2章20話(38話)※2章最終話
アダムは半ば這いつくばりながら、傷ついた体でどうにか塔の最上階へと辿り着いた。
「とう……さま……?」
部屋は薄暗く、ほとんど何も見えない。だが、アダムは底知れぬ違和感と本能的な恐怖に襲われた。
部屋の空気が、違う……。何か……様子が変だ。そして気づいた。
これは……血の匂いだ。先ほど嗅いだ魔香がわずかに香っていたが、血の匂いは覆い隠しようがないようだった。
息を呑みながら奥へ進んでいくと、魔脳マリアの水晶碑のそばに……心臓から血を流し、父が倒れていた。
「とうさま!? だ、だれが……!」
アダムは自分自身も腹に激痛を感じながらもどうにか駆け寄った。
「ア……ダム……?」
「ま、まさか……楊炎龍に?」
父は答えなかった。だが、胸に空いた穴の形状は炎龍の持っていた短剣と酷似していた。
「すべて……私に責任があることだ……。すまない……」
父の呼吸はもはや虫の息と化している。きっと……助かることはないと直感した。
父の死。それを意識した瞬間、痛みすら忘れて身が冷える。
自分が見てきた未来では、すでに父は亡くなった後だった。だからこそ、『この時』を経験することなどなかった。
なんて寒くて……寂しくて……怖いんだろう……。
法と国に縛り付けられながらも、懸命に働き続けた伝説の剣聖の命の火が今、絶えようとしている。
人が命を亡くす瞬間、存在がなくなる瞬間には何度も出会った。だが、こんなにも強く、身の奥から感じる根源的な不安を覚えたのは初めてだった。
俺の父親。いつも俺の頭を撫でてくれた強く、優しい人が、善悪を教え、導いてくれた人が……死ぬ……?
だがアダムはすべての混乱と悲しみを振り切り、今聞くべき言葉を絞り出した。
「とうさま……クリフの、牢獄の鍵は、どこに……?」
すべてをわかっていたかのように、父アーサーは自分の首にかけた紐を服から取り出し……その先についた鍵をアダムの手に握らせた。
冷たい……本当に、とうさまは死ぬのだ。
「……私は……ダメな、父親だ……。もっと、できることが……それでも、お前を。お前たちを……愛していた……」
「わかって、います……」
アダムの頬に父は手を伸ばし、わずかに笑った。
「アダム……お前を、誇りに思うぞ。『どの時を生きた』お前も……」
「!! なぜ? まさか、俺が『時の改変』をしたと知って……!?」
父は最後の力で口を開き、何かを言いかけたが……苦し気な表情で目を閉じた。
「と、とうさま!?」
完全に事切れた父を前に、アダムは激しい喪失感を覚えながらも、衝撃で涙すら流れなかった。
だが……静かに立ち上がる。
もう、これ以上時は戻せない。ならば……生きている大切な人を……。
早く、早く……クリフを助けに行かなくては!
はやる気持ちでただアダムは牢獄に向かう。だが傷の周りがしびれ、歩くたびに感じたことのないような激しい痛みに襲われる。
塔を降り、城の外れに向かう。
魔脳マリアの暗号を解除し、アダムは階段を転がり落ちるようにして牢獄へ下っていった。
「ううっ……あああああ!!」
絶えず激しい痛みが傷口を中心に襲い、腹の中が刃物で引きちぎられるようだった。
牢獄にたどりつくときには、アダムはすでに半生半死の状態だった。
全身が焼けつくような痛みに覆われており、歩くのもやっとのことだ。
「ク……リ……フ……」
「兄さん!?」
遠くからでもわかるほどに血にまみれたアダムを見て、思わずクリフは驚愕する。
もう立っていることも叶わなくなったアダムは体のバランスを崩し、床に倒れてしまう。
だが……その手を使って冷たい床を這いつくばりながら、アダムはクリフの元へ向かっていった。
「十六歳の誕生日……おめでとう、クリフ。……俺は……君に、自由を……!!」
「か、鍵を……持ってきてくれたの? 本当に、来てくれるなんて……!!」
「約束した、だろ……? この、闇の中から……抜け出そう……ずっと、一緒に……今度こそ……!」
牢獄の柵が……フードから垂れたクリフの美しくて長い金髪が見える……。あと、もう少し……もう少しで、クリフに……手が届く……!
