムが求婚した少女なんて別にどうでもいい。
兄さんは目覚めた時に、僕のことだけを知っていればいいんだから。
しかし、ガイアは絶対にアダムを助けるために、秘密を口外しないことを誓い、自分も半神となると言いだした。
ちょうどその頃、高い神性を持つ女神の聖遺物を持った半神の生成を試みたが、幾度も被検体への適合に失敗し、王立研究所は頭を抱えていた。
魔脳との対話を駆使した研究の結果、遺伝子、精神構造的な問題で半神被検体が女性でないと、強力な神性を持った女神との対話に失敗して適合できないという答えに行きついたのだ。
ちょうどその頃にあった彼女の申し出は喉から手が出るほど王国が欲しているものであった。
そう、そのために生かしているだけだ……。この不愉快な美しい少女を。
「配慮? 人使いが荒いあなたに配慮されていると感じたことはないけど」
ガイアはまたずれたタイミングで答えを返す。それでいながら、時折真をついたことを言う。
体力面で男に追いつかないなりに多くの討伐をこなし、ビジョップ階級まで上り詰めたのはその意外な知性からかもしれない……クリフはそう思いながら、鼻を鳴らして小ばかにしたように言う。
「当たり前だ。君はビジョップ階級の半神なんだから、きちんと働いてもらわないと」
「でも……私を最初に言った二重神性の器にしなかったのはなぜ?」
確かに当時、大地を揺るがす女神ガイアと、運命の女神モイラの神性を同時に持つ半神を作る計画は進めていた。
だが踏みとどまった理由はいくつかある。
「リスクが高いからだ。未来を見据えるという不安定な能力よりも大地変動に振りきったほうがいい。半神になるのは君の希望があってのことだが、神との対話に失敗して死なれると困るからね。なにせモイラは対話に失敗した被検体を必ず殺す、荒っぽく危険な女神だ」
未来を見据える能力者は必要。確かにそう思ったのは事実だ。
――だが、アダムが目覚めるまでにこの少女が死んでしまったら?
記憶でどうにでも嘘はつける。
でも……自分が嘘まみれの王だとしても、一つぐらいは自分を助けに来てくれたアダムのために何か、正しいことがしたかった。
せめて、この少女を生かしておくぐらいは。
「これ」は間違ってないだろう? アダム。
「訂正。あなたは、ちゃんと配慮してくれてる」
「腹の立つ言い方だな。すべては兄さんのためだ。誤解するんじゃない」
そのとき、アダムの指がぴくりと動いた。ガイアは目を大きく見開き、思わずつぶやく。
「今……」
「よくある反応だ。ぬか喜びはやめたほうがいい」
「どうして、ノーデンスとの対話がうまくいかないの?」
「……原因究明中だ。だが、魔脳マリアでもお手上げ。碌な答えが返ってきはしない」
ガイアは寂し気な顔をする。
「不適切な表情はやめてくれ」
「不安になるから?」
「今の対話の中にネガティブな情報は特に含まれていないからだ。アダムは意識を回復するし、手は尽くしている。そんな顔をされるいわれがない」
「あなたを責めてるわけじゃない」
クリフは押し黙る。無意識にそう感じたのかもしれない。
「見舞いが済んだならもう帰れ。命令だ」
「わかった。貴重な家族の時間は邪魔しない。じゃあね」
ガイアが部屋を出て行ったあと、クリフはため息をつく。
なぜ、こんなことに。
あの日、アダムを刺し、父を殺したのは宰相ヴィード。フォルディアルス共和国との諜報で密命を受けたゆえだったのではないかと一旦明らかにはなった。
