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2章17話(35話)

 クトゥルーは残虐な笑みを浮かべ、ノーデンスが乗り移ったアダムを見下ろす。

『ふん、作り物の善神が戯言を。ならば今度は利き腕でない腕ももぎとってやろう!』

「相変わらず人の話を聞かんのう。まあいい。我こそはノーデンス・エルダーゴッド! またの名を大国主(テラ=エンリンク)・クニツ! 『嘆きの残滓(ラメント)』となり果てしもなお、善神の務めに身をやつす者! 再び、人間を憎悪する邪神となり果てた貴殿クトゥルー・グレート・オールドワンを討伐する!!」

 アダムは自分の口を借りてとんでもない言葉が出たと感じ、思わず焦る。一方、クトゥルーはその口上に対する苛立ちを隠さない。

『つくづく生意気な……!! ちっぽけな『嘆きの残滓(ラメント)』ごときに、何ができる!』

 本当に倒す気なのか……? そのとき、口から謎の力が抜けた。

ノーデンスが明け渡してくれたのだろう。脳内から声が聞こえてくる。

『ってわけでアダム。あとは頼んだ。やっぱ、怖いもんは怖いから、異能の攻撃無効化は効かんけど。槍の先が復活してパワーは強くなっとるし、なんとかなるじゃろ。知らんけど』

「は!? 一緒に戦ってくれないの!?」

『いや~、儂、アイツのことすっげえ嫌いでのう。もう顔も見たくないレベルじゃけど、一言だけ言うたりたかった!』

「ふ、ふざけるなよ……!」

 だが、次に聞こえてきたノーデンスの声は諭すような落ち着きに満ちていた。

『『銀の鍵』はヨグ・ソトースがそなたの魂に託ししもの。これは皆の悲願なる『時の改変』を背負うそなたの戦いじゃ。自分の手で、取り戻さなくてはならん』

 アダムは思わず押し黙る。確かに、ノーデンスが言う通りだ。

『アダム、この世の真理を一つ教えてやろう。とてつもなく嫌な相手からは死ぬまで逃げまくるか……もしくは真っ正面からぶちのめすかのどちらかじゃ!』

 アダムの心の奥にその言葉は入り込んできた。

 そうだ、そこにしか真実はない。

『ま、逃げまくりの年寄りの戯言に過ぎんことじゃがな』

「いや……おかげで覚悟が決まったよ。自力で頑張る!」

『そうか。その意気じゃ、アダム!!』

 アダムは三叉槍を構えなおす。対峙するクトゥルーは激しく笑った。その怨嗟が含まれた笑いは人間には到底聞き取れない呪われた言語でありながらも、この溶鉱炉すべてに反響し続けた。

『我に、脆弱な人間風情と利き腕をもがれた模造の善神が敵うとでも!?』

全身を冷や汗が覆い、恐怖に身がすくむ。

 だが、それでも戦わなければいけない。

 三叉槍はノーデンスの力を宿したことが明確なようで、金色に発光している。

『身の程を思い知らせてやろう!!』

 その声と同時に、クトゥルーは全身の触手を振るいながら、アダム、そして鉄橋に向かって打ち据えた。

 ガシャアアアアア!!!

 鉄橋はあっけなく、クトゥルーの触手に打擲され、崩壊していく。

「くっ!!」

 アダムは傾く鉄橋によって溶鉱炉に滑り落ちそうになるが、走って行って飛び上がり、三叉槍をどうにか鉄橋が折れた断面に突き立てる。

 ノーデンスの加護なのか、身体能力が明らかに上がっている。

 断面に突き立てた槍につかまり、宙にぶらさがった状態になったアダムは槍を伝って、切断された鉄橋に残された足場に上がろうとした。早く……たどりつかなくては、このまま虹色の海に落ちてしまう!

『甘いな。そんなことが通用するとでも?』

そう聞こえるや否や、クトゥルーの触手がぶら下がったアダムに襲いかかる。

 まずい……!

 アダムは覚悟を決め、槍につかまったまま飛び上がる。そして槍の上に立ち、それを渡って足場に乗り移った。

 触手は先ほどまでアダムがいた場所へと空ぶる。

「うおおおおらあああああ!!」

 足場に着いたアダムは力を込め、三叉槍を断面から抜き去った。

『ほう? 少しは楽しませてくれるようだな。利き手を失ったノーデンス……奴の神性にいまだそのような力が残されているとは』

 クトゥルーは挑発しながら笑う。

「利き腕を奪われてもなお、ノーデンスはあなたと最後まで戦った! 俺も同じ意思を持っている!」

 そしてアダムは走りだし、クトゥルーに向かって三叉槍を掲げ、跳躍していった。

 下手すると、虹の海に落ちかねないだろう。だが最悪、クトゥルーの触手を足場とすればいい!