「い、一体何があったの? まさか、魔物に? き、傷を治さなきゃ……!」
クリフは混乱しながらも出来得る限りアダムに向かって身を乗り出し、柵ごしに手を伸ばす。
アダムもまたクリフに向かって手を伸ばし、残った最後の力で牢獄の鍵を掲げた。
「ほら……鍵は、ちゃんと……ここに……!!」
二人の手が、わずかに触れそうになる。
やっと……やっと……今度こそ、届く!!
たった一人の弟に、この手が……!
もう、二度と一人になんて、させない。
しかしその瞬間……アダムの意識は暗転した――。
カチャン…………!!!!!!
牢獄の鍵は地面に落ち、アダムは意識と力を失って、地面に伏していく。
「兄さん!!? だ、だれか……! だれかぁーー!!!」
クリフは身も世もなく混乱して叫ぶ。
何が起きてしまったのかも理解できない。
だが、ただ一人……自分を見つけてくれた存在が……約束を果たしに来た兄が、今この瞬間に、絶えようとしていることだけはわかる。
誰か、誰か助けて……。
お願いだ……!
何度も心の中で叫んだが、一度たりとも訪れたことのない救いを求めて祈り続ける。
そのときだった……。
カツン、カツン……。
冷たく静かな空間の中に、重いブーツの足音が響く。
「ああ、なんとお可哀想に。囚われの王子様……泣くのはおやめ……なんてなぁ?」
「あ、あなたは……?」
金色の瞳が闇の中で妖しげに光輝き、異国風の衣装に身を包んだ男が現れた。
クリフはその瞳の輝きになぜか、懐かしさを覚える。会ったことなどないはずなのに。
「朕は楊炎龍。御父上アーサー公より、託されし使命があり、馳せ参じたまでや」
「だったら、僕の兄を助けてくれ! 早く!!」
炎龍は牢獄を前にして倒れたアダムを見て、なぜか満足そうに……わずかに労わるように笑った。
そして、よく通るバリトンの声でクリフに告げる。
「そう焦らんでも、王となれば全てが思いのままや。ただし……呪われし王子よ。お前が、夢見の創生神との賭けに勝てればな?」
そう言って炎龍は懐から、黒い革の本を取り出した。
クリフはいつしかデータベース資料の中で見た、その禍々しい本に既視感を覚える。
「そっ、それは……母が邪神を呼び出したという、魔導書ネクロノミコン!?」
「ああ。御父上に拝借したで? ……これぐらい、形見にもらってええやろ」
炎龍は魔導書ネクロノミコンのページに手をかけ、勢いよく開いた。
バラバラバラッ……!!!!!!!
どこからか……闇の底から吹き上げる風が激しい音を立てながら、二人の王子を嘲笑するように魔導書のページをめくっていく。
「さあ、何を賭ける? どう転ぼうが、勝者はお決まりやけどなぁ?」
クリフはただただ、驚愕のあまり後ずさる。しかし、その光景から目を離すことはできなかった。
魔導書があるページで止まり、赤く禍々しい光を放つ。それはまるで燃え盛る炎のように牢獄中を照らした。
炎龍は赤く染まりゆく牢獄のなか、残虐な笑みの上にわずかな哀惜を浮かべて言い放った。
「将死! 我が薔薇の下に……!!!」
クリフは背骨のあたりに未知のざわつきを感じた。幻か現かもわからぬほどにリアルな……蛇のようにうねる触手が体内でのたうち回っているような感覚だった。
これから一体、どうなってしまうのだろう? 兄さん、兄さんを……助けなきゃ!
やがて赤く光る魔導書から無数の触手が生え出し、全ての根源的恐怖とこの世の終わりを思わせるその姿を顕し始めた――。
第二章 完――。
第三章へと続く。
こちらで2章は完結となり、3章へ続きます。
読者様となってくださいました方々、ここまでの長いストーリーに
貴重なお時間を割いていただきまして、まことにありがとうございました。
3章も鋭意プロット作成を進め、番外編などもその間に書きたい…と
もろもろ練り中でございます。
楽しんでいただけるようなものになるよう、今後も頑張っていければと思いますので、
もしよろしければ…お暇つぶしに…
キャラ達の行く末を見守ってくださいますと幸いでございます。
これからもどうか、よろしくお願いいたします。
ご縁頂き、ありがとうございました。