しかしそれには今もなお、どこか後味の悪さと消えることのない疑問が残り続けている。
唯一の目撃者である炎龍曰く、『虫の知らせ』があって父アーサー王を訪ねたがその時には時遅く、王の亡骸の近くにヴィードが立ち尽くしていた。そして男を問い詰めたら、間に合わずに自害をされてしまったと言う。
人払いがされていた塔には他の者の出入りはなく、当然、魔脳マグダラのような真偽判定機能がない魔脳マリアには確認しようがなかった。
ヴィードの亡骸の手には短剣が握られており、その刃型とアーサー王、アダムにつけられた傷跡は一致した。
彼は忠実な男であったと言われているが、身辺と所持していた魔脳端末を調査した結果、フォルディアルス共和国との通信記録が残っていた。
フォルディアルス共和国は宇宙神アザトースと手を組み、無抵抗と忠誠を誓うかわりに百年間宇宙神からの攻撃を免れ、あとは永遠の滅びに向かうことを許諾する『百年の安寧』に身をゆだねて国民と自国の未来を売ったこの大陸の叛逆国家。
アザトースの密命を受けたフォルディアルス共和国から密命を受けたスパイが国のトップと王子を暗殺し、魔獣に対抗する術のないルルイエをさらなる混乱に巻き込もうとした――。そう考えるのが自然だった。
フォルディアルス共和国に報復するには決定的な証拠がなく、宇宙神アザトースの軍勢が背後についている彼らに対して攻撃することはあまりにもリスクを伴うため、沈黙を守るほかなかった。
だが、ある大きな疑問が去来する。
――あまりに、これはよく出来すぎている。
宰相ヴィードに関する記録を魔脳マリアを通して調査したが、決行日以前に怪しい動きなどは特になかった。
クリフは牢獄で暮らしていたため、城の中のことや家臣の詳細な動きを知りようがない。
何より、目撃者は『虫の知らせ』で城に来た皇帝、楊炎龍以外いない。
彼の言うことは、果たして真実だろうか?
もし、すべてが僕とこのルルイエを都合よく操るための偽りだったら?
二年前のあの日、その疑いにかられたクリフの心を読んだように、美しい東方の皇帝は言った。
『ま、唯一の目撃者を疑うのも無理はない。なんなら、ここで朕を殺しても構わへんで?』
そう言ってクリフの前で腕を広げて炎龍は微笑み、煙管を指から落とした。
カラン……。
龍神の『嘆きの残滓』の能力である、煙の龍を操る機能を持つ煙管をあえて手放したということは、完全な丸腰を意味する。
『ほら。得たばかりのクトゥルーの力を試すのにちょうどええと思わへんか?』
クリフはそう言われる前から、自身の皮膚を四方八方から貫いて体内に宿ったばかりのクトゥルーの触手が再び皮膚を這い出ようと背中がうずくのを感じていた。
そのとき、クリフは背筋を這いあがる激しい寒気を覚えながら直感した。
半神となることは、その神を身に宿すということなのだと――。
自分の中には、血を求めて常に人を憎むクトゥルーの本能的衝動が体内の触手と共にすでに埋め込まれている。
激しい乾きのようなものが沸き上がって、背中が粟立つ感覚が襲う。皮膚からそれは絶えず浮き上がろうとする。
『そ、そんなことはできません……ひ、人を殺すなんて……』
『丸腰の人間一人倒せんで、一体どないする気や? これから魔獣や宇宙神どもの眷属と戦えるとでも?』
『だ、ダメです!』
だがその言葉に反して、クリフの背の皮膚を突き破って一人でに触手が這い出した。
そして意思とは関係なく、炎龍に向かってうねりながら向かって行った。
バシュッ!!