 アダムの心の中に、根拠のない勇猛さが生まれていた。

 もう後には引けない。戦いしか……望む未来を手に入れる手段はないのだ!

 目的は、クトゥル―が触手の一つにからめとった『銀の鍵』。あれさえ奪えばいい! 最悪、倒せなくとも……!

 アダムはその触手めがけて三叉槍を突き立てた。だが、跳躍するアダムを触手が追いかけ、鞭うった。

「あがああっ!!!」

 アダムはとっさに虹の海に浮かぶ触手の一つに飛び移る。だが、また新たな触手が追いかけてきて、アダムは逃げるようにひたすら飛び回り続けた。攻撃を加える隙も無い。

『銀の鍵さえ奪えばいい? そう思ったか、アダムよ! ならば……こうしてやろう』

 そのとき、クトゥルーの無数の触手に覆われた口らしき部分がぱっくりと開いた。口内は醜く何層にもなった牙に覆われており、あまりに邪悪で禍々しいものだった。

 次の瞬間、手のように使っていた触手にからめとっていた『銀の鍵』をクトゥルーはその口の上に掲げ……弄ぶように飲み込んでしまった。

「なっ!? 『銀の鍵』が!!!」

 クトゥルーは楽し気に哄笑する。

「この『銀の鍵』はあのいまいましいヨグ・ソトースの神器! 我が体内で溶かすことも不可能……だが、お前には渡さぬ! 欲しければ、我が『体内』まで追ってくるのだな!!」

 そしてクトゥルーはまたもや体中の触手を楽しげにうねらせ、アダムを鞭打たんと追跡する。

『しばらく追いかけっこと行こう。お前が受肉結晶の海に落ちるか、我が触手に貫かれるのが先か!』

 アダムは背筋が冷えるのを感じたが、立ち止まることもできず、逃げ惑い続ける。

『銀の鍵』をとられてしまった……!

 なおさら、倒さなくてはどうにもならない!

 アダムは意を決し、三叉槍をばねにし、クトゥルーの頭部に向かって飛び上がる。

 クトゥルーはまた、あの不気味な哄笑を響かせた。

 三叉槍はクトゥルーの頭部を刺し貫く。アダムは一瞬気が抜ける。しかし、クトゥルーは一切、びくともしなかった。

「なん……で……」

『ノーデンスの三叉槍は、我の中核に届くことはない。なぜなら、我に植え付けられた『憎しみ』はあっても、悪意はないからだ』

「え……」

 その言葉はアダムに動揺を与える。

 アダムは思わず、クトゥルーの槍を抜き去った。そこには青紫の体液がついているものの……クトゥルーは一切打撃を受けていないようだった。

 クトゥルーの言葉に嘘はないとはっきりわかる。

『それとも、奴の『善神』なる情であろうか? 我には理解できぬ。何せ、この『憎しみ』は……破壊の衝動はすべてヨグ・ソトースが、ただ一つの愛……メルジューヌを守るために我へと押し付けたもの。貴様ら人間は、我のような存在を『必要悪』……とでも考察するのだろう?』

 そしてクトゥルーの頭部の側面がバリバリバリ……! と破れる。そこから生え出た新たな細い触手がアダムの頭へ向かってくる。

『そうだ、脳内に直接遅効性の毒を送りこんでやろう。魂を殺せぬ以上、お前の肉体はそう簡単には殺さぬ! 生きているとも死んでいるともつかぬ苦しみを味わわせてやろう!』