それは勢いよく、炎龍の腹部を貫いた。あっという間に肉を裂き、背まで貫通する。
鉄のような血の匂いが煙の芳香をかき消すまでに周囲にただよう。
恐怖に思わずクリフは震えた。だがその一方で、心の奥底に妙な愉悦を感じている自分がいた。果てしない全能感とでもいうべき感情が生まれ、全身に血がたぎっていく。
人への暴力……それに、脳髄の奥へともぐりこんだクトゥルーの触手が悦んでいるのだと直感する。
『い、いやだ……なんで……』
『くっ……惜しいなぁ。もう少し触手をもちあげれば心臓に届くで。さあ、殺したいならやれ』
『……な、なぜ逃げなかったのです!?』
『約束は、守る……。殺してええと言うた以上、嘘はつかん。……さあ、どうしたい? 朕を生かすも殺すもお前の自由や』
赤い血が腹部から大量に流れていると言うのに。命の危険が迫っていると言うのに。
この男はまっすぐ立ったままだ。一切逃げる気もない。
『朕もまた、神の『嘆きの残滓』を背負う者……邪神とも呼ばれる強大な神を宿せば、暴走した神の遺志に喰われる危険をはらむ。思うように力を扱う方法はたった一つ。自分だけの意思を持て! 自分で決めるんや、全部……!』
痛みからか、わずかに声がかすれている。
『ぼ、僕は……』
『朕を信じるか否か。それだけや。さっき言うた通り……朕はお前が呼べば、いつでも、どこへでも馳せ参じる……その誓いに変わりはない』
クリフは自分の中にある感情を探ってみる。
僕は……この人を……。
出会ったばかりだ。
国とアダムを救うためにはあれしかなかったとはいえ、クトゥルーとの賭けを僕にさせた、あまりに信頼できない男。
でも……彼は独りきりの僕を唯一導いてくれる男。
殺したくない。
この人を信じたい。信じるまではできなくても、関わっていたい。
自分の信頼を勝ち取るためだけに、命まで賭けたこの男を。
クリフの中に生まれた激しいその衝動はやがて……触手を自分の力で操り、巻き戻そうとする感覚へと初めてつながった。
気づくと炎龍の腹を突き刺した触手は抜け出て、クリフの背にほぼ一瞬で吸収された。
クリフは震える声を絞り出す。
『……あなたを、信じます。炎龍陛下。僕は信じたい……!』
炎龍は痛みに崩れ落ちることもなく、落ちた煙管を拾い、いつの間にか炎を灯して少し違う色の煙を吸った。今から考えれば、おそらくあれは鎮痛の魔香だったのだろう。
『今の感覚を覚えとくんやな。神の破壊衝動が止まらんときは自分の意思がどこにあるか考えろ。それで殺せる命も救える命もあるはずや』
クリフは全身の震えが止まらないまま、地面に膝をついた。
ゆっくりと頭の中を支配していた暴力衝動が静まっていく。
宇宙神たちに唯一対抗出来得る力。でもそれは魔獣を殺せるだけでなく、いつでも人を殺せる力でもある……。
王位とともに手に入れたそれはあまりにも重いと実感した。思わず美しい皇帝に問いかけてしまう。
『あなたは、死なないでいてくれる?』
『龍神皇帝の『嘆きの残滓』は強い。そないに簡単に死なへんわ。我が薔薇の下に全てを成し遂げるまでは』
炎龍はわずかにふらつきながらクリフの傍に来てかがみ、震えるクリフの背を優しく撫でたあと、強く叩く。
びくりと身を震わせたクリフに炎龍は戒めるように告げた。
『男やろ。一国を背負う者が、これぐらいのことで動じるな。自分の感覚と判断を信じるんや』
クリフは背に走った熱から軽い痛みと、これまでに感じたことのない温かみを感じた。
それが何なのか理由もわからないが、そのときに涙が一筋頬を伝った。
アダム以外で自分に関心を示してくれた人は、彼だけだった。
もしもあのときに炎龍を制御のきかない触手で攻撃していなければ、きっと別の誰かを殺していただろう。そしてクトゥルーの力の制御の方法もわからないままだっただろう。
たとえ全てが明らかでなくとも、信じたいと思ってしまう。
僕のためにあんな犠牲を払う人が、兄さんや父上を殺すわけがないと。
しかし、アーサーの死とアダムの昏睡。
そしてクリフを偽の王に仕立て上げるよう炎龍が仕向けたことにより、竜玉公国にとってルルイエは明らかに扱いやすい国になってしまった。
軍用霊獣の導入や、竜玉公国の協力によってルルイエのハンターだけでは発掘できない聖遺物を入手できることにはメリットがあるとはいえ、裏を返せば、この国の生殺与奪は竜玉公国に握られているとも言える。
『頼る』ということは、安心と引き換えに自由を失うことでもある。
その現実を見れば自分の判断が正しいのかどうか、わからなくなる。
あの人は、僕を利用している……?