 アダムは触手が顔と頭に迫ってくる中、知恵を絞った。

 中核に届かない。ならば……。

 アダムはクトゥルーの頭上からその異形の顔を見下ろす。

 細い不気味な目よりさらに下……そこにはさっき『銀の鍵』が飲み込まれた口がある。

 それはわずかに開かれたまま……。すぼまった形状だが、ちょうど人が一人通れるぐらいはある。

 何かを察したのか、脳内のノーデンスが心配した声を出す。

『あ、アダム……まさか、とんでもないこと考えとるんじゃ……』

 ノーデンスは、やはりこの戦いを恐れている。さっきは茶化していたが、本当にクトゥルーが怖いのだ。

 いや、恐怖ではない……。アダムは、ノーデンスの意図を理解した。それは決して裁けぬ『必要悪』を制裁することへの抵抗でもあったのだろう。

「それでも、俺は行くよ、ノーデンス! 一緒に逃げずに……真正面から戦おう!」

『はぁ……しょうがないのう。ならば、付き合ってやる。我が『嘆きの残滓(ラメント)』の尽きる瞬間まで!』

 アダムは意を決し、槍をバネに跳躍する。そして槍を同時に抜き去りながら、一気にクトゥル―の口内に向かって勢いよく下降していった。

『なんのつもりだ!? 我の触手から逃れられるとでも?』

「逃げるんじゃない……違う道を探すんだ!」

 アダムは槍でクトゥルーの触手に覆われた顎らしき部分を突き刺す。

『はっ! そんなものが効くとでも!』

 だが、クトゥルーのわずかな動揺ゆえか、一部の触手の動きが止まった。

 これまでの戦い……そして会話からアダムはあることに気づいていた。

 ヨグ・ソトースに時の権限を全て持っていかれ、未来が掌握できないクトゥルーは、予想外の行動を異常なまでに恐れて嫌うのだ。

 この神格は未来が見えないことに激しい苛立ちと混乱を覚える。それはかつて、時の神ヨグ・ソトースと一体であったからだろう。

 失われた部分の決定的な『欠け』に対する劣等感か……それは異常なまでの拒否反応となっている。

 アダムはそのまま、牙にびっしりとおおわれたクトゥルーの禍々しい口の中に入っていく。

 牙が何層にもなって生えたその内部は、もしこれまでに多くの魔物と戦ってこなかったとしたら、すぐに卒倒するような様相だった。

 奈落のように果てしない闇が広がっている。すべてを飲み込んでいくような……!

『これで狙い通り……我が無限の体内に自ら入ってくれるとは!』

 その瞬間、クトゥルーの口が閉ざされた。アダムは退路を失う。

「なっ、なにっ!? まさか、これが狙いで……!?」

 アダムが戸惑って発した言葉はクトゥルーの虚無の口内で反響した。

ここへ導いたのはクトゥルーの罠だった。あえて鍵を飲み込んだのも、それを追ってこさせるため……。

 たとえ相手の罠だとしても、立ち止まるわけにはいかない。

確かに、『銀の鍵』はクトゥルーの体内のどこかにあるのだ! それを探すことでしか、活路は見いせない!

クトゥルーの口内は肉色の鍾乳洞のような空間になっていた。クトゥルーの鼓動と共に揺れるその中をアダムは牙をかきわけながら中に潜っていこうとする。

「いっ……!」

 牙の一つを手で握りながら進んだら、指が千切れるような激しい痛みが襲った。

『我が記憶のうずまく体内で身も心も狂わせ、永遠の時を過ごすがいい……! お前は、何も変えられぬ!!』

 その言葉は激しい耳鳴りと共に脳内に直接響いてくる。クトゥルーは喉を震わさずとも、声を人に送り込めるのだ。だが、ヨグ・ソトースのような優しさはない。

 憎しみの怨嗟にまみれたその声は激しくアダムの脳で反響し、痛みを与える。

それと同時に、喉奥から無数の触手がアダムに向かってきた。口は閉じており、逃げ場はない。閉ざされた口内は真っ暗に染まる。

体内の触手は体外に出ているものよりも細く、アダムは真っ暗闇の中。気配を頼りに槍を使って器用に触手を払う。

 そしていくつもの触手を三叉槍に巻き取り、どうにかクトゥルーの喉奥のわずかな隙間に潜りこんだ。

だが、一瞬のすきを突かれて触手に全身を絡み取られ、思わず息苦しくなる。

「うぐっ……」

そのとき……突然体が宙に浮いたような感覚になった。巻き付いた触手がアダムの体を「どこか」へ導こうとしている。

『さあ、お前を深淵へと導いてやろう。我が体内、永遠に続く悪夢と記憶の中へ……!!』

「な、なんだ!?」

 触手にからみつかれて宙に浮いたままで、アダムは思わず下を見る。

すると、そこには深く、深く……どこまでも続く、虚無な空洞がぼっかりと開いていた。

「……!!!!!?」

 声すら出ず、ひたすら抵抗もできず、アダムはその深い深い奈落……クトゥルーの最深部に下降していった。


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