それとも、全てが心からの言葉なのか?
この真実については知りたいけれど、知りたくなかった。
自己矛盾に苛まれ、クリフは思わずアダムに向かって少しだけ、苛立ったように呟く。
「アダム。君ならどうする? いや、わからないか。父上に愛されていた君には」
――これ以上、僕を一人にしないでほしい。
――もっと早く助けに来てくれていたら。君も僕も、こんなことにならなかったんじゃないか?
わがままばかりが、頭の中に浮かんでは消えていく。
「ごめん……君に当たってもしょうがないのにね。じゃあ、また来るよ」
立ちあがって出口を目指しながら、クリフはビーカーに活けられたカスミソウを一瞥した。
花なんて、寝ている人間は見られもしないのに何の意味がある。
そう思いはしたが、確かにその白色の花弁は優しく、あまりに無機質なこの部屋を彩ってはいた。
「アダム。君が花の病じゃないことを祈るよ。寝てるうちに呼吸が苦しくなったら大変だ」
そう呟き、クリフは自動開閉式の気密扉から出て行った。
次の瞬間。
「あっ、王様だ!!!」
少しトーンの高い声が響いたかと思うと、たたたたっ! と自分に駆け寄ってくる足音が近づいてくる。
「ちょっと、ゼファー! 急に走ってはいけませんよ!」
「レオはほっといて! ボク、王様にずうっと会いたかったんだから!!」
おそらく、定期検査を終えたあとの半神だろう。
受肉結晶と聖遺物を埋め込んだ半神は定期的に体のメンテナンスおよび神食度の検査を行っている。
軍備配置、何よりも例の計画のためにも神食度は常に把握しておく必要があるためだ。
まるで、いずれ死んでいく家畜たちの健康を保つかのように。
そう思うとわずかに胸が痛まないこともなかったが、全てはアダムが生きる世界を守るためだ。そうする以外に、方法などない。
「なんだい、騒がしいね」
クリフが声と足音の方向に目をやると、そこには軍服を着た、とがった犬のような耳と尻尾の生えた薄紫色の髪の少年と背の高い薄緑の髪の青年が立っていた。
――例の封印された獣神の『嘆きの残滓』と適合した半神か。確か神食度は現在5パーセント。
クリフは聖遺物の管理データを頭の中で思い返す。
薄紫色の髪の少年は髪と同じ色の尻尾を揺らしながら、大きな瞳を輝かせてクリフの眼前に走って行って大きな声であいさつをした。
「あの、ボク……ゼファー・フェンリル・アスガルスです! 半神になったばかりだけど、よろしくお願いします!」
薄緑の髪の青年があわてたようにゼファーの近くに走って頭を押さえて下げさせる。
「王様相手に失礼ですよ。私達はまだまだ下っ端なんですから……大変、失礼いたしました!」
そして、自分も深く頭を下げる。
「へえ~、王様ってこんなに綺麗な人なんだ。女の子みたい。初めて本物見たけど、びっくりしちゃった!」
「ああもう! 言った先からまた失礼で馴れ馴れしいことを!」
クリフの固く閉じられていた口元が、ほんのわずかに緩みそうになる。
喪われた、『忌むべき』獣神の『嘆きの残滓』を宿した彼のその天真爛漫さが、眠り続ける兄に少し似ていたからだった。




